1-15 蟻穴からの行き道
-西暦2079年3月7日03時05分-
郁朗の破壊活動は終了し、その傍らにはその場に設置されていたはずのゲートが柱ごと置かれていた。
必要以上に壊すまいと丁寧に削られた根本を見る限り、車両の通過後は元に戻すのだろう。
本来なら警戒されて然るべき場所なのだが、根回しの成果かこの場には巡回する人間すら居ない。
輝度の落とされた小さいオレンジ色の照明が見守る中、戦闘班の人間に誘導されて車両が施設内に入っていく。
本来ならばここの入庫した車両は貨物レールへのコンテナ移送の為、ガントリークレーンのあるエリアへ向かう。
だがこの集団に関しては別の場所へと向かっていた。
「はー……。あの話って本当だったんだね。まさか鉄道局まで動かしてるなんてさ。千豊さんてほんとに何者なんだろうね?」
『いや、これはハンチョーのコネらしい。なんでも貨物部のトップが古馴染みなんだそうだ。鉄道局の全てがこちら側って訳じゃないが、それでもこうやって抜け道を用意してくれるってのは有り難いもんだな』
「へー、あのハンチョーのねぇ」
郁朗は片山と周辺警戒をしながら話していたが、あの緩い作戦概要を決めた日の事を思い出していた。
「実はですね、撤収ルートとその時間は既に決まっているんです。兵装集積所を出た後に我々は近隣の貨物ターミナルへ向かいます」
ブリーフィングルームの中がにわかにどよめき始める。
「新見班長、貨物ターミナルって……貨物レールの強奪でもするんですか?」
戦闘班の一人が新見に尋ねた。
「いえ、そこまでの時間はありません。ですので貨物レールの構内へ直接車両で入り、貨物経路を走破して撤収します」
室内のどよめきが一層強くなった。
「でも新見さん。施設にだって構内にだって……それこそ経路にだって監視のカメラが設置されてるでしょう? それに貨物経路を抜けた所で他の地区の物資集積区に出るだけじゃないんですか?」
郁朗の質問を想定していたのだろう。
新見からは澱みの無い答えが返ってきた。
「そこが今回の撤収方法のキモなんですよ。まず作戦当日の03時00分から05時00分までの間、逃走に使用する施設を含めた……鉄道局貨物部の管轄下にある監視カメラのデータ蓄積サーバーがダウンします。これは外部からの干渉で止める、という事では無く、サーバー機器の交換という名目になっています」
「その工事内容自体がこちら側の根回しで、という事ですか?」
「工事自体は我々の根回しなんですがね、元々貨物部のサーバー機器の交換は予備に繋がずに停止させてやるのが慣例なんだそうです。予算の関係だそうですが……今回だけ特別という訳では無いので、先方には何の迷惑もかかりません。穴を開けておくのでどうぞ好きに抜けていって下さい、と言った所ですね」
一息間を置いて新見が説明を続ける。
「構内への侵入と監視カメラの扱いについては……まぁ当日の物理的な段取りはありますが、そちらはまた後日という事にして以上となります。次は経路から抜ける先なんですが……皆さんはこの地下都市の区分けというものについて、どの程度ご存知です?」
唐突な新見の質問に、その場にいる全員が一斉に郁朗の方を向いた。
彼が元教員である事は周知の事実であったのでそうなったのだ。
郁朗はやれやれと思いながらも、極東の都市構成の概歴を語り始めた。
「元々移住当初の極東の都市構成は長方形であって、今の様な楕円の構成じゃ無かった訳です。都市設計が楽だからね。でも建造物の老朽化の問題が出始めた時に、廃棄地区を作って今の楕円の形に移行しました。移住最初期の都市だったSブロックから工事を始めて……最後は確かNブロックだったかな」
「おー、Nブロックの工事が始まったのなら憶えてるな。俺が中学に入学した年だから二十年前か。あー……タマキが生まれる前かよ……」
片山が自身と環の年齢差に黄昏れているが、相手をするのが面倒だったのか、郁朗はそれを完全に黙殺する。
