6-7 猛禽達の宴
-西暦2079年7月24日05時40分-
極東の天井付近を飛ぶヘリが十数機。
激戦区を迂回し、Nブロックの東部から目的地に向けて隠密裏に西進を続けていた。
陸軍本営制圧作戦の本命戦力とも言える空挺一個大隊。
率いるは空挺の鬼こと、犬塚賢三である。
この空からの強襲作戦に、空挺連隊の手持ちのヘリの半数以上が投入されている。
作戦行動の要……いや、楔となる彼等の顔つきは、普段と比べると五割増しで険しくなっていた。
そんな雰囲気に押され、犬塚にも連動する様に重いものが伸し掛かりつつある。
部隊員達の酷く緊張した様子を目にしてしまったせいか、自らも帰るべき場所の事を考えてしまい、ついつい彼等以上の険しい表情を表に出してしまっていたのだ。
『お父さん……お願いだから無茶だけはしないでよね? 無理な事ばっかりしてたら、お母さんに怒られるんだから……片山さんにもちゃんと言っておいてよ?』
彼が娘に大規模な作戦に従事しなければならないと告げた時、彼女は泣きそうな顔をしながら気丈にこう言ったのである。
その顔は死の淵に立たされて尚、彼と娘の事だけに心を砕き続けた……今は亡き彼の連れ合いに瓜二つだった。
娘にそんな顔をさせた事への罪悪感と、それでもこの作戦は完遂させなければならないという使命感の間に揺れる四十代、という所なのだろう。
難しい顔をした彼を見た部下である野口は、勘弁して欲しいとばかりに犬塚に声をかけた。
「大丈夫っスか、犬塚さん。もう十分もしない内に現着しますよ」
「……問題無い。降下準備は?」
「俺達を何だと思ってるんスか。とっくの昔に終わってますよ。俺は片山じゃないんでこんな事は言いたくないんですけどね? 誰かさんの用意する訓練が厳しすぎるせいで、反射で準備する位まで刷り込まれちまってるんスよ?」
「それはスマンかったな。お陰で余裕をもって動けるじゃねぇか。感謝しろよ?」
「片山ァ……俺じゃあこのオッサンの相手は無理だ……早く帰って来てくれェ……」
片山のかつての同僚である野口は彼の退役後、すっかり副官としてのポジションが定着してしまった事を嘆いていた。
空挺連隊第二大隊の面々は、指揮官の色のせいかその人間性があらゆる意味で濃い。
彼の訓練計画についていける人材であるという事は、肉体は勿論、精神も頑強である。
片山が在籍していた頃には元締めである犬塚よりも、直接関わりのある片山の方がより鬼としての性能が高かった為、部隊員からの不満や陳情も少なかった。
だが彼が居なくなり、一度は部隊を去った犬塚が不満を抱えて出戻った事で、彼等のフラストレーションは爆発する。
なし崩し的に片山の後釜に据えられ、彼等の鬱屈した感情をぶつけられた野口の苦労は筆舌に耐え難いものとなっていた。
犬塚からの過酷な訓練内容を部隊員を宥めすかしながら伝え、彼等の不満を組み上げては犬塚を通り越して野々村へと運んでいく。
この半年の間、第二大隊が部隊として機能したのは、偏に野口の生命力と精神が削られた結果と言える。
『降下目標地点まで五分』
ヘリのコ・パイが隊内無線を通して、手短に降下までの残り時間を告げる。
それを聞いた犬塚は意識を切り替え、無線で部隊員へと最後の通達を行った。
『準備は出来てると報告を受けている。出来て無いならそのまま放り出すだけだって事は判ってるだろうな? もう一度装備の確認を厳に。今回の正装は何時もと勝手が違う事を忘れんなよ』
重量のあるグレーの都市迷彩に塗られた歩兵外骨格・晴嵐を着込んでいるのだ。
普段やっている降下訓練と同じ感覚で降りられるかと言えば、そうはいかないのが現実だろう。
晴嵐の配備が急遽決まった事もあり、彼等はその駆動システムに慣熟するのに精一杯で、装着状態での降下訓練は行っていないのだ。
