1-9 騒乱の足音
-西暦2078年12月23日14時05分-
カドクラ重工業株式会社。
WブロックAクラス経済区に本社を持つ、重機・兵器の生産を行う極東の大企業の一つである。
カドクラグループの一部門ではあるが、グループ全体の収益の四割を上げている優良部門として名を馳せている。
グループの血族であり、代表の門倉 雄一郎の経営手腕は財界の中でも辣腕として知られていた。
本社の執務室にて人を待つ門倉は、いつもと比べると幾分挙動が怪しい。
昨日の事である。
永らく探し求めていた人物からのアポイントメントが先方から取られ、自身の元へ足を運んでくると言うのだ。
せわしなく机とソファーを行ったり来たりするその様は傍目にもおかしく、普段の彼の日常を知る人物が目にすれば、非常に珍しい物を見たと目を丸くする事だろう。
心ここにあらず……そんな言葉が絵になる中、不意に室内に呼び出し音が鳴る。
この階層のエレベーターの昇降口にある秘書室からの、来客を告げるアナウンスであった。
「丁重にお通ししろ」
それだけ告げ、門倉はソファーに腰を掛け客の来室を待った。
数十秒後、ドアがノックされる。
「どうぞ」
短く入室の許可を出した彼が扉に目をやると、ゆっくりと開かれたそれから秘書が来客を伴って現れた。
半年以上ぶりにその姿を見る女性と、恐らくは彼女の護衛と思われる男性二名が室内へ入る。
門倉は立ち上がり、彼女達にソファーを勧める。
彼女はソファーに腰掛け、男性達は背後に立ったまま丁重にそれを断ってきた。
その物々しい雰囲気に気圧されながら、門倉ももう一度ソファーへと腰を降ろした。
「ご無沙汰してますね、蒔田先生……こちらがあれ程探しても足取りを追えなかった貴女が……今日はまたどうして……?」
今日は坂之上では無く蒔田と名乗っている千豊が、その質問に臆面も無く応える。
「よく仰いますね。カドクラの送り込んで下さった皆さんのおかげで……私の平穏な生活はぶち壊しでしたわ」
お茶を運んできた秘書がその言葉に怪訝そうな顔をするが、門倉の視線を感じるとお辞儀をして静かに退室した。
出された茶を何の躊躇もする事なく千豊は口に運ぶ。
(何とも肝の据わった女性だ……)
門倉はその凛とした態度に、感心すると同時に少しではあるが舌を巻く。
「それは失礼しましたね。それだけこちらも必死だったとご理解頂きたいですな。ところでその……孫の……晃一の件なんですが……」
早急に事を進めようとする門倉の言葉を遮り、彼女は自身のペースを崩す事無く話し始める。
「慌てずに順序立てていきましょう。まずは私共のお話から始めさせて頂いてもよろしいでしょうか?」
「……構いません」
「まずは……先日までの治療の報酬の件ですが、そちらをまだ頂いておりません。それについては何かお考えを?」
「それはそちらが姿を隠されたのが――」
門倉はどうにか対話のイニシアチブを握ろうと試みるのだが、それは千豊の言葉の圧力により封殺される。
「ええ、判っておりますわ。それについてはこちらにも事情があったとだけ申しておきます。それで……報酬の中身ですが、金銭でのお支払いを考えてらっしゃる様なら……それはお断りしますわ」
門倉は主導権を掌握出来無い事から苛立ち、現状にあまりいい気はしていない。
だが感情で会話をして相手の機嫌を損ねては元も子も無く、孫の為であると下手に出るしかない。
「……ではどの様に?」
「慌てずにと申しましたわね? ここからはお孫さんの話とも絡んで参ります。はっきり申し上げますね? お孫さん……晃一君はこのままですと……後一年も保たないでしょう」
「ッ! まさか貴女方の治療が失敗したのではあるまいな!」
激情に任せ言葉をぶつけてくる門倉に対して……千豊の反応は些か冷たい物であった。
「あの時点で私達が加療を開始していなければ……二ヶ月経たない内に晃一君は亡くなっていましたのよ? 主治医の方は完全に匙を投げてらっしゃった様でしたしね? 私達の加療の内容が……成果を上げている事にも不満があったのでしょう。幾度かの妨害を受けましたから」
