人物設定 その2(第一部のネタバレを含む為、閲覧注意)
極東陸軍空挺連隊
犬塚 賢三
極東陸軍第一空挺連隊第二普通科大隊・大隊長、階級は二等陸佐。
家族は娘のみで、妻は数年前に亡くしている。
年齢は四十四歳。
陸軍幕僚のゴリ押しによる人事で陸軍輜重局左遷されるも、解放者組織の兵装集積所襲撃の件で元上官である後述の田辺と接触し、無事原隊に復帰。
極東内戦に様々な形で関わっていく事となる。
戦場においては観察力と人心掌握力に長けている『大人』であり、訓練や実戦でもそれが生かされている。
今回のループにおける極東での初めての軍事行動であったテロ鎮圧作戦にて、彼の率いる大隊が『戦闘行動はイメージである』という方針の元に活躍。
陸軍内に部隊の名を轟かせる事となる。
学生時代より磨いてきた空手と日本拳法を以って、個人の戦闘能力としては陸軍では最高峰に位置。
第二師団の重鎮であり、柔術の達人である第七連隊の高野を納得させるだけの技術で、連隊内での不敗神話を構築している。
一転して自宅に戻れば子に過干渉する父親であり、娘である由紀子にはそれなりに煙たがられている。
娘と行動を共にしている青年を道場に連れ去り、稽古と称して可愛がる程に大人気無くなる始末。
娘に甘い、唯の厄介なおっさんに成り下がってしまう。
内戦終了後は空挺連隊に残って極東の治安維持に努めつつ、とある人物の身元の引受の為に奔走しているそうだ。
野口 由孝
極東陸軍第一空挺連隊第二普通科大隊第二中隊・中隊長、階級は一等陸尉。
片山の軍大学の同期であり腐れ縁の三十四歳。
軍大卒業後第四連隊に入営、後に片山と同じタイミングで空挺連隊へと推挙される。
片山から二年遅れで中隊長となるが、極東においては早い出世と言えるだろう。
指揮官としては優秀で、参謀教育も受けており作戦立案も熟すマルチプレイヤー。
犬塚と片山という鬼二匹を抱える空挺連隊第二大隊において、緩衝材役として機能していたが、片山の除隊後に副官のポジションを押し付けられてしまい途方に暮れている。
陸軍本営の作戦では様々なトラップを回避し、多数の敵勢に包囲される中でも冷静な判断力を見せ、アキラを装着重装型の影を感じた地下に投入するという良策を取った。
言葉遣いからは物腰が軽く感じられる事もあるが、義理堅く誠実な対応の出来る人物である。
内戦終了後はこれまでと同様、犬塚の手の回らない部分に手を伸ばす苦労を背負わされているそうだ。
梶谷 尚久
極東陸軍第一空挺連隊第二普通科大隊第四中隊・中隊長、階級は一等陸尉。
片山の軍大学時代の後輩、三十二歳。
除隊した片山の後釜に据えられて、第四中隊の長となる。
古参の兵員達が将校不足の第二師団に引き抜かれる中、空挺に残留させられ無理矢理出世させられたというのが事の真相。
陸軍本営における作戦では第四中隊を野口に預け、隊長不在の第三中隊を率いて策源地を構築、バックアップに努めた。
お調子者であり、よく周りに乗せられ片山にちょっかいをかけては説教と折檻をされるを繰り返していた。
内戦終了後は作戦での経験で戦場におけるロジスティクスの有用性に目覚めたのか、空挺連隊の為にという前置きはつくものの、輜重局へと出向してその方面の教育を受けている。
野々村 哲也
極東陸軍第一空挺連隊・連隊長、階級は陸将補。
選り抜かれた精鋭を率いる四十九歳。
陸軍連隊長勢の中では最年少だが、これは過酷な空挺連隊を率いる為に体力のある若い陸将補が連隊長に据えられる、という陸軍の伝統のせいである。
辛抱強く戦術・戦略眼に長け、解放者組織の旧アジト急襲のカラクリを状況だけで看破した切れ者。
その力量は植木負傷後の境界線戦線でも遺憾なく振るわれ、レーザー攻撃により瓦解しかけていた中央戦線を指揮、その再建に貢献した。
