6-11 宿恨の火車
-西暦2079年7月24日07時05分-
『その隣のビルからなら次の射線を確保出来るよ。あれが予想通りの進路に来れば、目の前のビルの隙間に二十秒後に距離千二百・左前側面七十度の辺りが三秒露出。狙い目だと思う』
晃一のまだ変わっていないソプラノの声が、環の耳に優しく聞こえてくる。
その声の柔らかさとは裏腹に、彼の伝えている内容はなかなかどうして無茶なものだ。
千二百メートル離れたビルの上から、眼前にある隣接するビル同士の隙間を通して三秒でホバー戦車を狙えと言うのだ。
ドンッ!
砲声が鳴る。
放たれた弾頭は真っ直ぐに僅かな幅のビルの谷間を進み、目標の砲台基部と緩衝素材の隙間へと着弾した。
晃一から要求されるハードルの高い無茶なオーダーを、環はホバー戦車に対してひたすらにこなし続けている。
ある狙撃ポイントではビルの屋上の鉄柵にぶら下がりながら片手で。
別のポイントでは、ビルの室内から隣のビルの吹き抜けのガラスを撃ち抜いて目標へ着弾させるという、ある意味曲芸とも取れる狙撃技術を出し惜しみ無く披露していた。
既に十数発の弾頭が射撃されているが、直接的な破壊は遠距離索敵用のセンサー類を先だって潰しただけであり、本体に大きなダメージを与えるには至っていない。
携行火器としては破格の25mmの口径を持つ68式改とはいえ、相手は重戦車以上の装甲とアンチショックジェルを持つ化け物としか言えない戦闘車両なのだ。
環の撃ち込んだ弾頭の一発たりとて、その車両の内部に牙として届く事は無かった。
だが運用している弾頭は新型の二番という事を忘れてはならない。
現時点ではダメージは無くとも、置かれている土産の量としては相当量である事は間違い無かった。
「次、どこだ?」
『そのまま屋上を移動して、北へ八十メートル。消費者センタービルの十二階まで降りて。一分後に西側の窓から距離千百で左側面後ろ三十度が八秒。餌にするから射撃後は直ぐに離れてね』
「あいよ」
ローダーの接地部分から摩擦音を撒き散らしながら、目標の建造物へと迅速jに移動を開始する。
重量のある弾倉を抱えた上に、高回転での運用を継続しているにも関わらず、ローダーのモーターはヘタる様子も見せず軽快に回り続けている。
基礎設計の確かさというものもあるのだろうが、整備班の日頃の徹底した整備の賜物なのであろう。
(それにしたってコウのやつ……スゲェな。どうやって予測進路なんて計算してやがるんだよ。何もかんもがドンピシャじゃねぇか)
ここまでの十数手の射撃、その全てにおいて晃一のホバー戦車の進路予想は外れていない。
大葉のレーダーの精度という鮮度の高い情報を武器にして彼もまた、環達と共に戦っているのだ。
晃一は少年らしからぬ対処ではあるが、ホバー戦車を指揮している人間の性格を最初に分析した。
装備されている砲は既存の砲と比較しても大口径かつ超重量である事から、回転砲塔の旋回速度は遅い。
装填から射撃に至るまでの作業に関してもそうだろう。
弾薬の重量を考えれば、並の火砲と比べて長い装填時間が存在するはずなのだ。
にも関わらず、ホバー戦車は短時間での射撃を連続して行っている。
この射撃量は機体のスペックや安全性は度外視されているとしか考えられない。
特に環からの狙撃が着弾した直後には、苛立ちの様なオーラが感じられる程に砲撃が激しくなる。
恐らくは指揮を取っている車長の性格によるものなのだろう。
二つ前の狙撃地点の大型ビルは着弾によって半壊し、今や瓦礫の山となっているのがその証明となるだろう。
自身の力よりも弱い者と認識した相手に対し加虐性と粘着性が高く、短絡的かつ攻撃的な性格。
ヒステリーを起こしていると言ってもいい。
その様な手合を誘導する事は晃一にとっても容易い事であった。
先程餌と言った様に、時折弾道をあえて読ませる様な射撃を行って敵の怒りを誘う。
相手を挑発し、その心の隙間を狙うという嫌がらせ。
郁朗や片山の格闘訓練を間近で見ていた晃一は、見取りという形ではあるものの、その術をしっかりと学んでいたのだろう。
郁朗の全く与り知らない所で、彼の戦い方を模倣する人員が密かに増加していたのである。
余談ではあるが遠く無い未来、戦闘とは全く関係無い現場で晃一がある人物を追い込む事になる。
それを目の当たりにした門倉は、遠因とも言える郁朗に苦情のメールを送って寄越したそうだ。
話を戻そう。
晃一は僅か十一歳でありながら勘などでは無く、目標の心理を把握するという技術を以ってして、ホバー戦車を環の狙撃し易い位置へと誘導した、という事である。
この少年の非凡さはその聡明さでも人誑しの性能でも無く、類稀なる分析力と対応力という事なのだろう。
さらに身体の弱かった自分を心配する祖父の、その苦い心境を敏感に感じ取れるだけの感性が、それを後押ししている。
感情の波に呑まれる事のある少年とはいえ、彼の今の力は生き馬の目を抜いてきた門倉……そのレベルの企業血族にしか持ち得ない血の為せる性能なのかも知れない。
ドンッ!
