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短な恐怖(ダーク文芸集)  作者: 天音ろっく


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15/15

井戸の中

【あらすじ】

裏庭にひっそりとある、その古びた井戸。

誰からも忘れ去られて腐って黒ずんだその姿は、近付くのも恐ろしい程に不気味な雰囲気を纏っていた。

けれど、何故かそれ以上に不思議な魅力を感じ、次第にその井戸に取り憑かれてゆく俺。


それが倫理の崩壊と因果を招くとも知らずに──。



そこは、俺の過去を隠す秘密の場所。







  鬱蒼(うっそう)とした森が続く田舎道で、俺は一人、車を走らせながらタバコに火を付けた。

 ここへ帰って来るのはいつ振りだろうか──。



(確か……両親の離婚以来だから、十年振りくらいになるのか)



 そんな事を考えながら、口元からタバコの煙を吐き出す。



 離婚後、一人田舎に残った親父が病死したと知らせが届いたのは、つい昨日のことだった。

 元々親父と折り合いの悪かった俺は、両親の離婚後一度も親父に会いに行くことはなかった。その親父が死んだと聞かされたところで、悲しいだの淋しいだの、そんな感情は一切湧かなかった。

 ただ、田舎に帰るのは面倒だな──と。


五年前、女手一つで俺を大学まで進学させてくれた母親は、元々病弱だったせいもあったのか、過労で倒れるとそのまま体調を崩してこの世を去ってしまった。

 どんな時も俺の味方でいてくれた母親。そんな母親が大好きだった俺は、母親に苦労ばかりさせる親父のことが大嫌いだった。


 その親父も死に、今では身内と呼べる唯一の存在はこの田舎に住んでいる祖父母だけとなった。母親が亡くなった時、一人になった俺を心配して田舎へ呼び戻そうとしてくれた祖父母。そんな祖父母の事は嫌いではなかったが、俺は田舎に戻る事を拒んだ。

 親父がいるから──。勿論それもあったが、何よりこの田舎が大嫌いだったのだ。


 民家へと続く道へ差し掛かかったところで、俺は流れる景色を眺めながら昔を思い返した。





──────



────




「おいっ!! つまみは!? いつまで待たせんだっ!!」



 畳に寝転がり、酒を片手にテレビを見ている父が、台所にいる母に向けてそう怒鳴り散らす。

 そんな父の言葉を受けていそいそと台所から姿を現した母は、父の側まで近寄ると口を開いた。



「ごめんなさい、待たせちゃって……」



 手に持った皿を差し出すと、それをチラリと横目に見た父は思い切りその手を叩いた。



「きゃ……っ!」



 手元から離れた皿は畳に転がり、驚いた母は小さく声を漏らした。



「こんな不味そうなもん、俺に食わせる気かっ!?」


「ごっ……ごめんなさい」



 叩かれた手元を抑えながら、ビクビクと怯えて謝り続ける母親。そんな母に怒鳴り散らしている父は、鬼の様な形相で持っていたグラスを壁に叩きつけた。

 ガシャーンッとグラスの割れる音が部屋中に響き渡り、驚いた俺はビクリと肩を揺らすと縮こまった。


 外では複数の女性と関係を持ち、家では酒を呑んで酔っ払ってはこうして母を怒鳴りつける父親。

 そんないつもの光景に、部屋の隅で(うずくま)っている俺はただ黙って時間が過ぎるのを待つしかなかった。



「しけた面しやがって。……あーっ、気分悪ぃ」



 そう言って大きく舌打ちをした父は、床に転がった酒ビンを蹴飛ばすとその部屋を後にした。きっと女の人のところにでも行くのだろう。

 パシンッと玄関扉が閉じる音を確認した俺は、勢いよく顔を上げると急いで母の元へと駆け寄った。



「っ……お母さん、大丈夫?」


「……ええ、大丈夫よ。ごめんね、公平」



 俺の頭を優しく撫でてくれる母は、そう言って悲しそうに小さく微笑むと、畳に膝を着いてそこに散らばった食事を拾い始める。

 その手元を見てみると、先程叩かれた右手は真っ赤に腫れ上がっていた。



(あんな奴……っ、早く死んじゃえばいいんだ)



