3-12 郁朗の罪累
-西暦2079年5月17日19時55分-
一行がEブロックのアジトに辿り着いたのは、太陽代わりの都市高輝度照明が落とされてからしばらくたった頃だった。
新見を除いた戦闘班の面々は、各々で取りたい様に休息を取っている。
個室へ戻り眠る者。
撤収の際に喪失した装備を整備班に申請しに行く者。
そして霊安室へ向かう者。
環も今は新型装甲の負荷確認の名目でメンテナンスを受けている。
それぞれではあるが、一つの作戦を終えた安堵感と、次の段階へ向けた熱気がアジト内には漂い始めていた。
片山と新見は千豊の所へ報告に向かっていたが、それに郁朗も同行している。
右腕の修復の為に一刻も早くメンテナンスを受けなければならないにも関わらずだ。
片山には休めと言われたのだが、どうしても報告会議には参加すると言って聞かなかったのだ。
あまりにも頑ななその態度に片山が折れ、とうとう同行を認めてしまった。
今の郁朗の精神状態では何を口走り、どんな事を起こすか判らないのが不安だった事もあるのだろう。
三人が向かったのはいつものブリーフィングルームでは無く、班長クラスが外に漏れては問題になる案件を話しあう時に使われる部屋だ。
新見がIDカードをスリットへ滑らせると、重たそうな扉がズズズと開いた。
中には既に千豊と倉橋が座っており、何やら話をしている様である。
「失礼します、遅くなりましたが報告に……今回は申し訳ありませんでした。倉橋さんも色々と気を使って頂いたのに申し訳ありません」
「新見さん、お疲れ様。まずは座って下さいな。今回の失敗については……私の見通しの甘い所が大きかったと考えています。団長さん、イクロー君、お疲れ様でした。アナタ達もどうぞ掛けて頂戴」
「おう……ハンチョー、色々と世話掛けて悪かったな。気を使わせたみたいで」
「……お前達が無事に帰って来ればそれで問題無い……藤代、お前も無事に……とは言えんか。辛かったろう。怪我は問題無いか?」
郁朗は倉橋のその言葉を嬉しく思う反面、帰って来られなかった面々の事を考えると、心に槍衾で突きまくられた様な小さな穴が開いていくのを自覚した。
「……ッ。腕は大丈夫ですから。逃げるにしたってハンチョーの手回しが無かったらどうなってたか判りません……本当にありがとうございました」
「……いいんだ。休まなくていいのか?」
「話しておかないといけない事もありますから」
「そうか」
倉橋は短く返答をすると会話を切った。
「さて……まずは今回得られた物についてだけど、吸い上げに成功したデータはあそこの局長さんの言ってた通りの物だったわ。予算データや改良された植物の遺伝情報、来年度の人事案なんてのもあったわね。精査していく事で何か見える事もあるでしょうから、それはそれで進めておきます」
「私の持ち出した記録媒体の方はどうなっています?」
「さっきオペ班の所に持っていったんだがな、早速解析を始めとるよ。時間を掛けてゆっくりやれる余裕がある分、薄皮を剥く様に探ってるらしい。あの娘っ子共の眼の色が珍しく変わっとったぞ……自分達に出来る弔い合戦だとな」
「…………」
一同はしばし言葉を失った。
郁朗はスタッフが皆、悲しみや辛さを共有している事が嬉しかった。
そしてそれを燃料に次の戦いへ目を向けている事を羨ましく思った。
(僕はどうするんだろう……中尾さん達が死んだって事実は、自分でも受け入れられてると思うけど……でもあの人達を殺したのは僕でもあるんだ……)
「……そういや保護した局員達は今はどうしてる? 姐さんよ、連中の今後の扱いってのはどうなるんだ? まさかほっぽり出す訳じゃねぇだろうな?」
沈んだ空気に耐え切れなくなった片山が、不意にそんな質問を千豊にした。
