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2-2 一人目の男

 -西暦2078年5月18日10時30分-


 その日も片山淳也は、猛る心を隠すでもなく肩を怒らせながら本営を歩く。


 彼が背にした四十階建ての極東陸軍本営ビルは、半年前に落成したばかりだと|聞いている・・・・・》。

 そんな新築の本営ビルは、今日もNブロックの中央地区において、白く輝く威光を振りまき鎮座していた。

 問題を起こして本営に呼ばれる事はままあった。

 だがとある理由からしばらく現場を離れていた為、このビルが彼の目に入る事のは始めてである。


(俺を苛つかせる為に建てたんじゃねぇだろうな……こんな小奇麗な容れ物に予算を使う余裕があるなら……ちったぁ給料上げやがれってんだッ!)


 どれだけ綺麗な建物であろうと、彼にとっては現在抱えている怒りを増幅させるだけの無駄の象徴でなのだろう。

 呼び出された理由もその結果も彼にとって納得出来るものでは無かった。

 そんな背景故に、この綺麗なビルですら敵の巣窟なのだ……そんな風にしか思えなかったのである。


 エントランスのある入り口離れ、敷地内を歩く。

 綺麗に舗装され直した車両の経路の脇には、地下都市らしく常緑樹が植林されていた。

 少しばかり歩くと、午前中のピークを終えて一息ついているであろう営門に差し掛かった。

 軍内の格技大会等の影響で片山知っている今日の営門の歩哨は、彼の常に剣呑とした雰囲気にどうしても慣れない様だ。

 入る時と同じ彼の尖った空気に対し、腫れ物を触る様な態度でオドオドと敬礼をしてきた。

 その様子に片山の苛立ちのギアが一段上がり、投げやりな返礼をして営門を出る。

 彼の所属する部隊は極東の東側、Eブロックの中程に駐屯地が置かれている。

 Eブロックへと向かうリニアレールのターミナルへ、その苛立たし気な空気を纏ったそのままに足を向けた。


 地下都市では室内以外での喫煙は禁じられていたが、一向に気にする様子が無く胸ポケットまさぐる。

 煙草を取り出し箱を開けてみると、『火がついていたので消火しておきました』と書かれたメモだけが入っていた。

 部隊員の誰かが片山のストレスを和らげようとやったのだろうが、どう考えても逆効果である。


 苛つきがピークに達したのか、儀礼上仕方なく着帽していた帽子を取った。

 それを小脇に抱えると、次はネクタイを緩め息を吐く。

 短く刈られた髪を、現在心に抱えているストレスを晴らすかの様に無造作にかきむしった。


「あんな小物が大隊の頭になれる時点でうちの連隊ももう終わりだな……上は何考えてんだ……」


 机上に居ながら派閥の力学と陸軍の偉いさんである父親の威光、その二つのみで武闘派の実働部隊の大隊長になる事が出来てしまった。

 そんな三十路を迎えたばかりの、新しい糞上官殿についてつい独り言ちる。



 年に一回のメディカルチェックで引っかかった難病の根治の為に半年の入院。

 無事に生還し職場復帰をしたのが昨日だった。


 久しぶりの現場だ、どうせ自分が居ないのをいい事に緩い空気が蔓延していたに違いない。

 そう思い部隊の人間を徹底的に鍛え直すかと上機嫌で出勤したのだ。

 張り切って点呼と訓練内容の報告に大隊本部事務所に行けば、彼の知らない顔の小太りが隊長執務室の椅子に座っていた。

 片山にはまったく報告も無いまま、いつのまにか上官の首がすげ替わっていたのだ。


 前任の大隊長である犬塚は特に何かミスがあった訳でもないのに、輜重局しちょうきょくの閑職に更迭されたと聞かされている。

 彼の事をオッサンと呼んではいるが、片山にとっては今の隊に配属になってから世話になり続けた恩人だ。

 犬塚の処遇を考えるとどうにもやりきれない。

 やりきれない所に新任の小太り隊長が前任の隊長について、


「先任の様な……身体だけを使う馬鹿みたいな古いやり方がいつまでも通用すると思ったら大間違いだ。あんなゴミの様な部隊運用など私はする気は無い」


 と言ってのけ、自身の考案する部隊運用以外は必要無いという意思を示した。

 片山に対しても汚物を見るかの様な視線を無遠慮にぶつけたのだ。

 まずこの時点で片山の腹は半分程決まっていたそうだが、ここまではまだいい。

 頭が変われば運用も変わる。

