7-8 妄執の行き着く先
-西暦2079年7月24日09時00分-
「よくもやらかしてくれやがったな……テメェッ!」
しゃがみ込む一号へと視線を送っていた二号は……片山の言葉で我に返る。
以前アジト襲撃の際にあった一合によって、少なくとも同等……機体の性能も合わせれば、自身が格上だと思っていた片山との実力差。
それがどうだろうか。
交わした手数は十数手……時間にして僅か一分と少しの戦闘。
たったそれだけの手合わせで完膚無きまでに敗北したのである。
地を舐めた彼の意識は混濁としていた。
片山と一号の対峙中も意識はそこに無く、何となしに二人の戦う光景を目に入れていただけであった。
まさに茫然自失。
自身の肉体や技術への信頼が一息で崩れ去ったのだろう。
頭部と右腕しか動かない身体の状態も、その心境に拍車を掛けた。
そんな最中であった。
片山の攻撃が一号へと通る。
自身の成し得なかった行為の成功に、もはや驚愕するしか無い二号。
彼は歯噛みする力も沸き出て来なかった自身を笑うしか無かった。
そしてとうとう彼の赤く光る腕が彼女の左腕を破壊した瞬間、得体の知れない危機感に襲われる。
戦いの場で生きてきた人間としての勘が、片山の呵成の一撃が一号の生命の火を燃やし尽くそうとする劫火だと察したのだろう。
微動だにせず痛覚も切れている左腕を毟り取るのに躊躇すらしなかった。
片山の蹴打が空を切ったのを目にした時、思わずチャンスだと思ってしまったのだ。
それは何のチャンスだったのか。
片山を陥れるつもりも、一号の勝負に水を差すつもりも彼には無かった。
ただここでコレを投擲しなければ彼女が破壊される。
機能の落ちた右腕での投擲でも、片山の攻撃を中断させるに十分な威力があるだろう。
そうして頭に妨害の軌道を思い描いた瞬間には……その右腕が動き、事を成し終えていたという訳だ。
「…………」
片山の抗議と呼ぶには生易しい蔑みの言葉を……彼は黙って受け入れていた。
それを受け入れるのは当然と考えるのが二号という男である。
忠誠を誓った一号の復讐の舞台に対し、してはならない介入をしたのだ。
その相手である片山の怒りも当然のものとして受け入れなければならなかった。
もう一方の当事者である一号は、自身の生命の灯火が消え去ると思った瞬間から思考も動きも止めていた。
EOの身体を得てから一度たりとて傷つけられる事の無かったその身体。
それが二度。
二度も傷つけられたのだ。
それも相手は敵として狙い、一度は生命維持ギリギリの動作不能までに追い込んた片山である。
彼女の何もかもをストップさせるには十分の状況と相手だったのだろう。
「黙ってんじゃねぇよ……俺だって嬢ちゃんだって生命の一つも賭けてこの場に立ってんだ。俺にこてんぱんに負けて呆然としてた人間が……テメェが今更手出ししていい火事場じゃねぇってのは判ってんだろうがッ!」
「………………済まない」
「無意識でしたってか? 今更謝ったって、やっちまった事はどうにもなんねぇぞ? 馬鹿野郎が……これでもうこの嬢ちゃんは何もかんもに引っ込みがつかなくなっちまった……あそこであのまま終わらせてやれば良かったもんを……」
「…………」
「……テメェの右手を残したのは、完全に俺の失敗だった。情けなんてかけるもんじゃねぇって事だな……さすがにこのままにはしとけねぇ……その右腕、貰うぞ?」
片山は一号に完全に背を向け、二号へと迫る。
勝てるチャンスを潰された事に対しての怒りは薄い。
無理をすればもう一手打てる以上、そこまで拘る必要も無かったからだ。
だが彼女の心情に関してはもう一度やりなおす、という訳にはいかないのだ。
片山は怒りに任せたこの戦闘で、彼女の心を折ってしまうつもりだった。
実際、止めになると思われた一撃がその身を襲おうとしたあの瞬間、一号の心は折れかけていた。
この復讐は終わるのか。
そんなどちらともとれない想いが彼女の中を巡ったのだ。
だがその瞬間は訪れなかった。
目の前を黒と赤が交互に過ぎ去った時、一号の中にあったその想いは崩れ去る。
彼女が本来持っていた烈火の如き妄執が燃え上がり、再び炎となって巻き上がり始めたのである。
