2-8 知将の眼光
-西暦2079年3月23日10時50分-
カドクラ重工本社ビルの代表執務室。
そこでは門倉雄一郎が久しぶりに訪ねて来る古い友人と顔を合わせようとしていた。
互いの忙しさもあり、しばらく音沙汰が無かったのだが、二週間程前に急にアポイントメントを取ってきたのだ。
その用件がどういうものなのか、門倉に見当がつかない訳が無い。
彼への接触を図ってきた時期、そして友人の職業を考えれば明白であった。
兵装集積所の件しかあり得ない。
解せないのは……何故このタイミングで、しかも訪ねてくるのが彼であるのかという事だ。
そしてどういう経緯で、どういう意図でここへ来るのかという事だった。
彼の職場は輜重局とはまったく関係の無い部署であり、その上件の集積所とは管轄がまるっきり違う。
門倉は友人であり、信頼できる相手でもある彼に……現状をどこまで話すべきか逡巡していた。
あちらの組織からも友人が信用出来るのならば、知っている事は話していいとは言われている。
悩み続ける門倉を笑う様に、インターフォンの呼び出し音が鳴った。
『代表、お客様がお見えになっています』
「通してくれ」
短く返事をすると慌ててソファーにかけ直し、来客の入室を待つ。
少し待つとドアが短く四回ノックされ、その向こうから秘書の声が聴こえる。
「失礼します」
そう言うとすぐに扉が開かれ、秘書が来客を連れて入室して来た。
「久しぶりだな」
「ああ……本当に……まぁ、座ってくれ」
秘書は茶の用意をした後、丁寧にお辞儀をして退室していった。
前回顔を合わせたのは何時の頃だろうか、と言える程には疎遠になりつつあった。
互いの姿を見比べ、その顔が加齢で少し変わったくらいである事に安心すると、彼等は会話を続ける。
田辺克章。
極東陸軍、第二師団第二連隊連隊長。
それがここにやってきた彼の肩書である。
陸軍閥としては名門の家系であり、彼の父は陸軍の幕僚長を長年務め上げた程の人物である。
彼の祖父に至っては、地下移住前に起きた極東紛争で最前線で指揮を取り、敵軍を当時の日本の領土内に寄せ付けなかった名将として名を馳せていた。
軍大学の座学の教科書に載ってしまう様な歴史的人物である、という事だ。
所謂サラブレッドではあるのだが、父親の苦労を目にしてきたという事もあるのだろう。
彼は軍と政府の政治的な繋がりを蛇蝎の如く嫌っていたのだ。
そのため実力主義である第二師団で自らを磨き続け、その腕一本で現在の立場まで登ってきた男である。
その経歴に恥じぬ事をその肉体は体現しており、五十の年齢を越えた彼に衰えは見られない。
スマートとは言えないが、ガッチリとした身体つきからくる安心感。
そして生来の面倒見の良さと実直さを併せ持ち、部下からは絶大な信頼を寄せられている。
年齢や家の関係から幕僚本部からの転属の打診を何度も受けているが、現場主義をひたすらに貫いていた。
「再会の挨拶はまぁ、俺達としてはこんなもんだろうな……門倉、率直に聞くぞ? 誰に手を貸している? そしてそいつらは何を目論んでる?」
相変わらずだな、と門倉は歳を重ねても変わらない旧友に苦笑いを浮かべる。
彼が変わっていない事に安心もしたのだろう。
その口が軽くなるのを門倉は感じていた。
「逆に私からも聞かせてくれ。君はあの件には……どうあった所で関わりになる事にならないはずだ。どうして君が……私の所に来る事になった?」
質問を質問で返すのは田辺に対して失礼かとは思った。
だが門倉は問わずにはいられなかったのだ。
彼の背景にいる人間が何者かによっては、門倉一人の生命で事が鎮まる案件では無いのだから。
「俺の昔の部下がな、上のやんちゃのせいで輜重局に飛ばされたんだ。更に運の悪い事に……今回の新規納入の立案者だったって事だな。偶然と言えば偶然と言っていいんだが……」
「……だが?」
「……俺としてはこの流れを必然と考えている」
田辺の目は何かの確信を持ったものになりつつあった。
「……そうか……上には?」
「お前が単純な理由でそういう危ない橋を渡るとは思えんからな。俺の所で止めてある。だが……バレている上で何もしてこないと考えていいんだろう。現状で軍がカドクラを失う訳にはいかんしな」
「そうか……彼女達から幾つかのサインは残していったと聞いているがな……この件に関しては首枷を付けられた様なものだと思って諦めているさ」
「なるほどな……持ち出していったコンテナの数が合わない問題が表面化する事くらいは想定出来たはずだろう」
首輪という単語の持つ意味が納得出来たのか、田辺は友人が手繰られているであろう糸の持ち主に少しばかり恐怖する。
「ああ、そうだな」
「連中はそれを工作する事無く、そのまま放置していた。俺がお前の元に出張って来る事すら……そいつらの掌の上なのかも知れん。相当に底の知れない相手の様だな」
