7-7 預けられた切り札
-西暦2079年7月24日08時50分-
人の血の滾りは時折……熱として例えられる事がある。
今、片山淳也の身体を巡っている真紅の循環液には、従来の体温という温さを越えた熱さ……そんなものを感じさせる何かがあった。
そんな片山の右腕は赤い光弾となり、一号へと真っ直ぐ向けられた。
一号が自身の認識した悪に対して征伐を行う仏法の守護者の修羅であるならば、片山はそれを食らう悪鬼羅刹の如く。
彼女の身体目掛けて貪り食う様に繰り出された一撃には、そんな情念の乗ったものであった。
だが彼女にはA・K・Tが存在する。
いくら片山がブラッドドラフトにより膂力を最大限まで底上げしたとしても、物理運動を軒並み停止させるこのシステムを一号が内包している以上、この魂の篭った殴打ですら攻撃手段にはなり得ないのだ。
フッ
自身の腕から慣性が抜けていくのを彼ははっきりと自覚する。
片山はそれでも引く気配を見せない。
彼の気合に未だ呑まれている一号は、本能的なものなのだろうか。
向かって来るその手へとむずがる子供の様に手を伸ばし、自身のパーソナルスペースへの侵入を拒んだ。
結果、彼女の左の掌が片山の拳へと触れる。
そこには彼にとっての好機が存在した。
片山はスッと身体の力を抜き、爪先一つ分だけ前へ進む。
「フンッ!」
郁朗達であるならば、最早聞き慣れた裂帛の声。
前に進んだ動作と供に足首を捻り、膝を捻じり、股関節から腰へ。
僅かに回った腰から背筋、肩、上腕、肘、下腕。
そして最後に手首。
爪先一つ分の前進する力を元に、身体の関節全ての捻る力を拳に集約した結果……。
「――ッ!」
バチンッ!
接触していた一号の掌が大きく弾かれる。
彼女の左掌の指の関節モーターの大部分がこの一撃で破砕された。
片山は高周波振動すら止まる障壁を越え、確かに一号へと直接的なダメージを届けたのである。
中国拳法的に言うなれば"勁"とでも呼べばよいのだろうか。
勿論、片山にはその手の武術の心得は全く無い。
あるのは軍学校時代と軍人時代の格闘教練による、陸軍で学んだ格闘技術の経験だけである。
だが有り余る片山の戦闘センスは、どうすれば最小限の力を最大限に使う事が出来るかをその経験だけで知っていた。
身体のほんの僅かな身動ぎを、関節各部の同じく僅かな運動を経由して積み上げていく。
一号に接触している面さえあれば、A・K・Tの力学無効化現象を越えて物理運動を届ける事が出来る。
それを一度実践して行い、証明されていなければやろうとも思わなかった手段だろう。
一号は砕かれて握る事を封じられた左手を目をやる。
親指を除いた四本の指に存在する十二個のモーターのその全てが動作不能に陥り、中指と薬指に至っては第二関節から先が手の甲側に反り返っていた。
絶大な握力を生み出すアクチュエーターは伸びきり、数カ所は断裂すらしている。
これで彼女は左拳を攻撃的に使うには、せいぜい手刀として振り回すくらいしかないだろう。
利き腕で無い事は幸いなのだろうが、受けるはずの無いダメージを受けたショックのせいだろうか。
痛覚を切る事も忘れ、それが彼女に生身の頃の感触を思い出させていた。
「貰わないと思っていた一撃を貰う気分ってな、どんな気分だ? 狩られる側の怖さを少しは思い出したか?」
復讐者として……狩る側に立って動き出してからは抜け落ちていた感覚なのだろう。
彼女の思い出した感触は、追われ……狩られる者としての恐怖だ。
母を殺した男に力任せに覆いかぶさられ、怖気の走る血塗れの指先で身体を弄られた記憶。
「……嫌な事を思い出させてくれたな……少しばかりわたしに攻撃が通ったからといって、それが何度も続くとでも思っているのか?」
「ハンッ! テメェの腕力見誤ってんじゃねぇ。そのカラクリのお陰で防御だけは硬ェようだがな、攻め手に欠けてるってのは判ってんだよ。持久戦ならいくらでも付き合ってやる。虚仮の一念岩をも通すってな。馬鹿にして気を抜いてみろ……同じ様にズドンとカマしてやらぁ」
「同じ手が通用――」
「するかってか? そうじゃねぇな。通用させるんだよ。こっちはテメェがランドセル背負ってる頃から殴る蹴るの世界にいたんだ。引き出しの数が違うって事をこれから理解して貰うぜ? 前より身体も頑丈になってるからな、ちょっとやそっとじゃくたばりゃしねぇぞ?」
確かに片山の言う通り、技術的な引き出しは圧倒的に違うだろう。
だが本当に彼女に通じる手段を、ここまで言い切れるだけの手数で用意出来るのであろうか?
