7-14 隔たれる回廊
-西暦2079年7月24日09時20分-
地表帰還開発機構・極東本部ビル。
その築年数は長いものの、見る者に古臭さや経年の劣化を感じさせないだけの存在感を持っている。
Nブロックの造成当初から残る、ある意味で歴史的な建造物であると言えるのだろう。
組織の目的に違わぬ敷地の景観は、Nブロックという政治と経済の中枢に存在するにも関わらず、様々な緑に溢れたものである。
舗装されたビルへと続く道の周囲には、整然と植樹された樹木が並んでいた。
過去形となっているのは、その光景が今や見る影も無いからだ。
一度目の郁朗達の本部ビル突入の際の戦闘で整地されていた地面は荒れ、樹木は軒並み銃撃や殴打によるダメージを受けていた。
この樹木群が存在しなければ、三人の逃走自体も厳しかったに違い無い。
それ程の物量が彼等を襲った結果がこの光景なのだろう。
その追撃を行っていたEOの大群の姿も既にここに無い。
逃走する郁朗達を追跡したその先でコントロールを失い、北島率いる混成連隊に狩られてしまったのだろう。
つい数時間前の追撃戦が嘘の様な静けさがこの場にはあった。
何かの罠なのではないか?
この場にいる誰もが一度はそう考え、そしてそれを即座に否定した。
郁朗と甲斐の対話の内容に鑑みれば、彼自身は望んで千豊達の勢力を招き寄せようとしていると考えていい。
彼の言葉に嘘が無い事を大前提としての話にはなる。
この状況を望んでいるのが機構そのものなのか。
それとも甲斐による独断なのか。
甲斐という男と三号という男の思想の剥離がそれを物語っているのかも知れない。
戦わぬ人間に未来は無い。
言葉としては同じ意味合いの思想であると言える。
ただ同じ選民する意思の包まれているその言葉の中にあるもの……何故戦わない者にその価値が無いのかという所で、端々にズレが見られるからだ。
三号という男のこの思想への傾倒は生半可なものでは無かった。
それこそ自身の生命を容易く捧げる程なのだから。
だが彼の中にある機構の理想というものは、単純に戦う事だけを至高としていた。
勝利に固執し敗北はすなわち死、という経済から暴力へのヒエラルキーの移行を望んでいた事が見て取れたのだ。
力弱き者に自己を持って生きる資格は無く、思考すら必要の無い強者の尖兵として使われるべきである。
その様な明確な意図がそこにはあった。
だがそこが目標となってしまっており、その後に成すべき世すら見えてこなかった。
甲斐は言った。
恭順する者は駒に、そうでない者には死を。
では抗う者はどこに位置するのだろうか?
彼はその時、既に選別は終えているとも言っていた。
選別を終えた甲斐にとっての恭順する者とは、機構の理念に賛同する者。
そうでない者とはそれ以外の者……つまりは無力な市民と彼に抗って戦う者達である。
そうでない者達に与える死とは何なのだろうか。
力……つまり牙を持たない市民にとっては文字通りのものだろう。
だが郁朗達の様に牙を持つ者達に対して抽出を行っている、そう彼は言ったのだ。
甲斐は牙を持ち得ない人間に対して、尽く無関心なのではないか、という印象の方が郁朗には強く感じられた。
彼の興味は強者にのみ向けられている。
甲斐にとっては三号達の様な恭順を示した者すら……あくまで駒でしか無く、その関心の対象にならないのかも知れない。
彼が自身の生命を天秤に乗せる事で、何かを成そうとしているのは判る。
ここまでの彼の動き自体が、単純な戦闘力と基準とした選民社会を築こうとしている訳では無いという事もだ。
自身の生命を挟持の為に捨てるどころか、チップ、もしくは餌として強者を誘うかの様な言動をしている。
そこには強さをヒエラルキーとするという意思は無く、郁朗にはそれが何か試す様なもの……つまり通過儀礼としか思えなかった。
