3-11 深緑に浮かぶ迎船
-西暦2079年5月17日11時40分-
「団長……聞こえる?」
郁朗の姿は再びビル群の屋上にあり、眼下を窺いながら移動を続けていた。
指揮系統を失ったとはいえ、周辺にはまだ相当な数のEOが動き回っているのだ。
どの様な事が発端でまた発砲が始まるか判らない。
『……おう……無事だったか。こっちは――』
中尾の件もあるのだろう。
片山にしては弱い口調であった事から、郁朗はあえて彼の言葉を遮った。
「いいよ……団長。戻ってから聞くから。それより脱出は出来そう?」
『……ああ。センターの裏手にとんでもないもんが浮かんでる。少しづつ移動しているとこだ。お前も急げ。何時この混乱が収まるか判らんからな』
「……当分は大丈夫だと思うよ。EOも人間も、指揮系統はズタズタになってるはずだから」
『…………お前……何をした?』
片山が訝しんだのでは無い事は声音で判ってしまった。
それを聞かれる事に今は耐えられそうに無いと、郁朗は言葉を濁した。
「……それも後でいいかな? 今は合流を急ぐよ」
『…………解かった、急げよ』
互いに何か腑に落ちない事が理解出来るせいだろうか。
片山は郁朗の口調の重たさを察すると、再び急げとだけ言い通信を切った。
ビルの狭間を飛び越えて情報処理センターへと戻る道中、郁朗はある地点で僅かに足を止めた。
中尾の残した爆発の中心地である。
爆破された中心点へ向けて、破壊の影響を受けた周辺のビルが基礎部分を失う形で崩落。
38番道から情報処理センターへ続く経路は完全に閉ざされている。
積み上がった瓦礫の周辺には戦闘行動を取れるEOもおらず、つい先程まで行われていた火砲の狂宴が嘘や幻としか思えない静けさ。
瓦礫の崩れる音と建物の崩落する音が僅かに聞こえてくるだけの……静寂と死の匂いのする空間だった。
その破砕され尽くした景色を見下ろしたままでいる郁朗は、中尾への弔いの言葉を心の中で呟いた。
(今は手元に何もないんでこのまま行きますね。極東が落ち着いたら……中尾さんの好きな銘柄の焼酎でも持ってきます。アジトで飲めなくてボヤいてたの、ちゃんと憶えてますから。それまで貸しにしといて下さい)
中尾を含め死に至った戦闘班員達。
彼等とは半年程の付き合いでしか無いが、その密度はこれまでの郁朗の人生で友人と呼べたどの人間との繋がりよりも、密度の濃いものであったのだろう。
彼は手向ける物が手元に何も無い事を残念に思いながら、中尾達の死の重さを噛み締め……そっとその場を去った。
崩落したビルを迂回し、川沿いの低層のビルの屋上伝いに情報処理センターの前まで戻って来た郁朗は、片山と環によって迎えられる。
「よく戻った。こっちだ」
環は無言で手を挙げるだけだった。
千切れている腕を見ても最低限の言葉だけで出迎えてくれた二人のその気遣いに、郁朗は静かに頷いて感謝するしか無かった。
移動を始めたその後に続き、情報処理センターの裏手にある環状大河の辺りに出る。
「これは……」
郁朗は自分の視界に入ったものを見て、さすがに驚きの声を上げずにはいられなかった。
岸から二百メートル程離れた水面。
そこには通信で片山が言っていた通りの、とんでもない物が浮かんでいたからだ。
それは全長二百メートルを超える巨大な船であった。
一見、ただの大型の船舶にも見えるのだが、デッキと呼べる部分が船の大きさから考えればとても小さく感じる。
周囲に警察局や水運局の哨戒小型船舶の姿も見えず、それらの追従を警戒した慌ただしい様子も無い事から、何か特殊な機能のある船なのは間違い無いのだろう。
船体全てを濃緑色の迷彩を施されたそれを見ると、外海では無く環状大河で隠蔽しつつ運用されるのを前提としているのがよく判る。
上陸用の小型ボートからタラップに移った人員が、デッキから船内に姿を消していった。
「こんなのどこで造ってたんだろうね。ハンチョーが別件だ別件だって騒いでたけどこれの事かな?」
「ええ、そうですよ」
郁朗の疑問に後ろから不意に答を提供したのは新見だった。
突然の彼の登場に、郁朗の心が不安で跳ねる。