千豊も空気を変えたかったのだろう。
その意図に乗り、局員達の今後について語りだす。
「放り出したらどうなるかは考えるまでも無いでしょう。Sブロックの廃棄地区に私達の息のかかった居住エリアがあるわ。アナタを攫った所の近くよ。とりあえずはそこで家族と一緒に暮らして貰おうと思っているの」
「ヤな事思い出させんなよ……しかし連中の家族? 引き取る意味が……あるな」
「彼等には後々色々な事を証言して貰わないとならないわ。本人達もそれを了承してくれているし。ただその為に……彼等の家族が危険な目に遭うのは本末転倒ですものね。人質に取られる前にこちらで保護するのが得策だと思うの」
「なるほどな。だからってタダ飯食わす訳にもイカンだろう? その辺はどうすんだ?」
「あちらのアジト構築の手伝いをして貰おうと思っとるよ。このアジトに何もかもを集めるのは問題がある。船の方がどうにか一段落ついたんでな、俺が行って面倒見る事になっとるんだ」
「て事はこっちは山中任せかよ? 大丈夫なんか?」
「あいつはバカだが仕事は出来る。何かしでかしたらお前が殴ればいいだけだ」
「軽く言ってくれるじゃねぇかよ、なぁ? イクロー?」
「あー……うん。そうだね……」
郁朗の覚束ない返事に片山は少し苛ついた。
だが千豊の窘める目線を感じ、だったらアンタに任せるとばかりに黙り込んだ。
「それじゃあ……イクロー君。アナタが単独で敵陣司令部に突入したのは聞いてるわ。そこで何があったのか、そして何がアナタを塞ぎ込ませているのか。話して貰って構わないかしら? その為にここへ同行したのでしょう?」
「……はい」
郁朗は千豊達にあった事をありのまま話した。
機構の男がその場にいた軍人よりも恐らく上の立場、それもEOに命令する権限を持っていた事。
その男が躊躇せずに軍の人間を射殺した事。
改良されたEO、つまり自分達を欲しがっていた事。
そして……
「僕が自分の好奇心の為にあの男の対話を長引かせたせいで……中尾さん達が死んだんです……もっと早くあの男を殺すべきだったんだ……あいつが何かするって予感はあったのにッ……」
「……なるほどね……それでイクロー君が責任を感じている、と?」
千豊の声は驚く程に冷淡だった。
その冷えた声は郁朗に向けられたのではなく、彼女自身に向けられている声だと郁朗は気づけない。
「なら私の責任はもっと重いわね。アナタ達をあの死地に向かわせたのは私ですもの。なのにアタナは私を責めないわね? どうしてかしら?」
「なら俺も同罪に違い無いな。お前らにもっとマシな性能の、馬鹿みたいな数のEOでも押しきれるだけの装備を用意してやれんかったのだ。それに壁にしてた車両だってそうだ。あともう少し頑丈だったなら、あいつらは死なずに済んだかもしれん。なら、中尾や菅田達を殺したのは俺って事に違い無い」
「そんな事ある訳……」
「無いと言いたいんでしょうけどね、藤代君。君の論法がまかり通るのなら、私だって同じです。もっと早く施設内を制圧出来ていたら……もっと早く解析に見切りをつけて、記録媒体を取り外していたら……挙げればキリがありません。どう考えても中尾君達が死んだのは私のせいでしょうね」
三人の言葉がトリガーになったのだろう。
それまで黙っていた片山が急に立ち上がり、郁朗の無事な左腕を無造作に掴む。
そして力任せに彼を引き摺り、入り口近くの誰も居ない空間へ投げ飛ばした。
「つまんねぇ茶番をいつまでもやってんじゃねぇよ。コイツがそんなもんで納得する訳ねぇだろうが」
片山は呆れしか含まない言葉を郁朗へと投げ捨てた。
片腕でなかなか立ち上がれない郁朗に伸し掛かると、抵抗出来無いままの彼を激しく殴り始めた。
ゴッ!
ゴッ!
ゴッ!