 拳を握りしめて下唇を噛んだ俺は、足元にいる母を見下ろして一筋の涙を零した。それを気付かれない様にこっそりと拭うと、母のすぐ横に腰を下ろして片付けを手伝い始める。

 そんな俺の姿を確認した母は、「ありがとう」と告げると今にも泣き出しそうな顔をして優しく微笑んだ。







「近寄んなよっ、性病!」


「うわ……っ! くっせぇ~!」


「ほんとだ! くせぇー!」


「性病の匂いだ! くっせぇ~!」


「「「せ・い・びょ~! せ・い・びょ~! せ・い・びょ~!」」」



 学校からの帰り道。いつまでも続く田んぼ道の真ん中で、同級生達に囲まれた俺はそんな悪口を浴びせられながらトボトボと歩いてゆく。

 ゲラゲラと笑いながら、代わる代わるに俺を小突く(さとし)(つかさ)隆史(たかし)


 人口の少ないこの片田舎では、大抵の者が皆顔見知りで、その狭いコミュニティの中で複数の女性と関係を持っていた俺の父親。それは勿論周知の事実として、大人達は呑んだくれの父の事を悪く噂した。

 それを間近で見ていた子供達は大人達を真似、その悪口の対象は父親ではなくその息子にあたる俺へと向けられた。


 悔しさに涙を滲ませた俺は、下唇を噛みしめてグッと堪えると、目の前の智を着き飛ばして一気にその場を駆け出した。



「あー! 性病が逃げたーっ!」


「っ、……いってぇ。……ふざけんな、公平っ!!」


「待てぇ~! 性病ぉーっ!」



 逃げ出した俺を捕まえようと、智達はゲラゲラと笑いながら追いかけてくる。捕まってたまるかと必死に走って逃げるその姿は、まるで獣に狩られる兎のようだ。

 そのまま必死に走って逃げ切ると、玄関扉に手を掛けて家の中へと入ろうとした──その時。グンッと軽く宙を浮くような感覚とともに、俺の身体は後ろへと引き戻された。



 ────!?



 驚きに反射して背後を振り返ってみると、俺のランドセルを掴んだままゆっくりとした動きで口角を吊り上げた智。その瞳は嬉しそうに細められ、ニヤリと不気味に微笑んでいる。



「つ~かま~えた~」



 呆然と、そんな智の姿を見つめたまま硬直した俺は、額から冷んやりとした汗が流れ出るのを感じながら、小さくゴクリと喉を鳴らした。




 ────ドサッ




「……っ!」



 智に引きずられるようにして裏庭へと連れ込まれると、突然突き飛ばされた俺はその場に尻餅を着いた。

 再び三人に囲まれる状況に陥り、それでも負けてたまるかと智達を見上げて鋭く睨みつける。



「性病のくせに生意気なんだよ!!」



 そんな俺の態度が気に食わなかったのか、智は顔を歪ませると右足を大きく振り上げた。




 ────ドカッ!




「っ……!? グッ、うぅ……」



 あまりの痛さに、蹴られたお腹を抑えるとその場に倒れ込む。そんな俺の足元から靴を剥ぎ取った智は、ニヤリと微笑むと口を開いた。



「罰として、これは没収しま〜す! 返して欲しかったら取ってみなー!」



 ゲラゲラと高笑いする智は、俺の靴を持ったままおどけてみせる。



「……っ返、せよ!」



 蹴られたお腹を抑えたまま、よろけながらにも立ち上がった俺を見て、パンパンと靴を打ち鳴らすと挑発する素振りを見せる智。



「取れるもんなら取ってみろ〜!」



 そう告げるなり、突然駆け出した智達。

 俺は裸足のまま智達の後を追いかけると、広い裏庭を懸命に走り回った。



「……返せ……っ! 返せよーっ!」



 必死になって追いかける俺を見て、挑発しながら(あざけ)り笑う智達は、草が生い茂った場所へと入って行くと一際大きな声を上げた。



「……あっ! なんかいいもの発け〜んっ!」



 ────!?



