1-10 三人目の男
-西暦2079年1月9日10時55分-
(暦に合わせた気候っていうのも……これはこれで厄介なものなんだなぁ)
四季の気候に合わせた極東の現在の気温は一桁である。
自身の今いる環境に生身の身体が晒されれば……簡単に凍死の一つや二つはしてしまうのではなかろうか。
そう郁朗は思う。
郁朗と片山は現在Eブロック南部の緑化地区、その常緑樹の生い茂る森の中を駆け巡っている。
屋外訓練の一環であり、遠方から飛来する火線から逃亡している真っ最中であった。
新しく小隊入りした新人の機体特性訓練の付き合いでもあるのだが、とにかくこれがきつい。
気温も疲労も全く関係無い身体ではある。
だが見えない位置から何者かに狙われながら、足元の悪い森林を逃げ回るというのはなかなかに心労を誘うものなのだ。
ピシッ!
風切音と共に飛来したそれは郁朗の右肩へ直撃する。
ちらりと目線を落とした右肩には、赤い蛍光カラーという派手な色合いの着弾の跡がしっかりべったりと残っていた。
射撃訓練用の模擬弾である。
「三番機、右肩被弾マイナス4」
訓練をモニターしているオペレート班へ、しぶしぶと被弾の自己申告を行う。
訓練開始からここまでで片山が三発、郁朗はこれを合わせて既に五発も模擬弾を食らっている。
開始十分という短時間でこの有り様。
しかも最悪な事にポイントの減点制であり、ポイントに応じてとあるものが差し引かれる。
それが何かとぶっちゃければ、郁朗と片山の貴重な給料がであった。
差し引かれた分の全額が、射撃地点で嬉々としているであろう新人の懐に入ってしまう。
そんなターゲット役には全く優しく無い鬼の様なシステムであった。
新人が自身のモチベーションを上げる為と千豊へ提案し、片山がそうそう命中する訳では無いと面白がって採用したのだが……間違い無く今頃後悔しているだろう。
郁朗から少し離れた場所から、『うがっ!』という声がした。
片山も再び被弾したのだろう。
その声を聞いた郁朗は、こんなに近くにまとまっていたらいい的になるとようやく気付く。
そしてとっとと逃げなければと動き始めた所に……。
ビシッ!
再び着弾。
それも逃げ際だったので、致命的箇所とされる後頭部への直撃だった。
「……三番機、後頭部被弾マイナス10。勘弁してくれないかなぁ……」
ボヤく郁朗の声を他所に……離れた場所から再び片山の小さな悲鳴が聞こえてくるのであった。
訓練が終了し、訓練施設入口前に全員が集合する。
モニター担当のオペレート班の女性はさぞ寒かっただろう。
訓練終了後から移動用の車に篭って出てこようともしない。
郁朗は片山と二人で寒空の下、模擬弾のペイントをリムーバーで洗い流している。
そこへ件の新人が模擬戦用のライフルを肩に担いでやって来たのだ。
「なぁ、団長さんよォ。これもうちょっとマシになんねぇ?」
ライフルのスコープをちょいちょいとつつきながら、彼は大層不満げにそう言った。
雪村環。
七番目の転化被験者であり、覚醒したEOとしては三人目という事になる。
年齢は十九歳、Eブロック東端の廃棄地区の出身だそうだ。
その出自が関係あるのか、それとも地なのか。
彼との付き合いは短い事もあって判断は難しいが、少しばかり横柄で纏っている殻が硬い。
片山に言わせれば『糞生意気な小僧』であるのだが、郁朗からしてみれば『小生意気だけども話は通じる子供』になるから不思議なものである。
「なんでぇ? 倍率のかなり高いスコープ使ってんだぞ? お値段だって倍率並にお高いんだからな? 贅沢にもほどがあるわ!」
環が自身の不満をはっきりと訴えるには、その言葉が些か足りていない。