『降下後、第一中隊は俺と内部検索、第二、第四中隊は野口と外。第三中隊は拠点構築。目標は見つけ次第、事後報告で構わないからぶっ壊せ。それと、量産型と出くわしても一対一だけはやるんじゃねぇぞ』
『『『『『ウィッス』』』』』
肯定する複数の野太い返事が、無線を圧迫しながら犬塚の耳に届いた。
いくら晴嵐を装備しているからとはいえ、地力と数が違うのだ。
常に一対多を心掛ける様に厳命されている。
『あちらさんとの連絡は密に。特殊指定機体に見つかったら連中に助けを求めて、兎に角逃げろ。ブリーフィングで渡した資料の通り、連中には俺達の攻撃は一切通用しない。死にたくなければ何を置いても逃げろ、だ。いいな?』
『命令されなくったって、そんな物騒な相手に出会ったら逃げるに決まってんじゃないッスか。生きて打撃を与え続けるのが俺達の仕事だって口酸っぱく言われてますからね』
作戦直前に軽口を叩く人間がいる事は頼もしい事であるが、それを締めるのも部隊長の仕事なのである。
故に生贄になるは、決まってその手の人間だと言う事であった。
『……事が起こった際には、口も身も軽い梶谷先生が殿を務めてくれるそうだぞ。第三中隊は良かったな、生贄が見つかってよ。小隊先任、真っ先に逃げ出そうとしたら拘束して敵前に放り出せ、いいな?』
『『『『了解ッス』』』』
『うえっ!?』
片山の後輩、押し込まれ中隊長の梶谷が雰囲気を読んで叩いた軽口は、先任軍団の見事な連携によって撃墜された。
雰囲気を読み違えた結果としては、仕方の無い事なのだろう。
『三分』
『厄介な事件に関わっちまったと思ってはいるが……これまで俺達に無駄飯を食わせてきたと市民や上の連中に思わせるのも癪だ。俺達の背中の後ろには俺達の家族が、その知人が、その関係者が……ビクつきながら暮らしてる』
徐々に短くなっていく残り時間のアナウンスが、犬塚の心にセンチメンタルな何かを色濃く映しだす。
『そんな連中の明日を作るのが俺達だそうだ。何とも荷が勝つ仕事だと思うぜ、実際。だが任された以上、やり遂げるのも俺達ってもんだろう。あの時の事を思い出せ。実戦経験の全く無い俺達が、実弾の雨の中に放り込まれたあの作戦をだ』
かつてテロの鎮圧に駆り出された件の事を言っているのだろう。
あの時の隊の機能の仕方を思い出せと、彼は言うのだ。
徐々にその口調が彼等を動かす為だけのものに変わりつつある。
『いいか? さっき梶谷も言ったがな、何をしてでも生き残れ。苦労だけ背負わされてあの世行きなんて事の無い様にな。自分達の守った世界で生きる権利が、俺達にはある。もう一度言う、死ぬな』
『『『『『ウッス』』』』』
彼等の声音から高まっていく士気の色合いを感じ取った犬塚は、それに満足しながら頷いた。
『坊主に通信。鳶が狩場に舞う、だ』
『了解』
間も無く目標地点へと到達、降下を開始するので周辺警戒を頼むという符丁である。
『一分』
『十三番ヘリ以降は予定地点に物資を投下後、周辺警戒を。下にいる坊主と連携、何でもいいから異常があったら逐一報せてやるんだぞ? あちらさんは少人数なんだからな。お前達が空から目になって出来るだけのケアはしてやらんといかん』
『『『『『了解』』』』』
『三十秒、降下体勢に入って下さい』
乗っている機体が高度を下げ始めたのを下向きのGにより体感する。
『予定通り十二番ヘリから逆順に行け。人員輸送を終えたヘリは帰投、後は野々村さんの指示を仰げ』
『『了解』』
『十』
各員がシートに自身を固定していた安全帯を外す。
ガチャガチャと唱和したその騒がしさは、空挺連隊の訓練では当たり前の光景であった。
『五……四……三……二……一……』
『エントリー!』
ガシャン
一度では無く、同じ音が三秒感覚で機内に鳴り響くが、ローターの駆動音とその気流によって掻き消された。
