6-6 獣が少女に戻る時
-西暦2079年7月24日05時30分-
何かに穴を開ける工具と言えば何を思いつくだろうか?
一般的に考えるならばドリルという工具だろう。
電動手動を問わず螺旋に掘られた刃は素材を穿ち、その削りカスを外へ排出する。
実に良く出来たギミックである。
それとは別に『シャーシリーマ』と呼ばれる工具あるのをご存知だろうか?
ドリルの開けた穴を拡大するために使われる工具なのだが、細長い円錐に数枚の板を垂直に立てた様な構造をしている。
この工具で小さく開いた穴を抉り、求めるサイズまで大きくするのだ。
現在戦闘中の郁朗の両腕にあるものは、その二つの特性を併せ持った形状のものであった。
ゾルリ
また七号の緩衝素材が郁朗のその前腕によって削ぎ落とされた。
「もうッ! まただッ! 痛くないけど脱がされてるみたいでやだよッ!」
彼女は淡々とした何かの作業の如く自身のアンチショックジェルを剥ぎ取りにかかる、そんな彼の態度が気に入らなかった。
怯えと苛立ちを含んだその声を聞いた郁朗は少しばかり安心する。
機構から与えられた力、そしてそれをくれた"神"である早村への盲信。
それが揺らぎ始めているのが判ったからだ。
力づくで現状を理解させれば、今ならばまだこちらに引き戻せるかも知れないという希望すら芽生えてくる。
どうにも郁朗の手法が片山流というか、力押しに染まっているのが残念ではある。
だが弱者を甚振る戦い方をしてきた七号には、その手法同様の嬲る様な攻勢は効果が高かったという事だろう。
郁朗自身、戦闘開始当初はこの行動に大きな意味があるとは考えてはいなかった。
目には目を、歯に歯を実践していただけなのだ。
その経過中に彼女の心理面に変化が出たのはただの偶然である。
その偶然が成し得た兆候に乗る事で、彼女の精神の正常化が図れるのであれば、迷わずそれに乗るのが藤代郁朗という男、というだけの事である。
行き当たりばったり。
日和見主義。
蝙蝠男。
そう見えるのも仕方が無い。
果断な処置を行いながらも、流れによっては自身のそれに抗う事も戸惑わない。
彼女にとって何が最良なのかを決める権利は、勿論郁朗には無い。
だが関わる以上、自身の考え得る出来得る限りの最良を相手に与えようとするのが人なのだ。
それを人の業と言うのならば、人は誰とも関係せずに生きていかねばならないだろう。
彼女の恐怖を喚起出来た事で、彼女が自身は特別な何かでは無い事を思い出し、ただの人である事を取り戻すのかも知れない。
そんな想いが郁朗に言葉を吐かせる。
「自分がされて嫌な事を……他人に平然とやってきた子供が、よくもそんな事を言えたもんだね。君は無邪気である事が許される域を越えてしまったんだ。その報いは受けるべきなんだよ」
「そんな難しい事言われたって判らないッ! 玩具で遊んで何が悪いのッ!」
「それだッ! そうやって何時までそんな幼児をやっているって言ってるんだッ! 君はそんな事が判らない歳ではないんだろッ! 今の怖さで目を覚ませッ!」
郁朗は両腕に装着しているガントレットのシナプスに、自らの意志とも言える生体電流を流す。
それに応えるかの様にガントレットは形状を変え、螺旋に立った刃を肥大化して構築してみせた。
その刃は高速振動により半ば赤熱化し、その破断力を高め緩衝素材にがっちりと食いつく。
ゾンッ!
