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EO -解放せし機械、その心は人のままに-  作者: 臣樹 卯問
第一幕 逃れられない檻の中から
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幕間 藤代恭子《ふじしろ きょうこ》

 -西暦2078年10月7日22時30分-


 暗いあたしの部屋の中に……端末のぼうっとした明かりだけが寂しく光る。

 ベッドに寝転がってその光を見つめていると……とても儚い物の様な気がしてなんだかやるせない。

 自分がさっき母さんにした事を思い出すと、あれだけ泣いたのにまだまだ涙がこぼれ落ちてくる。


 兄さんは本当にどこへ行ってしまったのだろう……。


 あれから丁度一ヶ月……。

 あたし達家族はもうボロボロだった。

 仕事を休んででも側にいるといった父さんを、それこそ無理やり仕事に行かせるくらいに母さんは気丈に振舞っていた。

 でも一人になった時に……こっそり泣いているのをあたしは知っている。

 父さんもそうだ。

 自分の足と知り合いのツテを使って懸命に情報を集めてるけど、有力な情報は未だに一つも無い事で自責に追われている。

 あたしと母さんの為に普段通りに、いやそれ以上に仕事をしながら、だ。

 何か切っ掛けがあれば二人はすぐにでも壊れてしまうんじゃないかと……とても心配になる。


 不意に携帯端末が震えた。

 誰かがまたあたしの心配をして連絡してきたのだろう。

 あたしは呼び出しには応じずそのままほったらかしにする。

 端末が鳴るとどうしても思い出したくも無い……あの日の事を思い出してしまうから。




 -西暦2078年9月7日19時50分-


 ゼミの食事会は有意義なものだった。

 うちのゼミの先生が研究で協力し合っている他校の教授も、珍しくその場に来ていたのだ。

 あたし達ゼミ生も参加している実験について、ようやくいい方向での目処が立ちそうだと報告してくれた時には全員が沸いた。


 意見交換などが一通り終わった辺りで母さんから連絡が来た。

 内容は兄さんが迎えに来てくれるというもの。

 家を出る前に母さんに頼んでおいて正解だった。

 アルコールが入ってしまうと、帰りのスシ詰めのリニアレールに乗るのが辛いもの。

 ダメ元で伝言しておいたのだけど、まさかほんとに兄さんが迎えに来てくれるとは思わなかったのだけど。

 疲れてるはずなのに来てくれるんだ……そう思うと少し頬が緩んだのを憶えている。


 理由を話し食事会を早々に抜けだそうとすると、周囲からブラコン発症とか兄スキーとか声が上がったので怒ってみせたら余計にからかわれてしまった。

 言い返したいのは山々だったけど、時間が迫っている事もあって、そのまま教授達に挨拶をして店を出る。

 先に着いて兄さんが来るのを待ち伏せして、どうにか驚かせてやろう。

 そう思ったあたしはニヤニヤしながらターミナルへ向かったのだ。


 でも迎えに来るはずの時間を過ぎても……兄さんは来なかった……。

 悪い考えが……不安が頭をよぎる。

 また何かあったんじゃないのかって……。

 兄さんが事故にあった事を……思い出さずにはいられない。


 五年前に兄さんが事故に巻き込まれて病院に運ばれたと聞いた時は、正直生きた心地がしなかった。

 包帯とギブスとケーブルとチューブ。

 素人のあたしが見ても……一目でまともな怪我じゃないと判った。

 結局助かった兄さんは将来を失ったけど、その事で泣き言一つ言わなかった。

 それどころか一日でも早く身体を動かせる様にと、まだ痛みも残っている頃からオーバーワーク気味のリハビリを始めたのだ。

 高校生になったばかりのあたしには……そんな兄さんが理解出来なかった。

 まだ二十歳になろうかどうかの年齢でこんな理不尽に巻き込まれ、どうしてそう真摯にリハビリに打ち込めるのか。

 そしてなぜ泣かないのか。


 兄さんの元の身体に戻ろうとする意思は苛烈と言っても良かった。

 担当の先生が運動量を抑える様、どうにか説得してくれと泣きついてきたのを憶えている。

 そしてリハビリを続けて半年、もう少し頑張れば日常生活ならば支障が無くなるだろうと言われ始めた頃。

 思い切ってあたしは兄さんに聞いてみた。

 なぜそこまで頑張れるのか、そしてなぜ泣かなかったのかを。

 兄さんは首を傾げ少し考えるとあっさりと答えてくれた。

 