内戦後はこれまでと変わらず空挺連隊の猛者共をやりこめているが、植木の退役と同時に第二師団の師団長に抜擢されるとの噂である。
岸部 充
極東陸軍第一空挺連隊第一普通科大隊大隊長、階級は一等陸佐。
犬塚の同僚で盟友、四十五歳。
犬塚家とは家族ぐるみの付き合いをしており、子の居ない岸部は犬塚の娘を可愛がりに可愛がっている。
片山に引き込まれる形で古典映像収集に目覚める。
特に時代劇に目がなく、『かどや』の常連。
軍人としては犬塚と同様に鬼と呼ばれるジャンルに属する。
空挺連隊内で彼の大隊は仮想敵として機能する事が多く、その辛辣な攻勢術は多数の将兵達の心に傷を負わせている。
内戦後は野々村を支え、今日も微笑みながら将兵達を鍛えに鍛えている。
極東陸軍第二師団
田辺 克章
極東陸軍第二師団第二連隊・連隊長、階級は陸将補。
当年五十八歳。
自己鍛錬の成果だろうが、とても五十代とは思えない筋肉質の肢体を持つ。
今回のループ上における陸軍名家の生まれであり、軍内ではサラブレッドと揶揄される事もある。
実際の血族の流れは第二部にて。
父親が陸軍幕僚長だったせいか軍と政治が結びつく事を嫌っており、出奔する形で第二師団へと入営。
そこで後述の植木と出会い、師団の隙を埋めるべく様々な任務を押し付けられる事で鍛えられた。
その甲斐あってか文官のサラブレッドでありながら、武闘派である第二師団でその頭角を現し連隊長まで上り詰める。
その硬軟を自在に使い分ける手腕は、搦手を得意としない第二師団において重宝される事となる。
門倉雄一郎とは高校時代からの友人であり、盟友。
上記の犬塚や中条アキラの父親は彼の元部下であり、その家族を含めて付き合いを続けている様だ。
内戦が終わっても彼の役どころは大して変わらず、政府と軍の調整に奔走しながら、今後増えるであろう他都市との邂逅に備えている。
植木 吾郎
極東陸軍第二師団・師団長、階級は陸将。
退役間近の六十四歳(極東陸軍高官の定年による退役は六十五歳)。
豪放磊落を絵に描いた様な人物であり、武闘派と言われる現在の第二師団の礎を築いた一人。
戦略眼は師団長になるだけあって確かなものを持っている。
大雑把で飄々とした口ぶりや低目の沸点とは裏腹に用兵は緻密。
細かい部隊運用の性質もあって、第一師団との模擬戦では彼が師団長に就任してからは敗北を知らない。
そのコミュニケーション能力の高さと懐の深さにより、部下達から絶大な信頼を寄せられている事が勝因として大きいとの事だ。
内戦終盤にNブロック境界線戦線の指揮を取った際、師団本部へのレーザー攻撃を受け負傷、瓦礫に埋もれ片足を失いながらも生還。
内戦終了後、解放者組織の技術で喪失した右足の再生移植を勧められたが固辞。
間も無く迎える退役を前にして、病院のベッドで大人しく考えに耽っているそうだ。
高野 邦彦
極東陸軍第二師団第七連隊・連隊長、階級は陸将補。
植木の片腕、軍大学の二年後輩にあたる六十二歳。
第二師団の将兵達に最も恐れられている重鎮で、第二師団が武闘派集団と呼ばれる様になった切っ掛けを作った人物でもある。
合気柔術の達人で脳筋。
作戦構築能力は皆無であり、軍大学時代は片山同じく座学面は壊滅的だったそうだ。
それ故に何故彼が連隊長になれたのかと、第二師団に入営した兵員達が一度は首を傾げる事となる、というのが恒例の光景であったそうだ。
極東内戦では西部戦線を北島と共に支え、師団本部壊滅後は混成連隊を率い中央戦線へ向かい野々村に指揮権を移譲。
自身は空挺連隊の猛者達を率い、東部戦線を小松と共に支えた。
内戦終了後は同期であり鏡写しの相手でもあった北島を失った事が相当堪えたのか、植木と時期を合わせて退役する事を考えている。
小松 義人
極東陸軍第二師団第四連隊・連隊長、階級は陸将補。
