7-17 汝、戦う者たれ
-西暦2079年7月24日09時35分-
ゴウン……
ゴウン……
郁朗は音を立てて地下階層へと下っていくエレベーターの、その広さを持て余していた。
さすがに最先端の技術力を持つ機構の研究施設、その頻度の高い運搬や搬入に使われる事だけはあるのだろう。
二十メートル四方程の広さの床面が、そのままスライドして地を降りていく様は圧巻であった。
このエレベーターは垂直に下るのでは無く、レールを軸としたモノレール方式で下っている。
搬入される資材の重量を考えれば、ワイヤーだけでは強度が足りなかったのだろう。
速度もそれ程速いものではなく、身体にかかる重力への抵抗も然程に感じなかった。
(それでも……随分と潜るんだな……何かとんでもないものを秘匿してるんだろうから、それもそうか……)
ただ気になるのは、現在潜っている位置がバイザーに映るマップデータ以上の深さにあるという事だ。
千豊が端末から抜き取ったマップデータは、この本部ビルのセキュリティから抜いたものだ。
それに表記されていないという事は、ひょっとすればこのエリアは機構という組織にすら秘匿されていた場所なのかも知れない。
そう郁朗は予測を立てる。
どんな施設が、そして甲斐が自分を待ち受けているのか。
邂逅から即開戦という事は、甲斐の性格を考えれば有り得ないだろう。
だが甲斐の用いるであろう戦闘手段は、恐らく未知のものであり予想がつかない。
出来る限りの事態は想定しておくのがいいのだろうと身構える郁朗であった。
ズシン……
静かにエレベーターが停止すると、乗った時と同じ空気を排出する音が鳴った。
音を立てて開かれた扉の先に見えたのは短い通路……そして巨大な隔壁であった。
『ようこそ、最果ての地の底へ……とでも言えばいいだろうかね? 藤代君』
隔壁側から響いてくる芝居がかった甲斐の声は、僅かではあるが郁朗を苛立たせる。
「御託はいいんですよ。わざわざ呼びつけておいて、玄関を閉じてるなんて。僕に何かをやらせたいなら、それなりに迎え入れる位はしてくれませんか?」
『フフフ……そう焦らなくてもいい。直ぐに戦り合う事になる。隔壁を開こう。入って来たまえ』
厳重に外界から切り離されていたのだろう。
幾つもの機械音を奏でてロックが外れると、隔壁はその厚さと重量をゆっくりと引き摺りながら、その口を大きく開き始めた。
一分と数十秒。
それだけの時間をかけて隔たりを解かれた戦場となるその場を、ようやく郁朗のカメラアイが捉える事となった。
地下施設にしては広い……競技場とでも言えばいいのだろうか。
二百メートル程の長辺とその半分程の短辺から構成された長方形のグラウンドである。
地面は摩擦係数の高そうな合成樹脂素材で慣らされたハードコート。
内壁はそれ自体が光源になっているのだろうか。
ガラスでは無いのだろうが、透明な物質で覆われた弱めの照明がフロアを照らしている。
視線を巡らせると、内壁の一部に透過している箇所があった。
そこへとカメラアイの望遠を向けると、複数の何かの機材が見える。
それは転化施設で見たそれによく似ていた。
「こんな所で徒競争でもする気ですか? 運動会にはまだ幾らか季節は早いですよ?」
明らかな郁朗の挑発。
だが甲斐がそんな安い挑発に乗る訳が無く、淡々と彼を迎え入れるだけであった。
『君は論理的かと思えば、堰を切るが如く好戦的にもなるのだな。まぁ……後者は本気の時と芝居がかっている時がある様だが……物事には順序立てて進めなければならん事もある事は理解して欲しいものだな』
「僕の性格の分析なんかは……それこそあなたの死に際にでもやって貰いたいですよ。自分で対面を望んでおいて、姿も見せないなんて……そういう行為が迎えた相手に対して失礼だと、甲斐の家の帝王学で教わらなかったんですか?」
『それはそうだな……では姿を晒すとしようか。だがね、相手の事情も知らずに責め立てる君のその姿勢も、場所と場合によっては失礼だという事を憶えておきたまえ』
甲斐がそう言うと、郁朗の視界の端に入っていた転化施設と思しき場所に動きが見える。