だが片山も上に立つ人間としての、部下に歩み寄る姿勢というものが明らかに足りていない。
カメラアイの視線がぶつかり合い、険悪な空気を醸し出し始めた二人。
それを見た郁朗は、やれやれと溜息をつきつつも仲裁に入るのであった。
「ねぇタマキ……どうマシにして欲しいかちゃんと解かり易く言わないとダメだよ? 団長もさ、ちゃんと何が不満なのかを聞いてやんなきゃ。今のままだとただの頭の固いオッサンになっちゃってるからね? 部隊長なら気をつけないとさ」
すっかり二人の調整役として馴染んでしまった郁朗が、彼等の不満と事態の解消を図る。
「んー……要はこうなのかな? 環の特性を考えたら肉眼で見た方が早いって事で合ってる? 機械的な事だよね?」
「そうなんだよ、それそれ!」
「それならね、団長に言ったってどうにもなんないから。ハンチョーに言わないとダメだよ。それか山中さんでもいい。とにかく次からは整備班に言うんだよ? その代わり、事後でもいいから団長に報告だけはちゃんとするんだ。いいね?」
「さすがイクローさんだぜ。判る人に話せばこんだけ話が早いのになァ……どっかのオッサンの理解力の無さには、気の長い俺様もさすがに呆れるぜ」
片山はフンッと出もしない鼻息を鳴らすと、彼に負けずに言い返す。
「こういうのを適材適所っつうんだ。俺は戦闘指揮をすんのが仕事。イクローは部隊管理をすんのが仕事って事だ。俺みたいな有能な指揮官ってのはな、クソガキのお守りまでしてられないんだよ。忙しいって事だ、俺程の人材になると」
どっちもただの子供じゃないかと郁朗は頭を抱える。
「あのさぁ……二人共子供みたいな言い合いはいい加減にしてさ、周りを見てみなって。みんな呆れて中に入って、もう僕達しかここにいないよ? 昼から格闘訓練なんだよ? 早く中に入ろうよ。午前中のマイナスを取り返さないとさ、僕と団長の給料……本当にゼロになっちゃうよ?」
「それもそうだな……塗料まみれにされたお返しはしてやらんといかん。取られた以上に絞りとってやるとしようか。よしッ! 行くぞッ!」
片山は肩をぐるんぐるんと回しながら、車両と共用になっている地下への昇降口へと向かう。
その機嫌はこれからの訓練の内容のせいか、非常に良いものであった。
「えっと、イクローさん。昼からの訓練だけどよ、俺ァパスって事で……」
「バカ言わない、ダメに決まってるじゃないか。タマキは遠距離側にスペックが偏り過ぎてる。何があってもいい様に格闘の訓練もちゃんとやんないと。子供じゃないんだから選り好みしない。いいね?」
勝ち逃げ許さない~はは~んと鼻歌を歌いながら、片山と同じく肩をぐるんぐるんと回して昇降口へ去る郁朗。
「イクローさんだって十分ガキじゃないか……」
環はブツクサと文句を口にしながら、どんよりとした空気を背中に纏わせると、トボトボと彼に追従して地下へ向かう。
今日は関節をどこまでいじめられるのか……そして稼いだポイントは守りきれるのか。
色々と頭の中で勝ち分を維持する為の考えを巡らせているのだろう。
環は合流直後の格闘訓練で、片山に徹底的に叩きのめされている。
それがトラウマになっているのだろう。
以来、この訓練をどうにか逃げ出そうとする程に苦手としている。
そもそも最初の挨拶の時点で、片山と環の間には派手に火花が散っている。
性格的に共に傍若無人な俺様である事が大きな原因なのだろう。
一見似た者に見える二人ではあるが、人との距離感については錯誤があると言っていい。
片山は横柄ではあるものの距離感としてはフランクで、彼の他人との距離感は比較的近い。
