7-9 胴欲たる双心
-西暦2079年7月24日09時10分-
「コウ! オッサン! 野口ッ! 梶谷ッ! 誰でもいいッ! 本営ビルの正面エントランス玄関だッ! 畜生ッ! 俺は動けねえッ! 何とか……何とかしてやってくれッ!」
『片山ッ! 落ち着けッ!』
行動不能に陥り事態を動かす事が不可能な片山には、誰かを助けとして呼ぶしか手段は無かった。
一号の切断面で起きている放電現象は収まる様子が感じられない。
珍しく慌てふためく片山に真っ先に応えたのが犬塚であったのは、やはり彼なりに二人の戦闘の動向を気にしていたのであろう。
「オッサンッ! 頼むッ! 何人でもいいから人をッ! 人をこっちに寄越してくれッ! このままじゃ多分間に合わねぇッ!」
そんな元部下の異常なまでの乱心に犬塚は顔を歪めた。
『必要なのは技術系の兵員でいいんだな? 直ぐ向かわせる……何が……一体何があった?』
「解かんねぇ……ケリ自体はついたんだ……勝負を確実に終わらせる為に、嬢ちゃんの動力中枢をぶった切っちまったんだよ。普通のEOならこんな現象起こんねぇんだ……」
『現象ってのは?』
「……放電が終わらねぇんだよ……俺達なら蓄電してる分や流入した分が放出されりゃあすぐに収まる……でも終わんねぇんだよッ!」
『……兎に角だ。人は向かわせる。どうすべきかの指示はお前が出せ。EOの構造については俺達には正確な情報は届いていないんだからな。片山? 聞いて――』
「クソッ! ちょっと考えりゃあ判るじゃねぇかよッ! あんな機能があんのにまともなEOな訳がねぇって……頼むッ……助けてやってくれッ!」
『落ち着かんかッ! バカモンがッ!』
聴覚機能の一部が瞬間的に麻痺する程の声量で、犬塚は片山に鎮静を強要した。
『お前が騒いでどうにかなるなら好きなだけ騒げッ! そうでないならギャアギャア喚くのをやめんかッ!』
上官の命令は絶対である。
軍を辞し、機械の身体になった今でも……片山淳也の片隅に習性として残るもの。
それが強制的に彼から混乱を引き剥がした。
犬塚にとって部下が目の前の状況に心を乱す様を見る事など、日々の厳しい訓練もあって日常茶飯事であった。
だがそれを言葉のみで沈静化させる事は、そうそう簡単に出来る事では無い。
犬塚と片山という、十年近く……それも半ば家族として扱い扱われてきたという、密接した信頼関係があってこそなせる技なのだろう。
『人は向かわせている。坊主もな。雪村も中条も手が離せん。連中は連中で厄介な相手とやりあってるからな。そういう事態に追い込まれてるのはお前だけじゃ無いんだ。遅参したとはいえ、隊を率いているお前がそんなザマでどうする?』
「…………オッサン、スマン。だが急いで欲しいのは本当だ……このままじゃあ嬢ちゃんそのものが終わっちまう……」
『そうさせない為に動いてんだろうが。兎に角、坊主に連絡を入れろ。合流してからどう動いて欲しいかを伝えておけ。いいな?』
そう言うと犬塚との通信はあっさりと切られた。
彼は彼で抱えている案件がある。
片山の思考が落ち着いた以上、対応する人間達に任せるのが合理的だと犬塚は考えたからだ。
彼にしてみても一号の事は気にかかる。
だがやるべき事を抱えた指揮官が私情で戦場を動き回って良い訳が無いのだから。
通信が切られて直ぐ、片山は一号へと視線を送る。
相対して倒れた事が良かったのだろう。
彼の視界の中に彼女はしっかりと収まっていた。
バヂッ!
ジッバヂッ!
小さな呻き声と供に断続的な放電は片山の身体を嘲笑う様に照らし、その光はより強く早いサイクルでの明滅を開始する。
何かの秒読みにも感じられるその光景は、一度は落ち着いた彼の心を再び焦がし始めた。
「まだかッ! まだ来ないのかッ!」
技術畑の人間で無い片山に、今のこの状況を冷静に分析して理解しろというのは無理な話だろう。
「コウッ! 急いでくれッ! 放電の強さと速さが上がり始めてるッ! 嫌な予感しかしないんだッ! そっちにい――」
到着して直ぐに対応の開始が出来る様に晃一に情報を送ろうとしたのだが、片山の聴覚回路が拾った音は送った通信への応答では無く……真上から飛来する何かの音だった。
キュボッ!