「な……!?」
門倉は言葉を失う。
確かに主治医とされていた人物は、何かにつけては彼女の加療に反対意見を述べていた。
その癖、具体的な治療案を何一つ提示出来無かった為、千豊達の加療の効果が顕在化し始めた頃からその関係を断っていたのだ。
恐らく彼女の言っている事は正しいのだろうと感じた門倉は声を出せずにいた。
絶句する彼を見据えて千豊は話を続けた。
「前回までで出来た加療は私達独自の投薬療法で、彼の免疫力の崩壊の進行を遅らせる事までです。あの時点では出来る事はそこまででしたので……あれ以上の要求をされてはと思って姿を隠しましたの」
「あの時点では……という事は……?」
門倉は彼女の言葉に一喜一憂させられる。
駆け引きを仕事とする人間としては失格の烙印を押される程に……顔色があちらこちらへと踊り続けている自身の姿に全く気がついていない。
「健常な身体に手段も無くはありません。ただし……それは人の行使するまともな手段ではありませんよ? 聞く人が聞けば悪魔の御業と呼ばれる類の技術を使いますからね」
その言葉を聞いて門倉は一瞬ではあるが渋い顔をしてしまった。
それすら気にもかけずに千豊はそれと、と付け加える。
「それにこちらも色々と多忙でして。最優先で片付けなければいけない案件がありますの。そちらの案件の見通しが……なかなか立ってくれないものですから困っています。その案件が片付かない事には晃一君の加療には入れません」
この千豊の行為は明らかな脅迫である。
孫の加療を盾にされ、言い分を飲めと言う事なのだから。
だが門倉は彼女の晃一が助かる可能性があるという言葉に、既に魅了されていた。
自身の出来る事が彼女の要求満たし、その事で宿願が叶うのならば……そう門倉は万難を排して千豊に手を貸す事を決断した。
だがそれを彼女に気取られれば、カドクラを食い潰される可能性もあるのだ。
故に安易な明言は避ける。
「私に出来る事があれば可能な限りの援助はしましょう……まずは治療に関する概要を教えて頂きたい。晃一の先行きに希望が持てるのであれば……私はこの身で出来る事を――」
「何でもするとおっしゃる?」
何でもという言葉を使ったその意味を考え、門倉は彼女をただ見据える。
立場的に彼が迂闊な言葉を吐く訳にはいかないという事は彼女も理解していた。
黙って門倉の目線を避けずに受け止め、千豊はその返答を促す。
息も吐けそうにない沈黙が続く中……このまま話が進まない事だけは避けたかった彼女が、門倉へと助け舟を出す。
「門倉さんの独断で決めていい内容でも無いでしょう……彼の命が懸かっている訳ですから。晃一君と相談……いえ、私を交えての治療法の説明と面談の方が良いでしょう。報酬の件はその時にでも詳細をお話しますわ。ただし……もう一度言いますね? まともな方法では無いという事は頭に入れておいて下さい」
「今後の連絡についてはどの様にすれば……」
千豊に押し負けた自覚があるのだろう。
普段の様な強気には出れない門倉は従順な下僕の様に尋ねるしか無かった。
「こちらから後日連絡致します。今度は音信不通になる事はありませんのでご安心を。万が一にも無いとは思いますが……こちらを探るような真似をなさると……」
千豊は念押しをする為に、今一度門倉を見据える。
観念した彼はもう事を荒立てる気は無い事を彼女に告げた。
「判っております……こちらもそこまで愚かではありません。今あなた方との関係を断つという事は……晃一の命を私が断つ様な物だ」
「そうですわね。ご理解頂けて助かりますわ。今日のこの一件が晃一君への良いクリスマスプレゼントになればよろしいんですけど……それでは失礼しますわ」
そう言ってソファーから立ち上がり軽くお辞儀をすると、千豊は護衛の二人を連れて部屋から退出した。
残された門倉は一度深く息をつく。
