6-19 混迷の奏者
-西暦2079年7月24日07時40分-
柱が並ぶ。
天を支えるが如く、その林立する柱達は広いフロアの天井と床面を繋いでいた。
目に見える限りで数十本。
恐らくフロア最奥の物まで合わせれば桁は一つ上がるだろう。
室内照明に照らされた柱はその素材のせいもあり、照明の硬い光を反射させ輝いていた。
傍目には波の打ち寄せる浜辺とも錯覚する程の煌めきだった。
その中に収められている物が……人の脳で無ければだが。
「こりゃあ……」
犬塚はその光景に絶句する。
郁朗から先の作戦での出来事を聞いていた彼は、それが例の連結脳である事に即座に気が付いた。
柱の表面は高耐久性の硬化ガラスだろうか。
脳髄が浮かぶその中が見通せる造りになっている様は、悪趣味と言うより他に無かった。
「……ここいら一帯のコントロール施設がここってことか……生存者の捜索を開始」
犬塚は部隊員達に先行小隊の身柄の捜索を命じる。
負傷者には治療を、死亡していたのであれば出来れば遺体を連れて帰ってやりたい、そう考えてしまうのは部隊の長として当然だろう。
だが特殊指定機体との交戦が予想される以上……それすら叶わぬ可能性が高い事も理解していた。
「二名発見ッ!」
望んでいた一方が、散っていた部隊員によって犬塚の耳に入った。
「すぐ行くッ!」
兎に角状況を知りたい犬塚は、慌ててその場へと駆け寄って行く。
「容態は?」
「一人はダメです……一人はどうにか」
「……チッ。生存者は通路へ引っぱり出してやれ。治療は止血を最優先、それ以外は後にしろ…………それ以外は置いていく」
犬塚の決断は間違いでは無い事を部隊員達は、荒れる心情の中で理解させられていた。
何か反論をしたくとも、そう言い切った犬塚の怒気と苦渋を綯い交ぜにしたその表情が……彼等から反論の言葉と動きを奪ってしまっていたのである。
「ボンヤリすんなッ! 次だッ! 次ッ!」
息を呑んだまま微動だにしない部隊員達の尻を叩く先任の声が響く。
いくら精鋭とも言える空挺連隊に居ようとも、同僚の遺体を目の当たりにしたのだ。
次にこうなるのは自分かも知れない……そんな恐怖に苛まれ、動きを止めるのも仕方が無い事なのだろう。
我に返った部隊員達が忙しなく動く始めると、先行小隊の捜索は順調に進む。
そこから数体の遺体と数名の負傷者が発見される事となった。
遺体の状況があまりにも綺麗すぎる事が、犬塚に新たな疑問を与えた。
晴嵐を着て特殊指定機体と戦闘をした割には、外装甲や肉体そのものへの損傷の程度が低く、ほとんどの遺体は首を圧し折られて息絶えていたのだ。
恐らく気付く間も抵抗する間も無く、一撃で折られたのだろう。
(なんちゅう手際だ……こうなりゃ何としてもここにある物の正体を確かめなきゃなるまいさ……支払った分は意地でも取り返させて貰わんとな)
犬塚の奥歯がギリリと音を立てる。
死地へと飛び込む判断と命令を下したのは自分だからこそ、彼等の行動を意味のあるものにしなければならない。
彼等を失った自身の甘さを噛み潰し、フロアの最奥にある何か、そしてまだ発見に至っていない残りの先行小隊の部隊員を求めて犬塚達は先に進む。
『遅かったな、植木の犬ども』
不意にフロアに響いた声に、部隊員達の身体は強張る。
明確な敵意と害意が漏れだすその声の主に、犬塚は心当たりがあった。
「所属は空挺ですよ、現場に出とらんから区別もつかんのでしょうな。こんな所に潜んでこそこそと悪さをしとる割には……随分と余裕が有る様に見えますよ、藤山陸将。この物も言わねぇ脳髄の柱が、あんたの理想の国の人民なんですかね?」
犬塚のその言葉には姿を見せぬ声の主、第一師団師団長である藤山を嘲り、挑発する色が含まれていた。
『何とでも言うといい。要は勝てばいいのだからな』
「相変わらずのカスっぷりに、口だけ大将。出来もせん事は言うもんじゃないってのが鉄則なんですがねぇ。だが、まぁ……これだけの事を仕出かしただけの事はあって、悪党の吐く台詞が良く似合ってらっしゃる。ゴミはゴミらしく、綺麗に燃やして差し上げましょうか?」
皮肉を大量に混ぜあわせた辛辣な言葉を藤山に浴びせ続ける。
