立場がわかっていない貴方に、正しい嘘の吐き方を教えてあげましょうか?
私、フローレンス・リッジウェイにはバーナビー・クィントンという婚約者がいた。
敢えていた、という言葉を用いたのはこの関係がそろそろ終わりを迎えそうだから。
互いに侯爵家という由緒正しき家に生まれた私たちは幼い頃には既に婚約を交わしていた。
クィントン侯爵家からの申し出から成立したこの婚約。
これが取り交わされる際、娘を溺愛していた父は言った。
「互いに浮気は絶対にしない事」
と。
もしどちらかの浮気が発覚した場合、相手の家は婚約を破棄する権利を有する事、また多額の慰謝料を相手に払う事。
父から提案したこの契約にクィントン侯爵夫妻は頷いた。
そしてそれ以降、父やクィントン侯爵夫妻はこの言葉を年に一度は私やバーナビーに聞かせるようになった。
故に私もバーナビーも浮気が厳禁であるということは重々承知している。
にも拘らず。
――バーナビーは、浮気をしたのだ。
***
「バーナビー様、またあの男爵令嬢と一緒にいらっしゃったみたいですよ」
王立魔法学園。
その屋外テラスで茶会を楽しんでいると、友人の一人がそう言った。
「ケイティ様?」
「そうです! フローレンス様という方がいらっしゃいながら、あのような女性と……! 許せませんよね!?」
「勿論、父は怒るでしょう」
私はお茶を一口飲んでから友人へ笑いかける。
「ですが、私たちの婚約はどちらかが浮気をした時点で破綻する事になっております。ですから、裏を返せば……これは彼と縁を切る好機とも取れるわけです」
バーナビーはあまり出来がいい男とは言えなかった。
成績は常に中の下な上、傲慢で伯爵以下の家を常に見下す、その癖両家で結ばれていた契約は簡単に破って浮気をする。
貴族社会に於いて、人との繋がりは何よりも大切。
そしてその繋がりを強固にするものこそ信頼。
……彼にはそれがなかった。
私が彼を信頼できないという点においてもだが、彼が今後周囲から信頼を勝ち取る貴族になる未来が一切見えないのだ。
彼と婚姻しようと、足を引っ張られる未来しか見えない。
ならばとっとと切り捨てるに限る、という訳だ。
と、その時。
「へぇ。良い事を聞いたな」
男性の声が後方から聞こえる。
お茶飲み友達が一斉に黄色い声を上げたので、その声の持ち主の正体を私は早々に悟る事となった。
ゆっくり振り返れば、私の背後に立つのはやはり想像通りのお方。
ライオネル・ナサニエル・ユースティク王太子殿下。
我が国の未来を背負うお方だ。
陽の光を浴びた白銀の髪が煌めく中、黄緑の瞳が真っ直ぐに私を映す。
きめ細やかな肌や長い睫毛、すっと通った鼻筋などはいつ見ても異性を魅了する武器になり兼ねない特徴だと感心してしまう。
「ご機嫌よう、ライオネル殿下」
「ああ、歓談中にすまないな。楽にしてくれ」
席を立ち、お辞儀をする。
友人達も同様だった。
ライオネル殿下はすぐに座り直すよう促し、それから私の顔を覗き込む。
「ところでフローレンス。君、婚約を取りやめるのか?」
「そのつもりです。……殿下、近いです」
少し体を傾ければ触れてしまいそうな距離に殿下は立っていた。
面識があるだけの異性の相手にしては近すぎる距離感。
それを指摘すれば彼は素直に後退する。
「ああ、すまない。まだ婚約中である以上浮気を疑われては困るか」
「冗談も程々にしてください。王族の方と浮気騒ぎだなんて」
「まあ、その場合、俺達の無実は彼女達が晴らしてくれるだろうがな」
殿下が友人達へ視線を投げる。
それを受けた令嬢達はすぐにこくこくと頷きを返した。
ライオネル殿下は、何故か事あるごとにこうして私へ話しかけて来る。
恐らくは、どこかで彼に『面白い』という印象を抱かせるきっかけを作ったのだろうが、生憎心当たりがない。
王族であるライオネル殿下から好感を抱かれている事自体は非常に都合が良い為、喜ばしい事ではあるのだが……如何せん、彼は距離感がおかしかった。
我が家には『婚約に際しての契約』がある為、この距離感は私をハラハラさせる材料になり得たのだ。
「それで、何か御用でしょうか、殿下」
「ああいや、何やら面白そうな話が聞こえたのでね」
何も用がなくともこうして声をかけて来るお方である事は既にわかっている。
そうですか、と頷きを返すと今度は殿下から話を振って来た。
「そういえば。最近君の事を悪く言う噂が流れているとか」
「その様ですね」
「きっとバーナビー様やケイティ様の仕業ですよ、フローレンス様!」
「そうかもしれませんね」
私の悪評については友人達の耳にも入っているようだ。
