7-13 その時、人々は
-西暦2079年7月24日09時10分-
陸軍本営における戦闘が佳境を迎えた頃。
被弾した第二師団の本部が置かれていた場所に、小さな動きがあった。
その動きを耳聡く捉えたその者は、生存への糧として自らの支えるべき人物へとその事を告げる。
「ようやく助けが来てくれましたよ……植木さん、まだ生きてますよね?」
「……殺してくれるなよ……田辺ちゃん……ちっとばかし……血が足んねぇがな……」
レーザー攻撃による本部強襲から二時間と少しが経過していた。
田辺が植木を庇って彼を押し倒した際、本部に置かれていた大型のデスクの下に飛び込んでしまった事が幸いしたのだろう。
二人は建造物の倒壊に飲み込まれる事無く、デスクの下の僅かな空間……瓦礫と瓦礫が互いを支えあうスポットとなった位置で生存していた。
周辺には潰された通信要員のものと思われる赤い血の流れが溜まりを作っていたが、既に乾いて赤黒いシミとなり始めている。
死んだ彼等にとって恐怖を感じる間も無い即死だった事は、ある意味では救いであったと言えるだろう。
何故それを救いと言えるのか。
現在の植木の右足の状態を見れば理解出来なくも無い。
彼の右足の太腿半ばから下は、瓦礫によって潰され挫滅しているからだ。
挫滅した事で血管が圧迫された事でどうにか血は止まっているが、クラッシュシンドロームの影響も怖い。
更に言えば身体一つ分がどうにか収まる、そんな瓦礫の隙間というギリギリの生存空間……それが老齢の植木に与えたストレスは並のものでは無かった。
心身合わせて自身を鍛え上げてきた彼ですら、その痛みと暗闇との戦いに何度も心を折られそうになり、いつ叫びだすかも判らない状況だったのだ。
他の人間であれば、身体よりも先に心が折れていただろう。
そんな中でも瓦礫による擦過傷だけで済んだ田辺に恨み事の一つも言わず、ただただ救助を待った。
二人の精神を苛んだものはそれだけでは無い。
自身達の救助の見通しも気になったが、もっと気になったのは戦場の事だ。
師団本部が壊滅状態となった今、軍は軍として機能しているのか?
戦線の維持や作戦の遂行状況はどうなっているのか?
だがその気がかりすら、彼等を奮い立たせる要因の一つとしてその心を支えたのである。
「なぁ、田辺ちゃん……外は……戦況はどうなってんだろうな?」
「聞こえてくる音は砲声では無く重機や工作機械の音ですからね……この一帯まで敵に押し込まれてはいないという事でしょう。高野さん達もいるんです。好転してると信じましょう」
気休めに聞こえる言葉でもあったが、それを信じる以外の事を二人の状況は許さなかった。
「クッ……高野ちゃんってのが余計になんだけどよ……一人でカッとなって突っ込んでやしないか……心配になるってもんだ」
「ハハ……違いないですね。であうが北島さんも一緒です……好き勝手に暴れてはいないでしょう……」
『サーモセンサーに感ありッ! 生存者ですッ!』
血塗れの瓦礫の向こうから聞こえてくる声は、被弾地捜索部隊の人員のものだろう。
二人は更なる生存の材料を得た事で、その声にも身体にも力が漲り始めた。
「ここだッ! ここに居るぞッ!」
『待ってろッ! 直ぐに助けるッ! もう少しだッ!』
大声で叫んだ田辺の声は外の人間に無事届いた様だ。
周辺に散り作業を行っていた工作機械を慌てて集結させたのだろう。
先程よりも掘削音が増えているのが田辺の耳にもしっかりと聞き取る事が出来た。
「……もう少しだそうですよ、植木さん」
「……おうよ。もうちっとばかし、気張ってみっか……藤山の野郎がどうなったか確認するまでは……死んでも死にきれねぇ」
「なんの。植木さんには戦後も含めて、まだまだ私達を引っ張っていって貰わねばならんのですよ。たかだか片足を無くした程度で楽はさせません」
「厳しいねぇ……」
「よく仰る。誰かの教育の賜物なのでしょう。それについては諦めて下さい」
「フン……」