空気を巻き込んだその音が鳴ったかと思うと、轟音と爆風が片山を襲う。
衝撃により弾けた地面の構造材が石礫となって周囲に撒き散らかされた。
「グッ……」
避けるにも避けられず礫の洗礼を受ける片山であったが、爆風によって大きく飛ばされる事も無く、姿勢が膝立ちから尻もちになった程度で済んだ様だ。
何が起きたのか見定めなければならない。
晃一や工兵達がこちらに向かって来ているのだ。
そう考えた片山は、粉塵の舞う何者かの落下点へと目を向ける。
中で何かがもぞもぞと這いながら動くシルエットが薄っすらと確認出来た。
「お前……」
ビル風が気まぐれに粉塵が巻き上げ、視界をクリアにする。
落下で出来た小さなクレーターの中から姿を見せたのは、右腕だけで這い進む二号であった。
「何しに来やがったッ! 戦闘バカのテメェに出来――」
「動力炉が暴走している……早く頭部を外さなければ一号は……」
二号は一号の身に何が起きているのかを正確に理解している様だ。
片山は自身と同じ戦闘に特化した人間だと思っていた二号の、そんな言葉を信じられないでいた。
だが藁にも縋りたい今の状況では、背に腹は代えられないのは確かである。
「何を知ってる? いや……いい……知ってるんだったら急がないとマズいのは判るだろうッ! 俺が動けないのは見ての通りだ……嬢ちゃんを助けたかったら早くしてやってくれッ! 頼むッ!」
彼の請願を聞いているのかいないのか、二号は一号へとにじり寄る。
彼が先に彼女の元へ届くのか、それとも一号が先に破滅を迎えるのか。
そんな加速していく状況の中、事態の転換に指を掛けたのは二号だった。
片腕しか動かないもどかしい動きの中、彼の腕は一号の背に回る。
郁朗達や量産型の黒や赤のEO、そして一号や二号の様な新型EO。
そのどれにも該当する、設計基上の規格というものがある。
それは本体となるボディに、被験者の脳と脊髄を合わせた脳髄パッケージを接続するという事だ。
意思の有無や新型旧型に関わらず、その仕様に大きな変更は無い。
メンテナンス性の向上等の意味もあるが、いざという時に破損したボディを破棄、安易に交換が可能な運用を可能にする為の意味合いが大きいからだ。
だがおいそれと外されるギミックにしておけば、戦闘時にその仕組みに触れるだけで無力化されるという弱点を抱える事となるのは旨く無い。
故に音声コードによる背部コンソールの開放と、コンソールへのパスコードの入力によってようやく接続のロックが解除される仕組みとなっている。
切断部の明滅は早くなる一方で、見守るだけの片山は気が気では無い。
「リ……開放」
どうやら二号の声紋は彼女の開放コードとして登録されている様だ。
一号の背部襟元の下辺りにある小さなカバーが開き、コンソールが現れる。
二号が十桁程のパスコードを入力すると、ブシッと音を立てて空気の動く音がした。
恐らくは真空状態で密閉されていた脳髄パッケージの格納エリアに、外部からの空気が流入したのだろう。
二号は彼女の頭部を掴むと、乱暴ではあるが本体から素早く脳髄パッケージを抜き取った。
パッケージング自体が強固なものである事をよく知っているのだろう。
少々乱雑に扱った所で、収められている脳髄にダメージが出ない事を折り込んでの行動である事が窺える。
本体からの分離を終えた一号の頭部を、彼はそのまま片山へとふわりと静かに放り投げた。
尻もちをつく形となっている片山の胸元に、彼女の脳髄パッケージがポトリと落ちる。
「早くお前もそこから離れろッ! それがヤバいのは見てれば判るッ! 急げッ!」
「好きに言ってくれる……残念だがここまでだ……」
「何を――」
片山が二号の口ぶりの違和感に気付いて視線を巡らせると、彼の身体の周辺に緑色の水溜りが生まれつつあった。
その正体は彼の身体を巡っていた循環液だ。
視覚に入る範囲では大きな異常は見受けられないが、どうやら落下の際に酷い損傷を受けたのだろう。
