幕間 北島稔《きたじま みのる》
-西暦2079年7月24日07時30分-
「だからだ! 臨時の司令部を置かん事には命令系統に支障が出るのは明らかだろう! 現に見てみろ! 中央戦線のラインがこれだけ押し下げられてる!」
「ワシだってな、んな事ァ判って言ってんだ! だからこそ手当をせんといかんと言っとる! 敵の浸透の少ない西部戦線から中央に戦力を送って何が悪い!」
「それで手薄になったこっちが大規模戦力で襲撃でもされてみろ! 最後にはみんなまとめて包囲されて終わりだ! そんな事も判らんのか!」
第二師団本部被弾の報を受けた私と高野は、今後の事について紛糾していた。
元々水と油程に相容れない間柄ではあったが、それが今程煩わしく感じられた事は無い。
師団長の植木さんと参謀の田辺の安否については不明。
中央部の戦線は縺れに縺れて混迷の極みと言える。
第五の吉川がかろうじて戦線を維持し支えている、というのが現在の戦況であった。
東部戦線にも敵の増派があったのだろう。
第四の小松と空挺の野々村も慌ただしく動いている事だけをこちらに告げ、中央へ手を伸ばす余力は無いと見える。
特に野々村は陸軍本営に大きな動きがあった事から、自陣の戦力調整に大きく時間を取られている。
小松がいなければ下手をすれば東部戦線もガタガタになっていただろう。
「高野……何も俺は戦力を送るなとは言っていない。戦線を再構築しなければならんのは確かなんだ。だがな、それは情報の伝達をしっかりと整えた上で、整然とやらなきゃいかんのだ」
「だったらどうしろってんだ?」
「…………野々村を作戦本部の中心に据える」
「……どういうこった?」
「……先日の事なのにもう忘れたのか? だからお前は脳まで筋肉だなんだと言われるんだ」
「はァ!? こんな時に喧嘩売ってんじゃ――」
「黙って聞けッ! いいか? あいつの戦術眼は確かなものなのは、先のあの会議で実証済みだろう? 師団を率いるにはまだまだ若いが、常道、奇策……どちらも問わずに発想出来る点で、あいつ以上に現状を立て直せる人間はいない」
「……だからって簡単に動かせる訳がねぇだろうよ。あいつはあいつで空挺を抱えてんじゃねぇか? そっちはどうすんだ?」
本当にこの高野という男は頭が回らない。
軍大学時代から……本当に何も変わっていないのだな。
「お前の座学の成績が留年ギリギリだったという事を忘れていたよ……第三の半分をお前に預ける。代わりに第七の半分は貰うぞ。二つの連隊を合わせて混成すれば……恐らくだが、それで戦力のバランスは取れるはずだ」
「……北島?」
「お前はその戦力を中央戦線に運んだら、そのまま空挺の本部へ行け。中央はそのまま吉川に任せておけばいい。植木さんがこんなつまらん事でくたばるとは思えん。野々村が中央を支える事が出来れば、その内指揮系統も復活するはずだ」
「そんで野々村の代わりに俺が空挺の面倒を見るってか? 門外漢もいい所じゃねぇかよ。大体、野々村がそれで納得するとでも思ってんのか?」
「それを納得させるのもお前の仕事だ。そんなゴリ押しが出来るのはお前か植木さんしかおらんよ」
一から十まで説明してやらんといかんとはな。
相変わらずの頭の回転の鈍さだ。
いや、歳を食った分だけにもっと鈍くなっている。
現状を打開するにはそうする他無いという事にそろそろ気付け。
比較的手の空いてる俺たちが火消しをやらんでどうすると言うんだ。
「……判った。野々村には吉川と小松、そんで俺を駒に使えと言やあいいんだな?」
「そうだ、それでいい。中央の手当さえ終われば……敵が西部戦線に構う余裕が無くなるのは間違い無い。そのタイミングで俺はここの防衛ラインを押し上げて機動戦を仕掛ける。あの不可視の攻撃の元は絶たねばなるまいよ」
「はぁ!? 何言ってやがる! だったら代われッ! そんな腕力のいる仕事をお前みたいな青瓢箪野郎に任せてられっか!」
「何度も同じ事を言わせるな。俺が中央や東に行った所で出来る事は知れている。あっちの戦場にはお前の図々しさが必要なんだ。なんで理解出来ん?」
