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2-5 逃走経路

 -西暦2078年8月9日12時10分-


 謎の視線との邂逅……そこから間も無く、彼等は最後の目的地の建造物の前に到着した。

 大きく育った樹木などはそのまま放置されているが、緑化地区の側にしては蔦なども取り除かれているのだ。

 ビルの前に至ってはかなり開けており、ちょっとした広場の様になっていた。

 明らかに人の手が入っている印象がある。

 案内人は以前来た時とのあまりにもの差異に驚きを隠せないでいた。


「前に来た時は……こんなに開けた場所じゃ無かったのに……」


「住んでる物好きが綺麗好きなんだろうな。カモフラージュする気が全く無いってのも引っかかるが……こんな僻地じゃ気にする必要も無い、ってなもんか」


 無意識に無精髭を撫でながら、目の前の建造物を吟味する。

 建物は六階建てでそれなりに老朽化している様だが、手直しをすれば住めなくもないレベルの建物だった。

 隣のビルとの隙間には樹木の枝が生い茂り、隙間を塞いでしまっている。


「優しい緑に囲まれた小洒落た雰囲気が、あなたの生活に潤いを与えるでしょう……ってところかね。そんな広告出されても、こんなとこには住みたいとは思えんけどな。なぁ? 兄さん?」


「そうですね……確かにそう言ってしまえば聞こえはいいんでしょうけど……さすがにこれは……」


 そう言いながら片山は入り口から中の様子を窺い、誰も居ない事を確かめてから建物の中に進入する。

 何も言わないが案内人も一人にされる恐怖からか、片山の後に着いてくるようだ。

 建物の内壁の一部や窓からは、外からの入り込んだ樹の幹が張り出している。

 階段なども一部が破損していたりしたが、ここの住人によって通行が出来るレベルには修繕が成されていた。


(居住の痕跡はあり……と。問題は例の女医かどうかってとこだが……さすがにそれは上がってみなけりゃ判らんか……)


 周囲に目を配ると、階段や踊り場には採光用の大き目の窓があり、そこから外部の光が入ってくるので足元の心配は無い。

 足元に気をつけて上階へと上がって行き、各階層を念入りに検索していく。


 四階に厨房と思われる場所があり、更に数部屋の居住の痕跡のある個室の様なものを発見した。

 住人の物と思われる真新しい私物も見つけたが、周囲に人影は一切無かった。


(複数の住人……これはマズいかもしれんなぁ。部屋の感じから見て、人数は七~八人ってとこか……どうせ例の医者を守る戦力だったりすんだろうさ)


 それらの気配が周囲に無いのが幸いしていたが、用心だけはしようと決めて、片山は更に上階へと足を進める。

 そして五階への階段を登りきった所で、もう一つ上の六階から機械の駆動音が聞こえてきた。

 恐らくは発電システムだろう。

 そちらの調査は後に回し、一先ずはこの階層の調査を優先させた。

 その判断は間違いでは無かった様で、通路の最奥、その突き当りの部屋から少なく無い明かりが漏れている。

 扉の側には医療用品のダンボールが幾つか積まれていた。


(どうやら本命を引き当てたみてぇだな……)