環が再び砲撃を加えた様だ。
撃ち出された弾頭は割ったガラスで受ける衝撃すら加味され、照準された通りの場所へと突き刺さる。
そして再びの移動。
環達狙撃チームの攻撃の粘り気の強さは、半端なものでは無かったのである。
「後どん位、奴さんに撃ち込むよ?」
『念には念をでいってみようか。いつでも起爆出来るって強みはあるんだからさ。今の内に勝てる、って思い込ませてあげるのも嫌がらせとしては最高だと思うよ?』
「おいおい……ホントに俺の知ってる大葉さんは何処に行っちまったんだ……」
判ってはいてもそう口に出てしまう程、今日の大葉の攻め気は強いものであった。
『……身体に引かれてるんじゃないかな。自覚出来る位に……今日の私は攻撃的になってるみたいだよ。普段が普段だけに、こんな現場だと丁度良いのかもね』
そんなやり取りをしつつも、狙撃は繰り返される。
着々と撒かれていく種。
たった九発で防空施設を微塵に吹き飛ばせるだけの破壊力を持つ新型二番弾頭。
それが既に倍近くは埋め込まれているのだ。
相手にしてみれば装甲を貫けないでいる、蚊か何かの様な……羽虫の一刺しの様に感じているはずだ。
だがいずれ……目の前をチラチラ飛ばれる鬱陶しさなど比較にならない強撃が、車内に居る彼等を襲う。
その針は蚊などでは無くもっと質の悪い、猛毒を含んだ強蜂の一撃と乗員はその時に知る事となるだろう。
「間違い無いのか? これやってんのがあのババァの関係者ってのは?」
「こんなねちっこい狙撃をしてくるのはあン時のガキ位しか居ねぇ。早村の寄越したデータだと、他にそんな機体は居ねぇんだよ!」
ホバー戦車の車内で互いに苛立ちをぶつけ合う巨体が二つ。
蔓内と禾原であった。
環の願いを聞き届けたのか、はたまたそう予定されていたのか。
この世界に神という存在が居るであれば……彼等は下界の人間達の生み出した因縁を、自らの娯楽として回収するのがお好みなのだろう。
何とも趣味の悪い話である。
「イラついてんはお前だけじゃねぇんだよ! 効きもしない攻撃をチクチクと……無駄だって事を教えてやるッ!」
平時の人を食った様な言葉遣いは、彼等の上に被せられた処世の為の皮なのだろう。
ヒステリックな声を上げる蔓内、今は八号と呼ばれている彼は手早く端末を操作すると、車体の中央に鎮座する長距離砲を被弾時の弾道から算出した狙撃地点へと向ける。
回転砲塔のモーター音は想像よりも軽く、とても超重量の砲を回頭させているとは思えないものだった。
車両内には彼等以外の姿は存在しない。
車両のコントロール自体が、AIか何かによる制御知能によってオートメーション化されている様だ。
その制御知能は明確では無いものの自意識に近い判断機能持っており、操者が端末を通して出した動作要求を精査。
可不可の診断を専用のモニターで意思表示をするギミックを持っている。
AI搭載型を採用したのは、動作の為に必要な人員を最小限にする為の措置ではある。
それよりも機体の限界を知らない操者に対し、出来る事と出来無い事を明確に指し示す事で、慣熟訓練を終えていない操者でも運用可能にした、という部分が大きい。
感情をどうにか抑制する為に、シートに腰掛けて身体を揺する八号と九号の前には操作端末が二台。
そして壁面にAIから送られてくる判断を表示するモニターと、数台の外部監視モニターがあるだけで、ハンドル等の手動で機体を動作させる為の設備は存在しない様だ。
砲口径240mmに口径長は四十。