春先に還暦を迎えた六十歳。
第二師団のトップ勢としては比較的穏やかな性格だが、訓練実戦問わずに火事場となればその椅子に座るだけに相応しい苛烈さを表に出す。
境界線戦線では東部戦線を守り、植木不在時の混乱の中でも堅実な部隊運用を損なう事無く、作戦終了まで戦線を支えきった。
終戦後はこれまでと変わらず第二師団に残り、植木の後釜になるであろう野々村をどう鍛えようか吉川と二人で画策しているそうだ。
吉川 廣明
極東陸軍第二師団第五連隊・連隊長、階級は陸将補。
第二師団の連隊長陣の中で最も大きな体躯を持つ五十九歳。
寡黙な人となりに合わせた様な用兵を好み、静かで確実な部隊運用には定評がある。
かといって彼の隊の将兵が弱兵かと言われればそうでは無く、単に不言実行を絵に書いただけであり、訓練濃度は第二師団中で最も濃いと言われている。
レーザー攻撃による師団本部崩壊の中、高野の混成連隊の増援と野々村の采配が浸透するまでの間、戦力比が倍以上あった中央戦線を部下と共に支えた。
終戦後も第二師団に変わらず籍を置き、新師団長の登用を静かに待っている。
若松 裕二
極東陸軍第二師団第二連隊第二大隊第三中隊・先任下士官、階級は上級陸曹。
年齢は三十一歳。
高校卒業後第二師団へ入営し、人柄と本人の昇進を望まない希望もあり下士官に留まっている。
政治犯収容施設襲撃作戦の際に、近隣の訓練施設で訓練していた所に出撃命令が下り郁朗達と戦闘。
第一師団との人事交流で赴任し部隊を率いていた中隊長が逃げ出した事から、即座に降伏を選択。
その判断力を買われ田辺の手により門倉の護衛に抜擢されてしまう、ある意味で貧乏クジを引きまくるという負の連鎖を味わった男である。
内戦終了後まで門倉のガードを油断無く務め上げ、ようやく一息ついた所で田辺から三尉候補者課程の受験を命令され頭を抱えているそうだ。
極東陸軍第一師団
藤山 薫
極東陸軍第一師団・師団長、階級は陸将。
植木と同期にあたる六十四歳。
その人柄と人望で自身よりも早く師団長となった植木に対しコンプレックスを抱いていた。
自身が師団長になってからもそれは変わらず、その政治力と使い機構と接触。
部下達を犠牲にする事で極東を握ろうと画策したものの、解放者組織アジト襲撃の際における九体のEOの過剰な行動の責任を取らされ、脳髄のみの存在にされる。
数多くの脳と連結された事で思考の速度が上がった事を好意的に受け止め、そのまま機構をも飲みこもうと様々な策を巡らせる。
だが結局はE小隊や空挺の面々の活躍によりその計画は頓挫する事となった。
彼のその後については第二部にて。
北島稔
極東陸軍第一師団第三連隊・連隊長、階級は陸将補。
高野と軍大学で同期であった六十二歳。
高野とは学生時代からの犬猿の仲であり、彼とは正反対に座学の成績はトップクラスであった。
元々は第一師団の正当性を信奉し、内戦開始前から接触のあった高野の言葉を鼻で笑っていた。
だが第一師団の人間による学生の集団誘拐未遂事件の結果から、高野の言葉の正しさを認め師団と袂を分かつ。
その後は第二師団と協調し行動、彼の育て上げた第三連隊のマルチプレイヤー達が戦場の各所で活躍する事となる。
第二師団本部壊滅後に高野の連隊と兵を半数づつ分けて混成連隊を編成、彼を中央戦線への増援として送り出した。
自身は預かった混成連隊と共に高出力レーザーの第二射を阻止すべく、レーザー発振施設と周辺部隊を包囲強襲する。
戦闘の終盤に流れ弾のミサイルが乗車していた車両を直撃、その横転の際に頭部を強打して死亡。
彼のその事故による突然の死は、戦場の無情さと生命の儚さを関係者達に刻み込む事となる。
極東海軍
古関 英二
元極東海軍第三連隊所属、水名神艦長を経て現在は嘱託の指導官として海軍に所属。