そしてきっと、彼女達が言うようにバーナビーやケイティ様が絡んでいるのだとは思う。
けれどそれは別に大した事ではない。
「殿下」
「何だ?」
「貴族にとって大切なのは信頼です」
「ああ」
「信頼を得るか失うか――それを大きく左右するものは何だと思いますか?」
「誠実さ…………では、なさそうだな?」
少し考えてから返答するライオネル殿下。
しかし彼は私の顔を見て何かを察したのか、愉快そうに笑みを深めた。
私は彼の言葉に同意するよう、静かに笑みを返すのだった。
さて、それから数時間後。
少々想定外の事態が起きた。
「フローレンス・リッジウェイ! お前との婚約を破棄する!」
放課後。
帰路に就こうとする生徒が集うロータリー前で私はバーナビーにそう告げられる。
流石の私もこれには驚きだった。
何故ならば彼は婚約破棄を突き付けられる側であり、婚約破棄を告げられるような立場ではないのだから。
これを聞いた私は面の皮の厚さは鋼製かしら、などと思ってしまった。
因みに彼の側には例のケイティ様もいる。
せめてこの場でくらい関係を隠せばいいものを。
そう思いながら私はバーナビーを見ていた。
「お前はケイティを執拗に虐め、彼女を学園で孤立させた! しかも暴力まで振るって……っ! お前のような野蛮な女と結婚など出来る訳もないし――何よりお前は、政界から追放されるべきだ!」
「バーナビー様? 一応お伺いしますが、両家で交わした契約は覚えておりますよね? 婚約破棄をされる立場に当たるのは浮気をしている側の方になるはずなのですが」
「浮気!? 俺はお前が虐めている彼女から相談を受け、守っていたにすぎない! 彼女には俺以外に味方がいなかったんだ!」
因みにケイティ様が学園で孤立していたのは異性の生徒を次々と誑かして回っていた為である。
私はそもそも彼女と面識がある程度で殆ど接点がなかった。
「そもそも――浮気をしているのはお前の方だろう! フローレンス!」
「はい?」
「誤魔化せると思うなよ! お前はライオネル殿下と親しげに話しているだろう!」
親し気に話しているというだけで浮気となるならば、夜会などで何十人と挨拶を交わす人々は無数に浮気をしている事になるのだが……まあ、彼が私の非を指摘する為に引っ張り出せる話はこのくらいだろうと既に踏んでいた為、動じる事はなかった。
この話を引き合いに出される事があるとすれば、それは私から婚約破棄を申し出た場合だと思ってはいたので、想定していた状況とはいささか異なりはするのだが。
貴方のせいですよ、ライオネル殿下と内心で小さな憎まれ口を叩いた。
しかし先程も述べた通り、実際は浮気でも何でもなく、私もライオネル殿下も客観的に見れば非がないことはわかっている。
そもそも――
「ライオネル殿下が私にお声掛けくださる事実はあります。ただ、それは私が友人と共にいる時ばかりです。浮気はもってのほかとして、二人きりでお話した事すらありません。王太子ともあろうお方がその程度の節度も持ち合わせていないと、貴方はお考えなのですか?」
「ぐ……っ、う、嘘を吐くな! 俺は遠目から見た事があるんだ!」
「わ、私だって!」
ここで横やりを入れたのはケイティ様。
二人は簡単に嘘を吐いた。
私は肩を竦める。
見え透いた嘘を吐くくらいならばはなから口を閉ざしていればよいものを。
「私の健全な交友を浮気と言い張るのであれば、当然そちらも自身の行いを振り返るべきです」
「だ、だから俺達は――」
私は二人を見据える。
「お二人は、学園という場で二人きりになり――不埒な行為に耽っていらっしゃったでしょう?」
「な、な……っ!」
バーナビーが顔を真っ赤にする。
彼の反応だけを見るならば、周囲の者達も真偽が分からなかっただろう。
しかしその隣で、ケイティ様が顔を真っ青にさせた事で大半は何かを察したようだ。
「い、いいいい加減な事を言うな、フローレンス!」
「いい加減な? 実際に見た者だっているというのに?」
「適当な事を! 一体誰が見たというのだ!」
彼の問いに応えるべく、私は口を開く。
すると――
「俺だが?」
そこへ現れたのはライオネル殿下だった。
因みにこれもまた想定外の事である。
私が驚いていると彼はバーナビーを見て嘲笑する。
「ら、ライオネル殿下……ッ」
「三日前、貴方達は二人で裏庭へ入り、そこで服を着崩して抱き合っていただろう。バーナビー殿の服の襟でも捲れば、その時の『証拠』でも出て来るのではないか?」
バーナビーはハッとして首元を押さえる。
しかし襟の中を見せようとはしなかった。
「おや、潔白を証明する機会だというのに。見せないという事でいいんだな?」