一度の取引で数十億を動かす彼が、先程の形容し難い空気に耐えかねようやく安堵の息を吐けたのだ。
どの様な条件を突きつけられるのか。
気持ちの落ち着いた今になって、彼は僅かに頭を抱える。
だが……孫の事で希望を持てる情報が得られた事は僥倖であった。
門倉晃一は彼に残された……たった一人の身内である。
企業としての理念も志も違えた門倉の実兄は……最早身内とは思えなかった。
そして報道を志し家を出た息子は、伴侶と共に既にこの世の者では無い。
機構の胡散臭さに気づき、真相を知る為に近づき過ぎたのだ。
それが原因で二人揃って消された事は判っていた。
機構への報復も考えたが、機構と強い繋がりがあるグループ最高統括の実兄に止められたのだ。
孫の置かれている立場を盾にされてだ。
その事が門倉から実兄に距離を取らせている事は容易に想像出来る。
ならばせめて息子の忘れ形見である晃一には、何としても幸せな人生を歩んで貰いたい。
そう思って愛し育んできた。
だが晃一が五歳になる頃、不意の病が彼を襲った。
病気自体は一般的にいう風邪だった。
しかしそこから肺炎に至るまでの時間があまりにも短かった。
数日の間、生死の狭間を彷徨い……どうにか生還した彼を非情な現実が襲う。
遺伝子疾患による先天的免疫不全症との診断が下されたのである。
引き取った時から身体の弱い子ではあると思ってはいたが、門倉にしてもまさかの診断結果であった。
些細な病気が晃一の命を奪う事を考えると、彼は生きた心地がしなかった。
使えるコネクションは全て使い、噂に上れば医療機関の大小などは一切問わず、難病治療実績のある医療関係者の元へと赴く。
自宅内に無菌室を作り、そこに閉じ込める事でどうにか晃一の生命を永らえてきた。
晃一自身もそうしなければならない事をよく理解していたのだろう。
その幼さながら聡明であり、苦労している門倉に気丈にも微笑みかける強さを持っていた。
そして十歳の誕生日を迎えた年、再び晃一は倒れる。
何かに罹患した訳では無いにも関わらずだ。
主治医と目された人物は治療プランの一つも出さずに……いや、出せずに沈黙を続けていた。
知り合った診療ブローカーから千豊の噂を聞いた際、即座に彼女に連絡を取った。
どんな素性でも構わない、晃一が助かるのであれば……と。
投薬による加療が始められ、晃一の調子が上向きになった時には涙を流し天に感謝した。
加療の途中で一時的に彼女は失踪したものの……晃一の事を忘れていた訳では無く、こうして再度コンタクトを取ってくれた。
例えそれが条件付きのものであれ、最早門倉にはすがる術も無いのだ。
晃一が助かる可能性があるのならばどんな事でもしよう。
その相手が神であっても悪魔であってもだ。
そう決意した門倉の目には……仄暗いものの、強く険しい炎が宿っていた。
門倉重工の本社ビルを出た千豊は、ビルを見上げ一息つく。
計画最初期の最大の懸案であった門倉雄一郎を動かすという問題を、どうにかクリア出来そうだったからだ。
彼を動かす事が出来れば、狼煙となる計画は間違い無く上手く運ぶだろう。
その為に晃一という少年を巻き込んだ事を申し訳無く思う。
千豊としては彼を無条件に助けたかったのだから。
だがここでの後悔など……今更の事だろう。
既に何人もの人間を巻き込んだ彼女の計画は、迫り来る嵐そのものと言っていい動きを見せている。
平穏である極東が襲われようとしている何かを……この地から吹き払う為に風が巻き起こり始めているのだ。
彼女が何故、そして何の為に……数多の人々を巻き込んで機構を打破しようとしているのか。
今はまだ知る者は少ない。
彼女が今見つめているその先は……血煙の上がる戦場でしかないのだろう。
その目はさながら主神の宮殿に連れ去る人物を見定める……戦乙女の物の様だった。
お読み頂きありがとうございました。
引き続きご愛顧頂けると嬉しく思います。
それではまた次回お会いしましょう。
2016.04.29 改稿版に差し替え