 少し遅れて追いついた俺の目に飛び込んできたのは、智のすぐ(わき)にある何とも不気味な井戸。

 生まれてからずっとここで暮らしているとはいえ、裏庭といってもほぼただの山状態のこの場所。勿論、俺はこんな井戸が存在していただなんて、今の今まで知らなかった。


 腐って黒ずんだその井戸は何ともおどろおどろしく、一瞬怯んでしまった俺は思わず一歩後ずさった。



「お前のきったね〜靴にピッタリのゴミ箱だなっ! 俺が処分しといてやるよっ!」



 ────!!



 「あっ!」と思った時には既に遅かった。

 俺の靴を高々と持ち上げた智は、井戸の上でパッとその手を離すと、そのまま井戸の中へと靴を投げ入れた。



「……っ!? 何するんだよっ!!」



 声を荒げる俺を見て、ゲラゲラと腹を抱えて笑い始める智達。

 悔しさから零れ落ちそうになる涙を必死に堪えると、震える拳をグッと握りしめてその場で俯く。そんな俺の姿に満足したのか、何事もなかったかのようにその場を立ち去った智達。


 一人その場に残された俺は、ゆっくりと井戸へと近づくとそっと中を覗いてみた。

 長いこと使用されていなかったのか、中には水などなくすっかりと渇ききっている。そのお陰か、井戸の底までハッキリと目視ができる。想像していたより深さはなかったものの、真っ暗でじめっと湿ったその不気味な雰囲気は、実際の深さ以上のものを俺に感じさせた。



「あれ……?」



 目を凝らしてよく見てみるも、先程智に捨てられた靴が見当たらない。



(一体、どこへいったんだ……?)



 確かにこの井戸の中へ智は靴を投げ入れた。目の前で見ていたのだから見間違うわけがない。そう思って必死に目を凝らしてみるも、やっぱりそこには靴らしき物は見当たらない。

 仕方なく諦めることにした俺は、裸足のままトボトボと歩き始めると、沈んだ気持ちのまま自宅へと帰って行った。







 ──その日の夕方。赤く腫れ上がった頬をさする俺は、裏庭で一人悔しさに涙を流していた。

 靴を無くしたと謝罪した俺に向かって、酔った父が怒って殴ったのだ。

 


(俺のせいじゃないのに……っ)



 やりきれない悔しさから、側にあった大きな石を掴むとジッと見つめる。



(これを思いっきり投げたら……、少しは悔しさも晴れるのかな……)



『……ニャア』



 いつの間に来たのか、俺の目の前で小さな鳴き声を上げた黒猫。痩せ細ったその身体から察するに、きっと野良猫なのだろう。首輪もしていない。

 放心した頭でそんな事を考えていると、気付けば右手に持った石を何度も大きく振り上げていた。右手に伝わる鈍い衝撃。その何度目かで、ハッと我に返った俺は足元に横たわる黒猫に視線を落とした。



 ────!!!



 ピクピクと手足を痙攣させながら、顔面から大量の血を流し続ける猫。その姿は、もはや原形すらとどめていない。



「っ……ごめんっ。……ごめん、なさい……っ」



 涙を流して謝りながらも、震える指先でそっと猫の身体に触れてみる。その指先から伝わる体温はとても温かく、けれど鼓動を感じる事はできなかった。



(……っどう、しよう……どうしよう……!)



 自分のしでかした事態に恐怖すると、俺はガタガタと震え始めた身体でそっと猫を抱えた。



(っ……か、隠さなきゃ……。でも……どこに……? ……あっ!)