およそ十メートルにも及ぶその砲身が射撃に必要なだけの仰角を取ると、同時にガゴンという音を鳴らして弾薬が装填された。
ゴウン
発射の轟音を残し、巨大な弾頭が照準された地点へと到達する。
これだけの大口径砲を、一キロメートル強の超至近距離で使うのだ。
その威力は生半可なものでは無い。
先程まで環が居たビルに着弾すると貫通、四棟先のビルまで余波で倒壊させてしまった。
オーバーキルもいい所であるのだが、八号と九号には関係無かった。
彼等にしてみれば環をスクラップに出来ればそれで構わない訳であり、周辺施設への気遣い等は自分達の考える事では無いと思っているからだ。
AIと呼べるものが機体の状況を判断してレッドサインを出す事はあっても、AI自体には機体を停止させる権限が一切持たされていない。
そんなストッパーが存在しない今の状況が、彼等のこの加虐心を満たす為の行為に拍車をかける事となる。
装填、照準、発射。
八号と九号のじりついた心理を映すかの様に、砲口から弾頭が続々と吐き出された。
砲の向いた先にある建造物をその暴威によりなぎ倒し、自らの心に巣食う不安ごと脱却したい。
彼等自身は自覚していないだろうが、先の戦闘で環の狙撃によって植え付けられた、小さな潜在している恐怖がそうさせたのだ。
アジト倒壊の際に他のEOよりも深部にいた彼等は、身動きが出来無い状況で濁流の様に襲い掛かって来る瓦礫の山に飲み込まれた。
それは彼等のその頑丈な機体と共に得た、生身の人間とは違うのだという超越感や万能感……そんな感情をいとも簡単に圧し折ったのだ。
生命は拾った。
だがそこまで追い込まれた要因として、彼等の最も憎むべき存在である雪村志津乃の関係者であるEOが居る。
彼等は自分達がプライドだと思っているものを守る為にも、どうあっても自身達の手で環を破壊しなければならなかった。
ガッ!
外部の音をモニターしているスピーカーからは、小さいはずの着弾音が彼等の耳には大きく響く。
二人が今、最も聞きたく無い音がそれなのだろう。
「あれだけ撃ってまだ生きてんのかよッ! どこまでもコケにしやがってッ!」
彼等は軍隊の戦力の運用というものについて、何一つ学習をしていない。
蔓内と禾原の興味は自らの身体の強化と研究だけであり、EOになった直後の戦闘教導でもその手の座学は必要無いと一切受けなかった。
故に狙撃兵の習性というものも知りもしないし、あの戦いの後にも改めて知ろうとすらしなかった。
射撃、即移動。
環は片山に叩き込まれた狙撃における基本を、どこまでも忠実に守っている。
スポッターを必要とせずに単独での長距離狙撃を可能とし、ローダーシステムによって物資と共に高速の移動も問題としないのだ。
現在極東に存在する狙撃手の中でも、最も身軽なスナイパーと言ってしまって良いのかも知れない。
彼を砲爆撃で破壊したいと思うならば、発砲地点を点で狙うのではなく、高度な予測を以って面制圧を行わなければならないだろう。
「もっとだッ! もっと撃ちまくれッ!」
240mm砲の分間最大連射数である十を越える動作を、蔓内は端末から要求する。
AIは数回までの砲撃は許容するものの、無理が続いて機体に影響が出る事を嫌い、モニターに赤いアラートを表示させた。
「機械風情が黙っていろッ! 撃てッ! 撃つんだッ!」
機体維持が出来ない趣旨の確認処理の後に、AIは彼等の要求をそのまま呑んだ。
先程よりも早いペースで弾頭を吐き出してはいるものの成果は得られず、砲身から漂う鉄の焼ける臭いは酷くなる一方だった。
