血涙
何だかとても泣きたくなりました。
私の目の前で猫が一匹、車にひかれて死んだのです。そのシーンは無情にも私の脳裏に焼き付いてしまい、思い出す度に私の胸を締め付け、ぞっとさせました。
「そこの道路で猫が車にひかれて……」
「ほぉ……。で?」
「血を流して死んでしまいましたよ。可哀想に……」
「なに、珍しいことじゃないだろう。どうせ野良猫だ、一匹や二匹死のうが何も変わらないさ」
夫の冷酷な笑いを背に感じながら、皿を洗っていると、また脳裏に昼間見た猫のシーンが浮かびました。私はかぶりを振り、嫌な映像を払い除け、再度手を働かせました。自然と眉間に縦皺が寄るのを感じました。自分でも恐ろしくなるほど、脳裏に焼き付いた例のシーンは鮮明でした。
人が死ぬ感覚と動物が死ぬ感覚、どう違うのでしょう。洗濯物を畳みながら、窓の外を見ると、夕日が赤く煉瓦の塀を照らしていました。血のような空の色。あの猫が流す血は人と何ら変わりはございませんでした。
なんて、残酷な世の中なのでしょうか。何故、夫のあの非情な笑いは発せられたのでしょう。何故、私はあのまま猫を置き去りにしてきてしまったのでしょう。私も夫も、なんて残酷。
「久しぶりに、そこまで一緒に買い物に行かないか」
夫のそんな申し出に、喜んで賛同し、私たちは街へ続く道を歩き出しました。夫より数歩後を静かに歩き、先日の猫のことを忘れ、代わりに夫のたくましい背を脳裏に焼こう。そう思いました。
赤い赤い夕日に照らされた道。そこに一対の光が当たり、夫の姿が明々に照らしだされました。一瞬間、眩しさで目を瞑り、酷い轟音にハッと目を開きました。
ああ、なんて呆気ない。
夫の死ぬときを目の前で見てしまいましたが、不思議と涙は出ません。自分でもどうしてか分かりません。 ただ、あまりにも呆気なくて……。涙の代わりに笑いが起こる始末です。私は狂ったように腹を抱えて笑いだしました。なんと滑稽なのでしょう。馬鹿にした猫と同じ死に方をするなんて、滑稽としか言いようがありません。
なんて、なんて滑稽。
目が霞み、貴方の姿が次第に薄れていき、ついには真黒闇になりました。喉の奥に異物があるように、息苦しくなりました。ああ、なんて呆気ない最期でしょう。
「なんて可哀想なお方」
どんなに冷淡な貴方の、呆れるほどつまらない死に様でも、私は笑うだけでは済ませられないようです。
「貴方って人は、なんて、可哀想なお方なのかしら」
私は声を上げて、泣いてしまいました。
夫の体から溢れ出す血は夕日のせいか更に赤々と輝き、あのときの猫よりも鮮やかでした。
お読みくださり有難う御座いました。時代背景としては現代よりも少しばかり前です。
起承転結は相変わらず上手くつけれませんし、拙い文書です。アドバイスや感想があればお時間のあるときにでも是非お願いします。
2006.12.15.藤原千世