1-14 光明への逃避行
-西暦2079年3月7日02時45分-
物資集積区の……いや、極東の大動脈である幹線道路を、郁朗達を乗せたトラック群は逃走していた。
時間帯のせいもあるのだろうが、幸いな事に交通量はゼロでまだ検問も敷かれていない。
行程は順調ではあるものの、過重に近い重量物を載せたまま最高速で走る車である。
ドライバー達は丁寧に、慎重に、車両を制御していた。
ここで事故を起こしては元も子もないのだから。
このまま無事に逃げ切れるのではないか?
そんな実行部隊各員の希望は見事に裏切られる事となる。
最後尾にいる環が闇夜に浮かぶ何かをそのずば抜けた視力で発見したのだ。
『団長さん、ヤバい。フロートが二機いる。二千メートルの望遠でぼんやり見える距離だから……三千メートル弱ってとこだな。間違い無く追って来てるぜ? どうする?』
追跡者の存在がある事を、環が総員に警告として通信を使って知らせてきた。
「おかしいね、近隣の駐屯地にフロートが配備されてる所なんて無かったはずなんだけどなぁ。データが古かったのかな?」
郁朗のそんな呑気な一言をありがたく感じたのは片山と新見であった。
下手に慌てられては対応が不味くなる可能性もあるからだ。
『こういう想定外の事ってのはいつだって起こるもんだからな。とにかく慌てんなよ? まずはイクロー、今乗ってる車両のルーフパネルを破れ』
「壊しちゃってもいいって事だね、了解」
「破る場所は車両の正面から見て右手前になる。そこの真下に対物ライフルのコンテナがあるはずだ。弾薬と一セットになったボックスに収納されてるから――』
「タマキに渡せばいいんだよね?」
『そういう事だ。タマキ、お前なら千五百メートルより向こうで落とせるだろ? さっさとやっちまえ』
「だそうだよ。もう一仕事だね、タマキ」
「あいよ」
通信を切られると、郁朗は早速ルーフパネルの所定の場所に向かう。
パネルの角に指を突き立てると、ルーフの鉄板をベリベリと剥いでいく。
それを邪魔にならないよう丁寧に巻いていく光景は、さながら包装紙か何かを巻いてるデパートの従業員の様だった。
コンテナの天板も同様にして破ると、中には大ぶりな軍用の特殊ポリケースがみっちりと並べられている。
その内の一つを強引に引っ張り出し、ドガッとその場に置いた。
「タマキ」
ルーフの最後尾から振り落とされない様に郁朗の元へ環が向かう。
「おう。組み立ては俺がやるよ。イクローさん、マガジンの方を頼むわ。最初の一発を曳光弾、残りは全部近接信管の榴弾でいいぜ」
「了解、予備は作るかい?」
「んー……念の為に頼むわ」
手短に会話し分担を決めた二人が作業に入る。
ポリケースの中にはパーツと弾薬がウレタンできっちりと保護されていた。
この砲について片山からレクチャーを受けていた環に焦りは無い。
その組立の手際も見事なものだ。
68式25mm対物狙撃用セミオートライフル砲。
カドクラ製の大型対物ライフルで、現在より十年程前に軍に制式採用されている。
九百五十mmあるバレルから送り出される弾頭の有効射程は、およそ二千五百メートルとなかなかの距離だ。
この砲を含めて、十年という短期間で相当な種類の装備が陸軍では更新されている。
恐らくは他都市侵攻に絡んだものなのだろうと片山は言っていた。
「現役当時は装備が更新されるとよ、馬鹿みたいに喜んでたんだぜ? 何せ新品のまっさらが手元に来るんだ。だから疑問も持たずに、きっとそういう時期なんだろうって手放しでな。カラクリを知っちまうと……本当に馬鹿だったんだなって、情けなくってよ。泣けるもんなら泣いてたな」
彼にしては珍しくしおらしい口調でそう言っていたが印象に深かったのだろう。
郁朗の記憶にもはっきりと残っていた。
郁朗がそんな事を思い出している内にも、環の作業は終わりつつあった。
マズルブレーキの付いたバレルを、スッと本体に差し込み固定。
ブレが無い事を確かめ、スコープを装備する。
ボルトハンドルを一度引いて、トリガーを引く一連の射撃動作を数回繰り返すが、問題は無かった様だ。
この砲を銃として運用するならば、最低でもアンカー付きのバイポッドを使っての伏射姿勢での運用というが最低条件であった。
だが今回は対空戦闘という事で射角が足りない為、手持ちで使う事となる。