シートと一体化した降下ハッチはシートごと外側に倒れる様に開き、降下部隊の部隊員を吐き出している。
地表に人類が君臨していた頃の海のダイビングと同じく、背中から中空へ飛び出すこの方式は連隊内でもすこぶる評判が悪かった。
この内戦の初期、第一師団の向こう脛にある傷を探そうと躍起になった田辺がその原因を発見する。
どうやらこの機体の設計コンペに第一師団の一部が絡んだ汚職があった様だ。
そんな閑話は兎も角、降下は順調に行われ、部隊員達が小隊単位での集結を開始、戦闘単位として機能し始めている。
『二番ヘリ、降下完了。当機の降下開始まで……』
残り数秒の機上の安息にしっかりと別れを告げて、犬塚の身体も他の部隊員達と同様に虚空へ投げ出された。
その目つきは鳶などという生易しいものでは無く、同じ猛禽でも鷲の如き獰猛さを秘めているものに変わっていた。
「うわぁ~……凄いねぇ……人が一杯降りてくるよ! 凄いなぁ……格好良いなぁ……」
「コーちゃん、見とれてる場合じゃないよ。あちらのヘリや設営部隊と連絡をちゃんと取り合わないとね。私達だけじゃ、ここの制圧を終わらせる事は出来ないんだから」
「うん……ごめんなさい。でもあんな低い所から降りて平気なんて、本当に凄いんだね。僕なんかもっと必死に降りてきたんだけどなぁ」
「彼等はプロだって事だね。私達の様な、にわか仕込みの降下兵とは経験が違うって訳さ。さてコーちゃん、彼等のマーカーをマップに表示するよ。判断するべき材料が増えるから、その辺りも頭に入れておいてね」
「了解。危なそうだと思ったら本部と犬塚のおじさんに連絡すればいいんだよね?」
「そうだよ。どんな細かい事でもいいから、君の気付いた事を知らせて欲しい。僕達みたいな大人じゃ考えつかない事が……君の視点からなら解かるかもしれないからね」
「うん! 頑張るね!」
大葉は既に晃一の事をただの子供とは思っていない。
アジト襲撃から今日に至るまで、精神的に不安定な日々を送っていた事については心配していた。
だが彼は戦地に赴く事を自らの意思で決めた後、大人である自分達ですら精神的に参ってしまう様な訓練に参加し、それを次々とクリアしていったのだ。
幾ら肉体が人間のそれを遥かに凌駕しているとはいえ、メンタルの部分は人のままである事を考えれば生半可な事では無い。
落下の恐怖であるとか銃器の突発的な発砲音には、大葉ですら未だに慣れたとは言えないのだから。
それをたかが十一歳の子供である晃一が、どうにかとはいえ乗り越えたのだ。
守るべき仲間ではあるが、年齢で侮る様な真似はとてもではないが出来無いと大葉は考える。
『こちらは空挺連隊第二大隊、第三中隊中隊長梶谷です。只今より策源地の設営に入ります』
『えっと、お疲れ様です。E小隊所属、十二番機です。訳があって名前は言っちゃいけない事になっていますので機体番号で呼んで下さい。こちらの警戒網の範囲内ですので、周囲一キロ圏内に敵性反応が出現した場合に連絡を入れますね』
『…………』
『あの……どうしました?』
『……いや、うちの大将が坊主って言ってたんですが、本当にそうなんだと……』
『あはは。子供ですけど仕事はちゃんとやりますから。失敗しても許して下さい、なんて甘っちょろい事は言いません』
『しっかりしてらぁ……いや、失礼。こちらのヘリの哨戒データもそちらに回します。互いにポジションはバックアップですが、しっかりやりましょう』
『はい、よろしくお願いします』
身内の部隊以外との連携は僅かな経験しか無いE小隊ではあったが、梶谷の律儀でありながら軽い性格という人間性が良い折衝役として機能してくれている様だ。
『七番機、北西一キロ辺りに敵影。通常型が十一機。そっちのV-A-L-SYSと連動するから頼むね』