「さすが社会科教師ですね、よくご存知でした。で、ここからが肝心なのですが……当時は工事の際の資材運搬の必要性から、新しい貨物レールの経路を構築する事が最優先されたんです。それを最優先したばかりに、手が回らなかったんでしょうか。古い貨物レールの経路がですね……未だに埋められずにそのまま使える形で残ってるんですよ。鉄道局内……それも貨物部内だけの部外秘らしいですがね。そいつを今回拝借します」
新見が媒体からあるデータを呼び出すと、テーブルには蟻の巣のような経路図が映し出された。
青と赤で彩られたそれは、見ようによっては人の血管の様にも見えた。
「古い経路ですから、我々のアジトのある廃棄地区にも当然繋がっているんです。出口の方は既に整備して使える様にしてありますからご安心を。今後も利用する事があるでしょうから、この様な経路が極東には存在している、という事も憶えておいて下さいね」
戦闘班の班員達は互いの顔を見合わせ、何か合点のいった顔をしていた。
新見主導で先日、アジト近隣の廃棄された貨物ターミナルの藪掃除を、擬似寒風吹きすさぶ空の下でやらされたのを思い出したのだ。
「とまぁ、逃走経路に関してはそんな感じですかね。当日はこれを使って上手く逃げ遂せましょう。何か質問は?」
「おい、イクロー! ボヤッとすんな! 時間はあんまりねぇんだぞ! 最後の車両が構内に入った。ゲートを再埋め込み、その後先頭車両にイクロー、最後尾に俺とタマキで周辺警戒しながら出発だ。とっととかかれッ!」
記憶の端へ意識を持っていかれていたせいだろうか。
いつの間にか誘導作業は終わっていた様だ。
郁朗は側に来ていた片山に叱責され、慌ててゲートを地面に埋め込む作業を開始する。
「ごめんごめん。よっと! 逃走経路の事思い出してたらボーっとしちゃったよ。どうしたって突拍子も無くってさ」
「気持ちは解かるがな……フンッ! 俺達みたいな山賊にはお似合いの逃走経路って事だ。よいさっ! よし、降ろせッ!」
最小限の破砕で地面から抜かれたゲートの支柱が、丁寧に挿し込まれ元の位置へと戻る。
柱の周囲にコンクリートの割れた痕跡はあるが、気になる程の大きな割れ目でも無い。
即座に気づかれて当局の追求を受ける、という事も無いだろう。
郁朗達が先頭車両に飛び乗ったのを確認すると、新見が出発の合図を発した。
貨物レール用の地下経路を、車体をにわかに揺らしながら車両群は進んでいく。
固定型のリニアレールなので、地面にはレールを含めた凹凸物がそれなりに存在するせいだろう。
「ねぇ団長。柱の根本のコンクリさ、ちょっとだけ割っちゃったけど……あれって誰か直すのかな?」
『ああ、それな。元々明日工事する予定になってる。うちの整備班が行って、ゲートそのものを新品に交換するんだと。サビが浮いてたのは本当だしな。工事の発注自体二ヶ月前にされてるから、そこから足はまず付かねぇよ』
『カカカッ。山中の兄ちゃんもなんか愚痴ってたな。工事技師じゃないのにだか罰だなんだだかブツクサ言ってたわ』
「気の毒だなぁ。でもまたなんかやったのか、あの人……」
いくらか余裕が出てきたのか世間話が捗った。
何事も無く一時間強進んだ所で先頭車両が停止した。
先頭車両の助手席から新見が降りると、壁面に巧妙に隠されているパネルを操作し始めた。
郁朗がパネルに通電している事そのものに驚いていると、ゴウンゴウンと重たい音を立て、壁面と思っていた箇所が上にせり上がりだす。
長年塞がれていた経路の入り口という事で、劣化も汚れも酷いものかと一同は思っていた。
だが清掃用オートンによって汚れているどころか綺麗に清掃されており、端で見る限りにはただの壁面にしか見えなかったのだ。
「これなら通過した痕跡を大きく残さないで済みそうです。片山さん、最後尾車両の通過後に内側の端末からゲートを閉じて下さい」
『了解した。こんだけ綺麗にしてりゃあ、まさかここが廃路線と繋がってるなんて誰も思わねぇだろうな』
「本当にそうですね、今後この経路を使う機会は多くなると思います。いっその事どこかに直接、この廃路線から出られる場所を設けるのもいいかも知れませんね。それでは各車前進、出発します」