複数の運搬作業用オートンが蠢くと、一本の巨大なシリンダーに見える何かをガラス面に見えるように慎重に直立させている。
郁朗はカメラアイの望遠を適正距離にして、シリンダーの内部を窺う。
液状物質の中に一つの影。
彼がその中の存在を正しく認識するまでに数秒かかった。
(それでか……)
郁朗はその認識を得て、何かに納得していた。
甲斐が何故この期に及んで姿を見せないのか、その理由が判ったのだろう。
シリンダーの中には……人が収められていた。
年齢的に初老の男性だろう。
郁朗はそれが甲斐である事に確信を持った。
「……あなたは……あなたはそんな身体で僕と戦うと言ったのか? それじゃあ戦い様が無いじゃないか! それとも……ただ僕に、そんな身体の自分を殺させる為だけに……そんな事の為に呼んだっていうのかッ!?」
『……敵勢力の首魁を……それもこんな姿でいる所を、直接目にして動揺する気持ちは判らんでもないがね。私が選んだ牙ならば、もう少し堂々と構えて貰いたいものだな』
「……こんなものを見せられて……混乱するなというのが無理な話とは思いませんか?」
『確かに私の身体はご覧の有様だ。パーキンソン病は知っているかね?』
「知っています。少しづつ身体を蝕まれていく病気だという事くらいは……」
『その認識でいい。少しづつ壊れていく自分を見るというのはね……私にとっては滑稽なものだった。この病気と診断された時……数分だけ絶望した後は、笑うしかなかったのだからね。その結果と言えば我ながら陳腐とも思うが……この事情を抱えていた事もあって、私は急ぐ事にしたのだよ』
「……何をですか?」
『人類を地表へ返す事を、だ。元よりそのつもりだったんだがね……奴らの干渉を掻い潜るのには骨が折れたよ。チャンスは一回きりと考えれば……君の様な保険を用意したくもなるものだ』
「奴ら……? 保険……? 話が散りすぎていて解かりませんよ。そんな事と僕とあなたの戦いに何の関係があるんですか? 煙に巻くだけのつもりなら、今直ぐそのシリンダーを叩き壊してもいいんですよ?」
『これも必要な話だ。我慢してくれたまえ。まずは今の私の身体と対面して貰おうか』
天井からガチャリと何かの外れる音がした。
続いて何かの機械音が継続して鳴ると、天井の一部が郁朗の眼前に降りてくる。
その天井に乗せられている二つの物体。
一つ……いや一人は人間にしか見えない。
その姿には郁朗も見覚えがあった。
だがもう一つの物は……郁朗自身を含めても、異形と呼ぶしか無い風体をしていた。
「これが……? 二つともあなたの身体だと……?」
『そういう事になるな。そちらの私の姿を完全に模倣してある義体は、君にも見覚えがあるだろう? ここ十年程だが……公の場に出る際はそちらの身体を使っている』
郁朗はその言葉の意味に気付くと、思考が殴られた様な間隔に陥った。
「待って下さい……それがあなたの義体なのだとしたら……そんな昔からそれ程の技術が極東にはあったって事なんですか!? そんなの……そんなの出来の悪いSFみたいじゃないですかッ!」
『……その出来の悪いSFを演じているのだよ、我々は。信じられないのならば、その身体を動かしてみせようか』
そう言った瞬間には、甲斐の人型の義体は動き出していた。
「どうだ? 私のこの表情や動きがプログラムされたものに見えるかね? 私と繋がり、私を演じる……これはそういう機能を持たされたアンドロイドなのだよ」
「今の極東の技術でそんな事が――」
「出来る訳が無い……本当にそう言い切れるのかね? まずは自身の身体を聞いてみるといい。まさかとは思うが……君の身体がどれ程のオーバーテクノロジーの塊かを自覚していないのか?」
「…………」
確かに甲斐の言う通りである。
恐らくこれは千豊達が郁朗に隠している事柄の一つなのだろう。
『機構から流出してきた技術を改良して使っている』
その言葉だけを聞けば納得出来るだけの技術者が、千豊の組織には居たという事が大きい。
だが倉橋や唐沢の存在というのは……極東の技術水準からいけば、明らかなイレギュラーである。