『あいよ。犬塚のオッサン達と鉢合わせるのは面白くねぇ。少しでも楽させてやりてぇしな』
環のその言葉が大葉の耳を通り過ぎたと同時に、彼と晃一のいる位置から少し離れた場所から矢継ぎ早な砲声が鳴った。
バイザー内のマップから赤い光点が次々と消滅していくのを確認した晃一に、アキラから通信が入る。
『十七番機だ……空挺の中隊と合流した。このまま捜索に同行する』
『了解、気をつけて。何かあったら直ぐに教えてね?』
『了解……頑張れよ……』
『うん……ありがと』
通信が切られたのを確認すると、晃一は空挺連隊のポジションとその数を今一度確認した。
戦場を俯瞰するのならば数字と位置の把握、そしてそれらの居る場所を想像する力が大事だと、事前の座学で新見に教えられていたからだ。
現在空挺連隊からの突入部隊は、大きく分けて三箇所に集結している。
一つは晃一達の居座っている政府施設ビルの近隣、彼の位置からでも目視出来る箇所。
そこに物資輸送ヘリが投下したコンテナ群が鎮座していた。
晴嵐による筋力サポートを受けた歩兵達が数人がかりでそれを運び、間に合わせと言うには頑丈な陣地を構築している。
コンテナの素材は簡易トーチカと同じ物が使われており、いざという時に時間だけは稼げる仕様となっていた。
先程晃一に連絡を寄越した第三中隊がここに居る。
彼等はここを拠点とし、捜索に赴いている部隊へと物資の供給を行うのだ。
その北側。
陸軍の訓練施設や駐機場等が存在する広大なエリアに、一際大きな集団がある。
二個中隊程の人数がそれなりの範囲に散りながら、一つの方向に向かって移動を開始していた。
アキラの反応がここにあった事から、外周捜索の部隊なのだろう。
空挺の部隊で手に負えない特殊指定機体、つまり試作強襲型や装着重装型と遭遇した際の保険として同行を依頼されたのだ。
最後に晃一達の位置から北西、先程環が掃討を行ったエリアの近隣に一個中隊程の規模の集団がいる。
直ぐ側に鎮座する、白く輝いた陸軍本営ビル。
その内部捜索を行う犬塚の率いる部隊だ。
数名がビル風に流されたものの、降下と集結、そして突入の準備を終えたのだろう。
犬塚から晃一へと通信が入る。
『坊主、聞こえるか』
『はい、問題ありません』
『捜索スケジュールと人員に変更はナシだ。俺達は今から本営に突入する。例の連中と遭遇した場合は、出来るだけ外に引っ張り出す。その後の処理はお前達に任せるからな?』
『そのつもりでいます。あの……』
晃一の言い淀んだ言葉を耳聡く感じてしまったのか、犬塚は少し笑いながら彼の背中を叩く様に告げた。
『しっかりせんか。俺達の心配をしている暇があったら、その分集中して自分の仕事をしろ。あいつもそろそろ来るんだろう?』
『来ないって事が想像出来ないかな……です』
『フンッ、あの馬鹿にしては随分と信頼されてるんだな……一分後に突入開始する。互いにきっちりやるべき事を、だ。解かったな?』
『了解です……あの、あの。ご武運を』
『ハハッ。無理にそんな言葉は使わんでいい。行ってくる』
そう言うと犬塚は通信を切った。
広い陸軍本営全域の捜索は骨の折れる作業だろう。
だが陸路からの大規模な部隊の投入が出来ないという中、現状の戦力だけでどうにかしてやろうという気概の様なものが彼等の身体から溢れ出していた。
極東の明暗を分ける戦いのその切っ先に、自分達が居る。
その認識が彼等に軍人としての本分を思い出させていたから、という事も大きい。
かくして彼等の銃後の日常を賭けた、極東陸軍本営の大捜索劇が開始されたのである。
お読み頂きありがとうございました。
引き続きご愛顧頂けると嬉しく思います。
それではまた次回お会いしましょう。
2016.08.03 改稿版に差し替え
第七幕以降は改稿が済み次第、幕単位で投稿します。