本来この兵器は銃と呼ぶものでは無く、車両の銃架や砲架に設置して運用されるべき物なのだ。
だがEOであれば通常の狙撃用ライフルとしての運用も、何の問題無く出来るのである。
組み立てが終わる一方で、十発装填できるダブルカラム式のマガジンに郁朗が手早く弾を込めている。
彼はそのマガジンと弾丸の大きさに時折息を飲んでいた。
(僕の使ってた弁当箱よりでっかいや。この弾も太いなぁ……こんなの何を撃つのに使うんだろうか……)
弾薬は25mmx137mmという、旧世紀にNATOにより標準化されたサイズの弾薬を使用している。
これは本来携行兵器で運用されるような弾薬では無い。
弾薬の種類からも判る通り、人体のみでの運用を基本的には想定していない装備なのだろう。
薬莢で色分けされた弾薬の中から赤、そして一番上にオレンジの弾の順でマガジンへ挿入していく。
赤は近接信管の榴弾、オレンジは曳光弾である。
他にも緑の徹甲弾が主に使われるが、少数だけ生産されている青の帯の高速徹甲弾や紫の通常榴弾なども存在する。
一丁が軍用車両に積んであれば頼もしい、そんな類の兵装なのである。
装填の終わったマガジンを環に渡し、郁朗はすぐに予備の装填作業を継続した
環は受け取ったマガジンを左側にあるマガジン・ウェルにがっちりとはめ込む。
ボルトハンドルを引いて初弾を装填。
薬室に送り込まれた巨大な弾体は、火を噴く時を今かと待っている。
環はライフルを構えると、立膝をついて足の裏と踵に内蔵されているアンカーをルーフパネルに打ち込む。
(少しばかり不安定だけどな……贅沢言ってる余裕はねぇか)
膝立ちではアンカーは片足分しか使えない。
確かにそれでは反動により弾道がブレる可能性もある。
その小さな不安を感じ取られた訳では無いだろうが、不意に彼の背中に触れるものがあった。
「この方がいいんじゃないかな? 片足の固定だけじゃ安定しないだろ? 反動もあるだろうし。これでいくらか吸収出来ればいいんだけどね」
郁朗が環の背中を支え、両足のアンカーをパネルに打ち込んでいた。
「悪ィ、助かるわ。さすがイクローさん、変にとこ気が回るんだもんな」
「変ってのは余計だよ。さぁ、やっちゃおう」
「あいよ。団長さんよォ、フロートが車列と直線に並ぶルートに入ったら教えてくれ。そこでカタつけるわ」
『判った。しくじんじゃねぇぞ』
「誰に言ってんだ、誰に」
カカカと笑うと環はスコープを覗き込み集中に入る。
本当なら自前の眼でやりたかっただろうな、と郁朗は思う。
だが無風状態でなら相当な効果のある、この68式の弾道補正機能付きスコープ。
その効率を無視出来る程に、環も子供では無かった。
最大望遠二千五百メートルのスコープにフロートの姿が映る。
軍用に開発された無人機で、四角い箱型の本体の四隅にローターを付けた四翼型の回転翼機である。
四翼型という事でとにかく安定性能が高い。
偵察と上空からの歩兵支援に使われる物だが、配備数はそれなりといった所で、それ程多いという訳でも無い。
来援の派遣が予想されていた駐屯地にも、この機体は配備されていないという情報があった。
故に、今回の作戦でも想定されていない相手だったのだ。
幸いな事に、追って来ている機体は武装をしていない事が環によって確認されている。
二メートル四方の本体へ照準……このまま直撃しなくても榴弾でローターの一枚でも損傷してくれれば儲けものだ。
そう環は考えているのだろう。
『今なら車両のケツがフロートの丁度正面だ、食べ頃だぜ』
「あいよ、了解。曳光弾で弾道確認、補正して五連射。イクローさんはそのまま壁役頼むわ。外部音のカット、忘れないでくれよ? 聴覚がやられちまうぜ?」
「了解、頼りにしてるよ」
彼我との距離は残り二千メートル。
レティクルに機体が入ると、反動を力づくで抑える為に腕部の固定に入る。
トリガーを引くのに必要な右の人差し指を残し、それ以外の右腕部関節のモーター全てをロックした。
EOによる狙撃のメリットは、反動を物ともしない身体能力だけでは無い。
呼吸をしない事、そしてモーターをロックして固定できる事により、射撃前の手ブレが発生しない事も大きい。
残り千八百メートル。
腰のモーターの動きだけで、仰角の微調整を行う。
そして……唯一稼働を許された人差し指がトリガーを絞った。
ドンッ!