『僕の身体が動かなかったらさ、母さんや恭子が泣くじゃない?』


 一瞬、何を言ってるのか解らなかったが、実に兄さんらしい理由で少し安心した。

 兄さんは家族の負担になる事を幼い頃から嫌っていたからだ。

 小さい頃に家族でどこかに遊びに行くと、遊び疲れて父さんの背中に真っ先に背負われるのはいつもあたしだった。

 兄さんはそれを見てただ嬉しそうにニコニコしてたそうだ。

 母さんが風邪をひいて寝込んだ時も、大丈夫だよと言って母さんの面倒は勿論、家事の負担を仕事で疲れている父さんに押し付ける事を一切しなかった。


『もう僕の身体はもう元に戻らないんだなぁって思ったら、逆に泣けなくって驚いたよ。それでもさ、この動かない身体でこれから先に何が出来るかって考えてたら……案外出来る事もあるもんだって思ったんだ。そうしたら勝手に身体が動くんだもんな。人体の不思議ってヤツなんだろうね?』


 苦笑いをしながら、事故をもう過去の物にしてしまってる兄さんを……少しカッコいいなと思ってしまったのだ。


 その日からあたしは何かにつけて兄さんにちょっかいを出す様になった。

 ほやんと涼しい顔をしてる兄さん困らせてやりたかったし、構っても欲しかったし。


 無事退院して復学した兄さんが教師になるなんて夢にも思わなかったけど、入院中に見つけた出来る事っていうのがそれなんだと思うと素直に頑張って欲しいなと思えた。

 神様もそうそう意地悪では無いはずだ。

 兄さんからこれ以上理不尽に何かを奪い去ることはさすがに無いだろうとあたしは高を括っていた。



 一時間待っても兄さんは来なかった。

 家にも二度電話したが、一度目は話し中で二度目はAIの留守応対だった。

 時間を追う毎に不安の種は成長し、あたしの心臓の鼓動は除々に早鐘の様に鳴り始める。

 ひとまずリニアレールに乗って家に帰ろうと思案した時、あたしの端末も鳴る。

 胸にあった嫌な予感が、現実のものとしてその場に押し寄せたのだ。


 警察にいる母さんから兄さんが事故で死んだとの連絡だった。

 母さんの嗚咽を聞きながら、これはあたしのせいだと思って泣くよりもまず……死にたくなった。

 それでもこのまま母さんを一人にしておけないので、あたしはすぐに母さんがいる所轄局に向かった。


 商業区に向かう幹線道路でトラックの横転事故があり、そこに兄さんの車は止まりきれないで追突したそうだ。

 トラックに積まれていた可燃物が燃え上がり、兄さんの乗った車もろとも吹き飛んでしまったらしい。

 事故現場に駆けつけた警察と消防が、吹き飛んだ事で焼け残ったナンバーから家の車だと割り出し、家に連絡してくれたと母さんは言っていた。

 母さんは職場から慌てて駆けつけて来た父さんの顔を見ると、


「あなた……ごめんなさい……ごめんなさいっ!」


 母さんはそれだけ言ったかと思うと……堰が切れたかの様に大声で泣き出してしまった。

 母さんは謝る様な事は何もしていない。

 全部あたしのせいなんだ。

 その場でへたり込むとあたしも声を殺して泣いた。


 その日どうやって自宅に戻ったかは正直憶えていない。

 きっと父さんが連れて帰って来てくれたのだと思う。


 翌日、現場検証と検死を終えた警察局から連絡があり、うちの車に乗っていたのが兄さんじゃなかったと判った時には心の底から安堵した。

 現場が燃えてしまっていたせいではっきりとした確証は無いが、ブレーキ痕が然るべき場所から見つからなかったという疑惑も残っているらしい。

 事故そのものが偽装と考えられる事から、最近多発している行方不明事件に巻き込まれた可能性があると警察局の担当者が教えてくれた。

 事故から一日のタイムラグは大きく、兄さんの足取りは完全に途絶えているそうだ。


 それでも兄さんはどこかで生きているのかもしれない……その希望にあたし達はすがるしかなかった。


 父さんが親戚の叔父さんに勧められて、とある調査会社に兄さんの足取りの調査を依頼をした。

 その会社は行方不明事件の被害者がいた調査会社らしく、今回の一連の行方不明事件の調査を今まで自費で継続していたらしい。


 それだけでは足りないと、あたしも大学に休学届けを出して自分の足で兄さんを探した。

 警察局ですら掴めていない兄さんの足取りをただの大学生のあたしが見つけられる訳もなく、結局靴ずれを増やして家に帰ってくるだけ。

 役に立たない自分が恨めしくてしかたなかった。


 毎日毎日、身体を痛めつける様に方々を駆けずり回る。

 そうしなければあたしのやってしまった兄さんへの罪はたぶん精算できないのだと。