まるで自身の勢力を倒せるだけの勢力の登場を望む、もしくはその戦いの中で生き残った自戦力の研鑽に期待している。
そんな願いの様な何かを感じられたのだ。
郁朗の思考はこの場所に戻るまでの一時間足らずの間、ずっと甲斐の思考と行動の意味をトレースしようとしていた。
千豊や新見が見せずに抱えているものの答えも……その先にある様な気がしたからだろう。
だが結局は時間切れでその答えに辿り着く事も無く、甲斐との最終的な遭遇にその答えを委ねようという結論に達した。
突入する人員は十数名。
郁朗と双子、そして千豊と新見と工兵技能を持った戦闘班員である。
残りの人員は間崎が率い、七号との回収と退路の確保にあたる事となった。
周辺地域に敵影が無いとはいえ、万が一の背後からの強襲を考えれば、エントランスを含めた入り口周辺を自戦力で固めるのは必定の策と言えるだろう。
確かに今回の様な少数戦力の逐次投入は愚策ではある。
だが狭い建造物内部での戦闘を前提とするならば、大所帯での突入によって身動きが取れなくなるよりはマシと考えたのだろう。
故に戦力として上位にあたる者と、機械工作に強い者が選択される事も当然であった。
千豊に関しては彼等の中でも賛否があり、否と捉える者が圧倒的多数であった。
だが本人の強すぎる意思と、戦闘班を束ねる新見の了承が出た以上、郁朗達がそれに反する材料は無い。
「千豊さん、ホンマにこんなとこに来て良かったん?」
「入口で待ってた方が良かったんちゃうかなぁ……なぁ、イクローさん?」
「なんで僕に振るのかは判らないけど……確かにそれには賛成かな。今からでも遅くないです。戻りませんか? 千豊さん?」
先頭を歩いていた彼等が集団の真ん中にいる彼女にそう声をかけたが、返ってきた答えには小さいながらも怒りが滲み出ていた。
「いい加減その話題は飽きたわ。私は自分の意思でここにいるのよ? それにここに来ている人員で、一番ネットワークに強いのは誰? アナタ達が何の問題も無く端末の処理をこなせるのなら、今直ぐにでも戻るわよ?」
確かに彼女の言う通りではあるのだ。
甲斐は戦力こそ配置してはいないが、施設の守り自体には情けをかけるつもりは無い様なのだ。
本部ビルに入ってから既に数度、端末をハッキングしての隔壁の解除を試みなければならない機会があった。
彼女がいなければ物理的な破壊を目論む他無く、これほどスムーズに内部へと進入する事は出来無かっただろう。
「でもいくら紫電を着てるからって言っても、この先で何が起きるか判らないんですよ? そんな場所に何で――」
「それはアナタも同じでしょ? 甲斐に少し煽られたからって喧嘩を買う様な真似をして。私達が止めなかったら一人でここに戻るつもりだったでしょ?」
「それは……否定はしませんよ。甲斐もそれを望んでますから」
「だからって一人で行くっていうのはどういう事なのかしらね? 私がこうして現場に出て来るのとどちらが危険なのかしら?」
「僕と千豊さんを並べないで下さいよ。そもそもの身体の作りが違うでしょ? 女性なんだからもっと自分を大事にして貰わなきゃ」
「それを言うならこっちも同じだわ。私にはリニアフィールドがあるけど……イクロー君には何も無いじゃない。頑丈なだけで何もかもを乗りきれるつもりでいるなんて、大間違いだけで片付くレベルの話じゃないわ」
ヒートアップしていく二人を止める声がかかる。
「あのー」
「痴話喧嘩はそんくらいにして貰えんやろか?」
二人が周りを見渡すと、まず目に入ったのは恐る恐る声をかけてきた双子。
更に視界を広げると、周りにいる戦闘班員はニヤニヤしているだけだった。
新見は表情をみる限りは呆れているのだろうが、この様なガス抜きも必要なのだろうと見て見ぬ振りを決め込んでいる。
敵地の中枢、それもその真っ只中でこんなコメディの様な事をやっているのだ。
甲斐がこの様子を見ているのだとすれば何と言うのだろうか。
