5-25 最果てへの舵取り
-西暦2079年7月24日02時10分-
『抜錨まで後十分! 作戦に参加する人員は搭乗急げ! 繰り返す! 作戦に参加する人員は搭乗急げ!』
Sブロック中央部に位置する大型艦船ドッグでは、水名神が間も無く開始される作戦に参加する為に出航準備を整えていた。
メインブリッジにはいつもの水名神艦橋クルー達が変わらず鎮座しているが、艦内中央部にある第二艦橋には、千豊率いるオペレート班による作戦本部が設けられている。
驚くべき事にその作戦本部には鹿嶋がいるのだ。
当然彼女の身体の再建はまだ行われておらず、肉体そのものは存在しない。
EOの頭部パッケージに脳と神経群を封入され、酸素供給と体液循環の為の強化ガラス製のシリンダーに収められた状態で作戦に参加しているのである。
周囲の人間達は彼女の乗艦を強固に反対した。
だが鹿嶋自身の強い意思と彼女の持つ技能が故に、その参加を承諾するしか無かったという話だ。
彼女曰く、
『こんな身体にされたお返しだけはしてやろうと思うの。間崎さんや皆の手伝いになるのは間違い無いんだから連れて行って頂戴』
だそうだ。
それを聞かされた同僚である柳原や長瀬は、ああそうですかそうですかと仏頂面で彼女を台車に乗せて運搬したらしい。
実に罪深い……バカップルであると言えよう。
艦内兵装倉庫近隣は再整備の上で拡張が為され、今は整備班と技術班の人員が所狭しとたむろしていた。
その片隅に運び込まれている一台の保護ストレッチャーがある。
完全にシールドされており、中の様子を窺う事は出来ない。
中に居るのはこの土壇場にも関わらず、未だ覚醒する事の無い片山であった。
戦闘によるダメージの他に神経回路の更新・外装の完全交換等、生まれ変わったと言ってもいい程の負担がかかっているのだ。
一部の技術者達は今回の作戦参加自体が厳しいのではないか、という見方を強めているのだが、片山の周囲のほとんどの人間は楽観視している。
『団長がリベンジもせずにこのまま終戦まで眠っているのは考えられないね』
『あの戦闘狂いがだぜ? この乱痴気騒ぎを聞いて起きてこねぇ訳がねぇよ』
『……ギリギリまで楽したくて……寝てるだけなんじゃないんスか?』
『作戦開始三十分前までには目覚めて貰わないと困ります。私の賭け札が紙くずになりますから。それまでは好きに寝てて貰って構わないんですけどね』
『給料分は働いて貰わないと困るわね……まぁ、いざとなった叩き起こすからいいわ』
等々、彼のこれまで積み上げてきた実績がそこまで言わせるのだろう。
なんとも頼もしい仲間達の言葉である。
実際の所、脳波などの数値的だけを見ればいつ覚醒してもおかしくは無い。
むしろ何故起き出さないのかが不明な程の良好な数値を叩き出している。
彼が居るのか居ないのかで、作戦成功を測る天秤の傾きが変わるのは確実である。
故に整備班は彼の兵装を用意し、いつでも作戦に参加出来る状況だけは整えていた。
新しい身体に合わせ、僅かに形状変更されたローダーシステム。
対装着重装型EOへの対策の為されたライアットレプリカ用の新弾薬。
そして……彼の身体に新しく組み込まれたギミック、それを作動させる為のブラッドドラフトを可能とする新型燃料。
それ等の装備が、今回の作戦で使用する輸送手段の置かれている場所で彼の覚醒を待っている。
何時迄も起きて来ない片山など知ったこっちゃないとばかりに、郁朗達は兵装倉庫脇の駐機エリアで待機命令を順守していた。
既に全員が乗船を終え、水名神の出航を待っている。
彼等の心理状態は作戦開始前という慌ただしく特殊な状況もあって、幾らかはピリついていると思われた。