ライフリングの切られたバレルの中を、撃ち出された弾頭が高速回転しながら駆け上がる。
轟音が響くと同時にマズルブレーキから余剰ガスが吹き出した。
マズルフラッシュが普通に出たが、元々曳光弾を使っているのだ。
場所がばれるのは前提なので、環は構おうともしなかった。
それにフロートのカメラの有効解像度は千二百メートルという仕様だ。
曳光弾の軌道から環の発砲位置が判ったとしても、一体何が砲撃してきているのかまでは判らないであろうとの読みもある。
発射された曳光弾は赤い軌跡を残し飛んだ。
一定の間隔を空けながら斜めの編隊で飛行する二機のフロート、その間を弾頭が綺麗に通り抜けて行く。
榴弾を使う以上、わざわざ直撃させる必要も無いのだろう。
視覚を暗視モードにしていたので、曳光弾の尾が一瞬ではあるが眩しく目に映る。
瞬時にカメラアイの機能で自動光量制限がかけられ、目視に必要とされる適度な光量のままで射線を追えた。
環は目標と射線の偏差と、それに対応するスコープの補正が正確な事を確認。
そして……。
ドンドンドンドンドンッ!
息つく間も無く、矢継ぎ早に五発の榴弾をフロートに撃ち込んだ。
曳光弾同様のルートを辿ってそれらは外界へと放たれた。
超小型化されたチップとセンサーにより、25mm弾のサイズながら近接信管を搭載する事に成功したこの弾頭。
相応の命中率を誇る狙撃用の対物ライフルから射出される事、そして充填された炸薬量の少なさという二つの条件を抱えていた。
故に信管の感応距離は僅かに二メートルという、実にシビアな物である。
だからといってこの弾頭の存在意義と効果が薄い訳ではない。
環の放った弾頭は、フロートの移動速度と車両の移動速度を加味したラインに乗る。
それらは肉眼では見えないものの、綺麗な五条の線を描いた。
目視できない上、初速千百km毎秒で迫る弾頭を相手なのだ。
反応の遅い無人機がそれを回避する事など、そうそう出来る芸当では無い。
一発目と二発目が先導している一機目の至近で起爆する。
ローターを破片で破壊されたフロートは、浮力を失い錐揉みしながら地表へと落下していく。
三発目は残念ながら起爆も直撃もしなかった。
だが四発目が後追いのフロートの至近で、更に五発目がその真正面で起爆した。
横合いからは破片によってローターが、正面からは弾頭の運動エネルギーとその破片によって本体が襲われたのである。
二機目のフロートは撃墜どころか、その場で粉々にされて散っていった。
『目標、クリア』
ご覧の通りである。
携行兵器で超長距離から榴弾による精密射撃をされるというだけでも十分な脅威。
更にその弾頭には近接信管のおまけ付きなのだ。
厚い装甲の戦闘車両や音速で飛ぶ航空機が存在しない地下都市において、遠距離からの一方的な複数攻撃手段としてかなり有効な弾薬と言えるだろう。
かくして障害が排除された事を確認した面々は、ようやく緊張が解け安堵の息をついた。
『団長さん、状況終了ってやつだ。とっととズラかろうぜ』
『おう、よくやった。お疲れだな。この件は姐さんには別枠でボーナスを出す様に報告しておく。あと十分程で第一目標地点だ。そのまま続けて後方警戒、任せるぞ』
「マジかよ! よっしゃあ! ……だそうだぜ! イクローさん!」
「うん、お見事だったよ。ロングレンジのタマキはやっぱりおっかないや。できれば訓練でも相手にしたくないね。塗料でベットベトにされた事思い出しちゃったもの」
「本気出せばこんなもんよ! よーし祖母ちゃん待ってろ! マッサージ椅子買ってやるからな!」
テンションの上がった環の叫び声を残し、車列は進んで行く。
一行が逃走における第一目標地点に到着したのは、予定通りそれから十分後の事だった。
「ここでいいの……? ほんとにやっちゃうけど後で怒られたりしないよね?」
「話はついてんだ、思い切ってやっちまえ。『破壊神』先生よ」
「やめてよね……団長。じゃあいくよ……フンッ!」
ゴッゴッゴッゴッゴッゴッゴッ!
ギシッ……ギシギシギシギシギシギシギシギシギシッボッ!
深夜で人の居ないその施設に、郁朗の生み出したその音だけが響き渡る。
その施設は貨物駅……物資集積区の最端にある鉄道局の施設であった。
お読み頂きありがとうございました。
引き続きご愛顧頂けると嬉しく思います。
それではまた次回お会いしましょう。
2016.04.29 改稿版に差し替え