 井戸の中で消えた靴のことを思い出すと、そのまま猫を抱えて歩き始める。



(もしかしたら──)



 そんな思いを胸に井戸の前までやってくると、俺はコクリと小さく息を飲んだ。

 抱えていた猫を井戸の上で持ち上げると、ギュッと固く瞼を閉じてその両手から猫を落とす。閉ざされた視界の中で、重さの消えた両手を震わせながらも聞こえてくるはずの音にだけ集中する。けれど、いつまで経っても聞こえてこないその音に、ゆっくりと瞼を開いた俺は恐る恐る井戸の中を覗いてみた。



「……猫が……いない」



 確かに井戸の中へと投げ捨てたはずの猫の死体。それはやはり、先程の靴と同様に井戸の中で忽然(こつぜん)と姿を消したのだった。







 ──翌日。

 いつものように学校へと登校した俺は、誰も教室にいない時間帯を見計らうと、智が大事にしているペンケースをコッソリと盗んだ。

 智が筆箱代わりに使っている、この少し変わった型のポーチ。海外旅行に行った親戚からのお土産だとかで、そんな話を教室で自慢気にしていた智の姿を思い返す。


 俺は手元のポーチを宙にかざすと、迷う事なくその手を離して井戸の中へと落とした。

 ポーチの行方を目で追って見ていると、それは井戸の底へと着く瞬間、まるで何かに吸い込まれるようにして忽然と姿を消した。



「……ざまぁみろ」



 何とも不可解なその現象を不思議に思いながらも、爽快感からフッと鼻から息を漏らしてほくそ笑む。



「──おいっ!! 公平っ!!」



 ────!!?



 突然の大声に驚いた俺は、ビクリと肩を揺らすと慌てて後ろを振り返った。



「ペンケース盗んだのお前だろっ!!!」



 そう叫んだ智は、酷く怒った形相を浮かべながら俺へと向かって突進してくる。それを(すんで)の所でかわすと、目の前の智を睨みながら口を開く。



「……そんなの知るかよっ!!」


「お前以外に誰がいるんだよっ! この貧乏人がっ!!」



 掴みかかって殴ろうとする智をかわしながらも、必死にその場を転げ回って逃げようとする。何とか立ち上がって背を向けた──その時。

 背後からグイッと髪を掴まれた俺は、その痛みに思わず顔を歪めた。



(くそ……っ!)



 転がっていた石を咄嗟に掴むと、振り向きざまに力任せにその手を大きく振り上げる。




 ────ゴッ!




 鈍い音を響かせると、その衝撃でドサリと後ろへ倒れた智。俺はハァハァと息の上がった呼吸のまま立ち上がると、智からの反撃に備えて身構えた。



(…………?)



 中々起き上がらない智を不思議に思い、ゆっくりと近寄って様子を(うかが)ってみる。



「──っ、!!!?!!!?」



 ヘタリとその場に倒れこむと、俺はガタガタと震える身体で後ずさった。そんな俺の目の前で、ピクリとも動かずに仰向けで倒れている智。その目からは尖った鉄が突き出し、後頭部から貫かれている。

 草むらで隠れていてよく分からなかったが、所々に錆びれて折れた鉄や木材が落ちている。それに運悪く刺さったのだ。



(そうだ……っ、これは……、俺のせいじゃない……)



 そう自分自身へ言い聞かせると、呼吸を整えてもう一度智に近付いてみる。

 草むらに横たわったままピクリとも動かない智。そんな姿を見て、思わず笑みが溢れる。



(……とりあえず、隠さなきゃ)



 そう思った俺は、ズルズルと智を引きづって井戸まで移動させると、予想以上に重たい智を懸命に持ち上げた。

 やっとの事で井戸の縁に上半身を置くと、ハァハァと息を上げながら額の汗を拭う。俺は休む間も無く智の足を掴み上げると、そのまま勢いよく井戸の中へと落とした。



「…………。さよなら、智」



 空っぽの井戸の中を見つめながら、ニヤリと笑って小さく呟く。



 ──その後。行方不明になった智の捜索は暫くの間続いたが、遺体など出てくる訳もなく、いつしか大人達は神隠しだと噂するようになった。

 そんな大人達を尻目に、俺は内心、何て馬鹿な奴らだと(さげす)んだ。


 智がいなくなったお陰か、司と隆史からのイジメも徐々に減り始め、その後中学二年で転校するまでの三年間、俺は比較的平穏な暮らしを送る事ができた。




──────



───




 長いこと走らせ続けてきた車のエンジンを止めると、俺は目の前に建つ年季の入った日本家屋を眺めた。



「相変わらずボロいな」



 中学まで自分が暮らしてきた家を見つめてそう呟くと、車から降りて玄関先へと続く道を歩き始める。




 ────コツンッ




(……ん?)