 片山は小さく笑み、探していた医者は間違い無くここに居ると確信を持つ。

 扉の前に立った片山は少し大きめのノックを四度鳴らし、扉越しに中に居るであろう人物に声をかける。


「蒔田医師のお宅はこちらでよろしいでしょうか? 人づてに噂を聞きましてね、治療のお願いにあがったんですよ。入らせて貰ってもよろしいですかね?」


 三十秒ほど間が置かれたが、返答はあった。


「入ってもらって構わないわ」


 入室を許した通りの良いその声は、少し低目の女性のものだった。

 声の主が資料の通り女性だったので、片山は面倒くさい事になりそうだと直感する。

 癖のある女性は彼の好みでは無い、という事なのだろう。


 フゥと重たい溜め息を一つついて、彼はドアノブを回した。

 漏れていた明かりは照明では無く、複数のモニターと卓上灯のものだった。

 薄暗い部屋の中に入ると、室内は仕切りの無い空間でそれなりの広さがあった。

 元は何かの事務所として使われていた建物だったのだろうか。

 そこかしこに医療機器と薬品が置かれてはいるが、雑然とした感じは無い。

 何かしらの意図を持って置かれているのが感じられたからだ。


 部屋の持ち主は片山に振り返ること無く、淡々と卓上の端末と向かい合っている。

 端末の画面を覗き見ると、何らかの遺伝情報と思われる螺旋の画像と併せ、片山に読めない言語の論文らしき文面が連々と並んでいた。


「蒔田医師ですね、初めまして。自分は片山という者です……先程話した通りなんですがね、治療のお願い、というよりは継続をお願いするために来ました」


「あら、誰の治療の継続かしら? なんて言い方は失礼kしらね。こんな所まで来て貰ってご苦労様だけど、残念ながらお断りさせて頂くわ」


 蒔田と呼ばれるひっつめ髪の女医は、未だ端末から目を背けず片山へと返答をする。

 その態度は彼がここへ来る事を知っていた返答だった。

 なるほど、と片山は思った。

 先程遭遇した粘つく視線の正体は彼女の手の者である。

 そこに繋がった事に納得いったのだろう。

 だが自身の勘が間違っていなかった事を喜ぶよりも、ここから先の事が少し心配になる。

 このままでは色の良い返事を貰えそうに無いのは間違い無い。

 どうにか腰を据えて説得するしかないなと彼は考える。

 片山は女性の後ろにあった丸椅子を中腰になって手元に引き寄せると、そのまま乱暴に腰掛けた。


「そもそもよ? 今の段階であの坊やに出来る処置はもう全て終わってるわ。後は坊やの体が今の状態に馴染むかどうかだけよ。それ以上の事をする義理も……今の所は無いわね」


 蒔田に苛ついた様子や焦れている感じは無いのだが、早々に用件を済ませたいのだろう。

 断片的な内容の情報を片山へと矢継ぎ早に切ってくる。


「今の段階……? 治療ではなく処置? ではこちら側の患者はもう健常と考えてよろしいんですかね?」


 片山は蒔田の態度を訝しみながら、真意を掴みかねてさらに質問を重ねる。


「例えそれがどっちだったとしても、自分は貴女とコンタクトを取った事を報告しなけりゃならない。そうなるとどうしたって、クライアントの関係者がここに押しかける事になると思うんですがね? もう一度くらいは先方に顔を出した方がいいんじゃないですか?」


「……個人認識チップをわざわざ外している人間の所に……こうやって足を運ぶ事がどれだけ危険かも判らないなんてね……もう少し頭の切れる人だと思ったんだけど? 元軍人さん?」


 椅子に腰掛けたまま鷹揚に振り返り、形の良い唇からそう発した蒔田。


(何で俺の身元がバレる事になってんだ……?)


 そんな彼女に対して、片山は驚きを隠さずに正面からその目を見据えていた。


「俺が何時の間にそれ程の有名人になったのか……ちっとばかしご教授願いたいもんだな。まぁ……危機感については同意するしかねぇか。除隊してからこっち、ヌルい世界に身体を置いてたのは間違い無いしな」


「元極東陸軍、第一空挺連隊第二普通科大隊第四中隊隊長、三十三歳。上官を殴って除隊になる。最終階級は一等陸尉。あと面白い病歴もあったわね。今は健康そうで何よりだわ。調査会社のお仕事は楽しいかしら? 懐古映像に釣られるようじゃハードボイルドには程遠いわね」


 片山は椅子から立ち上がり警戒する。


(こりゃあここに来る事自体仕組まれてたって事だな……目的はなんだってんだ?)