人の身であったならば、顔色は悪くなり鼓動も跳ねた事だろう。
自身の動揺を隠せた事を思うと、この身体になって良かったかも知れないと、郁朗はつい思ってしまった。
ふと見た新見の表情は普段とさして変わらない。
だが中尾達の事もあるのだ。
彼とどう話していいのか判らなくなった郁朗は、とっさに何かを口走ろうとした。
「あの……新見さん……僕は……」
「藤代君、腕は大丈夫ですか?」
「……はい。痛覚も切ってありますし、循環液も肩のバイパスを通して循環させてますから」
「そうですか、無事で良かったです……とにかく今は一目散に逃げる事を考えましょう。話はアジトに戻ってからゆっくりすればいいですから……みんな、あなたの事を心配しながら乗船していきましたよ。次のボートで我々が乗り込めば出発します」
「……はい」
中尾達が死んだ事自体は、自身の中でも折り合いはついているはずだと郁朗は思っている。
だがその一因を作ってしまった人間としては……自分と同じく仲間を失った人々、特に中尾を右腕として密に接していた新見に対して、何か口にしなければいけないと感じていた。
それは自分が楽になる為の卑怯な振る舞いとは解かってはいる。
だがこのどうにもならない気持ちは一度吐き出してしまわなければ、何時までも澱として残りそうな気がしたのだ。
今は言葉を飲み込むしかなかった郁朗の肩を新見は優しく叩き、河岸に戻って来つつある小型ボートを見つめる。
郁朗は彼のその後姿を見て、たまらずに肩を落としてしまった。
そんな郁朗を見かねたのか、片山がきっちりと彼の頭をはたく事で今は大人しくしていろと暗に窘める。
環は環で郁朗に何か声をかけようとしては断念する事を先程から繰り返しており、こちらもまた片山に頭をはたかれ、ふてくされながらも今は大人しくしていた。
誰もが口を開く事を憚られる空気の中で、ただボートの到着を待つ。
一分もかからない時間の事だったが……その沈黙が郁朗には辛かった。
ボートが到着したと同時に、郁朗の頭を小さな衝撃が襲った。
何者かに殴られたのだろう。
肩を落として俯いていた彼には判らなかったのだが、ボートを操船していたのは間崎だった。
その彼も素手で郁朗の頭を殴りつけ事から、今は拳の痛みに悶絶している。
「ごあああああ……痛ぇな、こんにゃろう。なんて硬さしてやがる…………今のは俺が止めたのも聞かないで、敵陣に突っ込んでいった罰だ。それで勘弁してやる」
「間崎さん……」
「ほら、間崎君。そんな所でじゃれてないで仕事仕事。撤収しますよ」
「ウッス。スンマセン」
間崎の平時と同じと言えるその言動は、郁朗の心をいくらかではあるが楽にしてくれた。
全員が乗った事を確認すると、間崎は河岸からゆっくりとボートを離していく。
郁朗達は船上から、まだ燻った煙が少しだけ残る戦場を見つめ、敗北と悔恨の味を心で噛みしめていた。
この出来事すら糧として進んでいかなければならないのは、生き残った者達の為すべき事なのだろう。
その場に居た、いや……この作戦に参加した誰もがそう思っているに違い無い。
ほんの一分程のクルージングは終わり、ボートは静かに大型船舶の船体に寄り添う。
間崎が無線で何処かへと連絡を入れる。
すると舷側に切れ目が入り、倒れるままに開いてサイドデッキの様な物に変形した。
ガタンガタンとレールで何か運ばれる様な音が鈍く響き、折りたたみ式の小型のクレーンがサイドデッキに姿を見せる。
このクレーンでボートごと収容するつもりらしい。
ギッ……ギッ……
クレーンのワイヤーがゆっくりと巻き取られていく。
デッキと同じ高さになったところで停止し、作業をしていた人員に降りる様に促された。
郁朗達がぞろぞろとボートからデッキへ降りると、そこには初老の男性が待ちかねていた様に彼等の元へ歩み寄って来る。
アジトでは一度も見かけた事の無い人物だ。
「ホォ……あなた方が……いやいや、失礼しました。倉橋さんや代表からあなた方の話は伺っておったのですが、実際にお会いしてみるとすごい迫力ですなぁ」
しっかりとした体格だが、老人と言ってもいい年齢の男性は、カラカラと大きく笑いながら片山に握手を求める。
