2-3 片山淳也の流儀
-西暦2078年8月9日07時00分-
「あんまりお近づきになりたくない所なんだがなぁ……今日もアチィし……」
彼は夏になると常々思う。
いくら日本人の生理や本来の植生に合わせたとはいえ、地下都市で生活していくのにわざわざ気温や湿度を四季のあった頃の日本に合わせる事はねぇのになぁ、と。
-西暦2078年8月1日11時35分-
除隊して三ヶ月ほどたったある日、片山の姿は極東の南・Sブロック南部のDクラス廃棄地区の外れにあった。
短かった髪はすっかり伸びてしまっていた。
少し天然パーマのかかったそれは、モッサリという言葉のよく似合う毛玉になりつつある。
依頼でとある人物の身元の調査を頼まれたのだが、これが資料の内容を見るからにとても胡散臭かった。
往診専門の町医者という時点で怪しいにも程がある。
資料にあった身元は都市本局の住民課にも認識チップの登録情報が無い。
これまでコンタクトに使われていた携帯端末の連絡先も、当然ではあるが既に使えなくなっていた。
端末の登録情報も洗ってみたが当然登録は無く、白ロムを使った違法端末なのであろうという結論が出ている。
クライアント側の寄越した調査内容の時点で、接触するのが面倒な相手であるのは間違い無い。
そんな面倒事をあっさりと自分に振った所長を思い出すと、彼はギリギリと歯噛みするしかなかった。
EブロックBクラス西部商業地区。
会社の事務所はそのエリアの繁華街の中に建てられたビジネスビルの一角にある。
十階建ての八階、七十㎡ほどの広さだろうか。
大きな長方形のフロアは間仕切りで半分程に区切られ、その半分のスペースは事務方に四つ、法務担当者用と報告書製作用に二つずつの机。
合計八つのそれが整然と並び、今は事務方の皆さんが黙々と書類の整理分別を行っている。
この人達を敵に回すと領収書の精算の可否は勿論、報告書の完成までの時間が倍は違ってくるので油断が出来ないと片山は思っている。
基本的な性格が傍若無人で、所長に対して一切敬意を払っていない横柄な彼ですら、彼女達の前では飼いならされた犬に成り下がるのだ。
残りの半分は所長の執務室と来客用の応接室となっており、片山を含む実動班にはパーソナルスペースは無い。
そんな彼等は所長室で直接書類や指示を受け取る形となっている。
そしてその日も遅い出勤をし、事務のお姉さん方に挨拶を終えた後に、片山はいつも通り応接室に呼び出された。
「おう淳也、来たか。ちょっとは仕事に慣れたか?」
「身体使う仕事しかしてねぇんだ、慣れるもクソもないな。チンピラ相手に拳使って上から交渉とかよ、公園駆けずり回って猫探しはさすがにもうやりたかねぇ」
片山は応接室の少し硬目のソファーにドガッと座ると、どちらが所長か判らない程の態度で言葉を続けた。
「良かった事と言えば禁煙できた事位だな。それより何か無いのかね? 儚い未亡人とロマンスが誕生しそうな素敵な依頼とかよ?」
「あったとしてもな……その手の女をお前が満足に口説けた事なんて無いだろう? えーと……これな。昨日受けた依頼なんだがな、お前向きの調査案件だから任せるわ」
応接セットのテーブルに、それなりの厚さの調査資料がポンと置かれる。
「調査期間はとりあえず一ヶ月、報告内容次第で延長だ。結果に関わらず常識的な範囲でなら経費の事は考えなくていいぞ」
経費に頓着しないという事で金持ちからのオファーだとすぐに判った。
しかもその金持ちがこれだけの厚さの資料を作るまで調査してどうにもならない案件なのだ。
真っ当な依頼な訳がない。
「あー聞くだけで面倒な案件って判るわ、"丘"のどこのお大尽様よ?」
「お察しの通り"丘"に住んでる企業の偉いさんなんだが、お前に教えられるクライアントの情報はそんなもんだ。調査内容は大掛かりなスキャンダルでは無いんだが……違法行為に関わってる事には違いないからな。あちらさんからも調査員には伏せろと言われてるんだ。悪いな」
片山は一瞬だけ考えて即答した。
「悪い、先輩。俺はパスだわ。先月あった"丘"のバカからの依頼で俺がどういう目に遭ったの忘れたわけじゃないだろうな?」
"丘"と蔑称されるAクラス居住区。
そこには政府関係者や企業重役、軍上層部の人間などの所謂セレブ層が居住する区域である。
片山がそこに住む人間から受けた先月の依頼。
それは言い様の無い徒労感に襲われた……ひどく締まらない結末を迎えたものだった。
とある企業の五十代の役員からの依頼であり、妾に産ませた娘の様子を調査して欲しいという内容であった。
周囲に男の匂いがする様ならば迅速に報告して欲しい。
だったら手元に置いておけよという、娘を大事にしているのかそうでないのかよく判らない依頼と片山は思ったそうだ。