復讐の舞台に水を差した二号など眼中に無い。
ただただ目の前で自身に背を向け、大きく怒声を上げている男がその対象である、そう自身に幾度も言い聞かせ、萎えかけた足に鞭を打つ。
左腕はもう動かないが、まだ両足と右腕があるのだ。
それだけ動けばまだ終わる訳にはいかない。
そんな一号の意思に彼女の身体は即応した。
二号ににじり寄る片山の意識が自身に向いていない事を認識すると、その隙だらけの背中に襲いかかったのだ。
「…………!!」
一号の無言の気勢を片山は殺気として捉える事は出来た。
だが彼がその攻撃に対処する事は出来無かった。
二号への対処に目を向けすぎた事と、彼女がこのタイミングでは起き上がれないと思い込んでしまった事は、片山の大きな油断であったのだろう。
「グッ……!!」
振り向きかけた背部に、バネを思わせる靭やかな一号の飛び蹴りが直撃。
片山は三度バウンドして地を削り、屋上の手すりを突き破る。
一号は確かに膂力だけで言えば、EOとして非力な部類に入るだろう。
だが装甲自体に致命的なダメージを与えられなくても、片山をこの場から弾き飛ばせるだけの膂力は持ち合わせているのだ。
ビルから押し出された片山はほんの僅かに手が届かず、虚空へと飛び出す。
重力は即座に彼を捉えると、百数十メートルのフリーフォールへ誘った。
「くそったれッ!!」
ラベリングワイヤーもパラシュートザックも何も無しで宙空へと放り出される。
さすがの片山もこの状況には肝を冷やした。
だが肝を冷やす程度で済むのもまた、彼だからなのだろう。
空中での姿勢制御は空挺連隊時代に夢にも見ない程、それこそ日常の訓練として身体で味わってきたのだ。
虚空での身体をどう動かせばどんな挙動を生み出すのか、それを片山は熟知していた。
身体に当たる上向きのビル風を利用し僅かに身動ぎしただけで、頭部側へと重心を集める事が出来た。
傾き始めた片山の身体は速やかに本営ビルへと近づいていく。
ほんの数十cm。
それを稼ぎ出す為の時間は永劫にも感じられた。
白い外壁に指先が届く。
指先に高周波ブレードを発生させると外壁へとそのまま差し込んだ。
勿論ブレーキとする為である。
重力と片山の重量が伴う事で、本営ビル外壁には十本のラインが直線で描かれた。
踵のアンカーを打ち出して脚部の力も使って減速をフォロー。
落下速度の低下を確認すると、高周波ブレードをオフに。
ラインは直線から歪なものになり、五メートル程壁を削った所で片山の身体はようやく落下を停止する。
腕だけでブレーキをかけていれば、衝撃で腕の関節各所に深刻なダメージが出ていただろう。
一瞬の判断で踵と脚力まで使ったのが功を奏したのか、小さいダメージで収まった様だ。
「さすがに……死ぬかと思ったぜ……」
あのまま地面に落ちたとしても機体全損だけで済んだのだろうが、片山にはまだやるべき事が残っているのだ。
数十メートルは落ちただろうか。
片山のカメラアイが屋上を睨みつけると、そこには屋上から乗り出し、彼の所在を確かめる一号の姿があった。
刹那。
彼女はそこから一歩踏み出す。
一号も重力に引かれて落ちるかと思われた。
だがその右足を壁面に蹴り込むと、続けて右腕、左足と壁面に貼り付く為に差し込んだ。
頭を下に向けて、片山からは片時も目を離さぬその異様な光景は……さながら巣にかかる獲物へとジリジリ迫り来る女郎蜘蛛の様であった。
ゴシリ!
ゴシリ!
壁面に生き残っている四肢を突き刺し、次々と穴を開けながらビルを下る一号。
狂気すら感じるその有り様に、片山は頭を抱えた。
(ほれみろ……言わんこっちゃねぇ……とにかくこのままだと一方的に嬲られちまう。下に降りるしかねぇか……)
ゴッ! ゴッ!
片山は一号に倣う様に両足を壁面に蹴り込み直立すると、そのまま窓のある面まで疾走した。
メシメシと音を立てて壁の構造材は崩れていくがお構い無しだ。
壁面の移動を終えた片山は窓側にある窪みを利用し、落下スピードを殺しながら地上へと帰還して行く。
(スタント無しでこんなシーンを熟せちまうとはな……二十世紀ならハリウッドスターも夢じゃ無いんじゃねぇか?)