「君の身体を覆っている装甲材等もそうだが……最大の疑念は君のその動力源だ。我々の元から流出した葉緑体駆動システムを改良したのは判る。だが……君達が個々に持つその性能は異能と言っていいものだ。葉緑体駆動システムを改良した程度の事で、性能として付与出来るレベルのものでは無い」
「なら……僕の身体はそうなのだ、という事にしましょう……でもあなたの身体の方はどうなんですか? そこにあるオーバーテクノロジーはどこから手に入れたものなんです? 前世紀の遺産……なんて事は言わせませんよ?」
「それについては現状では黙秘させて貰おう。それを知る為には……相応の資格が必要となる」
そう言うと甲斐の義体は、軽い足取りで乗ってきたエレベーターへと戻る。
「ここまで来ておいて、何も知らずに帰る事なんて出来ませんから。その資格があなたを打倒するという事なら……それを成すまでです」
『そうだ……その覚悟こそが君なのだよ。牙としての義務を果たしたまえ。そうすれば全ての謎を手にする事が出来る』
「御託はいいと言いました。で? 僕はこれを相手にすればいいんですね?」
もう一体の存在。
異形と断じた理由……それは義体と比較すれば、それこそSF作品出てくるロボットそのものであったからだ。
「そうだ。便宜上、攻勢体と呼んでいる機体だがね。玩具にも見えるだろうが、見た目だけでこれの性能を判断しない方がいい」
角ばった装甲を持つ、重そうなフォルム。
そのエッジの利いた装甲は二足歩行で動く存在でありながら、全く血の通わない印象を抱かせる。
機体そのものが、自身は兵器であるという事を酷く主張しているのだ。
(見かけ通りに考えれば、反応も含めて鈍重って事なんだろうけど……甲斐の言葉に嘘は無いだろうから、それは無いと思っていいだろうな。極東以外の未知のテクノロジーを使っている事を……彼は認めたんだから……普通の機械な訳が無いんだ)
フィーン……フォンフォンフォンフォンフォン……
EOとは違う機械的な駆動音が徐々に大きく鳴り始める。
頭部のゴーグルに光が灯るのが郁朗にも見えた。
まるで目覚めの時を待っていたかの如く光ったそれからは、戦意も殺意も感じられなかった。
ただ当たり前に……人が呼吸をするのが当然の様に、甲斐は戦いを日常のものとして受け入れているという事なのかも知れない。
郁朗は攻勢体の観察を続ける。
未知の兵器である存在が、四肢を持つ人型をしていた事は郁朗を幾らか安心させた。
相対した事のある形である以上、ここまでの戦闘経験を活かせるからだ。
兵器でありながらも人としての構造から極端にかけ離れない理由は……操る者があくまでも人である。
そういう事なのだろう。
『少し距離を離そうか……いきなり殴り合うというのでは、さすがに興が醒める』
「お好きに。撃ち合うのでも殴り合うのでも僕は構いませんよ?」
『そう言うな。この身体を動かすのは久し振りだからな。少しは闘いを楽しみたいという私の気持ちも理解して欲しいものだ』
「何を……殴り合うと判っている相手と馴れ合える程、僕は優しくはありません。それに戦いを楽しんだ事なんて一度も無いッ!」
郁朗は一刻も早い戦闘の開始を望んでいるのだろう。
これ以上甲斐のペースに巻き込まれるのは御免であるとばかりに、郁朗はローダーを逆走させ攻勢体と距離を取った。
銃撃戦を行うにはフィールド自体が些か狭く感じる。
それは相手も同じだろうと、郁朗はその事に構う気は無い。
逆に甲斐のシリンダーに対して『舐めるな』という警告も兼ね、数秒の斉射を見舞おうかとも思った。
だが効果が無いと思われる攻撃を仕掛ける程、郁朗も馬鹿では無い。
敵と認識したものに、尖った感情を向けるのは構わない。
が、それだけで動いてはいけない事もまた、この半年余りで彼が学んだ事である。
それだけで動いてしまうのは最後の最期の時であると。
(装備は……全部問題無いね……)
眼前のバイザーにチラリと目をやり、兵装の接続不良の赤いアラートが出ていない事を再確認する。