「北島……おめぇ……」
「それにな……第一の仕出かした事のケリは、俺達第一の人間がつけるのが筋だ。俺に任せるのが不安だと言うのなら……とっととそっちを片付けてこちらに来てみろ。その時には喜んで指揮権を移譲してやる」
ははっ。
言ってやったぞ。
この内戦が始まってからこっち、肩身の狭い思いをしなかったと言えば嘘になる。
第二師団と協調姿勢を取った所で、我々第三連隊は彼等からすれば外様だ。
いや、いつまた裏切って第一に寝返るか判らない不安要素だという部分もあっただろう。
そんな中であるにも関わらず、犬猿の高野の隊との連携を要請されたのだ。
事が起こった時の為の鈴なのだろうと最初は思った。
第二でも指折りの武闘派である高野を目付け役にしておけば、いざ私が第一の戦列に加わったとしても楽に対処出来るものな。
だが植木さんの頭には鼻っからそんな考えは無かった様だ。
田辺辺りはどうかは知らんが……放送施設防衛の後のブリーフィングでこっそりと呼び出されたあの時……。
「なぁ、北島ちゃんよ。こっちに来て後悔してるかい?」
ジッとこちらの目を見据えて植木さんはそう言った。
なるほど。
うちらの上だった藤山が勝てる訳が無いのだ。
その黒い瞳はどこまでも深く、人の心を見透かしている様に感じた。
ありのままを話すしか無いと思わせるだけのものがこの人にはある。
そう思ったら言葉を取り繕うのが馬鹿らしくなったものだ。
そして一度懐に入れてしまえば、梃子でも動かぬ信念で身内として信じる愚直なまでの思い切り。
ああ、高野……お前がたった三つ年上のこの人に心酔するのも今なら理解出来るとも。
「後悔と言うなら……第一の動向を知ろうともしなかった事ですかね……もう少し早く動けていれば……そう思わない日はありませんよ」
そう答えた時の植木さんの苦り切った顔は忘れられん。
この人も同じなのだと感じたよ。
軍の要職につきながら、こんな事態になるまで何も出来無かったという意味では。
元々第一に戻るつもりなど欠片も無かった。
だがこの出来事のお陰で、僅かに残っていた私の第一への亡念は完全に消え去った。
「ばっ、馬鹿野郎がッ! 変な覚悟を決めてるんじゃねぇッ!」
「覚悟だなんだはどうでもいいし、関係無いな。これ以上の打開策を、お前のそのくたびれた脳味噌から出せるのなら言ってみろ。さぁ、出してみろ?」
相変わらず筋が通っている理には弱いな。
こんな問答をしてる時間すら勿体無いのだ。
早く決断しろ。
「…………チッ!」
「どうした? 手が無いのなら乗るしか無いのがようやく解かったか? まったく……私が今から部隊抽出を行う。お前の所の力だけのゴリラ共を手繰るのは、本当に骨だがな」
「やかましいッ! おめぇんとこのヒョロ助共の心配してろッ! 俺がせいぜいこき使ってやらぁ!」
どうやら高野も腹を決めた様だ。
ぶつけ様の無い苛立ちそのままに、ツカツカと床を鳴らしながら部屋を出て行った。
ドアは静かに閉めんか、静かに。
まぁ、そりの合わない私の腹案に乗るのは面白くは無いのは解かる。
逆の立場なら同じ態度を取っただろう。
だがそれしか打つ手は無いのだからな。
奴も納得するしかあるまい。
「さて、振り分けだが……確か第七には今回の編成で作られた重砲の大隊があったな……足の遅い隊は高野に預かって貰う。どのみちあっちは拠点防衛が主だ」
「はい」
私と高野の会話を黙って聞いていた副官は、反証する要素が無いのだろう。
こちらの指示を静かに聞くだけだった。
「晴嵐持ちの部隊も全部あちらに回してやれ。こちらには必要無い。代わりに軽砲装備の79式は全部こっちで貰う」
「補給と整備は?」
「一戦こっきりで使い潰す。そのつもりでなければ……恐らく件の不可視の攻撃を潰す事は出来んだろうさ」
「……承服しかねます。継戦の腹積もりが無いのは理解出来ますが、心積りに問題があると提言しておきます」
なんともまぁ……長い付き合いだけはあるな。
だがそういう覚悟の一つも無ければ……止められるものも止められんだろう?