答えは勿論……否である。
先程の頸紛いの攻撃はもう通用しないと見ていいだろう。
何より片山自身が再現できる自信を持っていない。
まぐれと言えば聞こえが悪いかも知れないが、先程の有効打はあくまで片山のこれまでの経験の蓄積による、偶然の一打だったという事だ。
ではこのどこまでも上から見た物言いは一体何なのだろうか?
E小隊……つまり片山達、千豊側の組織のEOの必須技能とでも言えばいいのだろうか。
所謂、ブラフというやつである。
「……挑発してわたしをどうしたい? 苛立って迂闊に手を出すとでも思っているのか?」
「よく言うぜ……俺の剣幕にビビって素直に拳に触れやがった癖によ。チョロいにも程があるじゃねぇか。やっぱりその辺りはガキなんだな。怖いもんは怖いって言って物陰にでも隠れてろよ」
「…………」
(乗っては来ねぇが……警戒はしてくれてやがるか。こうでもして時間を稼がねぇといけねぇのはちっとばかし辛ェな……)
挑発はあくまでもブラフであると、勝ち筋を見出す為の手段と割り切りながら、片山は空神搭乗直前に交わした倉橋との会話を思い出していた。
「は? 五秒? 何だよそりゃあ、ハンチョー? そんなもんが使いモンになんのか?」
「仕方無いだろうが。それにお前さんの通常時の発電量じゃ、動かす事すら無理なんだ。せめて藤代クラスでなけりゃあ、とてもじゃないがまともに動かせん」
「は? イクローの? 馬鹿言ってくれるぜ。あいつの発電量って言やあ、俺の三倍以上じゃねぇかよ。そんなもんを何で俺に積んだんだよ!? 俺じゃあ力不足もいいところじゃねぇか!」
「ああ、もうウルセェなぁ……本来ならお前さんに積む予定は無かったんだ」
「……馬鹿にしてんのか? じゃあ何でだよ?」
倉橋の物言いが仕方無しに積んだと聞こえた片山は、機嫌の悪さを隠さずに表に出して見せた。
「…………藤代だよ」
「イクローが?」
「本来ならあいつに積んで試作強襲型にぶつける、と言う形で俺達の意見は一致した。発電量やフルドライブとの相性を考えれば、あいつに積むのが正解だと……今でも俺は思っているよ」
「そんなもん……俺だってそう思うさ。だったら――」
「藤代が断言したんだ。団長は何もなかったみたいに起きて、きっとガキみたいに仕返ししに行くってな。起きない訳が無いって事は、あれとやり合うにはこれは必要な物だって……お前さんが眠ってるメンテナンスポッドの前で……はっきりとそう言いやがったよ」
「…………」
郁朗に何もかも見透かされている。
そう考えるだけで、零点の答案を母親に見つけられた少年の如く、片山はただげんなりとするしかなかった。
だがそれが信頼の証である事も理解出来ただけに、いつもなら飛び出す憎まれ口も鳴りを潜めている。
「あいつにそこまで言われちゃあ、お前に積まない訳にはいかんだろうが。新見は最後までゴネてやがったがな。だからって訳じゃねぇが……ちゃんと使える様に対策は考えてある」
「……続けてくれ」
「お前のブラッドドラフトを使わせて貰う。本来、ブラッドドラフトは筋力強化だけが目的なんだがな、特殊燃料の配合を一時的に変更して、暗反応を使った生体発電能力の向上が望めるアミノ酸を混入した。お陰で唐沢が過労で使い物にならんのだがな」
「んな事が出来んのか?」
「出来るからやっとるんだろうが。まぁ解かり易く言やあ、フルドライブ寄りの運用って事だな。本来の筋力強化は一枚落ちるが、元々その新型ボディの筋力は前の身体の五割増しなんだ。少々強化効率が落ちたところで問題はあるまい。だが欠点もあるのはさっきも言った通りだ」
「…………」
片山は黙って言葉の続きを促す。
「もう一度しっかり説明しておくぞ? まずはこのギミック自体の作動時間が……一回につき五秒。発電能力と内臓コンデンサの蓄電能力を考えればそれが限界だ。短いと感じるかも知れんが、お前が一撃を入れるのには十分な時間だろう?」