「…………なぁ、田辺。君は今の軍部と機構の関係をどう思う?」
「……それに答える事が……さっきの俺の疑問に答える事に繋がるのか?」
「まずはそれを聞かなければ、これから話せる内容も変わってしまうという事だ。頼む、察してくれ」
門倉が滅多に見せない苦い顔に、田辺は少しだけ思考するとはっきりと答える。
「軍との関係と言っても……第一との関係、と言った方がいいんだろうな。あれは胡散臭いとしか言い様が無い。政府の頭越しで何かをやろうとしているというのは……うちの上でも掴んでいる。シビリアン・コントロールなぞお構い無しだという事をな」
田辺は茶を一口含む。
そこで始めて思いの外に緊張している自身に気づき、茶を流し込むとその渇いていた喉を潤す。
「それに機構については…………健次郎君の事もある。NPOとは名ばかりの……闇しか無い組織だという事は、とうの昔に理解しているつもりだ」
門倉は不意に死んだ息子の名前を出され、田辺の顔をまじまじと見つめてしまう。
自身を気遣ってこの話題を出す事が無かった彼の目は……田辺を心配するだけの真摯な物であった。
「済まない……私は……少し君を疑っていた。どうあっても敵に回るものだとな……」
先程までの田辺の言葉とその目を見た門倉は天井を仰ぐ。
全てを話そうと腹を決めた様だ。
「構わんさ。お前にも色々理由があるって事は理解している。俺に話せる範囲でいい。話してくれんか?」
静かに頷くと、門倉は彼を巻き込む事に申し訳無さを感じながら、その知りうる全てを話した。
千豊達の組織とEOの事。
機構と一部の軍部が他都市への侵攻を目論んでいる事。
機構が生体兵器を開発している事。
機構の差し金で政府がとんでもない法案を提出し、それが間違い無く可決されるであろう事。
カドクラグループが自分の指揮下にある企業を除いて、総帥を含めて機構側であるという事。
彼はこれまでの膿を吐き出すかの様に田辺に何もかもを伝えた。
田辺は突拍子も無い内容という事もあり、それなりに驚きはした。
だがそれが真実であると洞察した彼は、門倉の話を黙って聞いていた。
「そうか……そんな事態になっているとは想像すら出来なかったぞ? うちらの情報収集能力も落ちたものだな」
「もっと早くに話すべきだったとは思う……だが……」
「いや、口を噤むのは当然だ。まずは出来る事として、第一との人事交流の引き揚げを具申しよう。連中の手にうちの若いモンが何を吹き込まれるか解からんというのは怖いからな」
二人はもっと細部に及ぶ、互いの持つ情報の提供とすり合わせを行った。
軍内部と物資の動きから、何かが見えてくるかも知れないと考えたのだろう。
「しかし……生体兵器か。集積所のオートンを破壊したのもそのEOとやらなのか?」
「ああ、彼女達の組織が機構側からリークされた情報を元にして、独自に改良したらしい。大元になった機構の物とは段違いの性能だと聞いている」
「そうか……ただのテロリストでは無かったという事だな。彼らに極東の覇権を握ろうとする意思は?」
「それは無いと考えていいだろう……私の目が確かならな。恫喝も脅迫も上手い連中だが……その言葉に嘘は無いと思っていいだろう」
「恫喝? 脅迫? ……お前、そいつらに何かで脅されているのか?」
「それについてはいいんだ。私にも利がある、と言うよりは……そうしなければどうしようも無かった事だからな」
「……晃一君の事か?」
「……盾に取られた、とは言えんよ。晃一自身の意思もある。彼女達が救ってくれる事に変わりは無い。それに……今回の機構の動きは俺にとっても納得出来る物じゃない。孫を持つ身としてはな。カドクラがこの件に関わっている事をどうにかしたいと思っているというのも本音だ」
「……ならいい。となれば、そのうちその連中と会わせて貰えないか? 彼らの正当性が確かめられるのが大前提にはなるが……これは内戦を起こしてでも止めにゃならん案件だと俺は思うぞ? 状況次第ではうちの師団長を丸め込む事も考えなければいかん」
田辺は暗に第二連隊の軍からの離反を匂わせる。
「それについてはいずれ、という事になるが……君が味方でいてくれるならこれ程安心出来る事は無い。この後だが別件で彼女達とは話をしなければならない。その時に君と接触を取って貰えるかどうか話をしてみよう」
彼との繋がりをつける事も自分に接触した思惑の一つなのだろう。
そう考える門倉は心を決める。
千豊達にとっても利になる事は間違いないのだから。
その後、今後の事について少しばかり話し合った後で、田辺は執務室を後にする。
その目は先日、彼の部下である犬塚が見せたものと同質の輝きを秘めていた。
田辺が立ち去ってから数時間後、門倉の執務室には千豊と倉橋の姿があった。