 戦闘部隊というものはその様にナマモノである事も理解出来なくはないからだ。

 だが、彼の言葉はそれで満足する事無くまだ続く。


「これからはインテリジェンスな運用の時代だ。まったく、石器時代の住人の尻拭いなぞやらされるこっちの身にもなって欲しいものだ」


 こうである。


 実績を上げた人間、それも自身の恩人の事を更に悪し様に言ってのけたのだ。

 この追い打ちが片山の逆鱗に触れる。

 彼は新任の隊長を容赦なく殴りつけ、地面に這いつくばらせた。

 顔に一発、腹に三発、倒れてセイウチの様にのたうち回っている所をトドメに背中へ蹴りを一発。

 事務官に止められるまでの一瞬でそれだけの数を叩き込んだ。

 格闘関係の訓練で負け無しという実績は伊達では無い。

 その程度の事は息をする片手間にやってのける事が出来る男なのだから。


 新任の腹にあった自前の衝撃吸収材の性能が素晴らしかっただろう。

 それだけの打撃を食らったにも関わらず、怪我はたったの全治一週間であった。


 知らせを受けた人事局の担当官僚だが、さすがにこの暴虐を見逃す訳にはいかんという事に、当然であるがなる。

 しかし就任の裏に抱えている事情もあるのだろう。

 非公式という言葉を頭に付けた査問を行うという事で、翌日にあたる今日……本営にある人事局に呼び出され出頭したのである。


 結局、事件自体は無かった事にされた。

 新任の隊長にとってもこの件はこれからの出世の汚点になるそうで、事を大きくする気は無いらしい。

 更に処遇の判断については、片山側にも派閥の力学が存在し働く事となる。

 ほんの少しではあるが事態の経緯と事情も考慮される事となった為、即時の免職だけは回避された。

 だが査問を担当した官僚から、有り難い選択肢を片山は頂く事となる。

 降格して異動、もしくは自主的な除隊。

 そのどちらか好きな方を選べというのだ。

 これではどちらを選んだ所で軍の中には居場所が無くなるであろう。


(どうしたもんだろうなぁ……)


 片山は本営の綺麗な外壁に体を預け、顎の無精髭を無意識に撫でていた。

 今後について思考してみるものの、考えれば考えただけムダな時間を費やしたのだと簡単に気付いてしまう。


 となると、軍に残る事についてポジティブな要素は何一つ浮かんでこない。

 片山自身としては、新任を殴った事は一切後悔していない。

 むしろスッキリして心地良かったと思っている。


 犬塚が自身に何も知らせなかった事については激しく怒っており、彼流に言うならば"トサカにきている"といった所だろう。

 だがあの人はこんな冷や飯の食わされ方をする様な人物ではないとも、片山は身びいきでは無く思っている。


 確かに馬鹿みたいに部下に訓練をさせる人物ではあった。

 片山の筋肉が疲労物質と喧嘩しなかった日は、この隊に来てから休暇以外には無かったと記憶している。

 地下都市という性質上、片山の所属する隊は切り札にも成り得る隊だからだ。

 訓練量が多いのも当然と言える。


 地下都市移住後の初めての軍事行動と呼ばれたWブロックでの百人規模のテロ。

 その対応に駆り出されたのが片山の所属する大隊だったが、鎮圧が完了した時に部隊員全員が心から思ったそうだ。


 ああ、訓練していて良かった、と。


 部隊員が誰一人死なずに済んだのは、どう考えても犬塚のおかげだ。

 まずは訓練時にとにかく徹底的に身体をいじめ抜く。

 そして作戦開始前に行動のイメージを的確に、そして正確に与える事で、いじめ抜かれた身体はそれを間違い無くトレースしてみせるのだ。

 作戦終了後に彼がニヤリと笑った顔を……片山は忘れられないでいる。

 その時に貰った作戦参加章は彼の大隊の誇りとなった。


 それだけの功績を上げたからこそ……逆に狙われたのだろうな、と片山は思う。

 功績のあった部隊の部隊長を務めましたよ、という上へのアピールだけの為に屋台骨を作った人間を平然と弾き飛ばしたのだ。


 あの使え無さそうな新任の隊長の元に残していく自身の中隊の部隊員達の事は……片山にとっても気がかりではある。

 気がかりではあるのだが、こんな馬鹿みたいな人事がまかり通る軍に未練を持て、というのもまた、彼には無理な話だった。


(いい機会だったのかも知れんなぁ……癪だが先輩に連絡してみるか)