これで私の主張の信憑性は担保された。
周囲の者達がバーナビーやケイティ様へ向ける視線が冷たいものとなる。
「婚約破棄? 勿論しましょう。但し突き付けるのは、契約に則り――私からとなりますが」
「……ッ、契約? そんなものは知らないな!」
てっきりこれで終わると思っていた私は、自分の馬車へ向かおうと一歩踏み出したところだった。
しかしその時、バーナビーが信じられない言葉を吐いた。
「ご存じない訳がないでしょう。『浮気を禁ずる。この掟を破った場合、被害者側の家は相手方へ婚約の破棄の決定と慰謝料の請求を突き付けることが出来る』。……私たちは幼い頃からそう言われて来たのですから」
「それが嘘ではない証拠がどこにあるというのだ!」
――ああ、彼は何が何でも私から婚約破棄を突き付けられたくないのだ。
この無意味な主張を聞いて私は理解した。
もうこうなってしまっては口を開けば開く程、自分の立場が危うくなるだけだというのに、彼はそれが出来ない程に私を見下しているらしい。
もしかしたら今日婚約破棄を言い出したのも、どこからか私が婚約破棄について考えているという話を耳にしたからなのかもしれないと私は思った。
要は、私に振られるという事が耐えられないのだ。
私は深く息を吐く。
「……可哀想な人」
「ナッ、ァア……ッ!?」
「あっはははは!!」
最大限の軽蔑の眼差しで相手を刺し、私はさっさとその場を立ち去る。
背後からはライオネル殿下の満足そうな笑いと、勝敗のついた騒ぎについて周囲の生徒達が話し出すざわめきが聞こえて来ていた。
「……それで、何故私は王宮の馬車に乗っているのでしょう」
「俺が誘ったからだな」
あの後。
すぐにライオネル殿下が私を追いかけ、何故か送っていくと申し出を受けた。
まだ書面上は婚約が破棄されていないので、と一度断りはしたのだが、今更浮気を疑うものはいないだろうし、もし何かを言われたら『婚約破棄に至った浮気の証言をご両親に伝える為』とでもしておけばいいと彼は言った。
こうして王宮の馬車に乗り込んだ私は、我が家まで運ばれる事となった訳だ。
「君の婚約者はめでたい奴だな」
「勘弁してください。もう二度と、あれの婚約者などとは名乗りたくはありません。嘘を吐くならばもっと上手く吐けばよいものを」
不服そうな私の様子にライオネル殿下が声を上げて笑う。
それから私の顔を見つめて
「信頼を左右するもの、か」
と呟いた。
私は頷く。
「人との繋がりが大切――それは裏を返せば腹の探り合いが重要視されるという事でもあります。つまり、信頼を左右するものというのは――」
私は口元で人差し指を立てた。
「『嘘』です」
「偽りとバレれば信頼を失う。しかしバレなければ真実と変わらない」
「ええ。気付かれない限り、嘘はゼロという数字を千にも万にも――無限にもする力を秘めていますから」
「天使の様に愛らしいなどと囁かれる容姿に相反した言葉だな」
「社交界など、そういうものでしょう?」
「違いない。……それで? 君があの場で吐いた嘘というのは?」
私は肩を竦めた。
「『浮気の現場を実際に見た者がいる』という点ですよ」
そう、私は実際に浮気の現場を見た者がいる事など知らなかった。
ただ先程ライオネル殿下が指摘したように、首筋に浮気の痕跡を見つけた事があったのだ。
裏庭の方から校舎へ戻るバーナビー。
彼とはほんの少し前に一度すれ違っていた事もあり、先程はなかった箇所についた浮気の証拠にはすぐに気付いた。
だからこそ、直前に裏庭で彼がしていた事にもある程度目星がつけられた。
「私が見たのだと主張しようとしたんです。私は実際には『浮気現場を見てはいない』。けれど浮気がされていた事や、それを行ったと想定される日時や場所が事実と一致するならば――この嘘は真実と変わらない価値を持つでしょう…………と、思っていたのですが」
じとり、と正面に座るライオネル殿下を睨めば、彼は口元を押さえて笑いを堪えていた。
しかしそれも長くは続かず、馬車の中にはすぐに彼の笑い声が響き渡った。
「なんだ、ただの偶然だったのか! 他にも俺のような者がいるのかと思ってしまったじゃないか!」
「当人の申告より他者からの思わぬ告白の方が信憑性が増すのは事実です。……まさかこのような形で助け舟を出されるとは思わなかったのですが」
「まあ君の方法でも全く問題はなかったとは思うがな。とはいえ、事が上手く運んだ理由の一割くらいは担えたのかもしれない」
それからライオネル殿下は、バーナビーとケイティ様の今後について触れた。