ゴボンと小さな音を立てて、生存可能な空間を保持している大きな瓦礫に穴が開いた。
そこからコンプレッサーらしき機材を使っているのだろうか、外からの新鮮な空気が送り込まれてくる。
大きく息を吸った田辺の目は、外気を取り込んだ事で再び力を得たのだろう。
少しずつ増えていく外からの光を映してギラリと輝き、この窮地を脱した後の戦いの行末を睨み始めた。
「先輩……大丈夫ッスか?」
坂口正志の目に映る犬塚由紀子の姿は、普段の溌剌としたものの無い……少し萎れた花に見えた。
Eブロックの北側寄りに住居を構えていた坂口家は、父親の生家のあるSブロックへの転居を終えていた。
父親の勤める企業も同時期に同ブロックに移転を済ませており、他の避難民の様な仮設の住居での生活を強いられない分だけ精神的にも健康であった。
由紀子に関してもEブロック北部の空挺連隊の官舎を離れ、Sブロックにある第二師団の官舎へと居を移していた。
人の入れ替わりがそれなりにある空挺と違い第二師団は異動が少なく、各駐屯地近隣に持ち家を持つ者が多かった為、空挺連隊の部隊員の家族達は世帯向けの官舎に即入居出来たのである。
父親の同輩や部下の家族……所謂見知ったご近所さん達と供に同じ官舎に入れた事は、一人で置いて行かれる由紀子の心労を少しではあるが軽いものにしていた。
互いの転居の事は連絡を入れ合っていた為に知っており、この日は練習が無く時間を持て余していた坂口が由紀子を訪ねたのだ。
彼女の父親が戦場へ出向く事が判っていたので、彼なりに心配をしたという所であろう。
「んー……隠したってバレそうだからねー……あんまり元気じゃないかな」
「そういう弱くなった所を隠さないでいてくれるってのは有難いんスけど……なんかスンマセン。こういう時にどうしていいのか判んなくて。泳ぐ事しか考えてこなかったから」
「君はそれでいいんじゃないかな。そういて欲しいかなって思うってのもあるけど……えっと、何も君が周りの空気を読めない馬鹿って意味じゃないからね? ね?」
「ハハハ。解かってるッスよ、そんな悪意が無いって事くらいは……」
官舎の近くの公園のブランコに座りながら小さく笑った二人ではあったが、そこで言葉は途切れた。
由紀子は父と片山を、坂口は恩師を。
二人にはここには居ない案ずるべき存在がいる。
どの様な戦場で戦っているのか。
それを民間人である彼等が知る事は出来無い。
現在の戦況すら一般市民には情報として入って来ないのだ。
判っているのは、今のこの瞬間も彼等は極東のこれからの為に戦っているのだという事だけである。
「……イクロー先生って時々抜けてっからなぁ……変な事に巻き込まれてなきゃいいんだけど……」
「それはうちもおんなじかなぁ。片山さんは無鉄砲だし、お父さんは馬鹿だし……ほんとに……うちのお母さんもよくあんなのと結婚したなぁって思うよ?」
「……そんな事無いんじゃないッスか? 先輩の親父さん、おっかないけどすっげぇ強かったし。人を引っ張っていける人って、ああいう人なんだなって思ったッスよ?」
「…………君はやっぱり大物になるよ。あんな風に無理矢理道場に連れて行かれて、さんざん投げ飛ばされた上で、お父さんの事そう言えちゃうんだもの」
「そッスかね?」
「うんうん、絶対なっちゃうと思うよ」
ケラケラと笑いながら由紀子はブランコから降りると、その周りにある小さな柵に腰掛けた。
「実感無いッスけどねぇ……先輩……そんで……その……片山さんってこないだのあの人ッスよね? 俺をイクロー先生のとこに連れてってくれた」
「そだよー。あたしが小学校の二年生の時だったかなぁ。お父さんの隊に配属されてきてねー。初めてうちに来た時はね、もうそれはそれは酷い仏頂面だったのよ。お母さんにもんの凄い怒られてた」
「へぇー」
「お母さんがそんな態度じゃ他所にやるのは心配だーって、三日に一回は家に来るように言ってね。あたしも最初はおっかなかったんだけど……遊んでくれるって判ったらもう犬みたいについて回っちゃって。一人っ子だったから尚更ってやつ」