通常の打撃と違い、郁朗のその腕の一撃は七号の防御をやすやすと貫いた。
彼女が防御の為に被弾箇所へアンチショックジェルを集めてそれに対抗。
さらにそれを郁朗があっさりと剥ぎ取る。
その作業は二人の見事な連携を以って成し遂げられていた。
「やだッ! 怖いッ! 三号ちゃんッ! 助けてッ!」
身が剥ぎ取られていく事で発露した恐怖は、彼女から思考を奪う。
この場に居ない三号への助けを求める言葉が上手く繋がらず、単語による絶叫になりつつあるのはそういう事なのだろう。
「同じ事を叫んだ人達に君は何をしたッ! 腕をもいで脚を千切り、その肉を剥いだんだろうッ! 絶望に泣いている人を笑いながら殺したんだろうッ! 次は君がそんな風に玩具にされる番なだけだッ!」
「やーッ! やだーッ!」
空気を切る音だけを響かせて、悲鳴と共に彼女の拳は空回る。
七号が郁朗を目視して殴りかかっても、甲高いモーター音が鳴ると全て回避されるのだ。
酷い時には真後ろに回り無防備な背中にそっと触れるだけという、悪意を込めた嫌がらせとも取れる行動も織り交ぜていく。
彼女の更なる恐怖を喚起する為に。
そうした攻防とは言えない、一方的な精神と肉体への攻撃は数分間に渡って続けられた。
彼女の心は助けに現れない三号をひたすらに求める。
しかし彼は双子との戦闘に夢中となり、既に彼女の近くには居なかった。
七号の三号に依存していた部分が、肉体の軋みと共に悲鳴をあげた。
(また誰も私を助けてくれないの? また痛い事を我慢するあの時間が帰ってくるの?)
かつて自らの父親に味合わされた暴力の記憶が、彼女の脳裏にはっきりと蘇り始める。
誰かを玩具として壊し、三号に甘え、早村を盲信する。
そうする事で作り上げてきた"七号"という人格に綻びが生じ始めているのだ。
心理内での一人称が"わたし"から"私"に変わったという事がそれを証明しているのだろう。
彼女が意識の内部を彷徨っている間にも、郁朗の両腕のガントレットは高効率で仕事を継続した。
そしてとうとう三号の身体からアンチショックジェルが粗方排除されると、郁朗はフルドライブを解除。
体色は明緑から濃緑に戻り、七号の間合いで躊躇無く動きを止めている。
「これで君の無敵だった盾はあっさりと無くなったね。僕の仲間に聞いたけど、君は痛い事が大嫌いなんだって? ちょっとした痛みで大騒ぎだったそうじゃないか。EOなんだから痛覚は切れるんだろうけど……さて、今の君は痛めつけられる自分に耐えられるかな?」
郁朗の身体の変化を感じ取った七号は、先程までの見えない動きをされる事はもう無いのだと安息した。
その安心と同時に彼女に芽生えたのは純粋な殺意だった。
"壊す"のでは無く、自らの生存する権利を守る為に"殺す"……つまりは郁朗を玩具では無く、自身に脅威をもたらす存在として認識したという事である。
彼女が父親を殺害した時以来、決して表に出てくる事の無かった感情が……今、再び目覚めようとしていた。
「あ゛ーッ!! あ゛あーッ!」
音声回路の再現キャパシティを越える信号が発声部分に届いているのだろう。
彼女の絶叫は声帯サンプリングの濁りと共に、郁朗へと発せられた。
ノイズ塗れのその声を聞いて郁朗は確信する。
彼女は人に戻りつつある。
獣の様な咆哮は、人間として彼女があげた悲鳴なのだ、と。
重量が無くなった分、これまでとは違う速く鋭い一撃が郁朗に襲い掛かった。
彼はその一撃をあえてそのまま、回避もせずに受け止めてみせる。
郁朗の顔面、横っ面に直撃した七号の拳は綺麗に振り抜かれた。
だが郁朗の体幹はその場で揺らぐ事は無く、踏みしめた両足が動じる事は無かった。
彼女の攻撃は素人の女性が本能に任せて殴りかかる、所謂腰の全く入っていないただの殴打なのだ。
その程度の力の乗せ方では彼を殴り倒すどころか、ぐらつかせる事すら出来なかった。
「う゛ーッ!? うわ゛ーッ!」
戦う為の技術を持たない少女。
それがどれだけ速く拳を繰り出した所で、大の大人を簡単には伸せないという状況と同じなのだろう。
彼女の連続する殴打は、ただの駄々っ子の癇癪としか郁朗には捉えられなかった。
このままでは自身の攻撃に効果が無い事を、七号は自覚したのだろう。
彼女の動作モーションは一打増えるごとに大きくなり始めていた。
そんな大きな隙を見逃す郁朗では無い。
大きく込められた自身の力に流されてふらつく彼女の、その伸び切った右腕をあっさりと掴まえてみせた。
「やっぱりその程度って事か……自分が生きてきて溜めたストレスを、自分より弱い者にぶつけていただけなんだな……」
「いあ゛ッ! うあ゛うあーッ!!」
郁朗の言葉が聞こえているのかいないのか、彼女は右腕の自由を取り戻そうと呻き声を上げながら暴れるだけだった。
「僕の言葉が聞こえるなら……痛覚を切ってくれ。今から君の身体を、破壊する」
郁朗は七号の右腕を捻り上げると、滑る様にそのまま彼女の背中へと回った。
「あ゛あ゛ッ!? ああうううああああーッ!!」
それは痛みのせいに違い無い。
彼女はガラスの軋んだ様な甲高い声で叫ぶと、更にその身体をよじらせる。
錯乱しつつある精神状態もあり、上手く痛覚が切れていないのだろう。
郁朗はそんな彼女に背後から全体重をかけ、地面へと押し倒しながら……その右腕を容赦無く、折った。
「――――――ッ!!」
破壊された箇所から発生した痛みが、七号の脳を容赦無く突き刺す。
人体と比較して痛覚が弱く設定されているとはいえ、遮断しない限りは痛みを感じるのがEOというものだ。
機体に構造以上の無理な動きをさせない為の機能ではあるのだが、その痛みが彼女に声にならない悲鳴を上げさせる。
郁朗はガントレットの刃先を大きく変形させると、そのまま彼女の右肩部へと抉る様に打ち込んだ。
ゴリゴリゴリゴリッ!
