2-4 纏わりつく何か
-西暦2078年8月9日08時30分-
Dクラス廃棄地区。
政府が建造物の老朽化や新規開発地区との利便性の関係等を理由に、居住に適さなくなった区画の一部を廃棄。
そして地表帰還開発機構……通称"機構"と呼ばれる団体が、そこに土台となる栽培用の合成土壌と遺伝子改良された植物の種子を撒く。
そのまま緑化計画に則るという名目で、完全な緑化地区になるまで管理をしない……つまり放棄している地域である。
これで緑化の完了した地域が、所謂Eクラス緑化地区と呼ばれる地域になるのだ。
政府が管理を放棄しているという事は、官憲の力もその場では機能しない。
権力や方が及ばない地域であるという事は、そこに集まる者達の種類も自ずと決まってくる。
何らかの理由で一般居住区に居住できない者、あるいは犯罪に絡み個人認識チップを摘出したかされるかした者。
経歴のどこかしらに傷を持つ人間達の為の、官憲の手の伸びない理想的な逃げ場所として機能するのは……最早必然でしか無かった。
現在片山達が足を運んでいる地域は、廃棄されてからまだ十年程しか経っていない新しい部類の廃棄地区である。
建造物内やその地下には再利用可能な資源材が眠っており、更には備え付けであるが為に、廃棄の際に動かしたくても動かせなかった電子機材等もそのまま放置されていた。
そこから剥ぎ取れる使用可能なパーツやユニット、国家が運用するには微小だが、個人が商いをするには十分な量であると思われる、掘り残されて僅かに残った地下資源。
そんな有用な物が文字通り合成土壌の下から"掘れる"のだ。
廃棄地区の発掘で生計を立てている人間は、この地区に居住している人間以外も合わせると……これがなかなか馬鹿に出来無い数になっている。
政府が廃棄地区の状況を放棄・容認しているのは、法の基の怠慢という面が一番大きい。
だが発掘を生業している人間からの税収が、年間に少ない規模として存在する。
そして職を失ったとしても"掘る"事で日銭を稼ぐ者もいる事から、どうにか保護政策の一環として機能しているという面が無い訳でもない。
このブロックから規定量の酸素が生産され続け、緑化計画が大きく妨げられない限り、政府や官憲がこの地域に手を出す事は無いのだろう。
つまり、犯罪者の巣として絶賛稼働中という訳だ。
片山と案内人の若者の二人は、蔦に覆われつつある廃ビル群の中を進む。
元は幹線道路であったであろうルートを、土の感触を確かめつつ、しっかりと踏みしめながら目的地へと向かっていた。
「一つ目の目的地まであとどれくらいかかりそうだ?」
「あと十分くらいですよ、特に通るのに問題のある場所も無いので、予定の時間通りに着くでしょう」
二人の額には汗が光っている。
だが奥に進めば進んだだけ、進捗している緑化の影響のお陰なのだろう。
身体に纏わりつく暑さが、少しずつ和らいでいく事を感じていた。
面倒くさい仕事は早く終わらせたいと共感した彼等は、少しだけペースアップする事を決める。
あれから三時間程、緑の中を移動し倒したのだが……ここまで周った数箇所は簡潔に言うと全てが外れであった。
件の医師のセーフハウスかも知れない。
そんなあやふやな情報を鵜呑みにし、素早く行動に移した片山にも問題はある。
だがここで急がなければ、再び自身の情報網の圏外に出てしまう可能性もあったのだ。
外れを引くのも仕事の内と諦めてここまで来たものの……ある場所には確かに住人は居たものの、女性ではなくマッシブなゲイの発掘者だった。
次の場所では伸びに伸びた樹木が壁を突き破り、部屋を破壊した上で占拠されていた始末。
残りの数件も似た様なもので、とても医師が拠点として使用している様な場所ではなかった。
二人は徐々に徒労感に襲われていく。
彼等が現在向かっている最後の一箇所にその望みを賭けるしかないのだが、これまでの場所よりかなりの距離があり、それを思うだけで足が重い。
目的地はEクラス緑化地区との境界線の辺り、極東の最南端にあたる場所となる。
襲いかかってきた徒労感に呑まれてしまって、そこまでの道程をしんどいものにはしたくはない。
そう思った二人は、とにかく陰鬱な気分を会話で紛らわせようとしたのだ。
そうすると押しの強い片山が、自然と会話のイニシアティブを握る事となる。