かつて好んで見ていたアクションスターの映画でも、よく高所からの飛び降りるシーンがあった事を片山は不意に思い出していた。
(思えば遠くに来たもんだな……)
地上部エントランスの前で一号を待ちながら、自身の拉致に至った出来事や、アジトでの出来事が走馬灯の様に蘇る。
(いかんいかん。こりゃあダメだ、死んじまう流れじゃねぇか)
気を取り直してギミックの発動までに必要な残り時間を確認すると、バイザーに表示された数字は五分と四十秒程残っている。
(持ってくれよ……)
ブラッドドラフトの限界時間までは、流石にそこには表示されない。
どの様に成分構成を変えたのかまでは片山には理解出来ないが、倉橋が動けなくなると言うのならばそうなのだろう。
そう考えた時。
ドシン、と大きな着地音を無造作に立てた一号が視界に降って来た。
「……そんな折れた事を認めるが嫌なのかよ……だったら力づくでへし折るまでだ。来いよ、嬢ちゃん……今度こそ終わらせてやる」
屋上で見せた赤い焔とは違う……より高い温度の静かな蒼炎の気配が片山を覆う。
普通にやれば次は一号も簡単には食らってはくれないだろう。
激情に任せた一撃では届かないはずだ。
そんな片山の分析を他所に、一号は彼へと拳打蹴打を嵐の如く見舞う。
言葉も無く片山を攻め立てる彼女は、その打撃の尽くにA・K・Tを纏わせていた。
「…………!!」
「グッ! マジかよッ!」
本来防御機構であるはずのそれを攻撃の補助に使い始めたのだ。
とても情念に呑まれた者の攻撃とは思えない質がそこにはあった。
打撃を受け流そうとする片山の身体の運動を奪い、生じた隙間に強打をねじ込む。
そんな強引な攻撃が一撃、また一撃と彼の身体を削っていった。
衝撃を流せず、関節への負荷は増える一方。
装甲への大きなダメージは相変わらず存在しないものの、モーターやアクチュエーターの損傷が馬鹿に出来ないレベルになりつつあった。
片山のバイザーのタイマーが示すチャージの残り時間はおよそ二分半。
その二分半、この猛攻を耐え切れるのか……そしてブラッドドラフトはチャージを終えるまで維持出来るのか。
増加していく不安要素は枷となり、彼の動きを締め付ける。
見通しの明るく無い中、バイザーのアラートが不意に鳴り出した。
それは劣勢の片山にとっての福音となる。
バイザーの熱感センサーが、一号の体内の温度の異常上昇を感知したのだ。
(こりゃあ……何事だ……?)
カメラアイをサーモグラフィーに切り替えると、体表から見る限りではありが、確かに彼女の体内の一部の温度が上がっている。
その位置は人体で言うならば肝臓の位置。
彼女の身体構造がアーキテクト通りのものであるならば、循環液で行った陽反応により生まれた電子の集積装置。
すなわちEOの動力の中枢とも言える箇所であった。
片山は未だ気付いていないが、よくよく考えてみれば一号という存在には違和感がある。
いくら新型とはいえ、EOの身体規格の発電量でA・K・Tを起動出来るのかどうかという事だ。
郁朗という規格外の発電量を以ってして、ようやくAKTジャマーと呼ぶべきギミックを動かす事が出来るのである。
仮に彼女が片山達と同様の遺伝子改造されたEOであったとしても、郁朗と同等の機体特性が発現したとはとても思えないのだ。
その証拠がこの温度上昇である。
郁朗であるならばフルドライブで最大発電を行ったとしても、動力中枢が異常発熱する事など無い。
あるとすればせいぜいモーター部が焼け付きを起こしてそれなりの温度上昇を見せるくらいだろう。
ならば一号のこの状態はどういう状態なのか?