思われたのだが……。
「だからよ、撃破数なり貢献度なりってのは記録されてる訳だろ? それに応じて取り分を決めようじゃねぇかって言ってんだよ」
ご覧の通りの平常運転であった。
「そんなんあかんわ! タマキ君らはええで? 稼げる現場に行くんやから」
「そうや! ボク等とイクローさんはそういう場所ちゃうんやし。ルールを変えるか貢献度の設定を見直してくれな困るわ!」
「僕も頑張ったら何かご褒美貰えるのかなぁ? ねぇ、大葉のおじさん」
最後の期待に満ちた言葉は晃一の発したものである。
アキラと二人であれだけの悶着を起こしながら、こういう話にはしっかり乗ってくるのだ。
晃一の思考もこの一団のそれに染まりつつあるのかも知れない。
だが彼がこの戦争に関わる事で人間として大きく成長しつつある事もまた、間違いの無い事なのだろう。
戦争に関わる意義と報酬は別の話であると割り切り始めている辺り、とても十一歳の少年の思考とは思えないのが如何にも彼らしいと言える。
「んー……ご褒美っていうのとは違うと思うけど……コーちゃん、何か欲しい物でもあるのかい?」
「……うん。この間ね、山中のお兄ちゃんがね、水名神の動力モデル作ったんだって。動画を見せて貰ったんだけど、ちゃんと潜水や変形までするんだよ? お祖父ちゃんと市販するかどうかって話をしてたみたいだから……欲しいなぁって……」
「……山中君も侮れないよね。戦後の実入りを今から考えるなんてさ」
「……抜け目無いンスよ。でも……あの人だったらそんな物より……もっと技術的なパテントとかで……稼げるんじゃないんスか?」
アキラの疑問ももっともである。
「ああ、それはね――」
郁朗による、山中の懐の具合の解説が始められた。
山中の名義で特許申請され、認証待ちの状態の技術は多岐に渡る。
EOの面々が知るだけでも結構な数になるのだから、その一角の下に隠れている氷山本体は相当な量になるに違い無い。
だが残念ながら、山中へのパテント使用料の支払いは数十年単位で凍結されており、それらは全て千豊の組織の元へ渡る事になっている。
彼が実験という名目で消費した素材等の借金が嵩んでいるのだ。
「そんな感じで山中さんの手元にはしばらくの間、給料以外は一円だって入らないって話だよ? なかなかに酷い話だよね。これだけ貢献しているのにさ」
「まぁでも、本人がここの環境を楽しんでるのが救いだよね。私のレーダーの改良なんかしてる時の山中くんの目は……なんて言うんだろうね。初めてスケールモデルを買って貰った子供っていうか……」
「ああ……それは解かるッスよ。あれは小学生と同じッス」
郁朗達が小さく笑うと同時に、艦内放送が大きく鳴った。
『抜錨五分前! 甲板作業員は作業エリアから退避エリアへ! ドッグ職員は直ちに退艦せよ!』
間も無くドッグを離れるというアナウンスである。
「……いよいよだね。みんな、降りるなら今の内だよ?」
「そりゃあねぇぜ、イクローさん。双子なら兎も角、俺にそれを聞くんじゃねぇよ。こいつらが逃げねぇのによ、古参の俺がトンズラこいてどうすんのさ」
「タマキ君はあれやな、後でもうちょっと突き詰めた話せんとあかんなぁ」
「相変わらずボクらの扱いが雑やねんから。大体ここまで来て逃げる訳無いやん」
「そうだね。一先ずはこの戦いで極東の内戦は終わるんだ。私も出来れば大手を振って妻や両親の元へ帰りたいからね。ここで投げ出すのはナシだよ」
「……コウ、今更言う意味は無いかも知れないが……ここが戻るのなら……最後の分岐点……だぞ?」
「大丈夫だよ、アキラ兄ちゃん。僕にどこまでの事が出来るか判らないけど……ちゃんとみんなについていくから」