 思考をすっぱりと切り替え、軍からサヨウナラする方向へ身を振ってみる事を片山は想像する。

 彼は現在は除隊している軍大学時代の幾人かの先輩の話を思い出していた。


 元々起業の資金繰りのために軍大→軍人というコースに乗った先輩や、ロジスティクスに目覚めて輜重局から運送屋にジョブチェンジした先輩もいたと聞いている。

 中でも特に仲の良かった先輩の事が頭に浮かんでいた。


 軍大学のいくつかある寮で、たまたま同じ寮にいた片山の二年上の先輩なのだが、実に勘と要領の良い先輩だったとしか思い出せない人物なのである。

 いかにして訓練をサボるか、いかにして多くの食料と睡眠を確保するか、いかにして人を動かして楽をするか。

 上手く、巧く立ち回って、そこそこの成績と多大な人脈を稼いだ所で、彼はのほほんと卒業していった。


 その抜け目の無さを評価されたのか、卒業後に幹部候補生学校を経て情報保全部隊へ配属される。

 そして六年勤めて、上と揉めたい放題揉めて除隊した。


 除隊した彼は何を思ったか調査業を営む事となる。

 現在では警察局とも稀に連携を取るほどの規模まで大きくなったと、酒の席の度にそう言っていた。

 つまり小さいのか大きいのかよく判らない所ではあるが、妙に繁盛しているらしく、どうにも人手が足りないとの話である。


「どうせお前だってそのうち軍を辞める事になるんだから早いうちがいいって。とっとと除隊してうちに来い。荒事を担当できる人間が少ないんだ。お前の取り柄はそのくらいなんだし、な?」


 飲みに誘われる度に、非常に失礼かつ殴りたくなる様な口説き文句を囁かれて困っていた。

 だが、今となっては渡りに船という事になるのだろうと片山は思う。

 調査会社で荒事担当のやる事など想像に難くない。

 しかし十数年鍛え続けてきた身体は、こんな自分についてきてくれるに違い無い。

 そう自身の肉体の働きに対して確信を持っていた。

 ならば時は金なりと、早速その場で携帯端末を使い連絡を取る。


「あー、先輩? まだ椅子空いてる?」


 その一言で全てを察したのかその先輩は大笑いしながら


「な? 俺の言った通りだったろ? どうせお前の事だ。上のモンと揉めるか殴るか殺すかのどれかで辞める事になると思ってたよ。俺達市民様の税金で無駄飯食ってたバチが当たったんだ。明日にでも一回顔出せや。面接はどうする? して欲しいか?」


 と、全てを想定していたかの様なリアクションを片山に返す。

 あまりにも楽しそうに話すのが癇に障っただろう。

 履歴書持って殴りに行ってやる! とだけ言って片山は通話ボタンをグリグリと押して通話を終わらせた。


「……鬼の空挺部隊長様からコーヒー豆を吟味するお仕事か、まぁそういうのも悪くはないんだろうな」


 片山は自身の趣味で収集した懐古映像コレクションのドラマに出てくる、モジャ毛の主人公の探偵をふと思い出す。

 そうする事で少し軽くなった気分そのまま、足早にターミナルへと去って行った。




 翌日早々に人事局に顔を出し、結局そうなったか、という顔した担当官僚に辞表をお見舞いしていた。

 まがりなりにも幹部候補生上がりという事で、一応は慰留される。

 だが、それも形式だけの物だと解かっていたので軽く跳ねのけ、片山は晴れて無職という称号を得る事となった。


 昨日とはうってかわってスッキリした気分で彼は本営を歩く。

 世界はこんなにも軽く明るいものだったのかと空を仰いだ。


 最大高低差七百メートルで掘られている地下都市の空は、照明が眩しいだけの殺風景な物だった。

 だがそれでも彼は構いはしなかった。

 きっと地表で青空を見ていた先人達は、こんなにも晴れやかな気持ちだったのだろうと勝手に想像する。

 このまま輜重局に行き犬塚の顔でも拝みに行こうかとも思う。

 そうしてあわよくば一発でも殴ってやろうかとも考えたが、彼の立場も考慮して今回は諦める事にした様だ。


 昨日とは明らかに違う片山の様子を訝しみながら、ビクビクと敬礼をした歩哨。

 だが今日は彼に晴れ晴れとした笑顔で返礼をしてみせる。

 唖然とする歩哨を置き去りにして、口元に実に楽しそうな笑みを浮かべたまま……彼は陸軍本営を後にした。

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