百数十メートルの自由落下を受け止めるには、残存しているアンチショックジェルの量が足りなかったのか。
それとも戦闘への介入の際に、左腕を自身で毟り取った事が原因なのだろうか。
正確な事は判らないが、動作に支障をきたすだけの量の循環液が流出している事だけは明らかだった。
「一号の身体の事は早村から聞かされていた……俺はいざという時に彼女を止める役目も合わせて与えられていたからな……間に合って良かった……悔いは無い」
「良かったじゃねぇッ! 何言ってやがるッ! 今にも爆発しそうじゃねぇかッ! 根性見せてみろッ!」
「……安心……しろ……爆発は……しない……お前と一号……は……助かる……」
一号のボディの切断面からは凄まじいまでの放電が始まっており、動力中枢であった場所は白く光って熱量が上がっている様子なのだ。
その状態を見て爆発しないと言うには説得力が無いだろう。
「いいから動けッ! そこから離れろッ!」
「この……動力は普通……じゃ無い……早村が……言っていた……」
「そんなもん見りゃあ判るッ――!! おいッ!!」
循環液の現象で意識が薄れつつある二号の言葉に合わせる様に、一号の身体を中心とした周辺がぼやりと歪み始めた。
少しづつ歪みを増していくその空間に対し、片山は驚愕の声を上げるしか無い。
「……一号を……」
頼むとでも言いたかったのだろうか。
二号の言葉がそこから先に紡がれる事は無かった。
空間の歪みは捻れに変わり、彼を含めたその周囲の視認が難しくなったその時……無音で黒い球体へと変貌したのだ。
直径四メートル程だろうか。
球体は波打つ事も無くその場に鎮座し、光の透過すら許さ無いその外見は……内側を覗かせるつもりがまるで無い程の漆黒であった。
十数秒その形を維持すると、球体は少しづつ……本当に少しづつ小さくなっていく。
片山が呆然とそれを見守る中、漆黒の球体はその場から消滅した。
「二号ッ……馬鹿がッ!」
一度だけそう叫ぶと、片山の中に生まれた波は静かになった。
怒りや悔恨をぶつけ様にも身体が動かせない事が、却って彼に静かに状況を整理する時間を与えたのだろう。
二号がどの様な意思を以って一号を救おうとしたのか……その真意については、正確に知る者は本人以外はいないのだろう。
どの様な意図があったとしても、彼の末期の声音が満足したものであった事は幸いであった。
それは片山の心の澱を僅かではあったとしても……外に汲み上げてくれたのだから。
一号の生身の肉体の復元とその記憶や身柄の処遇……彼女に関して戦後にやらなければならない事を、少しばかり冷えた脳裏で列挙していく。
最優先でやらなければならない事は彼女の脳髄パッケージの生命維持だろう。
片山は成すべき事を成す為に動き始める。
「コウ……EO用の――」
こうして一号の復讐劇はどうにか幕を下ろした。
その結末は彼女や片山の求めた救いの形そのままとはとても言えないものなのだろう。
だが、片山も彼女も生きている。
生きていかなければならない以上、先に進んでいく時間という概念は……彼等の中に新たな答えを生み出す切っ掛けになってくれると、今は信じるしか無いのだ。
次に一号が意識を取り戻した時、彼女がどの様な状態で目覚めるのかは判らない。
だがその目覚めが平穏なものである事を……片山は真摯に祈るだけであった。
「アキラッ! そっちに行ったッ! チクショウッ! 何で当たんねぇッ!」
『タマキ……落ち着け。あいつらが……速過ぎるだけだ。足を止めてやりたいが……厳しいぞ……これは……』
片山が一号と接触し二号と戦闘を開始した頃、環とアキラは別の戦場で異形との戦闘に追われていた。
犬塚の言った『別の厄介な相手』である異形の正体は……八号と九号。
蔓内と禾原の融合体であった。
事の起こりを遡れば、あのホバー戦車の最後の咆哮が二人に着弾したあのタイミングという事になるだろう。
あの着弾の瞬間……八号と九号は身動きこそは取れなかったものの、アンチショックジェルの全てを全身を覆う殻状に展開。