郁朗は呆れているのか感心しているのか、小さく嘆息の声を出すと皆に告げた。
「団長ならゴチャゴチャ言わずにもっと綺麗に締めるんだろうけどね……僕達の行く先にはたぶんだけど、面倒な連中がいると思う。特にアキラ……団長がこのまま起きて来なければ、君は一人であちらの前衛を務めなきゃならない」
「かかって来い……って感じッスかね?」
「大きくでたなぁ……まぁその位に力が抜けてる方が、いい結果が出ると思うよ。僕の経験からいってもね」
「ウッス」
「タマキ。アキラの背中を守ってやってくれ。それが出来るのは君だけだからさ」
「そんな大層なもんじゃねぇさ。まぁ……俺がぶっ放してる内に、勝手に生き残るんじゃねぇの? 生き汚いのは俺達にとっちゃ美徳って事なんだからよ」
「……弾薬の補給要請はちゃんとするんだよ? 横着したらみんなが死ぬ事になるんだからさ、いいね?」
「あいあい」
「まったく……タマキはこんな感じだからさ、コウ。ちゃんと一緒に居て、ちゃんと面倒見てあげるんだよ? 支援機への通信方法はちゃんと教わったよね?」
「うん。ちゃんとお手伝いしてくるよ。イクロー先生もあんまり無理しないでね? きっと団長さんが居ない分も頑張っちゃうだろうから」
郁朗以外の笑う声がその場を支配する。
彼にかかる心理的な負担を皆が気を遣い、思っていても口に出さなかった事を晃一が平然と口にしたのだ。
自分達の気遣いは何だったのだろうと考えると、自然と笑い声しか出てこなかったらしい。
「これはまいったなぁ……判ったよ、無理はしない。約束だ」
「うん」
「とまぁ、団長も含めて……こんな坊や達のお守りは大変でしょうけど……頼みます、大葉さん」
「私に出来る範囲ってなっちゃうんだけどね。イクロー君こそ気をつけて。どんな隠し球が居るか判らないからね?」
「はい」
次は自分達にも何か言ってくれるのだろうかと、小さく身体を動かしながら双子が待っていた。
「じゃあそういう事で――」
「「知ってたけど辛いわ!」」
郁朗の解りやすいスルーに、双子は待ってましたとばかりに声を上げる。
「いや、大体予想はついてたけどや……」
「それはあんまりやん? イクローさん?」
「この流れを期待してなかったとは言わせないよ? でも、感謝してる。君達のお陰で辛気臭い空気のまま戦場に出なくて済むんだからさ……あっちに行ったら互いの背中を守る事も、多分出来無くなる。君達もあんまり無理をするんじゃないよ?」
「ボクらの用事をさっさと片付けて手伝いに行くから安心してて」
「イクローさんのピンチに颯爽と現れるボクらとか、何かかっこええやん?」
「はいはい、頼もしい頼もしい」
「「ですよねー」」
郁朗は急拵えの簡易シートから立ち上がり、彼を見上げる面々へと言葉を掛けた。
「出航後の点呼が終わったら、前甲板下部の弾薬倉庫に集合。作戦の最終準備に入ります。各員は不備の無い様に」
全員は大きく頷いてみせる。
「……それと、アジトに帰るまでが作戦です。勝手な行動をして迷子にならない様に、いいね?」
晃一以外の面々は遠足じゃねぇからと、やはり思ったそうだ。
どういう立場になった所で郁朗は郁朗であり、どうしたって彼は教員なのだから。
『抜錨三分前! 退艦の完了していないドッグ作業員は退艦急げ! 繰り返す! 退艦急げ!』
慌ただしく艦外へ続くタラップへと動く作業員達。
そんな様子を艦橋から眺めている者が二人。
水名神の艦長・古関、そして副長の近江であった。
「さて。いよいよ山場ですね、艦長」
「ガキ共を送り出すしか出来ねぇってのは歯痒いがな。俺達みてぇなジジイに出来る精一杯ってヤツだからしょうがねぇ。後は若いモンに任せるさ」