「ワシは萩原と言います。挨拶よりも何よりも、まずは一刻も早く逃げねばならんのでしょう。さぁ、艦内へどうぞ。話の続きは中でも出来ますからな」
片山との握手を済ませると萩原はデッキ要員達に手を上げ労い、郁朗達を船内へ案内した。
船内の通路はEOである郁朗達の巨体が普通に歩けるだけの広さを持っており、萩原に案内されるままに歩を進めていく。
「まずは艦橋へ。出航してから落ち着ける場所へ案内しましょう」
程無く艦橋に到着すると、やはりアジトでは見かけた事の無い面々がクルーとして乗り込んでいる。
「側甲板の作業は終わってるか?」
「終了しています。甲板の収納も完了済みです」
「よし。出航準備、出航後即時潜航」
萩原はそう言うと艦長席と思われる椅子に腰掛けた。
「出航準備、メインモーターへ電力接続。サブモーター一番から三十六番へ電力接続」
「確認よし。動力ゼロからロー、ミドルへ。ハイドロジェットへの動力伝達確認」
「出航」
「出航します。微速前進」
船はゆっくり動き始めると少しづつに速度を上げていく。
「潜航準備」
「潜航準備、前部甲板格納開始」
モニターに映されているCGの船体の前甲板部分が、少しづつ流線型の装甲に覆われていった。
せり上がって船体上前部を包んでいく装甲が艦橋からも目に入る。
「前部甲板格納完了、続き主艦橋格納開始」
ガクンと小さな揺れを感じたと思うと、次には沈み込む感覚に襲われる。
今度はCGの船体の後方にあった主艦橋、つまり今居る場所が船体内部にスライドしていくのが見えた。
「主艦橋格納完了、気密チェックよし」
「艦内放送用意」
「どうぞ」
『本艦は間もなく潜航を開始します。潜航が完了するまでは艦内の移動を禁止、厳守して頂きます。再度アナウンスがあるまで現在位置からの移動はなさらないで下さい』
萩原は丁寧な口調の艦内放送を終えると、短く発令した。
「潜航開始」
「潜航開始。底部ベント開きます、メインタンク注水開始」
既に艦橋は船体内部にあるため外の様子は伺えないが、艦橋がスライドしていった時よりも深く沈む感じがした。
「上部ベント開きます。ネガティブブロー」
「ダウン七度。深度五十で動力をミドルからマックスへ」
「ダウン七度了解。深度10……25……40……50、深度五十確認。動力マックスへ」
「最大戦速。深度百まで潜航継続」
「最大戦速了解、深度百まで潜航継続します」
初めて体験する潜航するという作業を目の当たりにした面々は、そのあまりの手際の良さに呆然としていた。
軍属であった片山も例外では無く、感心して言葉を失っている。
「深度百到達。このままドッグまで向かいます」
「艦内移動制限解除の放送も忘れないでくれ。では頼む」
萩原はそう返事をすると艦長席を離れ、郁朗達の元へやってきた。
クルーによる移動制限解除の報がスピーカーによって流されている。
「いかがですかな? 水の中というのもそう悪くは無いものでしょう?」
「いや、圧倒されましたよ。見事な手際でしたが……萩原さんは海軍の出身ですかね?」
初対面の相手にはさすがに片山も敬語らしき物を使う様だ。
「ワシは軍属ではありませんよ。ただの技術屋です。カドクラの港湾部門で働いとりました」
「と言う事は海軍の高速潜水艇やなんかを納入してる……」
「よくご存知ですなぁ。海軍にお知り合いでも?」
「軍大を出てましてね。古い馴染みが海軍にいるんですよ」
片山と萩原はウマが合う様で、話が明後日の方向へ弾みそうになった。
それを新見が上手くフォローしにかかる。
「萩原さんはカドクラからの出向でこの艦の建造に関わってくれています。倉橋さんが持ち込んだこれの設計に惚れ込んで下さったそうで」
「いやいや、年甲斐も無くお恥ずかしい話です。これだけの規模の艦を建造しようとしている、そんなバカみたいな人間が居ると雄一郎さんが教えてくれよりました。設計基を見た時は心が震えましたわい。定年前に最後の奉公が出来ると思いましてな」
「雄一郎さん?」
郁朗が誰の名前だろうかとつい呟いてしまった。