彼女の構造自体が設計基と変わらないのであれば、そこには腕部への神経伝達回路があるはずだ。
そこを破壊したと同時に、七号の悲鳴がピタリと止む。
郁朗なりに彼女に情けをかけたのだろう。
破壊の瞬間に吹き出した循環液は、既にその流出を停止していた。
恐らくは循環液の流入経路が非常用のバイパスに切り替わったのだろう。
郁朗は半ば千切れかけた七号の右腕をしっかりと掴むと、そのまま身体から引き剥がした。
下手に繋がったままでいると抵抗の武器にされる可能性が高いからだ。
不意に痛みが消えた事によって七号の心理に、再び郁朗に対する怒りと攻撃性が発露した。
起き上がる時に視界に入った郁朗……自分の右腕を持ってこちらを見ている何かに対して、暴力をぶつけなければ荒れた心が収まらないのだろう。
力任せに地面を踏み込み、その勢いを乗せた左足の蹴打が七号から繰り出された。
その動作を見てから動いた郁朗ではあるが、彼女の右腕を地面に投げ捨てる。
そのまま自身の脇腹に向かってきたその脚を、がっちりと抱え込んで受け止めた。
ドラゴンスクリュー。
かつて存在した日本人レスラーの生み出した、対蹴撃用迎撃技能の一つである。
言葉にしてしまえば大袈裟に感じるかも知れないが、本気でやれば簡単に人の脚部を破壊出来る程に、この技は恐ろしいものなのだ。
蹴りを繰り出した相手の足首を受け止め、そのまま脇腹でホールド。
然る後に回転力を以ってしてその脚を捻じり、地面にひれ伏させる。
その力に抗えば足首と膝を破壊され、抵抗せずに投げられても受け身が上手く取れなければ腰部や腕部、頭部に深刻なダメージが与えられる。
これは郁朗が対片山の切り札の一枚として習得した、関節攻撃用の技の一つであった。
相対したEOの関節を痛めつける、もしくは破壊する、という技能ジャンルがあるとするならば……郁朗程それについて研鑽を積んでいるEOも居ないだろう。
七号は脚部の小さな痛みに抵抗出来ず、投げられうつ伏せに転がされる。
郁朗はホールドしたままでいる彼女の左脚を弓なりになる様に引き、腿を支点にしてテコの原理を使って折りにかかった。
その脳裏には片山に訓練で破壊された左膝の痛みがフラッシュバックし、軽く頭を振る事でそれを払拭する。
「フンッ!」
聞く人が聞けば……まるで片山の様じゃないかという裂帛の声が響く。
と、同時に稼動範囲の限界を迎え、七号の左足の大腿部の内骨格が破砕音と共に砕け散ったのだ。
「――――――――ッ!」
再び彼女の声にならない悲鳴が空気だけを揺らす。
そして右腕の時と同じく、神経伝達回路を破壊してその身体から左足をもぎ取った。
この時点で彼女の動作はほとんど封じられたと言っていい。
だが郁朗はあと二度同じ事を繰り返すと彼女の四肢の全てを奪い、人型としての機能を完全に奪ってしまう。
「あ゛ぁーッ! お父さんが怖いよッ! 助けてッ! お母さんッ! お母さんッ!」
涙を流す事の出来ない機械の身体。
彼女の心はその過度のストレスを散らす為に、その思いの丈を大きな声として発する。
発した言葉が母親を呼ぶものである事。
耳入って来たその言葉によって、七号のスイッチが人側のそれに切り替わった事に郁朗は安堵した。
それは彼女の状態にと言うよりは、自身の取った行動が彼女に最悪の状況を与えなかった、という事への安堵だったのかも知れない。
半狂乱ではあるが、人としての声を取り戻した彼女のその叫び声は……痛みと共に再び人として産まれ直した産声の様でもあった。
『三番機より水名神本部、機構本部への突入部隊に回収車両を一台追加願います』