「状況に応じて的確な支援をしなければなりません。送り出してハイおしまいでは困りますよ?」
「判ってるっての。その為の水名神だ。使って見せなけりゃあ、俺達がこいつらをしごいてきた意味がねぇからよ」
ブリッジクルー達はほとんど休息無しの訓練過程を思い出し、小さく身震いしている。
だがそれだけの甲斐はあったのか、彼等の操艦技能や火器管制能力は本職の海軍のそれと遜色無いものに仕上がっている。
『古関さん、お疲れ様です。出航準備に問題はありませんか?』
第二艦橋に居る千豊からの艦内通信が入る。
「おう、今んとこはな。そっちも積み忘れました、なんて言っても今更取りには戻れねぇからな? しっかりとチェックしてくれよ?」
『心得てますわ。ご迷惑はお掛けしません』
「……なぁ、坂之上の嬢ちゃんよ。出航前に訓示の一つでもやんねぇのか?」
『流石にそれは……私の柄では無いと思いますので……』
「何もそんなに堅苦しいもんじゃなくていいんだ。これから大博打を打つんだぜ? そんな時に嬢ちゃんの声を聞けるか聞けないかってのは、ガキ共の……えーとなんだ……」
「モチベーションを上げる、ですか」
「それだよそれ! そういうのは大事なんじゃねぇのか? 連中は死地に飛び込んで行くんだぜ? 嬢ちゃんにはきちんと送り出す義務ってのがあると思うんだがな?」
『…………』
「どうしてもってなら無理は言わねぇよ。でもな、下っ端を気持ちよく戦わせるのも、指揮するモンの仕事って事は解かるよな?」
「艦長、あなたの流儀を他人に押し付けるのは感心しませんよ。彼女には彼女なりのやり方があるんです」
「うっせー。まぁ……気が向いたらでいいからよ。ちったぁ考えてみてやってくれや」
『はい。ご忠告感謝します』
「おうよ」
そうして通信は切られた。
近江は一つ溜息をつくと、先程のやり取りを反芻する。
(そんなものが必要な程、彼等のモチベーションが低いとは思えませんけどね。巻き込まれた人間がほとんどでありながら、こんな鉄火場に平然と飛び込んで行くんです……私達の考える以上に、彼等と彼女には大きな信頼関係があると思えます)
『抜錨一分前! ドッグ作業員全ての退艦の確認を完了。ここまでの作業に感謝する! 繰り返す! ここまでの作業に感謝する!』
近江の思考を切断する様に艦内放送が響いた。
水名神が係留されているドッグに、作業員が整列している。
大きく手を振る者、帽子を胸に抱く者、知人の無事を祈る者。
様々な見送り方で水名神の出航を見守っているのだが、彼等の想いもまた、たった一つなのだろう。
「動力接続」
機関長である立川の低い声が、退く事の許されない戦場への道筋を開く。
「メインモーターへ電力接続。サブモーター一番から三十六番へ電力接続。ハイドロジェットへの動力接続を確認」
艦体に小さく振動が響き始める。
艦長席に座った古関が、彼らしく無い厳粛な声音でその船出を告げた。
「水名神、抜錨。微速前進」
出航時間丁度、その一声で水名神はドッグから緩やかに出航を開始する。
巨大な艦体を僅かに揺らし、少しづつ大きくなる波紋と共に環状大河へその身を捩じ込む様に進む。
「艦体停止。潜航後、深度百を維持。微速から最大戦速」
「艦体停止。メインタンク、注水開始します」
こうして水名神は無事に出航し、最後の作戦領域へと深く静かに進んで行く。
乗り込む者達の今の心境を映すかのごとく。
お読み頂きありがとうございました。
引き続きご愛顧頂けると嬉しく思います。
それではまた次回お会いしましょう。
2016.07.06 改稿版に差し替え
第六幕以降は改稿が済み次第、幕単位で投稿します。