「随分と短いなとは感じるが……まぁそういうもんだと思って使えば気にはならねぇ。そんで? まずはって事は他にもあんだろ?」
「うむ。ブラッドドラフト状態でのお前の稼働時間だ。駆動燃料のバランスを無理矢理いじった分、お前の身体に大きな負担がかかってくる。ヘタすればその新型ボディがお釈迦になるだろう。そして最後に充電時間だ。あのギミックを使うのに必要なチャージ時間は十分と少しってとこだな」
「もっと簡潔に言ってくんねぇか? どんだけ動けて何回使える?」
「…………トータルで二十分強……チャンスはギリギリ二回ってとこだな」
「……一発勝負じゃないだけマシって事か……」
「いや、一発勝負のつもりでやれ。正直……二回目の使用は保証出来んからな。二回目を使ったとしたら……透析じゃなく、循環液の全交換になる。つまりその場でぶっ倒れる……そのつもりでいろ」
「無茶言ってくれるぜ……まぁそれでもリベンジはしなきゃなんねぇしな。全くよォ……イクローには助けられた事といい、借りばっかりが増えちまうな……」
「そう思うんならちゃんと勝って来いや。藤代や雪村達にとっちゃ……お前は傍若無人、天下無双のボス猿なんだからよ」
「人をゴリラだなんだみてぇに言うんじゃねぇよ」
「馬鹿言うんじゃねぇ、ゴリラ程紳士的な霊長類もいねぇんだ。ゴリラに謝れ」
「なにおうッ!」
ゴリラ扱いされた事の怒りは、水名神内の巡航ミサイル給弾エリアのリフトカーが一台犠牲となる事で一応の収まりはついた。
強敵と向かい合っている最中にその事を思い出してしまった自分の迂闊さに、片山は小さく心の中で自嘲する。
(とはいえ……アレは使える時間も回数も限られてんだからな……ハンチョーの言葉を反芻する位、慎重にやらにゃあなるまいよ)
牽制の為の攻撃はしないが、ジリ……ジリ……と一号の横へと回り込む様に足を捌く。
彼女もそれに反応し、横に回り込まれない様に歩法を合わせてくる。
二人が少しばかりの時間をかけ、屋上に一つの円を描いた時に片山が大きく動いた。
(あと一分と少し……無茶な攻撃と思わせて、その中に本命を混ぜ込んでお終いだ)
増加装甲のバイザーに表示されているタイムカウントによれば、倉橋の用意した切り札への充電が間も無く終了する。
果たしてどの程度の効果を持つのか、そして本当に通用するのか。
片山の脳裏には疑念が残らない訳でも無い。
ままよ。
色々と思考したものの、結局行き着く答えはそれである。
使ってみなければ判らないのであれば迷わず使うのみ。
動作不能、循環液の全交換というリスクはあるが……辛うじての二度目はあるのだ。
そんな片山"らしい"と言えば"らしい"結論が、彼の拳の勢いに力を更に乗せる事となる。
ゴウンゴウンと空気が切られる。
直接攻撃が止められるのは当然と織り込んだ上で、連撃に繋げる為の慣性を稼ぐ為、一号には当たり得ない大きく外れた攻撃も混ぜ合わせていく。
打撃に混ぜる実と虚。
そんなイヤラシさも平然と持ち合わせるのが片山淳也という男であった。
「ちったぁ焦れてきたろうッ! それともさっきのアレが怖くて何も出来んか!?」
「どこまでも調子に乗ってッ! こうすればッ!」
A・K・Tに止められる攻撃にも、明らかに虚である攻撃に対しても。
彼女は視界に入る攻撃に対して、対空攻撃のそれに近い拳の弾幕を展開した。
動きを止めた腕を弾き、通り過ぎるはずの攻撃にも介入し吹き飛ばす。
先程の接触からの一撃を脅威と感じる以上、相手に殆ど触れる事の無いこの攻撃は賢明な選択と言えるだろう。
片山へのダメージを蓄積させている実感を、小さいながらも一号は得ていた。
それは先程思い出した『怖さ』を、束の間ではあるが忘れさせる。
だがこの流れすら片山によって意図的に作られたものだと知れば……彼女はどの様な感情を抱くのだろうか。
そうして一号の打撃による小さく鈍い音が響く中……ここまでの手間と時間をかけ、片山によって構築された反撃への火蓋がいよいよ切られる事となる。
(いけるッ! 決まれよッ!)