『水名神本部より三番機、何かイレギュラーな問題でも?』
『七号と呼ばれた少女を無力化、保護対象として確保。動作は封じてあります……人として救えると判断しました。携帯プロープを目印に置いておきます』
『…………了解。手配します』
『ごめんなさい……ありがとう』
オペレート班にとっては鹿嶋の身体を奪い、同僚である人々を殺害した許されざる相手なのだ。
それをあえて呑み込んでくれた事に郁朗は謝罪と感謝をするしか無かった。
彼女がこの先どうなるのか。
恐らくその選択に郁朗が関与する事は出来無いだろう。
ひょっとすれば、ここで殺されていた方がマシな結末を迎えるのかも知れない。
それでも自身の心の揺らぎによって導き出された、この結果を郁朗は信じるしかなかった。
「「うわぁ……」」
背中越しに聞こえた声により、郁朗は思考の海から現実に引き戻される。
その声が双子のものである事を認識したと同時に、今の状況を考えてみる。
四肢を破壊された半狂乱のEOと、それを見下ろして黙っている自分。
彼等の声の意味を理解し、納得する。
「確かにそんな声を出したくもなるか……お疲れ様、そっちはどうだった?」
「んー……どうにか勝つには勝ったんやけど……」
「どうにも勝ち逃げされた感があってスッキリせぇへんのよなぁ……」
「そっか……見た目は兎も角、無事で良かったよ。君達ならドジってとんでもない事になっててもおかしくないからね」
「「頑張ったのに、それはあんまりやん……?」」
しょんぼりとしている双子の肩を叩くと、郁朗は七号を抱き起こす為にしゃがみ込む。
郁朗は彼女を抱え起こすと、背を預けて腰掛けられる場所へと運んだ。
未だ母を呼び続ける彼女をこのまま一人にしていくのは心残りではあるが、彼には彼の役割があるのだから。
「君の人である部分を呼び覚ましておいて、このまま置いていくっていうのは酷いとは思うんだけど……しばらく待っててくれるかな? 優しい人達が君を迎えに来てくれるからさ。全部終わったら約束通り……君の名前を教えて貰うよ」
七号に郁朗の声が届いたかは判らない。
それでも伝えるべき事を伝えた彼は立ち上がる。
「さて、それじゃあ僕達はやるべき事を、ってやつだね。もう一度だけ確認するよ? 君達は早村を。僕は甲斐の身柄を押さえる。これも何度目か判らないけどさ、搦手に弱い君達に早村の相手は荷が勝つんじゃないかって思って――」
「そないに何回も言わんでもちゃんとやるて。なぁ、勝」
「せやな。早村に聞かんといかん事あるから、アキラ君に無理言うてまでわざわざこっちに来たんやし。三号のケジメも取ったらなあかんからな。まぁ任しといて」
二人の言葉に含まれる意思の様なものを感じ取った郁朗は、双子へのそれ以上の追求を止めた。
「判った……あと一時間もしない内に新見さん達もこっちに来るんだ。それまでには終わらせよう」
「「了解や!!」」
かくして機構本部における最初の戦闘はその幕を閉じた。
郁朗と双子の双方共に苦く、中途半端な結果を残したと言っていい。
だが彼等との戦闘によって、自らの機械の身体に内包するものがどうあっても人である……その事を再確認出来た事という事は大きな収穫だったのだろう。
彼等の走らせるローダーの地を削る音を残して、戦場だった場所は静けさを取り戻した。
お読み頂きありがとうございました。
引き続きご愛顧頂けると嬉しく思います。
それではまた次回お会いしましょう。
2016.08.03 改稿版に差し替え
第七幕以降は改稿が済み次第、幕単位で投稿します。