今回の件で私とバーナビーの婚約が白紙になり、クィントン侯爵家は多額の慰謝料を払わなければならなくなる。
私の父の事だ。勿論、浮気に関する話も口頭ではなく書面を介して行っているはずなので、先程のバーナビーのような言い逃れもできない。
しかしそれとは別に、二人はライオネル殿下が婚約者を持つ令嬢を誑かしたという嘘を吐いた。
故にそれに関しての処罰も行われるだろうとの事。
学園は退学にできるだろう。
その上で、ケイティ様の家は爵位を剥奪させ、クィントン侯爵家には汚名を抱えてもらうと彼は言った。
汚名というのは具体的に、ライオネル殿下の立場を落としかねない噂を流そうとした家である事、また平気で交わした契約について白を切る家である事。
これがライオネル殿下という未来の王太子から出る言葉なのだ。
今後クィントン侯爵家の言葉を信用する者は現れないだろう。
信頼が大切な社交界に於いて信頼を得られない事は絶望的ともいえる。
クィントン侯爵家が潰える未来ももしかしたらあるかもしれない。
「さて、そんな話はまあ置いておき」
ライオネル殿下は以上の話を終えると一つ手を打った。
「君に手を貸した俺は、何か褒美を貰っても許されるのではないか?」
「ライオネル殿下のお眼鏡に適うような報酬など、用意できるとは思えませんが……」
「では一つだけ言うことを聞くというのは?」
「可か不可かは内容を聞いてからでなければ判別できませんよ」
「やはり随分警戒心が強いな……では、五秒間目を閉じるというのは?」
「はい?」
警戒しつつライオネル殿下を見ていた私は簡単すぎる要求に驚く。
しかし私が目を閉じる事で彼に何かメリットがあるとも思えない。
「何。単純な話だ。俺は君の長い睫毛が伏せられているところを見るのが好きでね」
「……どういう趣味ですかそれは」
「勿論他の顔も好ましくは思うが。俺が近くにいる時、君は俺をずっと見てくれるからな。普段見られない顔が見たいというだけだ」
頬が火照りそうになるのを感じた私は、これ以上ライオネル殿下の顔を見続けるのは避けるべく彼の言葉に従う選択をとった。
そして私はそっと目を伏せる。
「五秒ですね。一、二、三……」
その時だった。
数を数える口が塞がれる。
驚いて目を開けてしまった私の眼前にはライオネル殿下の顔があった。
彼の唇が私の口を塞いでいる。
それに気付いたところで私の思考は止まってしまった。
やがてライオネル殿下は満足そうに私から顔を離し……
「契約不履行だな? フローレンス」
悪戯っぽく笑みを浮かべた。
確かに私は五秒という制約を破ってしまった。
しかし今はそれどころの騒ぎではない。
「な、な……っ」
「王太子との契約を破り、また唇までも奪った――こんな噂を流せば、君の今の立場は瞬く間に崩れてしまうだろう」
その指摘に私はハッとする。
「そ、そんなのは嘘です! ……いえ、前者は置いておくにしても、後者はっ――」
「勿論そう声を上げたって良い。尤も――」
ライオネル殿下が私の髪をそっと掬う。
黄緑の瞳が私の顔をしっかりと捉えていた。
「…君が平静を保てるのであればな?」
「……ッ!」
私の顔にはすっかり熱が溜まっていた。
きっと、先程の口づけを思い出す度に私はこうなってしまう。
ならば人々に弁明する時はどうか。
顔を赤らめながら違うと必死に声を上げる。
そんな私を見て、誰がその言葉を信じてくれるというのだろう。
「気付かれない嘘は真実と同義、か――良い事を聞いたな?」
にやりと、ライオネル殿下の口角が持ち上がる、
私はつい先程の行いを悔やむ。
「さて。君の家に着いたらまずは事の顛末を話そう。そしてご両親が婚約破棄を決めたら改めて――」
ライオネル殿下が勝利を確信した明るい声で話す。
「――君との婚約について話さなければな?」
「なっ」
「責任は取ってくれよ? ――フローレンス?」
「こ、こんなの……っ、――横暴ですッ!!」
ライオネル殿下が自身の唇を指でなぞる。
悔しいと、心の底から思う。
彼の掌でまんまと踊らされた事、そして――
――彼の言葉を少し嬉しいと思ってしまうことにも。
どうやら私は、ライオネル殿下に大きな弱みを握られてしまったようであった。
最後までお読みいただきありがとうございました!
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リアクション、ブックマーク、評価、などなど頂けますと、大変励みになります!
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それでは、またご縁がありましたらどこかで!