だが環はその育った環境が特殊という事もあるのだろう。
どちらかと言えば人との距離感は遠い。
余程相性のいい人でなければ、それなりに警戒して少し距離を取る傾向がある。
この二人の喧嘩を見た郁朗が最初に思った事は、『犬と猫が目の前の餌を奪い合っている』だそうだ。
そんな片山との相性の悪さがある反面、郁朗との相性はすこぶる良かった。
元々教員だった郁朗である。
環の様な性格の子供は与し易く、教員時代にも幾度か相手にしていた手合の為、その対応に慣れていたという事も大きい。
環にしても郁朗の言葉の端々から感じられる物腰の柔らかさと、自身の事を尊重しつつきっちりと物を言ってくれるあたりをとても気に入っていた。
『いいね?』と子供を相手にする様に念押しを度々される事も、諭しながら色々と教えてくれた自分の祖母を思い出させて、妙な安心感を抱いているのだ。
「祖母ちゃん元気かなぁ……」
郁朗の後をとぼとぼと歩く環が今日も呟いた。
彼はこのアジトに来てからというものの、度々この言葉を口から吐き出している。
環は自分がこの身体になり、初めて目覚めた時の事を思い出し始める。
環にとって組織への参加を説得してくる千豊の主義主張等はどうでも良かった。
別に他都市との間に都市間戦争が勃発しようが他人がどうなろうが、彼にとってはお構い無しであった。
環と祖母の生活にその事象は何の関係も無かったからだ。
日々食べていく事がやっとだった事を考えれば、外界がどうなっていようが関係無い。
自分と祖母さえ無事であればいい……彼は今までずっとそう思って生きてきたからだ。
故に組織参加にあたって、環が千豊に出した条件も単純で明快な物だった。
「手伝ってやってもいい、その代わり俺の祖母ちゃんの生活を保証しろ」
物心ついた頃から両親と呼べる者は彼には居なかった。
どういう事情か知らないがずっと祖母と二人で暮らしてきたのだ。
廃棄地区で暮らす。
そんな人目を忍んだ不便な生活の中、祖母はどうにか環を一人前に育ててくれた。
学校など当然無く、勉強や都市部に舞い戻った時に困らない程度の社会常識等も、彼女が一人で環に叩き込んだのだ。
そんな場所で暮らす意味を学習の最中、幼いながらに彼も理解する事となる。
だが祖母に対する恨み事など一つも出なかった。
そうする内に環も廃棄地区で"発掘"を始める様になり、一丁前に食い扶持を稼ぎ始めた頃。
祖母の生活もかなり楽になっただろうタイミングで、環は千豊達に拉致される事となったのだ。
自分が居なくなれば祖母の暮らし向きはどうなるのか。
環がその時に真っ先に考えたのはその事だった。
千豊は祖母の生活の保証を確約してくれた。
その上、居住していたのが外界からは閉ざされている廃棄地区であったの事も幸いしたのだろう。
極少ない頻度ではあるものの、環の現状を話さない事を条件に、祖母と連絡を取る事も許可してくれたのだ。
初期駆動訓練を終え、動ける様になった環が最初にした事は……何故数ヶ月に及んで姿を消したか、どうしてしばらく帰れないか、という祖母への言い訳を必死に考える事であった。
勘のいい祖母と連絡を取るにあたって必要な事だったのだろう。
連絡を取った祖母は頭ごなしに叱るわけでも無く、まずは彼が無事でいた事に安堵の声を上げた。
そしてただ黙って環の話を聞いて、彼の身の事だけをただただ案じていた。
祖母によるとこういう事らしい。
ある日、環の名義で紙幣の束が手元に届けられて来た。
環一人に稼げる金額では無いという事は即座に理解出来たのだろう。
何かよからぬ事に巻き込まれたのではないか?
それとも人様に酷く迷惑を掛けているのではなかろうか?