六十七歳。
定年で退役後、料理を趣味としながらのんびりと過ごしていた所、カドクラの萩原によって水名神の艦長就任を打診される。
極東や古巣がおかしくなっている現状を聞かされ、それを受諾。
実の所陸の生活に退屈しており、孫にやる小遣いを稼ぐついでに船に戻れると小躍りしていたそうだ。
ブリッジクルーの指導も兼ねており、彼を含めた爺さん達の指導は恐ろしく厳しいものであった。
だがその指導内容は的確であり、短期間でブリッジクルーを一人前に育て上げた事を千豊達に感謝されている。
内戦終了後、兵員の半数近くが離脱してガタガタの海軍を立て直す為に、嘱託ではあるが鬼となってその指導力を遺憾なく発揮している。
近江 潤三
元極東海軍第三連隊所属、水名神副長を経て現在は嘱託の指導官として海軍に所属。
六十七歳。
古関と同じく、カドクラの萩原に打診され水名神副長に就任。
その理詰めの攻め口は郁朗に酷似しており、言い包められる古関の姿が頻繁に水名神のブリッジで目撃されている。
退役後の趣味として極東の兵器技術史を個人で編纂しており、極東の軍事技術の水準に疑問を持っていた。
彼のその推論が後の郁朗の動向に大きな影響を与える事となる。
近江のこの推論の存在が無ければ、郁朗と甲斐の直接対決は実現しなかった可能性も高い。
内戦終了後も古関に同行。
古巣の海軍を立て直す為に尽力している。
地表帰還開発機構
甲斐 礼二
地表帰還開発機構極東支部・統制長。
五十二歳。
世襲である機構の統制長の座を、二人の兄を蹴落として奪い取る。
統制長に就任と同時に、表面上は従いつつもイーヴィーから与えられた役割を放棄。
極東を起点として地表に返り咲き、他都市の勢力をその手に握るつもりであった。
戦い奪い取る事を何よりの是とし、自身の闘争を何よりも楽しんでいる。
それは地表に戻った後に待ち受けているであろうイーヴィーとの戦いすらも、その広い視野に入れていたという事が大きいのだろう。
彼によりイーヴィー反抗への動きが促進された事で極東での千豊の活動にも影響、彼女のプランの進行を数年早めてしまう。
タイミングが合えば解放者組織と機構極東支部は協調してイーヴィーと戦った、というIFも存在したのかも知れない。
極東内戦時点で末期のパーキンソン病であり、自発呼吸も不可能な段階にまで至っていた。
だがイーヴィーの技術による義体を数体確保していたのでその活動に支障は無く、攻勢体と呼ばれた彼の戦闘用の義体は郁朗をあわやという所まで追い込んだ。
最終的にエクスドライブを使用した郁朗に敗れるものの、最期のその声は穏やかで満ち足りたものであった。
郁朗との決着で死亡した彼の亡骸は、装着重装型・四号により何処かへ持ち去られた。
早村 社
地表帰還開発機構極東支部・統制長補佐官。
甲斐に付き従う五十四歳。
早村の家は甲斐の家と違い、継子を複数成さない。
統制長と同じく世襲制である次代の補佐官として、彼はそうなるべく生まれた存在と言える。
甲斐の家に付き従う者として、彼の思想に同調しイーヴィーに反目。
そうしながらも自身の家の役割として、影で甲斐の家を守る算段を立てていた様である。
存在が知られれば謀殺されていたであろう双子を辻に預け逃し、自身と甲斐のクローンすら創造していた痕跡が残されている。
彼なりに甲斐の血を守るという家の役割と、甲斐自身への忠誠に挟まれての苦悩を抱えていたのだろう。
機構本部をにて双子と邂逅し、彼等の出生の秘密を話した後に装着重装型・五号により殺害される。
彼の遺骸はそのまま五号により運び去られた。
お読み頂きありがとうございました。
引き続きご愛顧頂けると嬉しく思います。
それではまた次回お会いしましょう。
2016.09.06 改稿版に差し替え