自身の詰めの甘さもあったとはいえ、家族とも言える部下を殺されているのだ。
犬塚を守る様に彼の周囲を固めている部隊員達には、その言葉に混ざる彼の怒気がはっきりと見えていた。
『チンピラの下にはチンピラしかおらんという事か。上官に対する口の利き方がなっとらんぞ。大人しく捕縛されて、下の工場で真人間に生まれ変わるといい』
「それはこちらの台詞ですなぁ、このヘタレ野郎が。いい加減に姿を晒しませんかね? 植木閣下が手ぐすね引いて、あんたが引き摺られるのを待ってます。俺が手を出すと減俸食らうのは間違い無いんでね。娘に家計の事で叱られるのは御免なんですよ」
『フン、心配するな。娘ごとお前の連れ合いの元へと送ってやろう。それでいいかね? 犬塚二佐?』
どの様に使う目的があったのかは知らないが、作戦に参加するであろう有力な将兵の情報を事前に収集していたのだろう。
亡くなった妻を含め、自らの家族の事を脅迫のネタにされた事で、犬塚の感情は瞬時に沸点へと沸き上がってしまう。
藤山のそのふざけた物言いに対してブヂンと何かの切れる音を、彼は自分のものを含め複数聞いた気がした。
「寝言こいてんじゃねぇぞゴラァ!!」
「由紀ちゃんをどうするってェ!? アアンッ!?」
「撃ち殺される刺し殺される殴り殺される焼き殺される蒸し殺される、好きなもんどれか選べやッ!!」
犬塚を差し置いて、次々と藤山へ向けての罵声が生まれる。
それを轟々と発したのは、青筋と凶相を浮かべた部隊員達だった。
自分が発するべき言葉を奪われた犬塚は唖然とするしかない。
犬塚の娘の由紀子という存在が、空挺連隊第二大隊の面々にとって崇拝すべき存在である、という事は連隊内でも有名な話である。
犬塚の妻・圭子がかつて隊の女神と呼ばれていた様に、時折訪問して来る彼等の胃袋を掴んで離さない事が要因としては大きい。
その愛らしい容姿も相まって、年かさのいった将兵達からは娘の様に、若い部隊員達からは妹の様に可愛がられている。
所謂、大隊のアイドルと言わざるを得ない少女という訳だ。
その由紀子を手に掛けると平然と言ってのけた藤山に対し、その荒れ狂う感情をそのままぶつけるのは、彼等としては理性的な行動の範疇であった。
彼等の士気がこの作戦開始以降において、最も高くなっている事は皮肉とも言っていいだろう。
「アホかッ! お前らがブチ切れてどうすんだッ! 勝手に盛ってんじゃねェッ!」
犬塚は自分の怒りのぶつけ所を失い、却って冷静になってしまった。
猛り狂う部隊員達を宥めなければ、この先の行動が上手くいくものもいかないと考えたのだろう。
犬塚の怒声すら耳に入っていないのか、部隊員達のブーイングは止む気配を見せない。
『フン、部下の統制如きも出来んとはな。陸軍の精鋭が聞いて呆れる』
「よく言うぜ。あんただってここにある脳の統制が出来無かった口じゃねぇか。こんなとこに篭って戦場をコントロールしているつもりになってた様だがな、やり口がバラッバラなんだよ、バラッバラ」
『こいつらの勝手にした事など知った事か。そもそも私の立案した高度な作戦意図を貴様らの様な野犬や、大して思考も出来んこの脳共に理解しろというのが無理な話だ。あれは――』
「解説なんざどうだっていいわ、ボケが。聞きたくもねぇ。特殊指定機体は兎も角、外に置いてるあんな見え見えの罠にスッカスカの包囲網じゃあ、新兵の一人だって殺せねぇよ。戦史家を気取ってみたって、現場の人間相手に使えもしない空論振りかざしてりゃ世話無いぜ?」
犬塚の口調はすっかり格下相手のものへと変わってしまっている
口にした言葉の通り、彼はこの場にある脳の柱の群れを見てある推察を立てた。
陸軍本営における、敵勢力の作戦行動にバラつきが見られた原因はここにあると。
逐次投入による散発的な攻撃、効果が低く拘束力の緩慢な包囲網、一貫性も方向性も無いトラップ群。
複数の頭脳による思考を組み合わせて、有機思考を行うという発想はいい。
だがそれを一つのものに束ねられなければ、一つの力として機能しないのは当然だろう。
『暴力だけを武器にする貴様らには一生涯解からんよ。特に植木の様な野蛮人の下にいる様な人間にはな。この脳共を掌握した現在の私の高度な作戦構築能力を――』