彼は案件を聞いただけで嫌な予感がよぎり、担当となる事に乗り気では無かった。
だが事務方のお姉様方に、『仕事をしないと今月は給料ありませんよ?』とピシャリと言われ、泣く泣く担当として動き出したのである。
実際に調査を開始してみると、そのお嬢さんとやらは実に可愛らしく健気な子であった。
昼は大学に通って真面目に学び、夜は商業区の繁華街でバイトをする事で学費を捻出している。
そうやって懸命に母子家庭でもある母親と自らの生活を支えていたのである。
(こんな気立ての良い娘を放置してんなよなぁ)
そう思いつつ調査を継続していると、違う学部ではあるのだが同じ大学の男性と親しそうに話している所に遭遇する。
身体の線が細く、所謂ガリ勉君というやつなんだろうが、見るからに誠実そうな青年だった。
あまりの似合いぶりに、クライアントへの報告を片山はためらった。
だが彼も仕事ではあるので、出来る限り角が立たない様に報告書を制作。
会社役員の元へ説明に向かったのだが、クライアントは僅かなものとして報告した男の影にご立腹だった。
それも尋常ならざる様子でだ。
その怒り具合がどうにも気になった片山は、部屋を退出するフリをして扉の前で聞き耳を立てる。
すると、『ワシの……に……を出し…………してやれ』と、何やら物騒な匂いのする指示を誰かに出し始めた。
自分の気に入った人間に妙に肩入れしてしまうという、片山の愛すべき悪癖が働き出した。
受けた依頼の尻拭きだと言って所長の許可を無理やり取り、ガリ勉くんの周囲を張ってみれば見事にビンゴである。
暴力的行為を生業にしている方々が、白昼堂々と彼の後をつけ回していたのを見つけたのだ。
片山は盛大に溜息をつきながら、その輩共を追従する。
穏便に話をつけようとチンピラに近寄り話しかけると、彼が何者かというのを知っていた様であった。
よく判らない内に啖呵を切られると、即時開戦となり裏路地には血の雨が降る事となる。
つけ回していた皆さんの血でという事ではあるが。
戦場となった裏路地の近隣住人による勇気ある通報で、片山は輩共と仲良く警察局の留置所にご招待された。
そこでしっかりと一泊し朝食をご馳走になると、罰金まで取られるという不幸が片山を襲う。
財布の中身に涙しながら警察局からお暇して、件の娘さんに話を聞いてみると……妾の娘というのは全くの大嘘であった。
彼女がアルバイトをしている所謂……お金を払って紳士的に女性との会話を楽しむ店に客として足繁く通っていた変態役員さん。
彼が彼女をいたく気に入り、ただ愛人として囲おうとしていただけだとという。
どれだけ断ってもしつこくつきまとい、店のオーナーからも出入りを断られた変態役員は別の手を打つ。
ストーキングと平行して片山のいる調査会社に依頼を出し、彼女の周辺を探らせた。
それが今回の件の発端であったのだ。
片山が主に財布の中身の恨みで報復を考えていると、所長が任せろというので一切を任せてみた。
所長ならば自身よりも悪辣なケリのつけ方をしてくれると期待しての事だ。
すると彼は片山の期待に多いに応えてくれたのである。
同じ会社の対立派閥の役員にその情報を含めた暗部を売り、見事に変態役員を失脚させたのだ。
関与した暴の付く組織の介入に関しても、所長は先だって手を打った様だ。
連中の上の組織から、今後一切この件の関係者に手を出すなという通達があり、以降輩共は完全に沈黙する事となる。
事務所に来た上の組織のトップ様とやらに、所長が何枚かの写真をヒラヒラと見せていたのを片山は目撃してしまった。
だがその内容なぞ知りたくもなかったので、その一切を見なかった事にしている。
その結果として当然なのだが、依頼料と経費はやはり支払われなかった。
抜け目のない所長は情報を売った金で依頼料分の損失の補填に成功していたので、報酬を取りっぱぐれた事は一切に気にしていない。
片山はと言うと……経費と罰金分を丸かぶりする事になり、次の給料日までの食うに事欠く貧乏ライフを満喫する事と相成ったのである。
それ以降、片山は"丘"からの依頼を頑なに拒む。
所長以下、事務方のお姉様方も事情を知っていたので、今日までは何とか目をつぶってくれていた。
だがさすがにそろそろこの手の仕事もして頂かないと、という事で片山にお鉢が回ってきたという話なのだ。
「まぁ気持ちは判るからな。そうかそうか、そんなに嫌か。さすがにそこまで嫌がる人間にやらせる程、俺も人でなしじゃない。そうかそうか……」
「なぁ……その物分かりの良さが気持ち悪くてたまらんのだが……頼むから止めてくんねぇかな?」
「あれこれと煩いぞ、淳也。ところで話は全く変わるんだけどな、こないだ角のバーで久々に谷町さんに会ってな」
「!?」