「えーと……兎に角もう中に入っちゃってるんですから。本当に気をつけて下さいよ?」
「解かってます。そちらこそあまり無理をしない様に、いいですね?」
芝居がかった二人の態とらしい態度のせいもあって、周囲には何とも形容のし難い空気が漂う。
そんなどうにも締まらない空気のままに、彼等は先を急ぐ。
この一団の作戦目的としては二つ。
郁朗は甲斐に、双子は早村に……それぞれが邂逅する事である。
会った時点で拘束が戦闘か。
そのどちらかを選択する事になるのであろう。
幸いな事に陸軍本営ほどの広さも高さも無い事から、そう時間を掛けずに目標は達成出来るであろうと郁朗達は踏んでいる。
彼等が発見する前に、あちらから接触を図ってくる可能性もある。
そのどちらであれ、郁朗達にも彼等にも後は無いのだ。
ここでの決着次第で今回の内戦はおろか、極東の趨勢が決まる事だけは明らかだった。
「千豊さんの抜き取ったデータから見るに、地下には研究施設もある様ですね。上階のほとんどは事務処理関連の施設となっています。さて……どちらにどちらが居ることやら」
「どっちもって事もあり得るんですよね?」
「それはまぁ……無いとは言いませんが……恐らく甲斐は下なのでは無いでしょうか?」
「その根拠は?」
「バイザーを見て下さい。データを送ります。これはこのビルの構造図ですが……地下の研究施設の階層に、やけに広いスペースがあります。藤代君、甲斐が君に対して望んでいたものは何ですか?」
「……なるほど。僕との戦闘が目的だとすれば、広いスペースの方があちらとしても望ましいって事ですか。でも解せないのは……甲斐はどうやって僕と戦うのかって事ですよ。轟雷や紫電の様な歩兵用の外骨格でEOとやり合おうと思ったら、相当な性能でないと厳しいですよ?」
「それについては何とも。どんな隠し球が出てくるんでしょうね」
「あの……新見さん? 少し楽しんでませんか?」
「まさか。ただ……藤代君ならどんな相手でも何か仕出かしてくれそうだ、という期待感はありますよ。こんな次の一歩がどうなるか判らない様な場所で、さっきみたいな空気を作るんですからね」
「新見さんッ!」
怒ったのは郁朗では無く、千豊であった。
「さて、冗談はこの辺で。周辺警戒を厳に。トラップのある可能性は高いです。千豊さん、頼みますよ?」
「知りませんッ!」
ここが敵地内部とは思えない、なんとも緊張感の無い空間がそこには出来上がりつつあった。
その後も順調にいくつかのフロアを探索して閉鎖された隔壁を開き、彼等は奥に進んで行った。
正面エンランスにあった来客用のエレベーターは停止していたが、内部にある職員用の大型エレベーターは通電しており、どうやら生きている様だ。
『ようやくかね、待ちくたびれたよ』
「甲斐……」
その場への彼等の到着を今かと待ちわびていたのだろう。
甲斐のその声は僅かではあるが、愉悦に歪んで聞こえた。
『エントランスのエレベーターは私の居る最下層には繋がっていなくてね。悪いがあちらは停止させて貰ったよ』
「そうですか……約定通り、僕はここに来ましたよ。あなたを殺しに」
先程までの普段のままの空気の郁朗は鳴りを潜め、この内戦で構築されたとも言える冷淡な郁朗がその姿を見せはじめた。
その声は傍目に聞く限りは、普段のそれと変わりが無い様にも聞こえる。
だが新見や千豊、甲斐の様に洞察をする者には当然ながら、あの双子にすら感じる事の出来る殺意が、彼の吐いたその言葉の内容に相違無いままに乗せられていた。
殺しに来た。
郁朗は不退転の意思を込めてそう言ったのだ。
『いい殺気だ。モニター越しでも判るほどに。よろしい、ならば私の元へ来るといい』
空気圧で動作しているであろうエレベーターの扉が、ブシッっと空気の漏れる音と共に開く。