「判った…………補給路の隠蔽は徹底しろ。無駄に死なせる事だけは許さん」
「はい」
整備は兎も角、弾薬の補給だけは必要になるかも知れん。
出来るならば直接戦闘に関わらない人員に……地獄は見せたくないものだ……。
-西暦2079年7月24日07時55分-
正義。
これ程移ろいやすい概念も無いだろう。
かつて、私は第一師団には正義があると信じていた。
平穏な極東の治安を乱す存在は悪である。
それを守護する我々は正義なのだと。
だが実際に蓋を開けてみればどうだろうか。
平穏を守るはずの我々が機構と結託し、政府を傀儡のものとして市民を血に染める。
第一師団に配属されてから四十年近く……信じていたものが瓦解する様を、私は指を咥えて見ているしか無かった。
「高野の隊は出たんだな? 判った」
ブリーフィング開始前の第三連隊の本部。
そこで思考の渦に飲まれかけていた私を現実に引き戻したのは、こことは違う場所で別部隊を率いている副官からの連絡だった。
高野はブツクサ言いながらも、隊をまとめて出立したそうだ。
うちの連中に無茶をさせてくれるなよ?
それでは……こちらも動くとしようか。
「注目。高野将補の部隊が先程出立した。これで中央の戦線は持ち堪える事が可能だろう。さて、我々だが……例の不可視の攻撃の元を断ちに動くという方針は、先だって伝えてある通りだ」
こちらの作戦に参加する士官達の集められたこの部屋に、僅かなざわつきを感じた。
恐らく声を上げているのは私の部下だろう。
器用貧乏な隊に育ててしまった自覚がある分、彼等の胆力の弱さも把握しているつもりだ。
それと比べて第七の士官達の顔の何ともふてぶてしい事。
上がああだと下もこうなる。
なるほど。
うちの下の胆力の無さは私に似たのだろうな。
「そう腐った声を出してくれるな。無茶を言っているのは百も承知だ……この作戦が地獄巡りになりかねない事もな。だが、全く勝算の無い戦いという訳も無い。まずはこれを見て欲しい」
端末をいじり、短時間で作成したNブロック境界線戦場の全体図をモニターに起こす。
「いいか? 師団本部を直撃した不可視の攻撃だが……被弾箇所の調査をした技術者達の話だと熱線……つまりレーザーなんだそうだ。つまり横に薙ぐ事は出来ても山なりの曲射は無理、その事を頭に入れておいてくれ」
ざわつきが少し大きくなった。
これは仕方が無いだろう。
熱線兵器……SF映画にでも出てきそうな兵器と相対する。
そんな事をいきなり言われたのだからな。
「一撃でこれだけの威力を発揮する兵器だ。燃費は相当に悪いだろうとの推論が出ている。我々が施設などに使用している、従来型の大型燃料電池での充電時間を試算して貰ったが……一射するのに三日かかるそうだ」
従来通り……ならな。
「十中八九、従来通りの発電システムでの運用はされていないと考えた方がいいだろう。だがな、そうそう撃てる代物でも無いとも考えていいはずだ。現に見てみろ。師団本部への第一射以降、一時間近く経つが第二射が撃たれる様子は無い」
「我々の陣地が健在である、という事を考えればそうなんでしょうがね。そんな中で、北島閣下は俺達に何をさせたいんで?」
第七の士官達の中で、最上位階級の二佐が慇懃さを感じさせずにそう言った。
気を遣ってくれたのだろう。
彼の私への失礼とも取れる物言いは、寄り合い所帯である今のこの場にはとても有り難いものであった。