「もう黙れって。だからあんたは口だけ大将だってんだ。植木の爺さんに出世で出遅れたのがそんなに悔しいのか? それで税金払ってる市民様に弓引いてどうすんだよ。シビリアンコントロールの順守出来ん軍人の末路なんざ、あんたの大好きな戦史の読み物で知らん訳でも無いだろうに」
『……好きに吠えていろ、私は失敗しない。さて、死に逝くゴミの声を聞くのも偶には悪くは無い……貴様達、始めろ』
どこに潜んでいたのだろうか。
件の特殊指定機体が二体、犬塚達の目の前にその姿を晒した。
殺害された部隊員達を手に掛けたのは彼等に違い無い。
一体は装着重装型と呼ばれる機体で、巨体ながらに動作に淀みが無い事が見て取れる。
そしてもう一体は……。
(最悪……だな)
目の前の存在に対し、不敵な犬塚を以ってしても身が強張っていた。
身体のあちこちから強者を前にした時の危機感や、噴き出す緊張感を隠す事が出来無かったのだ。
噂で聞く片山を完膚無きまでに叩きのめしたEO。
試作強襲型と呼ばれた女性型の機体が目の前にいるのである。
彼の大隊内において、格闘教練で無敗を誇る人材は二名いた。
一人は勿論犬塚である。
学生時代から研鑽を続けている彼の格闘術は、その技術と怖じない性格も相まって、部下達を恐怖の底へと陥れている。
もう一人はご存知我らが団長、片山である。
犬塚との教練での対戦成績は全戦ドロー。
恵まれた体躯とその戦闘時における閃き。
それは犬塚の技術に並び立てるだけのものだったのだろう。
犬塚自身も近い内に訪れるであろう敗北の瞬間を予期していた。
その時に片山に何を言われるのかとここ数年の間、教練の度に戦々恐々としていたそうだ。
片山はモチベーションに左右されやすい所はあったが、連隊内でも最強の名を冠するのも時間の問題と思われていた男なのである。
その彼が一方的に嬲られ、その生命を散らせかけた相手なのだ。
犬塚は何故か動きに精彩を欠き、緩慢さが見られる試作強襲型……一号と呼ばれる女性体を注意深く観察する。
恐らくは彼女もモチベーションによって大きな波があるタイプなのだろう。
そのカメラアイは無機的に虚空を見つめ、戦闘意欲が一切感じられなかった。
反面、もう一体の装着重装型である二号は、機械の身体でありながらも静かな闘気を感じさせる挙動を見せていた。
死んだ部隊員達を手にかけたのは恐らくこちらの機体なのだろう、そう犬塚の直感は訴える。
『そこのゴミを掃除しろ。私の命は機構からの命だと思え』
「……煩い。ここで待っていればわたしの望む相手が来る、そう言うからここにいるだけだ。何なら先にお前から殺してやろうか? ジジイ?」
一号の声は気怠げなものだった。
この場所に留め置かれている事が不満で仕方が無いのだろう。
『いいから命令を聞け。そいつらを片付けなければお前の目的は達せられんぞ? 知らないのなら教えてやる。そこの連中は全員が片山の関係者だ』
「…………何?」
『お前の恨みを晴らす意味でも最適の相手だろう? さぁ、やれッ!』
ゆらりと首を動かし、その目線を犬塚達へと向ける一号。
先程とは違う雰囲気の彼女のカメラアイには、憎悪の炎が揺らめいているのが感じられた。
「片山が……あんたに何をしたのかは知らない。だが、何やら因縁があるって話は聞いている。あのバカタレに復讐したいのなら、今ここで俺達を殺すメリットは無いぞ?」
犬塚はここで一つの賭けに出る。
自分達が逃げ出す為のデコイとして片山を餌とし、復讐に取り憑かれているらしい彼女の行動原理を利用するつもりだ。
これ以上部隊員達に犠牲を出す訳にはいかない以上、この程度の博打の一つは布石として打っておく必要があった。
「…………」
一号の戦意が霧散した訳では無いが、彼の話に耳を傾ける気はあるらしい。
犬塚の目をカメラアイで見つめたままじっと佇み、話の続きを待っているのがその証拠である。
「理由は簡単、明瞭で判り易い。俺達の生体反応が全て消失した時点で、この本営ビルには巡航ミサイルが撃ち込まれる算段になってるって事だ」
勿論、嘘も大嘘。
ブラフとも言えない、子供の嘘にもいい所である。
作戦予定にその様なプランは一切無い。