「子供ってそんなもんスよね」
「そうそう。そんで……お母さんが死んで……もう何もかもが嫌になっちゃった時も……お父さんやお祖母ちゃんの他に、わたしの側に居てくれたのは片山さんだけだったの。近所の人や友達はみーんな腫れ物触るみたいにしてる中でね……まぁ今考えると、周りのみんなの態度もよく解かっちゃうんだけど」
「…………」
「お父さんが転属させられた時なんかもね、勝手に怒って勝手に喧嘩しちゃって軍も辞めて……それだけやっといてうちに連絡無しだよ? お父さんも似た様なもんだけど、ほんと行ったら行きっぱなしの鉄砲玉なんだから」
「…………」
「どしたの? 黙っちゃって?」
「いやぁ……なんか仲良いなって。片山さんの話してる時の先輩、怒ってても楽しそうだし」
その一言に目をぱちくりさせた由紀子は突然クスクスと笑い出した。
「いやぁ……そっかそっかぁ。坂口少年はお年頃ですなぁ」
「は?」
「ん? ん? ヤキモチ?」
「そんな事ッ…………なくもないッス……けど」
ボソリと素直にそう言った言葉に驚いたのだろう。
由紀子は今度は目を白黒させて、それが落ち着くとジッと坂口の目を見つめた。
「……片山さんはお兄ちゃんなんだなぁって、それは昔も今も変わらないんだよね。それにあたしはお母さんみたいに辛抱強く無いから……お父さんみたいな人はダメかなって思う」
「…………親父さん泣いちゃうッスよ?」
「アハハ……そういうのもいい薬になると思うから撤回しません……あたしは一緒に並んで一緒に同じ物を見てくれる……そういう人がいい」
スカートを少しはためかせてくるりとその場で半回転した由紀子は、ブランコに座っている坂口に背を向けたまま手を伸ばした。
「ん」
「……リレー?」
「バカ」
坂口は照れ隠しに茶化しながらブランコから立ち上がると、恐る恐るその掌に自分の手を伸ばした。
触れたその手は柔らかく、そして温かく。
「みんな……早く元気に帰って来てくれたらいいッスね」
「そだね」
並んで握ったその手で分け合われた寂しさや不安は、ゆっくりと二人の中に溶け込んでいった。
ピンポン
「真九郎、よく来たわね。上がって上がって」
「悪いね、姉さん。朝早くから。それも引っ越して落ち着いて早々に」
「何言ってんのよ。あんたが居なかったら恭子が郁朗に会う事も出来無かったんだから。そっちがリビングだからちょっと待ってて。恭子、引き摺り出して来るから」
郁朗の母である藤代碧はそう言うと、訪ねて来た弟を放置して玄関脇の階段を昇って行った。
リビングへ向かった谷町は、ソファーに腰掛けゆったりとしていた義兄と遭遇する。
「義兄さん、ご無沙汰してます」
「……やっぱり気持ち悪いから止めろ、真。小煩い親戚の手前、これまで他人行儀にしてたけどな。一回崩れちまったんだから、せめて俺達だけの時は昔通りにしてくれよ」
「はいはい。恭ちゃん……顔色良さそうだね、安心したよ。少しは落ち着いた?」
「お前が骨を折ってくれたお陰だよ。郁朗がどんな形であれ、とりあえず無事でいてくれるって判っただけでもな。現金なもんだとは思うが、親ってのはそういうもんだ」
「いやいや、頑張った甲斐があるってもんさ。で? 恭子はずっとあんな感じな訳?」
谷町が二階へと頭を向けると郁朗の父、藤代恭一は静かに首を縦に振った。
「郁朗との面会に行ってからずっとだな。碧さんに任せてはあるが……このまま続く様なら少し考えなきゃならんかも知れん」
「全く……恭ちゃんさ、相変わらず恭子には甘いよね。慎重にやるのは構わんけどさ、恭子に引っ張り回され過ぎ」
「そんなに甘くしてるつもりは無いぞ?」
「はぁ……自覚無いのかよ……あいつが好きで一人で郁朗に会いに行ったんだから、それが原因で引き篭もるなんて勝手にも程がある。それに俺達への報告も一切無しって。無理矢理にでも部屋から引っ張り出さなきゃダメだよ」
