16.節分とは
今日は節分だ。一般的に鬼や災厄を祓うため、イワシの頭を玄関先に飾り付け、豆をまいた。そして幸福を願ってその豆を年の数だけ食べたり、恵方巻を食べたりする行事だ。古くからある日本的な行事の一つで、ここ数年は関西だけでなく関東でも恵方巻を食べる習慣がついてきた。
つい500年くらい前までは鬼という想像上の生き物の存在を、人々は信じていた。疫病や今でいう精神疾患の人間などを鬼というもののせいにして、それを祓うために様々な方法を編み出し、それ専門の職業まであった。社会の制度もそういったものに合わせて作られていて、瓦版と呼ばれる新聞のようなもので鬼の姿かたちを共有し、当時の人間の心にしっかりと根を張っていた。
時が経ち科学というものが発展するに従って、鬼を含めた想像上の生き物は存在を否定され、人々の心から追い出されていった。だが、その名残である行事だけは、意味合いや形式を変えながらも、この現代に生きている。
果たして鬼は存在したのだろうか。
その姿を見たという文献もあるにはあるが、真偽のほどはわからない。不確定要素満載だが、それでも人々は存在しているものとして鬼や他の多種多様な魑魅魍魎を信じていたはずだ。
ここ数百年で台頭してきた、論理的で専門的で説明がつくとされている科学だけが、本当の真実なのだろうか。
事実、この現代にゾンビは存在している。
ゾンビという概念が、昔の日本にあったわけではないが、想像上の生き物に過ぎなかった一キャラクターがこうして存在し、現代の普通に組み込まれている。そんなものはこの現代においてありえない、と断言していた学者や有識者は手のひらを返し、その存在を認めた。そして科学とやらでは、ゾンビウイルスと名付けられた新種のウイルスが原因だとされているが、そのウイルスがどこから来たのかや、治療法はいまだ見つかっていない。
行事もいつかその災厄が襲来した時の準備なのかもしれない、と思うと手を抜けなくなる。その一つ一つにはきちんと意味がある。どのような手順で行うのかについても、理由付けされ、意味がついてくる。よくわからない、得体の知れない災いに、当時の人間たちが知恵を絞り合って考えた結果のはずだ。ただ単にバカ騒ぎをして、酒を呑むだけではない。
節分も鬼を祓うためではなく、今はゾンビから身を守りその年を無事に過ごすための意味を込められており、「鬼は外、福は内」という言葉も、「ゾンビは外、福だけ上がれ」と言って豆をまいている。
その後の掃除が大変なので、そっと少量をまいたに過ぎないが、それでもこういった一種の儀式や暗示をかけることには大きな意味があると思っている。
無言でズッシリ重い恵方巻をいただいて、年の数だけ豆を食べようと思う。