 何かを蹴飛ばしたような感触に、自分の足元へと視線を落とす。



(これは……)



 地面に転がっていた靴を拾い上げると、マジマジとそれを見つめる。



(……っ! やっぱりそうだ!)



 この靴は、あの時智に井戸の中へと捨てられたもの。

 何でこんなものが此処に……? もしかしたら、あの時智は井戸になど捨てていなかったのだろうか? そう考えてみるも、それでも今になってこの場所にある事が不思議でならない。



(──! きっとあいつらの仕業だ)



 俺が帰ってくると知った司か隆史のどちらかが、また俺に嫌がらせをしているに違いない。あの時、やはり井戸になんて捨てずに隠し持っていたのだろう。

 十年経っても変わらない関係にウンザリとしながらも、明日の告別式で恥でもかかせてやろうとほくそ笑む。


 田舎から出た俺は、母親に楽をさせたい一心で猛勉強をした。その甲斐あって、ストレートで有名大学へと進学すると、そのまま大学を卒業して一流企業へと就職をした。

 そう──今の俺は昔とは違う。


 足元の高級な革靴を眺めてフッと鼻で笑うと、手の中にある薄汚れた靴を遠くの方へと放り投げた。







 ──翌日。

 告別式の受付が開始される中、やっと手の空いた俺はタバコでも吸おうと玄関前へとやって来た。タバコを口に咥えて火を着けながら、何気なく受付を流し見たその時──その懐かしい人物の姿に目が止まり、ライター片手に釘付けになる。

 十年経っても記憶の中にいる姿と変わらないその可憐さに、俺は思わず見惚れてしまったのだ。


 この田舎で俺に優しく接してくれた人といえば、祖父母と母親以外では彼女だけだった。河原美香。そう──彼女は俺の初恋の人。

 当時の俺が、彼女の存在にどれだけ救われていたことか。この田舎で唯一の未練だったのは、他でもない彼女の存在だった。

 こうして彼女に再会することができただけで、この田舎に帰ってきた甲斐があったというものだ。


 そんな俺の視線に気付いた彼女は、その場で軽く会釈をすると俺の元へと歩み寄った。



「この度は誠にご愁傷様さまです。……久しぶりだね、公平くん」


「……うん。久しぶり、河原さん」



 親父の事などどうでも良かった俺は、それだけ答えるニッコリと微笑んだ。



「──きゃあーーっ!!!」




 ────!!?




 突然聞こえてきた大きな悲鳴に、何事かと騒ぎの方へと視線を向けてみる。すると、人など殆どいない受付の横で、なにやら一人の女性が騒いでいる。



「……ごめん。ちょっと行ってくる」


「あっ、うん。また後でね」



(何なんだよ、一体……)



 俺は面倒に思いながらも、河原さんを一人その場に残すと受け付けへと向かった。

 未だに一人で騒いでいる女性へと近付くと、「猫が! ……っ、猫が!」と地面を指差している。その指先を辿るようにして、少し先の地面へと視線を向けてみる。



 ────!!!



(っ、……何だよ、これ……っ)



 頭から血を流して横たわる黒猫を見て、その気持ち悪さに思わずたじろぐ。その顔は原型をとどめぬ程にグチャグチャで、見ているだけで吐き気がする。



(なんて最悪なんだ……っ。どうすんだよ、この死体。俺が片付けなきゃいけないのか……?)