室内には硬い物同士のぶつかる音が、静寂の室内に響き渡っている。
その場に居る誰もが、片山のその行為を止めようとしなかった。
「満足かッ! バカみたいに一方的に殴られて満足かって聞いてんだッ! 答えろッ! イクローッ!」
「――な訳無いじゃないか……痛みも何も感じないこんな身体でッ! 殴られて何の責任が取れたって言うんだッ!? 僕が殴られて誰が帰って来るんだッ!? 団長ッ……頼むから教えてよッ!」
郁朗は明らかに心のバランスの欠けた言葉を吐き出した。
中尾達の死を飲み込めてないのが端から見て取れる状態なのだ。
そのまま感情をただただ爆発させ、伸し掛かる片山を振り落とそうとするがそれは叶わない。
「物分かりのいいイクローちゃんをやってみたって無駄なんだよ、無・駄。お前がさっきから散々言ってる責任って言葉はよ、連中を助けられなかった責任ってやつなんだろうが? え? 違うか? だとしたら……お前は何様になったつもりだッ!」
「…………」
「一人でなんもかんも救えると思ってんならとんだお坊ちゃんだな。お前は子供向けアニメのヒーローかよ。規格外の力が手に入って浮かれてるガキじゃねぇか……」
「そんな――」
「お前……転化されて俺達に説得された時に、言ったよな? 踏みにじる誰かがいる事をどうたらってよ。その踏む相手は敵だけじゃねぇ。味方だって踏み越えて行かなきゃならん事だってあるぐらい、お前なら判ってるもんだと思ってたぜ……」
「でも……それでも僕があの男を殺していれば……」
「でもじゃねぇッ! 戦争やってんだッ! でもなんて言葉が通用なんてすると思うなッ! ……それとも何か? お前はあのクソみたいな戦場で出来る事もやらずに、呑気に鼻歌でも歌いながら過ごしてたのか? だったら俺が今すぐここでスクラップにしてやるッ!」
さすがにカチリときたのだろう。
郁朗の怒りの感情にも火が入る。
「手抜きなんかするもんかッ! 出来る事を目一杯やったさ!」
「だったらッ! だったらだ……中尾達が死んだ事実だけを受け止めてやれ。あいつらは自分のやるべき事をやって死んだ。それだけだ……中尾が最後に言った言葉を教えてやる。『後は頼んます』だ……その意味をよく考えろッ!」
片山の言葉に郁朗は黙るしかなかった。
身体を殴られた痛みは一切感じなかったが、その分だけ心を襲った痛みが酷く刺さるものだったのだろう。
「あーくそ、めんどくせェ」
片山は立ち上がり郁朗を解放すると、役目は終えたとばかりに部屋を出ていこうとした。
「明日になってまだそんなんだったら、本当にスクラップにしてやる。このままだと次に死ぬのはお前だからな……くそッ! つまんねぇ事に付き合わせやがってよッ! 姐さん、恨むぞッ! 報告する事ももうねぇだろ? 俺はメンテでも受けてくるッ!」
郁朗への苛立ちだけで無く、千豊達の郁朗への態度にも不満が爆発した様だ。
片山は言いたいだけ言って、暴れるだけ暴れると、いつものゴリラウォークで部屋から出て行った。
時間的にも状況的にもいいタイミングだったのだろう。
それに続く様に新見と倉橋も退室を申し出る。
「嬢ちゃん、俺は例の局長さん達と話をしてくる。彼等の家族の安全の確保も急がんといかんからな」
「お願いします」
「私もご一緒しましょう。動くなら早い方が良いと思いますので」
「ああ、頼む。藤代……お前一人でこの戦争をやってる訳じゃない事を、絶対に忘れるな。お前の感じた責任ってやつな、元々は俺達全員が一緒になって担いでいくもんだ。これからもお前はお前のままで戦い抜けばいい」
「参りましたね、全部言われてしまいましたか……そういう事です、藤代君。ああ、そうだ。片山さんのからの命令を無視して突撃しようとした件がありましたね。罰としてアジト内のトイレ清掃を明日から一週間。全部です。ちゃんと綺麗にして下さい」
二人は片山に続いて言いたい事だけ言うと、さっさと部屋を出て行ってしまった。
仰向けに倒れたまま動こうとしない郁朗を、千豊は静かに……ただじっと見つめている。
「……千豊さんは自分に掛かってくる責任から……逃げ出したいと思った事は無いんですか?」
郁朗は天井を見つめたまま千豊に問いかけた。
「そうね……今日みたいに誰かの生き死にがかかった時は特に……正直に言うなら何時だって逃げ出したいわ。それでも止める訳にはいかないの」
「何故です? そんなに逃げたいのに……どうして戦えるんです?」
「……遠い遠い怨讐、昔々の仲間達の……かしらね……今はもうそれだけじゃないんだけど」
郁朗が起き上がって千豊の目を見ると、それはとてもとても遠い……ここでは見えない何かを見ている目だった。