「済まない二佐、助かる。師団本部周囲を壊滅させた射線の……入射角から想定されるレーザーの本体が……ここだ」
「こりゃあ……」
マップに赤い光点が灯る。
そう。
二佐が唸ってしまうのも当然だ。
「まさかの機構本部のお膝元だ。元第一の私としては、いつの間にこんな所にこんな物をというのが本音だがね……中央の戦線の手当が始まり次第、我々はこの位置を囲む様に移動する。恐らくは例の組織の人員が事態の鎮静化に向けて、我々よりも先に動いているとは思うが……手が足りていないのは間違い無いだろう」
「例の組織ってぇと……あのEOを抱えているっていう……」
「そうだ。彼等の本来の目的は機構本部の制圧なんだがな。状況に鑑みて、優先順位の変更をしている可能性は高い」
「支援は……無いと思っとくのが正解ですかね?」
高野め。
打てば響くいい部下を囲い込みやがって。
うちの慎重だが消極的な連中に、少しは見習わせたいものだな。
「いや、師団からの支援は厳しいが、近隣に例の組織の大型の潜水艦……確か水名神だったか。アレが存在している。恐らくこちらの支援要請には応えてくれるはずだ。艦長の古関さんも知らない仲じゃあない。ただし火力自体が高過ぎるので使い処は限られるだろう」
「その……水名神とかいう潜水艦からの直接攻撃、って訳にはいかんのですかね?」
「水名神の地上支援の主兵装は巡航ミサイルだ。簡単に使うには……誤射も想定すれば味方が近すぎる。状況を確かめる為にも、こればかりは現地に飛んでみないとどうにもならん」
先程水名神にも現状の確認を行ったが、機構本部に向かった部隊は現在無線封鎖中であり、その動向を正確に確認する事が出来ないそうだ。
機構本部近隣に到達した時点で通信が行われる予定だった事から、不測の事態に陥っている訳では無いとの事だそうだ。
その事がこちらの動向を梗塞させているのだが、彼等は我々と別系統で動いている以上、文句を言える立場でも無い。
「なるほど……まずは目的地へと接敵、戦闘が行われているのならば、味方組織と接触。状況次第で潜水艦からの直接対地攻撃……となると、我々の役目は敵戦力を引っ掻き回す囮という所でしょうかね?」
「囮とまでは言わんよ。だが戦場を走り回る覚悟だけはしておいてくれ。その為に小回りの効く軽砲の車両部隊を抽出したんだからな」
「骨の折れる役目には違い無いですなぁ。高野の爺さんから何を押し付けられたのかと思えば……まぁ、これも巡り合わせなのでしょう。宜しく頼みます、北島閣下」
件の二佐以下、第七連隊の士官達は一斉に立ち上がり、見事な敬礼をして見せてくれた。
「済まない……本来なら高野の下でというのが君達の本懐だろうが……非力な我々に力を貸してくれ」
私の言葉の意味を察したのだろう。
私の部下達も立ち上がり、敬礼を返す。
「寄り合い所帯の愚連隊ですが……一つばかし、どでかい戦果を挙げてみせるとしましょう」
私の部下達の意気も上がっている様だ。
そう、愚連隊で構わない。
戦果に拘る必要は無いが、折角の見せ場だ。
せいぜい高野が悔しがる様な立ち回りをしてみせようか。
お読み頂きありがとうございました。
引き続きご愛顧頂けると嬉しく思います。
それではまた次回お会いしましょう。
2016.08.03 改稿版に差し替え
第七幕以降は改稿が済み次第、幕単位で投稿します。