郁朗の現在の装備は71式改と、もう馴染んで使い慣れてしまった粘着硬化弾。
先の七号戦で使用した新型素材の可変ガントレット。
そして今回は珍しくテーザーワイヤーポッドの二式を装備してきている。
EOの兵装としては、些か過剰な対人兵装であるこれを選択した理由。
それは……何としても甲斐を自由にはさせないという、彼の想念が用意させたのかも知れない。
移動を継続し距離を取る攻勢体をカメラアイから外す事無く、郁朗は71式改のモーターへの給電を開始する。
ヴィィィィィィィィィィィィィ…………
攻勢体の駆動音を打ち消すかの如く、モーターは大きく唸る。
背部にある弾倉は、ビル内という閉所での戦闘を考慮したハーフサイズの九百発。
(ん……そうだ。これを……)
甲斐との距離を考えれば弾倉は撃ち切られる事無く、残弾を残したままパージされると郁朗は予測している。
初弾の撃ち合いが終われば距離は瞬時に縮まり、あっという間に格闘の間合いとなるだろう。
故に背部のマウントからそれを下ろし、空いている左腕でがっちりと保持した。
彼なりに弾倉を無駄にしない、何らかの攻撃手段を思いついたに違い無い。
全ての準備を終えた郁朗は、攻勢体の戦闘開始位置への到着を僅かばかり待った。
その歩みは遅いものの、鈍重さは感じさせないものであった。
(団長に言わせれば……三味線弾いてんじゃねぇって感じかな……)
焦らされている感じはしない。
単純に甲斐が操作のマッチングを兼ねて、機体で地を踏む感触を楽しんでいるだけなのだろう。
『ではそろそろ始めようか。準備はいいかね?』
「勝利と敗北の定義は?」
『君は死亡を含めた動作不能、それで敗北という事でいいかね? まぁ、四肢をもがれても戦う気力があれば……戦闘を継続して貰っても構わんよ』
「……あなたは?」
『その機体へのリンクが切れたら、という条件でいこう。ただこの機体は生半可な事では停止しない。改めて覚悟をした方がいい』
そう言ったのを最後に、甲斐の意識は完全に攻勢体にリンクしたのだろう。
彼の声の発せられる場所が天井のスピーカーから、攻勢体のそれに変わった。
【では始めるか。今から義体を降ろしてきたエレベーターを戻す。床面に安全確認の為の識別灯があるのを確認してくれたまえ】
先程二体の義体を乗せてきたエレベーターが、僅かにその場から浮き上がる。
甲斐の言う通りエレベーターの無くなった床面には、赤く光る発光体が幾つか存在していた。
【エレベーターが天井に到達すると青に変わる。それを合図としよう】
「……好きにして下さい」
郁朗がそう言うと、エレベーターが上昇を始める。
彼と攻勢体の発する様々な音のせいで、その機械音は完全に打ち消されていた。
(僕は探求者という訳じゃないけど……あの人達と先に進むって決めたんだ。どうしたって勝たせて貰う……ここで引く気は無いッ!)
そんな郁朗の気合を移すかの様に、脚部にローダーのモーターは挙動限界ギリギリの所まで回されている。
爪先立ちとなっている彼が、踵を落とした瞬間に高速走行を始めるだろう。
一方で甲斐の操る攻勢体は構えの一つも取っていない。
どの様な状況からでも開戦可能だという、機体と操作システムへの自信の表れなのだろう。
【楽しませてくれ……直ぐに終わるんじゃないぞ?】
甲斐がそう言うと同時に、エレベーターは天井に吸い込まれ……床面の識別灯は青へと輝きを変えた。
甲斐礼二という男の真意は未だ見えない。
ただ……彼が動かない身体と強固な意思を以ってして、極東を握りにかかったという事だけは郁朗にも理解出来た。
この年の春先から顕在化した極東の内戦。
その行末を決定する、最後にして最大の激突が開始される。
郁朗は果たして彼を打ち倒す事が出来るのだろうか?
決着の行方を決める最初の一手。
一人の観客も居ない地下のコロッセウムにて……二体の異形は終結に向けた固い意思を乗せ、互いにその一歩を踏み出すのであった。
お読み頂きありがとうございました。
引き続きご愛顧頂けると嬉しく思います。
それではまた次回お会いしましょう。
2016.09.06 改稿版に差し替え