だが話題に乏しい彼にそれ程気の利いた話が出来る訳も無く、案内人は彼のコレクションの懐古映像の話を、それこそ延々と聞かされる羽目に陥るのであった。
「そこで団長が課長に肩を貸しながらよ、建物から飛び出して逃げ出す訳だ。そしたらその後を追うように小さな爆発が続いて……安全圏で倒れた所で最後には建物がドカーンだ」
「はぁ……なんか無茶苦茶というか……破天荒な話なんですねぇ」
「そうなんだよ。リアルじゃないとか嘘が多すぎるとかよく言われるんだけどな。ドラマなんてあの位の嘘がある方が夢があっていいんだよ。あんなドラマの作り方、今じゃとてもじゃねぇが出来ねぇしな。火薬の使い方なんて尋常じゃねぇぞ? 良かったら今度媒体持ってくるからさ、見てみなよ」
「ははは。そうですね、一度その時代の映像も見てみたいものです。面白そうだ」
自分の好きな物に対して、社交辞令であれ興味を持って貰えたのが片山の琴線に触れたのだろう。
片山の目尻が嬉しそうに下がる。
除隊後にしばしば見られる様になった本来の彼の一面である。
元々垂れ目がちであり、黙ってさえいれば……ただの優しげな長身のイケメン様で通るのだ。
学生時代から女性陣に言われ続けていた、中身さえまともなものに換装されれば誰も放っておかないのに、という弁が最たる証拠なのだろう。
軍大学に入り、訓練の日々を重ね、眉間に見事なシワを追加実装。
この辺りからだろうか。
彼を評価する言葉から、イケメン様という単語も鳴りを潜めていったのである。
職務上のストレスや部隊の状況が、除隊するまで彼からそのパーツを外す事を許さなかった。
今の職についてから少し気が抜けたのだろう。
時折という事ではあるが、三十路となったイケメン様が人前に現れる機会が増えていた。
これを喜んだのは事務所の事務のお姉様方であり、所長とどっちがどっちだという話が少なくない頻度で行われる原因ともなっている。
そんな風に内容としては一方的ではあるものの、二人は砕けた話をグダグダとしながら着々と距離を稼いでいた。
目的地まであと数㎞という所。
そこで片山が不意に足を止め、険しい目つきで案内人に耳打ちする。
「兄さん、こっちだ。気のせいならいいんだがな……たぶん誰かに見られてる」
「えっ?」
二人は少し小走りに脇道へと逃げる様に駆け込んだ。
さらに道を一つ折れ、植物が鬱蒼と生い茂って緑の塔となっている廃ビルの、その僅かな物陰に隠れて辺りの気配を探る。
「兄さん、なんか身に覚えはあるか? 追われる様な事とか」
「俺はただのジャンク屋ですよ、勘弁して下さい……」
「……だよなぁ……捕まる様な事してる訳でも無さそうだもんな」
「……俺なんかが犯罪で官憲に追われるんなら、ここいら一帯のジャンク屋なんて全員逮捕されてますよ……それにこう見えてもちゃんとCクラス居住区の端っこに住んで、税金だって毎年払ってるんです。それに……奥の連中に睨まれる様な……"堀場"荒らしだってやった事なんてありませんよ」
「ふむ……だとしたら俺なんだろうな……いっそ出て行ってみるかな……よし、そうすっか。あのよ、兄さんは事が済むまでここに隠れてた方がいいぜ?」
「ちょっ、ちょっと待って下さい! こんな所で一人にされたらどうなるか判ったもんじゃないですよ! 俺も行きますから連れて行って下さい!」
案内人は慌ててそう言った。
片山はその様を見て、知り合いのペットを不意に思い出す。
彼の犬が家に置いて行かれる時の挙動に、案内人の挙動とてもよく似ていたのだ。
少しニヤけてしまった事を隠しながら、彼に念押しをする。
「ま、それもそうかもな。だがどうなっても知らんからな? さすがにほっぽって逃げる事はしないが、守れる保証は無いぞ? それでもいいなら好きにしてくれ」
片山は少し身構えつつも、悪びれる様子もなく見通しの良い大通りにその姿を晒した。
本当に誰かに見られ追われているなら、相手の思惑次第ではあるが、そろそろ周りを囲まれているだろう。
大きく息を吸うと、喧嘩を売るかの様に大声を張り上げた。
「誰か居るんなら話をしようや! ここいらの発掘者か!? 俺達は別にあんたらの食い扶持をかっさらいに来たんじゃないんだ! ただの人探しだ!」
片山の声に対して反応は無かった。
朽ちた建造物の間を抜けたぬるい風が片山の肌を叩く。
