1-3 日常との分水嶺
-西暦2078年9月7日19時10分-
「ただいまー」
庭付き一戸建ての5LDK。
極東の東、Eブロックの北東部に位置するそれが藤代家の自宅となる。
庭には郁朗の母の趣味であるガーデニングの成果が彩りを添えていた。
郁朗が玄関の戸を開けると、彼の母親がトタトタとキッチンから小走りでやってきた。
「おかえり。ちょうどいいわ、郁朗。ご飯食べてからでいいから……恭子迎えに行ってやってくれないかしら?」
「遅くなるって?」
郁朗は洗面所で手を洗いながらそう聞いた。
「ゼミの食事会ですって。少し飲むから迎えに来て欲しいって」
「僕も仕事でヘトヘトなんですけどね? 父さんは?」
「今日から泊まり。今度大きな実験あるらしくってしばらくあっちに居なきゃいけないって。ひどいわよね、お母さん放置だなんて」
「仕事だからしょうがないじゃない。それより早くご飯ご飯」
流しに弁当箱を置くと、郁朗はダイニングの四人がけのテーブルに座り、子供の様に夕飯を催促する。
「母親が悲しんでる姿よりもご飯優先って……あんたは今日も腕白坊主ねぇ。まぁいいわ、たんとお上がんなさい」
テーブルに大き目のご飯茶碗に盛られた大盛りのご飯と大根と油揚げの味噌汁、厚目に切られた肩ロースで作られた生姜焼きと山盛りの千切りキャベツ、小鉢に菊菜のおひたしと玉子豆腐がドカンと置かれた。
「いただきます」
郁朗は早速食事に取りかかり、ご飯を半膳だけ御代わりしてあっという間に平らげてしまった。
「ふぅ、ごちそう様、美味しかったよ。それより恭子の迎えって本当に行った方がいいの? あいつももう二十一だしいい大人だよ?」
「今までだったら別にこんなに心配しないんだけど……最近ちょっとこっちのブロック物騒じゃない?」
母親が言う物騒というのはここ数ヶ月間、郁朗達の住むEブロックの住人の行方不明者が多発している事だ。
ただ居なくなるのではない。
予兆が全く無いのだ。
犯罪に関与する気配の無い様な、ただの一般人の行方を追えなくなる。
極東の個人認識システムの精度を考えれば、そうそうある事では無い。
その無いはず案件が異常なペースで事件として認識され始めている。
まだ二桁の数字までは登っていないのは幸いと言えるだろう。
だが数十年の極東史上においても、あり得ない人数の行方不明者がこの短期間で出ているのである。
年齢や性別を問わずに発生している事を考えれば、郁朗の母親の心配も十分に理解出来るものであった。
極東ではリアルタイムでの追従では無いものの、かなりの精度で人の動向を把握する事ができるシステムが機能している。
当然ながら厳格な法の基に、という前提がつく。
地下都市で誕生した乳児は個人認識用のチップを生誕時に頸部に埋め込まれる。
そして死ぬまで埋め込んだままで生活を続けるのだ。
事前に術式申請をしない限り、破損したり摘出された時点で警察局に通報される様になっている。
通報を受けた当局はそのまま違法性の有無に関わらず事件として動き出し、身柄の安全の確保を行う。
そんなシステムがあるにも関わらずだ。
今回の行方不明者に関しての足取りは、途切れて以降その一切が掴めていない。
「あー……叔父さんの知り合いも一人居なくなったんだっけ? 確かEブロックからSブロックに向かった後って聞いたけど……」
母親がそれを肯定して頷いた。
一ヶ月程前に母方の叔父の知り合いが消息を断ったのだ。
身近な所で起こったその事件が、自身の生活エリアに漂い出した負の匂いを感じさせたのかも知れない。
郁朗は妹である恭子の事を考えた。
勝ち気で生意気、隙あらば悪戯をしかけてくる小憎らしい存在ではある。
だがそれを含めて彼にとっては可愛い妹なのだ。
もし、万が一、まさかの……その様な何かがあれば、後悔をするどころの話では無いだろう。
「ふぅ……しょうがないなぁ、行くよ。恭子にはターミナルにいるって連絡しといて。車は使っていいよね?」
「ええ。鍵は玄関にあるから。疲れてるだろうけどお願いね」
母親は郁朗の一言に安心したのか、安堵の笑みを浮かべている。
郁朗は自分の部屋に戻ると、仕事着を脱ぎ普段着に着替えた。
時計を見るとまだ時間には余裕があるので少しのんびりしようと思った。
だが先程の嫌なビジョンを思い出してしまうと、そうもしていられなかったのだろう。
玄関に置いてある車のキーを手に取ると、そそくさと出かけてしまうのであった。
郁朗の運転する車はEブロック北部にあるBクラス商業区のターミナルに向かっていた。