「ああ、スマンです。今のカドクラ重工の代表なんですがね、若い頃ワシのチームに研修に来よったんです。そこで面倒を見て以来、親しくはさせて貰っとったんですが……厄介事ばかりを押し付けてくる様になりましてな。まぁ、今回ばかりは代表にも感謝しとりますよ」
「倉橋さんも仰ってましたよ。萩原さんが居なければ、実現しなかった機能が山程あると」
「何の何の……色々とアイディアだけは抱えとったんですがね……」
萩原は天井を仰ぎ見ると、悔しそうに自分達の実状を語り始めた。
「ここ二年程、重工の港湾部は海軍の仕事から干されとりました。総帥肝入りのプロジェクトだとかで、グループ本部がしゃしゃり出て来よりましてな。ワシらのチームは旧装備のメンテにすらも呼ばれんで腐っとったんです……倉橋さんが声を掛けてくれんかったらどうなっとった事か」
「なぁなぁ、ハンチョーってやっぱしすげぇんだな。こんな船まで設計しちまうなんてよ」
環は心底感心した様に艦内を見回している。
「天才と呼ぶべきか何と呼ぶべきか……この歳になって思い知らされましたわい。上には上がおると」
萩原は嬉しそうに笑いながらそう言った後、表情を引き締めた。
「それに……今回ワシらがどうにか間に合ったのも、倉橋さんのおかげと思って下さい」
「ハンチョーが……?」
その場に居た萩原以外の全員の顔に疑問符が浮かんだ。
組織の内情に通じている新見もその例外に漏れていない。
確かに彼はこの船の存在を知っていたが、撤収手段としての要請を出しただけであって、間に合った裏にどういうカラクリがあるのかまでは知らされていなかったからだ。
「ワシらは環状大河でテスト航海をしとりました。倉橋さんから急遽の要請でです。設定航路はドッグのあるEブロック北岸から、Nブロック西岸までのステルス航行も含めた往復試験という内容ですな。この艦はまだ名前も無く、船体の艤装すら完全に終わっとらんのにですよ?」
察しのいい面子はすぐにその意味に気づいたが、まだ首を傾げる環の為に萩原は話を続ける。
「もしドッグにいる状態で要請を受け取ったとしても、まずこのタイミングには間に合いませんでした。いくらこの艦の足が速いと言っても、あなた方の居た環状大河の北岸……Nブロック中央エリアに着いた頃には、あなた方は死んどったでしょう」
「マジかよ……」
そこまで説明されて、環にもようやく合点がいったのだろう。
吐き出す様に、感心する声を上げるだけであった。
「……はぁー……ハンチョーにはホント頭上がらないや……」
「そんな訳ですので、倉橋さんに礼は言っとくべきですな。おっと、いかん。長話も程々にしておきましょう。士官食堂に案内します。お疲れでしょうからゆっくりして貰わんと。さぁ、こちらです」
萩原は話を切り上げ郁朗達に休むよう促した。
戦死者が出た事を、彼も先だって聞いていたからだ。
戦闘で疲れた身体は勿論、身内が死に見舞われた時、残された者達は心も休ませなければならない事を、萩原は経験則で知っていた。
士官食堂へ案内された郁朗達は小一時間程同席した。
だが互いに気を使ってか、特に何も語ろうとはしなかった。
生身である新見は疲労もある事から早々に席を外し、今は他の戦闘班員と共に仮眠室で睡眠を取っている。
環状大河の流れに乗り静かに潜航し進む艦は、最高速を維持したまま、およそ三時間程でEブロックの建造ドッグにまで辿り着く事となる。
こうして情報処理センター襲撃作戦は、失敗と言っていい結果で終わった。
データの入手は出来たものの、記録媒体の中に手付かずで眠っているデータもある。
精査を含めて機構追い込みに使えるデータになるまではもう少し時間がかかるだろう。
そして今回の作戦でとうとう出てしまった損害。
作戦参加人員八十一名中、戦死四名、負傷七名。
部隊損耗率15%弱。
数字の上ではそれだけの事だが、人が居なくなるというその事実は……郁朗達の胸に重くのしかかる事となるのである。
お読み頂きありがとうございました。
引き続きご愛顧頂けると嬉しく思います。
それではまた次回お会いしましょう。
2016.05.13 改稿版に差し替え
第四幕以降は改稿が済み次第、幕単位で投稿します。