着弾の衝撃と爆風に飛ばされながらも大したダメージを受けず、環の視界から離脱していた。
二人のしぶとさを懸念し、周辺の捜索を開始した環の勘は当たっていたのだ。
八号と九号は飛ばされた先で自分達の身体を分割、環によって受けた損傷部分を取り除き肉体を再構成した。
その結果、四足歩行で二つの頭部を持った……化け物と形容出来るEOが誕生したのである。
彼等には残された手の内が何かあるのだろう。
平然と改修の痕跡を残したままに、その場から更なる移動を開始する。
宛てもなく捜索を続けていた環がその場に辿り着けるまでおよそ五十分弱。
それだけの時間を二人に与えてしまった事は致命的であった。
痕跡を発見した環はこれはマズいと晃一へ一報を入れ、緊急性の高い案件として周辺警戒の強化を呼びかける。
幸いにもジャミングが解除された直後の事であり、各部隊への連絡は滞る事無く行われた。
この通信を聞いたアキラが、環へと合流を申し出たのだ。
二号が片山の元へ移動するそぶりを見せたので阻止しようとしたものの、晃一の口ぶりからそれが片山の意向だと知るとこれを放置。
残っていた僅かな数の赤甲のEOを壊滅させると、藤山の逃走したホール最奥へと先任達を置き去りにして向かう。
既に用意されていた爆薬の起爆プログラムは勿論、本営のコントロールの全ても長瀬のダーティな一手によって全て掌握されていた。
打てる手が一つも無い事を自覚していたのだろう。
言葉を発する事も無くただの柱として鎮座していた藤山の脳髄を、オペ班達の指導の上で繋がっている全てのネットワークから切断。
そしてその身柄をワイヤーで文字通りの拘束を行った事で、アキラの手は空いていた。
藤山をそのまま放置して先任と工兵達を両肩と背中に担ぎ、ローダーの最高速度で地上へ離脱。
犬塚達と合流し、未だに包囲を突破出来ていない野口達の支援に向かう彼等と別れ、大葉の元へ急ぐ。
本営における戦闘がクリアになりつつあった事から、大葉の索敵能力を八号と九号の捜索に回して貰うためだった。
犬塚の了解も得、即座に大葉による全方位のフルスキャンが開始される。
そして発見されたのが、本営の敷地の最北西端に湧き出た縦穴の様な施設であった。
これは事前の空撮でも、作戦中の一度目の大葉の全力索敵にも引っ掛からなかった施設である。
厳重な隠蔽を施されていた施設がこのタイミングで姿を見せた事から、アキラはこれを二人の潜伏先と断定。
環と移動先で合流して現地へ飛んだ。
そこで二人は融合体と接触、戦闘を開始したのである。
四足歩行で行われる融合体の移動速度は大したもので、狙撃に必要な距離を取りきれていない環は勿論、アキラの糸ですらその速度で回避される程のものであった。
彼等が八号と九号の殲滅を急ぐ理由は二つ。
二人があからさまに逃げ回り、何かを行う為の時間を稼いでいるという事。
そしてもう一つは……縦穴のある施設から聞こえてくる音が、時間を追う毎に大きくなってきているという事であった。
「ヤベェ……何かヤベェぞ、こいつは。嫌な予感しかしねぇッ!」
『それについては……同意だが……焦っても仕方ない……糸のトラップに追い込む……』
「かかってくれりゃあいいんだけどな……よしッ! やんぞッ!」
環とアキラは融合体の暗躍を止めるべく、再び戦意を向上させるのであった。
空神による降下から藤山の拘束に至るまでの複数の戦闘。
そして片山と一号の決着。
陸軍本営における戦闘はほとんど終わったと言っても良いだろう。
だが降りつつある緞帳にしがみつき、しぶとく戦いを継続しようと目論む者もまた、この様に存在するのである。
この舞台の幕を確実に降ろす為に必要であろう……融合体の尽きようとしない、あらゆる欲が呼び起こした最後の攻防が、ここに開始されたのであった。
お読み頂きありがとうございました。
引き続きご愛顧頂けると嬉しく思います。
それではまた次回お会いしましょう。
2016.09.06 改稿版に差し替え