12.本に溺れる
今日は図書館に来た。
古くなった紙とインクと人間の匂いのする、だだっ広い空間だ。スマホやPCで気軽に調べられ、全世界と繋がり、情報を共有することが容易くできるようになったが、こうしたアナクロな媒体ならではの感覚も嫌いではない。
正面が全てガラス張りで、その向こうに多くの人が静かに座って本を読んでいるのが見える。このガラスには、直射日光の明度と温度を軽減するための加工がされていて、ガラスの内側は快適な光と温度というわけだ。
これを目の前にする度、何かの拍子にこのガラスが全て砕け散ったら、さぞ豪快な眺めだろうと想像する。自分の破壊衝動や欲求が高い方だとは思わないが、これだけのガラスが一度に崩壊する様を見てみたいと考えてしまう。
館内は空気が止まってしまったような感覚に陥るほど、柔らかな静けさに満ちている。実際は空調が効いているし、人が書棚の間や通路を行き来したり、時折小声で会話する声も聞こえてくるのだが、どうにも動かない雰囲気を一番初めに感じる。足音が鳴らないために敷き詰められた絨毯のせいだろうか。
一先ず借りていた本を返却し、ぶらぶらと館内を歩く。ここには人間の叡智が詰まっている。中には中身の薄いものもあるが、それを出版するのにかかった時間や労力を考えるとそれなりに思うところがある。
野外活動におけるサバイバル術や、非力でも使える護身テクニック、身近な材料で作れる爆弾や仕掛け、現在地特定の手段、応急処置の方法などなど、非常時に活躍するであろう有益な情報を仕入れるのは大事な作業である。
と、同時に情報に没頭しないことも、一つの作業として僕は自分に課している。
例えば、本から得られる本の内容に気を取られるあまり、背後に人が通ったり、書棚から人が歩いてきたりすることに気がつかず、驚くことがある。気をつけてさえいれば、衣擦れの音や気配を察知することができるのだが、時々そのことがおざなりになってしまう。
書かれている内容や情報を理解するために、集中して取り組むことは大切なことだが、その世界に没入するあまり周囲の変化に気づけなくなってしまっては、初動が遅れて的確な判断が下せなくなってしまうだろう。
ゾンビが存在しているこの現代で、適切な処置を施してくれる機関があるとは言え、不測の事態がいつやってきてもおかしくはないのだ。できることは全部やった方がいい。危機感をより一層抱くようになったのは事実だ。
この図書館は入口に生体センサーがあるので、多少の安心感はあるが、所狭しと本で埋め尽くされたこの場所で、どのようにゾンビを倒し、屋外へ避難するかも同時に考えなくてはいけない。
やらなければならないことは山積みだ。
そう思いつつ、息抜きで読み始まった小説に気を取られ気がついたら日が暮れていた。
まだまだ訓練が足りないようだ。