「では晃一はまだ……?」
「ええ。こればかりはご説明した通りですわ。彼次第という事です。術式自体は成功していますから。脳波も問題無く検出できていますので。こちらが経過のデータになってます」
千豊から媒体を渡された門倉は期待と落胆の、どちらとも取れる様な顔をしていた。
「そうですか……そちらは気長に待ちましょう。ただし……」
「解かっております。こちらとしてもカドクラとのパイプが切られるのは死活問題になりますから。では今日の本題に移りましょう。倉橋さん、お願いします」
「はい。初めまして、倉橋と申します。こちらの嬢ちゃ……蒔田女史の元で整備関係の統括をやっとる者です。畏まった場と言葉遣いは苦手ですのでご容赦下さい」
「構いません。蒔田先生から常々お話は伺っておりますよ。とても良い腕の技術者だとよく仰ってます。話の内容を聞く限りですが、平時であるなら我が社に是非とも来て頂きたい方だと思っておりますよ」
「それは勿体ないお言葉ですな。実は……我々の元で一つ、動かしたいプランがあるのですが……パーツや構造物を製造するラインがどうしても足らんのですよ。蒔田女史、プランをお見せしてもよろしいですか?」
「見て頂くのが早いと思います。どうぞ」
千豊はポータブルサイズの端末を自分の荷物から取り出すと、媒体を挿し込んだ。
「これは……!?」
「今後の動静次第ですが、必ず必要になると我々は思っとります。地の利を得る為にもコレの建造を急がねばならんのです」
「随分と大掛かりな事になっている様ですな……資材については?」
「全てこちらで調達しますわ。カドクラの工場のラインを少しばかり拝借できればと思ってますの。完成したパーツの運搬もこちらで全て面倒を見るつもりですので」
「判りました、建造する場所はどちらで? 近隣の工場のラインと必要な人員を貸与しましょう」
「ありがとうございます。Eブロックに廃棄されているお誂え向きの物件がありましたの。すぐにでも取り掛かれますので……明日からでもお願いします。倉橋さんは早速工場の視察を」
「判りました。門倉さん、ご協力感謝します」
そう言って席を立って門倉と握手をすると、倉橋は足早に退室していった。
「……話は変わりますが……貴女は陸軍の田辺という男をご存知ですか?」
「お話だけは伺ってますわ。うちの関係者にも元陸軍の者がおりますので。なんでも生粋の陸軍閥官僚の家系にもかかわらず……第二師団で鎬を削ってのし上がった人物だと。知将、名将、色々と呼ばれているそうですわね?」
「ご存知な様ですね。彼がつい何時間か前までこの場に居たのですよ。先日の件で……私を心配してわざわざ足を運んでくれましてね」
「親しいご関係ですの?」
「ええ、高校まで同じ学校だったのですよ。一緒によくバカな事をやったもんです。その頃からやたらと頭のキレる男でしたがね」
門倉は一息つくと、事の核心に触れた。
「……彼をここに来る様に……そう仕向けたのも貴女なのでしょうか?」
「まさか。さすがにそこまで何もかもをコントロール出来る訳ではありませんわ。それが出来るのであれば……私ももう少し楽が出来るのでしょうね。門倉さんと田辺氏の関係も今聞いたばかりですし」
「そうですか……何もかも貴女の掌の上かと、日々戦々恐々としておるのですよ……彼に話せる事は全て話しました。貴女方の正当性を担保に、今後は協力して貰える事になるでしょう」
「それは有り難い話ですわね。こちらのデータが揃い次第お会いしたい……そうお伝え願えます?」
「判りました……こちらとしても助かります。彼としてもそれを望んでいますから」
「……近々新しい作戦行動を取ります。田辺氏麾下の部隊と遭遇しても、戦死者だけは出さない様に徹底はさせますわ。今回の作戦における敵勢力の人的損耗は……元々0と想定されています。負傷者程度は目を瞑って貰う事になりますけど」
「それは仕方の無い事なのでしょう。そうしなければならない事情が貴女方……いや、私達にはありますからな」
切っ掛けは孫を盾に取られての物であったが、今となっては門倉個人としての義憤の行き先を、そのまま千豊達に預けたいと思いつつもあったのだ。
血の恥と感じるカドクラ総帥である兄の愚行を、彼を殺してでも止めたい。
息子を亡き者にした機構への復讐を果たしたい。
そして……孫達の世代の生きていく世界を穏やかな物にしたい。
そんな事を思う門倉から感じられる覇気の様な物を千豊は察した。
大企業と軍の要職につく人物。
そんな強力な味方を得られた事は、彼女にうっすらと安堵の笑みを浮かべさせるのだった。
お読み頂きありがとうございました。
引き続きご愛顧頂けると嬉しく思います。
それではまた次回お会いしましょう。
2016.04.29 改稿版に差し替え