「そうは言うがな、郁朗が機械の身体になってるのを目の当たりにしたんだぞ? ショックを受けて――」
「それがダメだって言ってんのさ。ほんと恭ちゃんと郁朗が甘やかして育てたもんだからさ、あのバカすっかり姫さん気質になっちま――痛ッ」
「誰がバカの姫さんよッ! 叔父さんッ!」
谷町の後頭部に手刀による鉄槌を下したのは恭子であった。
「殴る事ないだろうがッ! 俺の言った事が間違ってるっていうのか!? お前が恭ちゃんだけじゃなくな、郁朗にも甘やかされてきたのは本当だろうッ!」
「何言ってんのッ! そんなの娘の特権だし、妹の特権だわッ! 独り身の癖して偉そうに教育論語ってんじゃないわよッ!」
「あーッ! あーッ! お前いっちゃいけない事言ったなッ!? 郁朗に会って何話してきたか知らんがな、俺達への報告もしないガキが偉そうに俺の生き様に口出ししてんじゃないよッ!」
二人の口喧嘩がヒートアップし始めようとした時、ゴチリという音が大きく二つ響く。
「「痛ぁ……」」
被弾部を抑えて涙目になる二人の前に立つのは、恭一では無く碧。
藤代家のヒエラルキーの最上位に位置する者、それは彼女であった。
ちなみに最下層にいるのは残念ながら恭一という事になるが……何時の世も父親なる種族の家庭内でのポジションというものは、酷く難しいデリケートな立ち位置なのだろう。
「大声出してご近所さんに迷惑でしょッ! 越してきたばっかりなのに変な噂でも流れたらどうするのッ!」
「「だからって……」」
「だからも何もないのッ! 真九郎ッ! あんたはいつから人に上から物を言える程に偉くなったのッ!? 独り身でいる事を悪いとは言わないけど、他所様の教育事情に首を突っ込んで文句を言える立場でも無いでしょうがッ!」
「グッ……」
「恭子ッ! あんたもあんたで二日も引き篭もって何してたのッ!? 郁朗に会って話した事も報告もしないでッ! 呼んでも降りてこない、ご飯も食べない……心配する方の身にもなりなさいッ!」
「だって……」
「まだ口答えするのね……あなた……真九郎も恭子もわたしの言う事なんか聞いてくれないの……もう嫌ッ」
恭一に縋り付いておいおいと泣き始める碧であったが、その流れはどう見てもちょっとしたコントであった。
彼女を片手で抱き寄せた恭一は、二人に目配せして謝罪を促す。
その眼光は実家の拳法道場の師範クラスという肩書に相応しい鋭さ。
所謂、俺の女泣かせてんじゃねぇよ、というやつである。
「「ゴ、ゴメンナサイ」」
そこから一時間余り、碧の涙と怒りが引くまで謝り続ける二人であった。
数十の影。
じゃりりと乾いた土がそれらに踏まれる音が……いくつも鳴らされる。
大型レーザー発振器施設での甲斐との邂逅から三十分強。
レーザー通信の受信設備の破壊によって、完全に烏合の衆と化した赤甲のEOの処理を北島達に任せ、千豊の率いる一団は機構本部ビルの敷地へと足を踏み入れていた。
「ようやくね……」
「ええ、ようやくですよ……藤代君、頼みます」
「先導します。ここで終わりにしましょう」
彼等の進む道を邪魔する者も今の所は無い。
得体の知れない何かの気配を感じながら……郁朗は往く。
甲斐への宣言を嘘では無いものにする為に……。
郁朗や片山達の戦うその背中には……様々な人々の生きる気配が存在する。
死の近づく暗闇で生への執着に足掻き、生きようとする者達。
互いの不安を触れ合う事で埋めようとする者達。
あるいは家族という一つのコミュニティとしてのあり方を問い合う者達もいた。
身近な人々の……そんな普通の人としての呼気を知る事も無く。
千豊や郁朗達はこの内戦の趨勢を決める最後の伏魔殿へと……戸惑う事無く足を踏み入れるのであった。
お読み頂きありがとうございました。
引き続きご愛顧頂けると嬉しく思います。
それではまた次回お会いしましょう。
2016.09.06 改稿版に差し替え