新見が通信を終えると先頭車両が動き出した。
少しだけ進んだ所で一旦停車し、最後尾からの連絡を入るのを待つ。
しばらくすると開いた時と同じ様な音が郁朗の耳に届く。
無事にゲートを閉じる事が出来たのだろう。
そこからの道程はほぼ順調と言えた。
一度だけ進入する路線を間違え、少しばかりの遠回りする事になった。
だがここまでの逃走が叶った状況では、その程度のロスも彼等にとっては些細な出来事でしか無かった。
そして廃路線に入って六時間後、どうにかアジト近隣の廃ターミナルに到着する事が出来たのである。
ターミナルから車両群と共に外に出ると、既に日の出の時間を過ぎていた。
緑との同化を始めつつある廃棄地区の建造物が、寒空の中でいつものと変わらない高輝度照明に照らされている。
EOの三人はともかく、夜通しで作戦に参加した戦闘班の面々は疲労の色を隠せない様子である。
輝度の高い照明に幾らか目をやられて、皆眩しそうにしていた。
損害0、目標物確保、痕跡は最低限。
最初の作戦行動としては満点に近い出来、と言っていいだろう。
『ようやくお国の空気が吸えたな。アジトまでもう少しだ。引率頼むぞ、イクロー先生』
「まーた変な事言い出したなぁ……ゴホン。アジトに帰るまでが作戦です。迷子にならない様に隣の人とちゃんと手を繋いで帰りましょう。お土産はアジトに帰ってから開けるように。いいですね?」
『『へーい』』
片山と環がわざとらしくそう返事をすると、徹夜明けの妙なテンションのせいだろうか。
戦闘班の皆が一斉に笑い出した。
作戦を無事に終えたという実感が、彼等にも湧いてきたのだろう。
余談ではあるが、本部との通信がオープンになっている事を新見が伝え忘れ、オペレータ班によりこの内容が録音されていた事を郁朗はまだ知らない。
この録音内容がアジト内の腐った一部好事家達の間で、それなりの高値で取り引きされる事になるのだが……それはまた別の話である。
到着した車両群からは、次々と軍需物資が降ろされていく。
戦闘班は到着と同時にシャワー室へ向かい汗を流し、全員が仮眠室へ直行してそのまま泥の様に眠っている。
郁朗達は初の実戦という事もあり、整備場で負荷のチェックと細部までのメンテナンスを受けている。
兵装用の倉庫に物資が搬入されていく様を、千豊と整備班班長の倉橋公人が見つめていた。
「アレの建造ももうじき始まる。これから忙しくなるぞ。嬢ちゃんよ……次はこいつらを使ったドンパチって訳なんだが……一体何人死ぬ事になるんだろうな……?」
倉橋は半分白髪になった頭を少し掻き、鬱々とそう言った。
「倉橋さん……それは今は言いっこ無しでお願いします。せめて彼らが運用しやすい様に改良をお願いします」
「ああ、出来るだけの事はしよ「ハンチョォォォォォォォォォ! 俺にも盗って来た兵装いじらせろォォォォォォォ!」」
偽装の為に実在しない工務店の名前を書いてある四トントラックが、千豊達の前を颯爽と走り去って行く。
建材固定用のワイヤーで縛られた山中を乗せ、彼の絶叫のドップラー効果を残したまま疾走し消えていった。
「……彼はまた何かやったのかしら……」
「…………冷蔵庫に隠しておいた俺のいちご大福を食うからだ……バカタレめ」
「ハァ…………」
ここで改良される兵器達が、極東の地に誰かの血を撒き散らす事になる。
だが運命の神の求める血量には……そう簡単には届く事も無いのだろう。
それを確信している千豊は……ただ物憂げに目の前の風景を見つめている。
欲を求める者、自由を求める者、平穏を求める者。
既に様々な人間を己が巻き込んでしまっている事を感じつつ、その事をどうにもできない千豊は……ただただ兵器の山を見つめ、眉をしかめるしか無かった。
西暦2079年春。
今回の戦いを狼煙として始まった騒乱は……まだその序幕を終えたばかりである。
第一幕 完
お読み頂きありがとうございました。
引き続きご愛顧頂けると嬉しく思います。
それではまた次回お会いしましょう。
2016.04.29 改稿版に差し替え