「もしあんたらが軍や官憲だったらもっと話は早い! 俺達は仕事でここに来ただけなんだ! 身分を証明しろってんならしても構わない! 見られてるだけってのは落ち着かないんだ!」
それでも周囲からの反応は何も無かった。
片山がチラリと案内人のに目をやり顔色を見ると、少し青ざめており膝も小刻みに震えている。
(まさかあれだけ濃い視線をぶつけてきておいて……何もなしってのはおかしいだろう)
片山は少し冷静になり、現状を振り返った。
誰かに見られていた事は間違い無い。
片山の兵士としての直感がそう言っているのだ。
ではどうして何の反応の無かったのだろうかと考える。
(単純に縄張りに入って来た人間の確認だったのか、それとも……)
様々な想像が頭の中で膨らむが、材料が少なすぎてこれだと言い切れるものが無い。
じりじりとした時間が秒針と共に刻まれていく中、片山はとうとう開き直る。
(考えたって仕方がねぇか……こんだけ言っても出てこないって事は……相手が官憲だったとしてもまともな連中じゃねぇんだろうさ……ならさっさと用件済ませて逃げるのが一番ってもんだな)
片山は今も見ているであろう相手に、威嚇の殺気を飛ばしながら告げる。
「返事がないって事は問題ねぇんだな!? だったら悪いがこのまま先に行かせてもらうぞ!? クライアントがお待ちかねでな! それにこんな場所で野宿なんてしたかねぇんだよ、こんチクショーめ! さて……兄さん、行こうぜ」
「え? まっ、待って下さい!」
案内人の腕を掴むと、片山は彼を引っ張りながらズカズカと歩き始めた。
彼もこのままでは事態が進まない事を感じたのだろう。
キョロキョロと周りを伺いながらではあるが、恐る恐る片山に続いていった。
数分の移動後、周囲を取り囲んでいた視線が泡の様に消えた。
「行ったか……なんだったんだろうな、チクショウ。値踏みでもされたか?」
「判りませんよ。俺達でもこの辺りに住んでる連中とは滅多に接触はしないんです。医薬品とか彼らが賄えない物が必要な時に極稀に接触してきて、その時にこちらの手持ちの物と彼らの物資を交換するくらいで……"堀場"については未発掘の部分は掘った者勝ちという不文律がありますから、基本的に不干渉なんですよ」
案内人は今までに無かったケースに少し狼狽えていたものの、廃棄地区の事情というものを話してくれた。
「んー……単に掘りもしないのに彷徨く人間が物珍しくて見せ物にでもされたか……それとも本当に俺達の行き道の監視だったのか。こうなっちまったらどっちだって構やしないんだがな、あのネットリとした感じの視線はいい感じがしなかったぜ?」
視線が存在した事は間違いが無い。
あの濃密な気配は獣や機械の類で無く、意思を持った者のそれであったのだから。
間違いは無いのだが、怯えに怯えきっている案内人を気の毒に思ったのだろう。
剣呑な空気を霧散させ、戯けながらこう聞いた。
「誰か居たってのは確かなんだけどよ、もしだが……これで誰も見てなかったんだとすると、俺の行動はどのくらい可哀想なオッサンに見えただろうな?」
案内人は想像を巡らせている様だ。
自身の過去の体験やら友人のそんな光景を思い出しのだろうか。
彼は少しばかり吹き出した。
「くっ……誰もいないのにあれじゃあ……ちょっと思春期の病気を患った中学生じゃないですか。ククッ……」
少し空気が緩んだのを見て片山は安心した。
あのまま緊張感を維持したままなら、案内人はここから先の行程で身体より先に心労で潰れていただろう。
「さて、視線も感じられなくなった事だし、残りの行程もちゃっちゃと行こうや。怖がらせた詫びって訳でもねぇが、あっちに戻ったらビールでも奢るよ」
「この暑さですもんね……ありがたいです。それじゃあ、さっさと目的地に向かって仕事を終わらせましょうか」
些か不可解な出来事ではあった。
だが見えない存在に怯えた所でどうにもならない事を、片山は当然ながら、案内人の青年も理解しているのだろう。
伊達に廃棄地区で日々の糧を得ている訳では無いのだと言える。
ビールという単語にモチベーションを幾らか取り戻した二人は、残りの道程を先程よりも心持ち早足で進んでいくのであった。
お読み頂きありがとうございました。
引き続きご愛顧頂けると嬉しく思います。
それではまた次回お会いしましょう。
2016.04.29 改稿版に差し替え