「この街のね……人の営みがとても好きなのよ。毎日大して代わり映えがしない……だけど、時々ちょっとした出来事があって。そんな中をアナタの様な人が、緩やかにゆっくりと生きてる。それは私の見てきた世界には無かった物だから……」
「無かったって……普通に暮らしてれば誰だって……」
「その普通が与えられなかった人間もいるって事よ……私の昔の話は今はどうでもいいわね。だから……私は逃げ出したりはしないの」
千豊は一呼吸置くと話を続ける。
「逆に聞いていいかしら? イクロー君、もしもアナタが作戦中に死んだとして……アナタが私達に望む事は何?」
郁朗は数秒の思考の後、思った事を素直に彼女に告げた。
「…………僕の出来なかった事をやって欲しいと思います。この状況から僕の家族を守って欲しい、僕の生徒達を守って欲しい。そして出来るならこの地下都市の人達……みんなを守ってほしい……」
「私も似た様なものだわ。中尾さん達はどうなのかしらね? 彼の残した『後を頼んます』って言葉は……目に見えない責任に押し潰されて、アナタにこんな自棄を起こして欲しいって思って言った言葉なのかしら?」
「それは……判りません」
「そうね、判らなくて当たり前。だから都合の良い様に考えちゃいなさい。彼等を死なせる要因を作った自分だからこそ、生きて生きて生き抜いて……彼等の分までこれからもずっと戦う事で彼等に対する責任を取るんだって」
千豊のその言葉の意味を反芻した郁朗は、自身の情けなさや不甲斐無さすら飲み込む事の難しさを感じていた。
「……ずっと、ですかぁ……厳しいなぁ、千豊さんは」
「そうよ、私は厳しいの……イクロー君。アナタが欲しかったのは心の落とし所よ。身内を護る為に他人を殺す覚悟は出来上がった。でも自分の行動が身内の死を呼ぶ事の覚悟は出来ていなかった」
「…………そう……ですね……」
「小さい規模でも戦争をやってる以上、何らかの形で誰かが死ぬ事は覚悟してたはずなのにね。でもね、それは仕方ない事だと思うわ。私達は神様じゃないんだから。それにそう感じているのはアナタだけじゃないの」
「……僕だけじゃない?」
「そうよ。アナタ以外のみんなもそう。だから弔い合戦なんて言葉も出てくるのよ。あの時もっとああしていればって責任を感じているからこそ、今の自分に出来る事を必死でやるの。イクロー君……アナタに今出来る事は何かしら?」
「……まず身体を治す事……そしてこれからも出来る事は戦う事でしょうね……この身体と共にあるなら、避けては通れないと思います」
「もう一つ。アナタの持つ日常性はもう私達に欠かせないものになってるの。アナタがいつものイクロー君でいてくれないと私達が困るのよ」
「日常性?」
「みんなアナタの持ってる……何て言うか……柔らかい空気が好きなのよ。アナタ自身には判らないでしょうけどね」
思いがけない周囲の自身への評価に、郁朗は少しばかり困惑していた。
「そんなぁ……人を空気清浄機みたいに言わないで下さいよ……」
「だから……出来るだけ早くいつものイクロー君に戻って頂戴。それとね。アナタの傷はみんなの傷よ。傷の舐め合いって言われても構わない。それだけは忘れないでいてね」
「……千豊さんは…………魔性の女ってやつですよね。男を簡単にその気にさせちゃうんだもんな……ズルイや」
「フフフ……その調子よ。さぁ、こんな所でグズグズしてないで、早く整備班の所に行って身体を治して貰ってきなさい」
「そうします。団長に今日の借りを返さなくちゃいけないし」
「フフ……スクラップにはされたくないものね」
小さく笑いを交わした二人の空気が弛緩する。
酷く傷んだ後の郁朗の心には、その空気が心地良かったのだろう。
部屋から出る事を躊躇わせる程に。
「そういう事です。じゃあ…………行きます」
後ろ髪を引かれるという体験を、この身体になってから味わうとは思ってはいなかった郁朗。
そんな入ってきた時とは別人に見える、何時もの柔らかい空気を纏い始めた彼を……千豊は安堵の息を漏らしながら見送った。
整備班に腕部の治療と全身のメンテナンスを施して貰った郁朗は、翌日になってアジト内のトイレを徹底的に掃除した後、片山の目の前に現れ格闘訓練を挑む。
訓練が終わった後に片山が狼狽して千豊の元へ駆け込み、
「姐さん、あんたイクローに何をした?」
と問い正す程、まるで別人の様な動きを見せたそうだ。
この日、郁朗は格闘訓練で初めて片山に勝ち越した。
初めて組織内からの戦死者を出した作戦。
そんな苦味を残したまま、アジト周辺の緑は初夏の匂いを強く放ち始めた。
だがそんな初夏の訪れを吹き飛ばす事件が、アジト内で間もなく起こる事になる。
お読み頂きありがとうございました。
引き続きご愛顧頂けると嬉しく思います。
それではまた次回お会いしましょう。
2016.05.13 改稿版に差し替え
第四幕以降は改稿が済み次第、幕単位で投稿します。