居住区から商業区に向かう方面の幹線道路は平日は主に物資輸送用に使われており、夜のはじめ頃ともなると交通量がほとんど無くなってしまう。
光量の多い道行きはスムーズではあるが、それでも居住区から目的地のターミナルまで車で移動をするには四十分程かかる。
直通のリニアレールを使えば十五分程で着くのだが、恭子という荷物がある以上車を選択するしか無かった。
幹線道路沿いの物資集積区を通り過ぎた辺りで、脇道から一台の乗用車が郁朗の前に入る形で合流する。
積み上げらた資材を脇見で眺めながら、先日聞いた話を反芻していた。
三十年程かけてBクラスの居住区を二層化する工事がもう間もなく始まるのだそうだ。
集められている資材の量もかなりの量であり、工事の規模の大きさが窺えた。
Cクラス居住区の住民をこちらに移して、廃棄地区を広げる施策の一環らしい。
(完成したらきっと近代史の教科書なんかに載っちゃうんだろうなぁ)
そんな考えに意識を奪われながら走行していると、先程合流した乗用車が急に停車した。
郁朗もそれなりに慌ててブレーキを踏み、停車する。
衝突せずに済んでほっと安堵するのもつかの間、何事が起こったのかと前方の様子を伺った。
(これは……酷いな……)
見える限りではあるが、横転している事故車両らしき大型の車が三車線の道路をほぼ塞いでいた。
十トンはあるだろう車両が横倒しになり、巻き込まれたのだろうか……その傍らにワンボックスの車両も一台横転していた。
あまりの惨事に郁朗が呆然としていると、彼の車の後ろに一台RV車が停車する。
やはりこれだけの事故だけに、外の様子を伺っている様であった。
一瞬ではあるが過去の体験が頭によぎる。
(――ッ……あーもう! 行くしかないじゃないか!)
フラッシュバックに襲われそうになるが、郁朗は意を決すると車を降りて事故車両の状態を確認する事にした。
助けられる者がいるならできれば助けたかったのだろう。
郁朗が動き出すのに合わせるかの様に、前に停まっていた乗用車の運転手も車を降りてきた。
とりあえずどう対応すべきか話し合おうと考え、その男性に声をかける。
「すごい事故ですよね……運転してた人は大丈夫なんでしょうか?」
「ああ……ひどい事故だな。運転手の状況はともかく、これは警察と消防を呼ばん事にはどうにもならんよ」
壮年の男性が通報と言ったので、郁朗はポケットまさぐるが携帯端末が手元に無かった。
つい意気込んで出てきたので車に置いてきてしまった。
「端末持ってらっしゃるなら通報をお願いしてもいいですか? 僕は事故車の方の様子を見てきます」
「判った。トラックのマークを見る限り可燃性の物は無いと思うが、念の為注意した方がいい。気をつけてな」
そう言うと男は端末を取り出し連絡を始めた。
郁朗はまずワンボックスへと近づき、中の様子を窺う。
郁朗が現在居る大型の幹線道路は、極東の動脈とも言えるものである。
極力円滑な通行を行う為に交差信号が無く、万が一の乗り上げを防止する為に中央が分離帯では無く壁によって仕切られているのだ。
ワンボックスはその壁へと横転したままルーフから激突していた。
窓の部分は完全にひしゃげて潰れてしまっていたのだ。
そのため中の様子は一切窺えなかったが、漏れ出る濃厚な血の匂いが郁朗の記憶のドアを叩く。
(くっ……)
郁朗は自身の事故の事を思い出してしまい、吐き気を催して身が竦ませた。
だがまだやるべき事があるのを思い出して、どうにかその心を奮い起こす。
少しふらつきながらも、トラックの正面に廻る。
フロントガラスにはヒビが入っていたものの、中の様子を確認する事は出来た。
頭から血を流しシートベルトで胸部を圧迫されて苦しそうにしているものの、ドライバーは生きていてくれた。
体格のいい男性で、三十代中頃だろうか。
これならば助けられるかも知れないと郁朗は判断し、笑いかけている膝を二度三度叩くと行動に移った。
このままフロントガラスを破るのはさすがに危険である。
よじ登ってドアを開くしか無いだろうと郁朗は考えた。
幸い車両は郁朗達のいる側に腹を向けていたので、ドライブシャフトなどの車両の構造上の突起が郁朗の助けとなってくれる。
「んぎぎぎぎぎぎぎ……」
全盛期と比べれば衰えた筋力ではあるが、どうにかサイドパネルへとよじ登る事が出来た。
ドアハンドルに手をかけるが当然ロックがかかっている。
ドアをガンガン叩きドライバーの覚醒を促し、なんとかロックを外すよう郁朗は大きな声で呼び掛け続けた。
「頼むからドアを開けてくれ! 助けたいんだ! 死にたくなかったら頑張ってくれ! 頼むよ!」
郁朗の声が届いたのだろう。