「そうなればこの本営ビルはもう用無しだ。作戦に参加予定の片山だって、ここには来る事は無いだろうさ。あんたは奴と会う事無く、ウロウロと戦場を無意味に彷徨う事になるだろうよ。さて、どうするねお嬢さん?」
『戯言に耳を貸すな!』
「二号……」
『貴様ッ!』
「続けろ……」
激昂する藤山の声を受けた一号であったが、顎で二号に指示を出すと犬塚に話の続きを促した。
二号は手近な柱の内の一本へと手を伸ばし、無造作にその拳で硬化ガラスを割ってみせた。
「黙れ。一号の邪魔をするな……次はお前がこうだ」
静かな響きとは裏腹に、彼のその声には十分なまでに殺意が乗っていた。
砕かれた柱からは脳の維持の為の酸素供給用の循環液が溢れだし床を濡らす。
つい先程まで脈動を続けていたその脳髄は、徐々に動きを小さくしていき、ついには生命活動を停止した。
『グッ……』
藤山の呻き声を聞いた犬塚は、その滑稽さに笑いを堪える。
傲慢なまでに強気の態度であった藤山のそれが、叱られた子供のレベルのそれにまで堕ちている状況は、余りにも出来の悪いコントの様であったからだ。
「ククッ……悪いな、続きといこう。作戦の概要はこうだ。俺達が重要施設を発見したら本部に通信を送る手筈になっている。それを合図に片山が飛んでくるって訳だな。だが問題はこの施設内がジャミングによって無線封鎖されているって事だ。要はその信号を送る事も出来無いって事さ」
「…………」
「俺達は死ぬ気でここに来てるんでな、どうなろうと構いやしない。だが嬢ちゃんはこの機会を逃せば、再戦の機会はまぁ……無くなるだろうな」
餌としての片山は、犬塚が考える以上に上等という事なのだろう。
彼女の過剰なまでの反応がそれを物語っている。
「……通信を送れば奴は来るのか? どの位でだ? 確実なのか?」
(食いついてくれたか、有難い)
その上々の反応をチャンスと見たのか、犬塚は畳み掛ける様に嘘を重ねた。
「通信を送れば確実に来るさ。ただ到着までの時間に関しては、俺達には知らされていない。軍事機密ってやつだ。何時までに来る、そういう確約は出来無い。だが広い極東の戦場を駆けずり回って探すよりは、俺の言う事を信用した方が早いと思うぜ?」
「…………」
『馬鹿がッ! そんな口車に――』
ガギンッ!
犬塚の言葉で思考の海に沈んだ一号に対し、藤山は罵声を浴びせ始めた。
だがそれと同時に二号が再び動き出し、新たに一本の柱が犠牲となった。
「次は無い」
『…………』
藤山がやけに彼等に対し怯えを見せている。
その事に気付ける余裕が今の犬塚には無かったのは、仕方が無いというものだろう。
まずは目の前の暴威へとその洞察力を集中し、部隊員達と共にここから逃れる事が最優先されるべき事案なのだから。
「ジジイ……ジャミングを解除しろ。こいつらに通信をさせてやれ」
『ッ……貴様等が私に命令出来る立場だと思っているのかッ! 機構に報告すれ――』
「二号ッ! 引きずり出せッ!」
藤山の態度に業を煮やしたのか、一号は輪郭の伴った凛とした声を二号へと発した。
二号はその命令を忠実に実行する。
少しだけ広くなっていた空間の床面。
そこに隠される様に存在していたスライド式の引き手を起こし、床面から何かを引っ張り上げようとしている。
本来の機械的なギミックを無視し力づくで動作させている為、ロックのかかっているであろうその機構は、ガリガリと破砕音を奏でている。
そしてとうとう中に隠されている存在を……二号は文字通りに引きずり出した。
『やめろぉッ!』
藤山の悲鳴が響く中……犬塚は己の脳裏から抜けていたパズルのピースが、ガチリと音を立てて盤面にはまる感覚を味わっていた。
ここまで陸軍本営における作戦を阻害しようとした存在。
チグハグな防衛行動で自分達を意図無く撹乱した頭脳。
引きずり出された物の正体。
それは極東陸軍第一師団師団長である、藤山という男だったモノの……剥き出しの脳髄そのものであった。
お読み頂きありがとうございました。
引き続きご愛顧頂けると嬉しく思います。
それではまた次回お会いしましょう。
2016.08.03 改稿版に差し替え
第七幕以降は改稿が済み次第、幕単位で投稿します。