 あたしがあの日……兄さんに迎えを頼まなければああなる事もなかったんだ。

 あたしが兄さんの替わりに居なくなればよかったのに……そんな考えが頭をよぎる。

 でも結局その考えはただの自己保身なんだと理解してしまい、酷い自己嫌悪に陥ってしまう。

 それでもあたしは兄さんの影を求めて、極東を探し回った。




 -西暦2078年10月7日22時40分-


 そんな日々が続けた甲斐も無く……結局、今日も何の収穫もなく帰宅する事になった。

 事態が進展しない事と自身の不甲斐なさと情けなさで苛立ち、何も悪くない母さんに八つ当たりをしてしまった。

 母さんは黙ってあたしの怒声を受け止めていたのだ。

 

 吐き出すだけ吐き出して我に返ったあたしは、困った様な顔をして目を潤ませてる母さんの顔を見て、とんでも無い事をしてしまったのだと気づいた。

 

 俯いて申し訳無さで俯きながら、出てくる涙を必死に堪えていると……母さんは何も言わずに抱きしめてくれた。

 我慢しきれなくなったあたしはわんわんと泣きながら母さんにひたすら謝った。


 最低だ。

 あたしは本当に最低だ。




 -西暦2078年10月11日18時20分-


 そんな事もあったせいかその日以降、父さんや母さんと今後の事について話し合う以外はずっと部屋でふさぎ込んでいた。


 あれから数日が過ぎた今日。

 夕方前頃に出た電話の相手に驚かされる事になる。

 あたしは用事で出かけている母さんをほんの少しだけ恨めしく思った。


 相手は兄さんの教え子達だった。

 彼等が家に来たいというのだ。

 どうしてもという押しの強さについ負けてしまい、その子達がやって来るのを落ち着かない気持ちで待っている。

 恥ずかしい事だが……彼等と悲しみを共有できるかもしれないという打算もあったのだと思う。


 呼び鈴が鳴ったので玄関から出ると、そこには十数人の中学生がいた。

 何枚もの賞状といくつものメダルを持って。


 兄さんに頑張ったのだと報告したくてみんなで相談して来たそうだ。

 何人かの子は我慢できずに泣いている。

 あたしはこの場に居る事が申し訳無くなり……その子達の顔を正面から見る事が出来なかった。

 

 でもそんな空気を払拭するかの様に、一人の元気な声の男の子がみんなを励ましながらこう言ってくれた。


「お前らシャキっとしろって。お姉さん困ってるじゃん」


 その子の真っ直ぐこちらを見つめてくる目が……眩しくて仕方なかった。


「イクロー先生って時々ボケてるからさ、たぶんどっかで迷子になってんじゃないかなって思うんだ。そのうちフラっと帰ってきてまた学校に来るんじゃないかって、俺はそんな気がしてるよ。お姉さんもそうでしょ?」


 一見失礼なその一言に……あたしは少しだけ救われた気がする。

 兄さんがただ無責任に、こんなに懸命で一途な教え子達を置いていく訳がない。

 ここで待ってるだけって訳にはいかないけど、ほんとにフラっと帰ってきそうな気がしてきたのだ。


「先生が帰ってきたらさ、伝えてよ。先生のおかげで俺達、大会で勝てたって。俺なんかさ、都市大会まで行けたおかげでさ……北部一高に行ける事になったんだ。先生の後輩になるんだよ、俺」


 自慢かーとか坂口のくせになーと言われ、背中をバシバシと叩かれながらも彼は嬉しそうに教えてくれた。


 兄さんの母校であるEブロック北部第一高校。

 水泳が強い事で知られていて、毎年何名かスポーツによる推薦で入学している。

 兄さんもそうだった。


 兄さんの撒いていった種は芽吹いているのだと思うと……あたしも何故か嬉しくなって少し笑ってしまった。

 この子達は兄さんがいなくなった現実を受け止めて……泣きながら生きている。

 それでも兄さんの背中を追って生きていこうとしているのだ。


 今日のこの出来事は父さんと母さんにきちんと報告しよう。

 きっと喜んでくれると思う。

 そしてあたしはあたしの出来る事で父さんと母さんを支えていくと決めた。

 出来ない事で身体や心をすり減らすのはもうやめようと思う。

 兄さんはきっと怒るだろうから。


 兄さんが帰ってきたらまた何かして困らせてやろうか。

 これだけあたし達を泣かせたんだから、その位はやらせて貰ってもいいんじゃないかな。

 家路につく子供達の背中を見ながらあたしはそう思った。

お読み頂きありがとうございました。

引き続きご愛顧頂けると嬉しく思います。

それではまた次回お会いしましょう。


2016.04.29 改稿版に差し替え

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