片山の表情が喜色のこもったものと嫌悪感に満ちたものという、複雑怪奇な形状へと瞬時に変化した。
実に器用な表情をするものだと、所長はもはや半笑いである。
「クッ……いやぁ相変わらずあの人は凄いな。あんな媒体どこから手に入れてくるんだろうな。入手ルートをぜひとも知りたいもんだ」
所長の芝居がかったわざとらしい話題の転換に、片山は食いつかざるを得なかった。
片山の数少ない趣味の一つが、前世紀、それも地表時代の懐古映像の収集と鑑賞である。
所長はこのタイミングで抜いたのだ。
伝家の宝刀というものを。
「前世紀の映像媒体なんて普通……」
(恨むぞ谷町のオッサン……)
片山は天を仰ぎ見てから心の中で谷町という人物に毒づくと、海溝の底から絞り出した様な声で所長に問いかけた。
「年代とジャンルをまずプリーズ……」
「八十年代刑事ドラマ。軍団のやつのⅢ」
「団長か……? デカ長か……? どっちだ? なぁ、どっちだ!?」
「団ちょ――」
「所長、資料は今から見る。クライアントから聞いた細かい話をすぐにだ、早くッ!」
「受けるって事でいいんだな?」
「受けるッ! 受けるからッ! 受けさせて下さいよッ! お願いしますッ!」
片山が十数年探しても手に入れられなかった懐古映像を、実にあっさりと手に入れてきた知人の谷町氏に所長は心から感謝した。
即座に食いついてきた片山を、ニヤニヤと底意地の悪い笑みを浮かべながら眺める所長。
片山が必死に資料に目を通しているのを尻目に、彼はクライアントからの案件の詳細を語るのであった。
そんな風に映像媒体に釣られる形で断りきれずに受けてしまったが、件の医者の居所は杳として知れなかった。
真っ当な医者ではなく無免許医だと思う片山の勘は当たっているだろう。
都市本局に個人認識用のチップの登録がされてない時点でそれは間違い無い。
元々免許を持っていないのか、それとも持っていた物を剥奪されたのか。
そんな相手ではあったが、クライアントはその医者のある噂を聞きつけると即座に連絡を取った。
噂によると難病の治療実績がかなり高く、遺伝病などにも造詣が深いそうだ。
体質の弱い孫の将来を悲観し、違法な行為である事は判っていたのだが、どうにか健常な身体に出来ないか悩んだ末の決断であった。
表の者ではない診療ブローカーを通して、孫の身体情報や診療情報を全て送り返事を待つ日々は地獄だったそうだ。
幸い医者からは早々に返事があり、『なんとかできるのでぜひ診療させて欲しい』との返事を貰ったクライアントは心から喜んだのである。
加療を開始し、噂通りの腕だったのか彼の孫の体質は上向きになり始めた。
しかしその上向きの徴候が現れた途端に、医者との連絡が取れなくなってしまったのだ。
最初に繋ぎをつけてくれた地下ブローカーとの連絡も途切れており、自らの調査網でもどうにもならなくなったクライアントが、藁をも掴む思いで事務所に依頼してきたのである。
資料によると医者は妙齢の女性らしい。
そんな貴重な情報も、癖のある女性が苦手な片山にとっては……ただ面倒臭さに輪をかけるだけであり、そこには何の有り難みも無かった。
数日かけて所長と自分の持つ情報源を頼りにして、地道に情報を積み重ねていく。
そうして集めた情報をまとめていくと、Sブロック南部の廃棄地区にいくつかセーフハウスを持っているらしい、そんな事実が浮かび上がる。
しかし廃棄地区を歩くとなると、土地勘の無い自分では心許無いと感じたのだろう。
今回コンタクトを取った情報屋が、廃棄地区の深い所まで案内できる人間がいると紹介してくれたのをいい事に、それに乗っかる事にしたのだ。
廃棄地区への侵入前日に打ち合わせも兼ねて顔合わせをしたが、のんびりとした風体の丁寧な言葉遣いをする痩躯の若者だった。
-西暦2078年8月9日07時00分-
「そうですね、俺も仕事でなければお断りしたいですよ。暑いですしね……」
その案内人も暑さに少し参っているのか、やれやれといった感じで先導してくれている。
「そうは言ってもまだまだこの辺は掘れるんだろ?」
「まだ廃棄されて十年程のエリアですから。それなりに資源やパーツも眠ってますよ。未発掘の場所もそこそこ見つかる位にはあります。それでもせいぜい食える程度なんですけどね」
片山の目線はまだまだ朽ちたというには程遠い建築物を見つめていた。
緑に飲まれつつあるそれは、人の営みから離れつつある魔境とも言えるだろう。
(面倒臭い事にならなきゃいいんだがなぁ……)
草いきれの中にそっとついた片山の溜息は……静かに消えていった。
お読み頂きありがとうございました。
引き続きご愛顧頂けると嬉しく思います。
それではまた次回お会いしましょう。
2016.04.29 改稿版に差し替え