彼女の動力中枢が普通のものでは無い。
そしてA・K・Tのフル稼働・常時使用というこの状況は、彼女の動力中枢に対して著しい負担を与えているという事なのだろう。
それでも一号の手数は減らされる事無く片山を襲い続けている。
A・K・Tを使い続けている弊害は進み、彼女自身は気付いていないのか動力中枢は更に温度を上昇させていた。
(チッ、根比べだな……耐えきれるか……俺が……)
片山の戦闘本能は、状況を正しく嗅ぎ分けた様だ。
自身のブラッドドラフトが限界を迎えるのが先か、彼女の動力中枢が熱損耗により草臥れるのが先か。
リスクの発現する針がどちらに振れるのかが鍵となるだろう。
だが先に陣容を崩したのは片山であった。
循環液内のヘモグロビンが自壊を始めたのだろう。
組成を発電重視に変更した事で、本来ならもっと長時間循環液の中に存在しえたはずのそれが……成分崩壊を起こしているのだ。
勿論、一度に全てのヘモグロビンが自壊を起こす訳では無い。
だがそれらの運ぶ酸素が無ければ、アクチュエーターを包む特殊アミノ酸は徐々に機能を落としていく。
片山の動き少しずつ鈍っている事を、一号も感じたのだろう。
止めとばかりのラッシュが開始された。
減りゆく発電量にバイザーのタイマーは増加と減少を繰り返す。
(まだか……まだか……まだかッ!)
一号の手数が増えた事で、片山は身体中に衝撃を感じていた。
彼女の右拳が、頭部のバイザーの半分を吹き飛ばす。
このままリスクの針は片山の側で振り切れるのかと思われたその時……その針は彼女へ向けて反転する。
「………………あグッ!!」
上がる小さな悲鳴。
一号の動力中枢の異常が表面に顕在化したのだろう。
電力供給に問題が出たのか、連打の回転が目に見えて落ちてしまった。
それでも彼女はその手を止めようとしない。
A・K・Tは未だ健在。
このまま片山を押し切るのだという気迫が、彼女の身体に休む事を許さなかった様だ。
互いの天秤に一枚、また一枚とベットされ続けていく生命と言う名のチップ。
その天秤が大きく一方に傾いたのは……片山の半壊したバイザーの隅に、COMPLETEの文字が浮かんだ瞬間だった。
「どうやら勝ちを拾ったのはッ! 俺だった様だなッ!」
そう叫んだ片山は、居合の構えと同様に左腕の腕刀を右掌で支えながら腰溜めにし、AKTジャマーを作動させた。
一号はその言葉の意味を悟り、一歩二歩と後退する。
だが動力の問題の発生したその身体では……片山の殺傷圏内から逃れる事は叶わなかった。
一歩目を踏み込むと供に高周波ブレードを起動させるとさらにもう一歩。
片山はその踏み込みと同時に右掌から左腕を抜刀。
苦し紛れに繰り出した一号の右腕の拳打を切り上げの腕刀で切り飛ばす。
そして返した腕刀が切り下ろされると、そのまま彼女へと吸い込まれ……。
ゾンッ!!
遮る感触も手応えも何もないままに片山の左腕は、一太刀で彼女の身体を右肩から袈裟斬りにしたのだった。
かつて見た抜刀術の段位を持つ時代劇俳優の殺陣のそれを、この土壇場で模倣したのだが、片山の想像以上にカチリとはまってしまったらしい。
後退の動作を行っていた一号の下半身は、見事に切断された半身を宙空に残して二歩程下がった所で……パタリと倒れて動作をその停止する。
一号の小さな呻き声が聞こえる事から、死亡までには至らなかった様だ。
だが半身と片腕を切断された以上、最早戦闘は不可能だろう。
同時に片山もその場に膝をつき動けなくなってしまっていた。
意識はあるもののブラッドドラフトが切れた事で、倉橋の言っていた動作不能状態に陥っているのだろう。
「…………俺の……勝ちだな……」
辛うじて出したその声に呼応するかの様に、一号の断面からスパークが走った。
「アアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
突然の彼女の奇声が片山の耳を劈く。
急変する事態に彼は必死に声を上げる事で精一杯だった。
「嬢ちゃん!!」
だがその声に応える者は存在せず、彼女の身体から鳴り続ける異音と……片山が一号を案ずる声がその場にただただ木霊するだけであった。
二人の勝負は水が入ったものの、結局は片山の勝利で幕を閉じる。
一号の妄執の炎は……片山を燃やし尽くす事は叶わなかった。
いや……より大きい逆撃の焔に呑まれてしまったと言ってもいいだろう。
だがご覧の通り……一号の復讐者としての行き道には最後の困難が残されていた。
彼女はこのまま生を終えるのか?
それとも何かを得、何かを捨て、生き残る道を掴めるのか?
不穏な状況の中、片山淳也は……ただの指一本すら身動ぎ出来ずに、歯噛みするだけであった。
お読み頂きありがとうございました。
引き続きご愛顧頂けると嬉しく思います。
それではまた次回お会いしましょう。
2016.09.06 改稿版に差し替え