ドライバーが朦朧とした視線を彼に向けると、震える手でどうにかドアのロックの解除に成功する。
郁朗は待ちかねたとばかりにドアに手をかけ、出来るだけ大きく開くと中に滑り込む。
「僕の言ってる事判りますか? 今すぐベルト外しますから、もう少し我慢して下さいね」
ドライバーが小さく頷くのを確認して、ダッシュボードの窪みと助手席のヘッドレストに足をかける。
そうして体を安定させると、ドライバーの身体を肩で支えながらシートベルトのロックを外した。
(う……重い……)
成人男性一人を肩で担いでいるのだ。
重たくない訳が無い。
だがその重さがドライバーの生命の重さであると思えば、自身の経験から力が湧き出すのが郁朗という人物であった。
肩にドライバーをひっかけたままで一旦落ち着き、大きく息を吸うと片手でドアを持ち上げる。
片腕と足の力だけで車内の段差を一つ一つクリアし、強引に体を押し上げていった。
郁朗の筋肉が酸素を激しく求めはじめた頃、どうにかドライバーをサイドパネルまで押し上げる事に成功し、一息つく。
「ふぅ……」
男の様子を窺うと、呼吸に異常は無い様だが痛みはあるのだろう。
時折ではあるが小さく呻いている。
警察局や消防局の人員が到着するまでには、まだそれなりの時間を要するだろう。
出来れば柔らかい場所で休ませてやりたいと思った郁朗は、どうにか車の上から彼を降ろさなければいけないなと思案する。
サイドパネルに寝転がっていた男がごろりと寝返りを打つ。
痛みに襲われている彼の身体の事を考えれば、楽な姿勢になりたいのだろうとそのままにしておいた。
(何かロープの様な物は無いかな? 物色してみるか……)
そう考えて運転席に戻ろうとした郁朗の背後から聞き慣れない音がした。
カチカチカチというその音がしたと同時に、彼の体には大きな衝撃が走った。
(え……?)
急な出来事で状況も把握出来ないままに、郁朗は身体の自由を奪われる。
動けないと認識した時には、既に身体がぐらりとサイドパネルに向けて倒れこんでいる所であった。
(なに……が……?)
倒れた直後から数瞬ではあるが意識が飛んでいたのだろう。
郁朗は自身の状態を確認するが、身体の感覚自体がどこかに抜け落ちた様な状態である事だけは感じ取れた。
首すら動かす事が不可能であったが、幸い視界内の出来事は認識出来ている。
意識そのものには問題は無いのだと少しだけ安心する事が出来た。
狭いながらも認識出来る視界内には、動けないはずであったあのドライバーがいる。
身体の調子でも確かめる様に、首をゴキゴキと回しながら郁朗の様子を窺っていた。
その手には黒いマイクの様な物が握られている。
恐らくスタンガンか何かなのだろうと郁朗は推察するが、その考えと同時に嫌な想像が脳裏に浮かびだす。
(Eブロックの連続行方不明事件……)
問題無く動ける事を確認した男は軽々と郁朗をその肩に抱え上げると、澱みなくトラックから地面へ降りていった。
それは男の身体能力が尋常では無い事の証左である。
地べたに下ろされた郁朗の元に、通報しているはずの壮年の男性が手を上げながらやって来た。
どうにか逃げ出せないかと郁朗は身体に動けと命じる。
スタンガンの効果が薄れ始めたのか、身体の末端に感覚が戻るのを感じられた。
だが既に彼に残された時間は零であったのだ。
男はジャケットの内ポケットからケースを出す。
そこから注射器を取り出して何らかの薬液を郁朗に注射したのだ。
(クソッ……やめてくれッ……)
彼の焦燥感はここまでの比にならないものとなった。
だが結局は何らの抵抗も出来ずに両手両足を拘束され、そのまま二人がかりで最後尾に停車していたRV車に運び込まれてしまう。
深い絶望を感じながら……郁朗はそれから早々に意識を失った。
男達はトラックの荷台から人型の何かを取り出し、一台目の車と藤代家の車に乗せると、順番にトラックに追突させた。
「状況完了」
この誘拐劇を隠蔽する為の工作を終えた彼等は、何処かへ通信を入れるとRV車へと乗り込む。
そこから幹線道路を逆走して逃走を開始、彼等の車が脇道に入ったと同時に事故現場から爆発音と火の手が上がったのである。
もうもうと上がる黒煙と火柱は、これから地下都市に起こるであろう事件の呼び水でしかなかった。
そして郁朗の運命もまた……その呼び水に引き寄せられた濁流に流されるまま、再び歪められていくのである。
お読み頂きありがとうございました。
引き続きご愛顧頂けると嬉しく思います。
それではまた次回お会いしましょう。
2016.04.29 改稿版に差し替え