設計基以上の動作を繰り返す事で、一発の砲撃毎にホバー戦車のあらゆる部分へと負荷が蓄積されていく。
その無理が砲身を焼き、照準精度にも狂いが出始めている事に二人は気づいていない。
苛烈な攻撃を継続すればする程、自身の首を絞めている事にもだ。
そうして無造作にバラ撒かれた砲弾は、その本来の役目を果たす事無く……極東政府中枢地域を粉塵と破片の山へと変えていった。
「そろそろいいんじゃねぇか?」
環は二十二発目の狙撃を終えると、大葉へと通信を送った。
『そうだね。種は十分に撒けたと思うよ』
『中の人達……相当イライラしてるみたい。あの砲撃スピードじゃ、もう砲身が保たないんじゃないかな?』
単純に自身の趣味の模型作りや祖父への憧憬がそうさせた背景なのだろうが、さすがは重工業を主軸にしている企業の跡取りである。
戦闘車両やそれに纏わる装備品についての知識を、晃一は自宅に閉じ籠もっていた時期にその頭に取り込んでいた様だ。
「熱でやられるってやつか? 座学で散々言われたもんな、銃身が焼ける前に交換しろってよ」
『それそれ。多分照準にズレが出始めてると思うんだ。着弾地点がタマキ兄ちゃんの居場所とは全く関係無い場所だもの。砲身だけじゃなくって、砲塔本体への負荷だってもの凄いと思うよ? でも、逆にそれがちょっと怖いけどね』
「想定外、ってやつだな」
『なるほどね。じゃあ面倒な事になる前にやってしまおうかな。カウントは必要かい?』
「好きにしてくれていいぜ。俺ァ高みの見物だ」
『判った。三……二……ン? 待った、タマキ君。あれって……』
新型二番弾頭の起爆を試みた大葉だったが、ホバー戦車の状況に変化があった事を認めると、即座に中止した。
その砲塔は出鱈目に旋回を始め、砲の発射時の衝撃を吸収し切れていないのか、本体の挙動自体も怪しいものになりつつあったのだ。
「どうなってんだ? コウ、判るか?」
『あー……あれは……多分だけどね……』
晃一の推測を聞き、目の前の現象に納得した環と大葉は言葉を失い、何なんだと揃って肩を落とした。
自分達のやった事は徒労だったのではないかと。
『――! 車内から何か飛び出したッ! これは……装着重装型が二体ッ!』
晃一から聞かされた推測が当たっていたらしく、車内に居られなくなった八号と九号が車外へと脱出したのだろう。
彼等の存在を認識出来ただけでも、環達の攻撃は徒労には終わらずに済んだ様だ。
「……あれがどいつかってのは、流石に判んねぇよな?」
『それは無理ってもんだよ。接触してみるかい?』
「いんや、いいわ。このまま位置情報だけくれたらいいよ。新型の一番の試し撃ちに丁度いいってもんだ」
環は二番弾頭のマガジンを外し、新型一番弾頭のマガジンへと差し替える。
『了解。じゃあ私はホバーの処理をしてしまうよ。このまま放っておいたらえらい目に遭いそうだ』
『大葉のおじさん、急いだ方がいいかも。流れ弾で何が起こるか考えるだけで僕……』
『コーちゃんのこういう予感は割と当たっちゃうからね。連中の相手は任せるよ、タマキ君』
「あいよ」
何らかの事情で操者を失ったホバー戦車ではあるが、未だにその動作も砲撃も止めようとはしていない。
命令者を体内から喪失しても尚、AIは自己の存続よりもその指示を果たそうと蠢いている。
八号と九号の持つ、怨嗟の毒を撒き散らすかの様に。
お読み頂きありがとうございました。
引き続きご愛顧頂けると嬉しく思います。
それではまた次回お会いしましょう。
2016.08.03 改稿版に差し替え
第七幕以降は改稿が済み次第、幕単位で投稿します。