バイザーのカウントが零になり、A・K・Tに抗する為のギミックは発動された。
一号の攻勢に浮いた足が弾き飛ばされたのを良い事に、その被弾の慣性を利用して軸足を中心に半回転。
外見に大きな変化は無い。
片山自身も変化を感じられなかった。
再び小さな疑念が顔を覗かせるが、構うものかとばかりにさらに半回転。
回転の慣性を乗せ、再び高周波振動で赤熱した彼の右腕が一号を強襲する。
メシリ
単純な打撃が相手であった事から、自身を囲うフィールドに疑念を持たなかった一号。
聴覚回路を穿ったその音が、どこから鳴ったものなのか。
彼女は瞬間的にではあるが理解出来無かった。
片山の攻撃を叩き落とす事など児戯にも等しい。
A・K・Tに絡み取られた彼の腕を、今度も繰り出した左の手刀がこの攻撃も弾き返すはずだったのだ。
だが互いの身体の絡み合う刹那に彼女のカメラアイが映したものは……ひしゃげていく自身の左掌と、そのまま勢いを殺す事無く自身の肘の関節までを破壊する……赤く光る暴力そのものであった。
「ヒッ……」
目の前の事実を認めたのか、一号のサンプリングされた人口声帯はか細く小さな悲鳴を上げる。
非接触のはずの攻撃がA・K・Tを抜けて自身を襲う……その衝撃に耐えられなかったのだろう。
一方で、対する片山にも焦りはある。
初撃が入ったまではいい。
だが発動から既に一秒と少し。
残り時間である数秒で、彼女を機能停止にまで追い込まなければならないのだ。
頭部を薙ぎ払うべく左足のハイキック。
だがこれは混乱しながらも、本能的に恐怖から遠ざかろうとした一号に屈まれる事で回避される。
空振りの蹴打が空気を切るものの、その慣性を利用して回転し次打へと繋ぐ。
連撃として勢いの乗った砲弾の如き打ち下ろしの右拳が、屈んで身動きの取れない一号の肩口へ向けて入る軌道を描いた。
「終わらせるッ!」
だがその強撃は彼女へと着弾する事は無かった。
何処からか投擲されたであろう異物が、片山の右腕を直撃したのだ。
拳は先程までの必殺の軌道を逸れ、一号の右脇の地面を大きく抉る。
時間を無駄に使った事が片山を更に焦らせる。
今は妨害の原因よりも攻勢だとばかりに、腕を地面に差し込んだまま軸として、左足の踵を低い回し蹴りとして彼女へと向けた。
だが時既に遅し。
対抗ギミックは時間切れで稼働を停止し、その蹴りはA・K・Tによって慣性を失う事となる。
「よくもやらかしてくれやがったな……テメェッ!」
身動ぎしない一号を横目に拳を地から引き抜き、飛来物の原因へと振り返る。
そこには自身の左腕をもぎ取り、片山へと投擲した二号の姿があった。
あと僅か。
僅かで届いたはずの、一号との決着への一撃。
二号のまさかの横紙破りの介入によってそれは白紙に戻る。
事を仕出かした二号に対して片山は……そして一号は……どの様な選択を手に取る事になるのだろうか?
大きな困惑を目の前に、二度目のギミック発動を強いられる片山。
濁りゆく循環液が彼に動く事を許諾する時間は……然程残されてはいなかった。
お読み頂きありがとうございました。
引き続きご愛顧頂けると嬉しく思います。
それではまた次回お会いしましょう。
2016.09.06 改稿版に差し替え