『乗りたまえ。ただし、藤代君だけだ。変に邪魔をされても困るのでね。特に……先日は失礼したね、坂之上女史。あなたに来られると少しばかり厄介だ。他の階層に向かう分には構わないが……こちらには招待しかねる』
「これはご丁寧に。えらく過大評価されている様ですわね。そのエレベーターで向かう事は叶わなくとも他の手段であれば構わないのでしょう? それ相応の障害をクリアして見せれば文句は言えないのではないかしら?」
『……やはりあなたは厄介だ。よろしい。このエレベーターを使わないのであれば好きにしたまえ。辿り着けるものならやってみるといいだろう。さぁ、藤代君。来たまえ』
郁朗の舞台への登壇を促す甲斐に、突拍子も無く待ったをかける者が存在した。
「ちょっとよろしい?」
「良かったらでええんやけど……」
双子であった。
彼等には早村と会わなければならない理由がある。
簡単に教えてくれるかどうかは別として、彼の居所を知るにはこの場で甲斐に聞くのが手っ取り早いという判断だ。
『なんだね?』
「早村っちゅう人は何処におるんやろか?」
「爺ちゃんに会うように言われてるんやけど」
『爺ちゃん?』
「辻て言うたら判るんちゃうかな?」
「まさか自分とこの重要施設のトップにおったもんを忘れる訳ないやんな?」
『辻……か……懐かしい名前を聞いたな。彼が君達に早村に会えと?』
「うん。会ったら全部判るて」
「ボクらが何者か知りたいならそないせいて、爺ちゃん言うてたし」
『なるほどな……早村は十二階の執務室に居るはずだ。会って話すといい。ただ奴が素直に君達の必要な情報を話すかどうかは別の話だ。頑張りたまえ』
「ありがとうな、おっちゃん」
「なんや、思ったよりええ人やったな」
双子は暢気にそう言うと一歩下がり、郁朗の邪魔にならない場所へと移動した。
『さて、もういいかね? 乗ってくれたまえ、藤代君』
郁朗は素直にその言葉に従いエレベーターに乗ると、残された千豊達へと向き直る。
新見と目が合うと、彼はいつものアルカイックスマイルを浮かべて言葉を紡いだ。
「勝つと信じています。その時には何もかもを話せると思いますから」
「ええ、新見さん。そうして貰うつもりです。次は見逃しませんよ?」
「はは、肝に命じておきますよ」
双子は早くここから離れ、すぐにでも上の階層に向かいたいのだろう。
いつも以上に落ち着きが無い。
「「ほな、イクローさん。また後で」」
それだけ言うとそそくさと移動を開始しようとしている。
「少し落ち着きなって、焦ると良い事なんて何も無いんだから。君達もしっかりとね。やれば出来るって僕は知ってるつもりだよ」
「「イクローさんがボクらに期待するとか……このビル崩れるんとちゃうか……」」
双子は不吉な言葉を残すと、千豊の両脇に周り腕を掴む。
え? え? と左右に首を振る彼女を無視して、エレベーターの前への運搬を完了させた。
「イクロー君……」
「……次は遅れないで下さいね?」
「直ぐにそっちに向かうわ。今度は間に合わせるつもりよ」
エレベーターの扉が閉じ始めた。
千豊は無意識にだろうがその手を郁朗へと伸ばす。
「じゃあ下で。ドレスの用意でもして待ってます」
「……バカねッ」
扉は閉じ、重く響く駆動音と共にエレベーターは甲斐の待つその場へと下降を始めた。
千豊は空に伸ばした掌をギュッと握り数秒の瞑目の後、地下へと向かうべく動き出した。
罠なのかも知れない。
いや、罠など必要としていないのかも知れない。
それ程までに、あっさりと甲斐は郁朗達を迎え入れた。
だが彼の目に叶い、その地へ向かう資格を得たのは郁朗だけであった。
地下にある甲斐の待つ場とはいかなる場所なのだろうか。
深く暗い地の底で何かに焦がれる彼の思惑に乗せられて、郁朗はその闇の中へと身を沈めていった。
お読み頂きありがとうございました。
引き続きご愛顧頂けると嬉しく思います。
それではまた次回お会いしましょう。
2016.09.06 改稿版に差し替え