と、その事を本当に心配していたそうだ。
祖母の予想が概ね当たっていた事で、環の心は盛大に冷や汗をかく事となる。
『ただの出稼ぎだから安心して欲しい』
火急の言い訳として環がそう伝えると、
『嘘はついてないだろうね?』
と一度だけ念押しをして、すんなりと信じてくれたそうだ。
嘘をついた事を環は心苦しく感じたが、今の姿のまま彼女の所へ戻る訳にもいかない。
差し当たって千豊が契約をしっかりと守ってくれた事に安堵し、契約として環は自分の仕事を全うする事を誓うのであった。
そうして祖母の為にもと、溢れんばかりのやる気で迎えた戦闘訓練初日。
その日に顔を合わせたばかりの片山によって、負けん気の強い鼻っ柱をこっぴどく圧し折られる事なったのである。
そして更なる不幸が彼を襲った。
圧倒的な敗北で心に傷を負った環を慰めながら、その傷に塩を擦り込むように手加減無しの訓練を施した人物が存在する。
言うまでもなく、郁朗であった。
環は今でも休眠中にその時の事を夢に見る事があるそうだ。
彼が格闘訓練を苦手とする理由は、塞がらないトラウマというそれだけでは無い。
彼の機体特性というもの自体が、元々格闘に向かないというのも大きい。
EOの機体スペックに関して、環がロールアウトされた事により技術班の人員が確信を持った案件がある。
EOに動力として搭載されているクロロDNA駆動システム。
このシステムはどうやら被験者のDNAにより、機体毎に違った特性を付与する、という事象がはっきりと認識されたのだ。
試作機とも言うべき片山を基準とする事になるが、ここまでの三人にはそれぞれに違う特性が存在する。
片山の特性に関しては切り札だからと言う彼の言葉もあり、内容は一切表に出されず公にはされていない。
郁朗は光合成発電による発電量が異常な程高い。
ある時、彼にはどこまでの発電能力があるのか、という技術班の熱い要請が郁朗に届けられた。
郁朗自身も自分の身体の事であるのだから知っておきたいと思ったのだろう。
それを受けて最大発電量のテストをしてみる事となった。
その結果、自然吸入の物質による光合成発電では発電キャパシティにまだまだ余裕を持つ事が判明。
ならばと腰部のラッチからEO用の駆動燃料を接続した事で、ようやくキャパシティ限界の最大発電量に至ったのである。
燃費は悪いが生み出す電力は常識からは外れていると結論付けられ、その電力の有効利用が考えられる事となった。
関節駆動モーターが高回転・高耐電・高耐久を謳い文句にした整備班謹製の高速モーターに交換。
更には生体アクチュエーターにも従来の物とは違う電気収縮の高い素材が用いられる事となった。
『こんな身体になっても大食いなのが変わらないってのは……何の因果なんだろうね?』
自身の変わらない部分に呆れながらも感心してしまった郁朗の弁である。
そんな二人であったが、残った環はと言うと……まず筋力や反応の補正を含めた運動性能に関しては片山のやや下。
発電能力に関しても片山よりは上ではあるが郁朗よりは遥かに下。
機体スペックだけを見ると些か平凡な出来であると言わざるを得ない。
彼の特性が発現したのは、視神経であった。
EOの視覚にあたるカメラアイの被写界深度は、被験者の視神経そのものにより決まる。
どれだけ望遠力の高いカメラアイを搭載しても、それを視神経が画像として認識し、ピントの合った距離感を掴めなければ意味は無かったのである。
郁朗と片山はおよそ三百メートル先まで正常な視覚として機能している。
彼等の視神経ではそれ以上離れてしまうと、距離感の齟齬を克服できず正常に機能しなかったのだ。
だが環は違った。
最大望遠が千メートルあるEOのカメラアイを最大望遠にして尚、被写界深度を合致させて目標の空間的動作が把握出来たそうだ。
そこに距離感の齟齬は一切無かったらしい。
それを面白がったのが整備班である。
整備班長に断りなく、高精度狙撃用スコープのレンズを加工して彼のカメラアイを改良したのだ。
その距離、最大望遠で二千五百メートル。
さすがに最大望遠での空間認識による負荷は環の脳に負担を与える事となる。
著しい脳疲労によって、数時間の安静を強いられた。
だが無理をしない範囲であれば、千五百から千八百メートルを視界として収める事が出来るのだ。
環は郁朗達の5倍以上という、驚異的な視覚を獲得するに至ったのである。
元軍人である片山の指導の元、環は狙撃手としての訓練を積んだ。
この時ばかりは環も彼の言う事を素直に聞いたのである。
千メートルオーバーの狙撃をする時の、まるで何かの隙間をこじ開ける様な……その感覚の虜になってしまったのだ。
一流の狙撃手としての才能を開花させ始めている環にとって、格闘訓練など何の魅力も感じない拷問としか思えないの仕方が無い事なのだろう。
色々な事を思い起こしていた環がようやく地下演習場へと辿り着く。
彼がそこで目にしたものは、楽しそうにならんでストレッチをしている二人の悪魔だった。
そんな背景がある本日の格闘訓練も、大人げない二人のこの悪魔によって初日の訓練と似た様な結果を迎える事となる。
結局は環は狙撃訓練で得たポイントの全てを失う事となったのであった。
お読み頂きありがとうございました。
引き続きご愛顧頂けると嬉しく思います。
それではまた次回お会いしましょう。
2016.04.29 改稿版に差し替え