 上から落ちて来たと言う女性の言葉に、俺は目の前の大木を眺めると大きく溜息を吐いた。







「公平。今、ちょっといいか?」



 告別式も無事に終わり、部屋の片隅で食事をとっていた俺は、その声に視線を上げると声の主を見た。

 するとそこには、昔の面影を残しつつも立派な大人へと成長した司と隆史がいた。



「……ああ」



 面倒臭そうに答えた俺の態度を特に気にするでもなく、二人は俺の前に腰を下ろすと口を開いた。



「「あの時は……っ、ごめん」」




 ────!?




 突然の謝罪と共に頭を下げる二人を見て、予想もしていなかった展開に面食らう。



(あの二人が……俺に謝るっていうのか?)



 目の前で頭を下げ続けている二人を見て、一度小さく溜息を吐くとその重い口を開く。



「……いいよ、もう」



(何だか拍子抜けだ)



 そう思った俺は、それだけ告げると席を立った。

 また何かしてこようものなら、どう鼻を明かしてやろうかと画策していたのだが、どうやらそれは杞憂(きゆう)だったようだ。気分転換にと外での一服を終えると、俺は再び部屋の中へ戻ろうと玄関扉に手をかけた──その時。



「──公平には近付くなよ」




 ────!?




 中から漏れ聞こえてきた話し声に、扉からそっと手を離した俺は身を潜めた。



(……俺の事?)



 何やら、俺の話で揉めているらしい隆史と河原さん。その会話に耳を傾けると、二人に気付かれぬようその場で息を殺す。



「どうしてそんなこと言うの……っ?」


「昔から言ってるだろ!? あんな奴、美香には似合わないって!」


「隆史くんには関係ないでしょ。そんな言い方しないで」


「……どうしてわからないんだよ!」


「……っ、……」


「あいつは……っ、死んだ親父にソックリだよ!!」



 河原さんのすすり泣く声が聞こえた後、パタパタと走り去る音を残して静かになった扉の向こう側。

 やはり、人の本質とはそう簡単には変わらないらしい。先程の謝罪はただの建前だったのだ。


 俺はゆっくりと目の前の扉を開くと、そこにいた隆史に向かって声を掛けた。



「……隆史。二人きりで話、いいかな? 色々と聞かれちゃマズいこともあるだろうし、裏庭にでも行こうか」



 突然現れた俺に驚いた顔を見せる隆史。そんな隆史に向けてゆっくりと口元に弧を描くと、俺はニヤリと不気味に微笑んだ。







「明日には帰っちゃうなんて……。せっかく会えたのに何だか寂しいね」



 そう言って俯いた河原さんは、受け付けの横でピタリと足を止めた。



「今度遊びにおいでよ」


「え? ……っ、うん」



 ほんのりと赤く頬を染めると、嬉しそうに微笑んだ河原さん。そんな姿を見て、やっぱりまだ好きだな、と改めて思う。



「ねぇ、公平くん。隆史くん何処にいるか知らない? 一緒に帰る約束だったんだけど……見当たらなくて」


「さぁ……? 俺は告別式で見かけたきりだから分からないな」


「そっか……」


「俺が送るよ」


「……っ、うん。ありがとう」



 照れたようにして微笑む河原さんを横目に、歩き出そうと右足を一歩前へと踏み出した──その時。

 俺の視界を遮るようにして何かが落下すると、そのまま足元にある地面の上でトサリと軽い音を響かせた。


 地面に転がる、見覚えあるポーチ。

 


(これは……智の……? あの時、確かに井戸の中へ捨てたはず……。何で空から……? っ、え……?)



 俺は震える右手でポーチを拾い上げると、先程見た猫の死体と昨日拾った靴のことを思い返した。

 その全ての出来事を思い返しながら、ガタガタと小刻みに震え始める身体。



(じゃあ……次に、降ってくるのは……っ)



 強張る身体をゆっくりと動かすと、絶望に満ちた瞳で空を見上げる。



 頭上に広がるその空は、そんな俺を嘲笑(あざわら)うかのように不気味な色で覆われ──それはまるで、底なしの井戸の中のようだった。











─完─


【あとがき】

最後までお読み頂きありがとうございました。

何か一つでも、心にズシリと重く残った作品があったら嬉しいです。



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