 小さく笑みを浮かべながら、片山の身辺情報をさらさらと語る蒔田を……彼はジッと観察する。

 つり目がちではあるものの、キツイ印象を感じさせないスタンダードな美人だ。

 口元の黒子がほんの少しだけ片山の情欲を誘った。

 ジリジリと入り口に下がりながら、少しばかりの挑発を試みる。


「そりゃあ失敬した。貴女みたいなご婦人にストーキングの趣味があるなんて驚きだぜ。でもそういう趣味はあんまり口外しない方がいいんじゃねぇか?」


「そうね、悪趣味なのは認めるわ。でも簡単に探られる方にも問題があるわね?」


 蒔田を挑発しつつではあったが、片山は移動を止めない。

 その甲斐あってか、彼の後ろで事態が掴めずにオロオロしていた案内人の元までどうにか到着出来た。


「そういう性癖が無ければ一度お願いしたかったもんだがね。最近夜はベッドが冷たくってなっ!」


 最後の一言を発したと同時に案内人の腕を掴み、片山は猛然とドアへ向けて走りだした。


 扉から飛び出した二人は一目散に階段へと向かう。

 下の階層から上がってくる足音と濃厚な気配を片山は感じた。

 状況を動かすには些か遅かった様だ。


 階段の踊り場に出た所で、黒いボディーアーマーを纏った男数人が下の階層からドカドカと上がって来ていた。

 極東軍で採用されている物とは明らかに違う装備をしている。


(ここに来る前のアレは……間違い無くこいつらだな。くそったれッ!)


 とにかく今は逃げろと階段を上に上がっていく。

 これだけの閉所なのだ。

 一人なら対面しての戦闘でもどうとでもなったかも知れないと片山は考える。

 だが荒事に全くもって向いていない案内人がすぐ後ろにいるのだ。


 そうなると、彼等が生き延びられそうな経路は一つしか無かった。

 六階にある発電システムを無視し、屋上に続くドアを吹き飛ばす様に蹴破ってそのまま雪崩れ込む。

 片山はビルとビルの隙間がどちらにあるかを確認すると、ある決断をした。


「兄さん巻き込んで悪いな、運が悪かったと思って諦めてくれ」


「えっ? えっ? えっ? どうするって言うんですかっ! わぁっ! わぁーっ!!」


 案内人を横抱きに抱き上げると、彼は樹の幹や枝が生い茂っているビルの隙間目がけて飛び込んだ。


 バキッ! ミシッ! メキッ! ボキッ! 


 樹木が破損した時に出るだろうあらゆる音を立てながら、片山と案内人は重力に引かれ落下していく。

 何本もの幹と枝をヘシ折り体を打ちつけ、それらをクッションにして地面に落ちた。

 地に足をつけ身体の状態を確かめると、不意に左腕が痛みに襲われる。

 案内人を抱えていたせいだろう。

 まともに受け身を取れなかったのが良くなかったらしい。


(クソッ! 折ったか)


 左腕の前腕部に走る刺痛と鈍痛が手を組んで、片山の脳に軽い目眩をプレゼントしてくれた。

 幸いな事に骨が飛び出る様な開放骨折では無く、大きい変形も無い事から程度は酷くないと判断する。

 追われる状況にも関わらず、片山は自身の愛好する香港の生み出した稀代のアクション俳優の事を思い出していた。

 彼はよくノースタントで高所から落ちて(・・・)いたのだが、自分がまさかそれをやる羽目になるとは想像だにしなかったのだろう。


 案内人の無事を確かめようと彼をチラリと見ると、予想を裏切らずに気絶してくれていた。


(騒がれなくて済むのはありがてぇな)


 そう思った片山は、自身と一緒に落ちてきた丈夫そうな蔦で案内人を背中に括りつけ、一目散に走り出す。

 彼を支える左腕に痛みが走るが、振って走るよりはマシだと我慢した。


 視界の通る場所を逃走するのは発見される、更には襲撃をされる危険を伴った。

 だが片腕が半壊な上に荷物(・・)もあるのだ。

 それを考えれば、今はただただ距離を稼ぎたかった。


 背中にかかる人一人分の重みが、軍時代の長距離行軍を思い出させて片山の苦笑いを誘う。

 襲撃の可能性を頭に入れ、周囲を窺っては走る。

 往路で通って来た下草だらけの幹線道路を、片山はただひたすらに疾走するのであった。

お読み頂きありがとうございました。

引き続きご愛顧頂けると嬉しく思います。

それではまた次回お会いしましょう。


2016.04.29 改稿版に差し替え

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