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我慢の限界を迎えてしまった令嬢は

作者: みなと

「だって、君は許してくれるだろう?」


 そう言って、その男――クラウディアの婚約者である、アーノルド・レイクサンドリアは無邪気に笑った。

 レイクサンドリア家は、王国内でも屈指の名家。

 何せ、王国に二家しかない公爵家の一つであり、かつての王弟の血を引いている由緒正しき家柄である上に今の宰相がレイクサンドリア公爵その人。更にこの公爵家から王太子妃、あるいは王配を輩出しているし、政治的功績も多数ある。

 そんな由緒正しき公爵家から婚約者に指名されたのは、クラウディア・アレスフォード伯爵令嬢。

 一体どうして自分が指名されたのか、とクラウディアが問えば、簡潔にこう返事された。


「君の能力を買ってのことだよ。だって君のその能力は何物にも代えがたいからね」

「ああ……さようでございますか」


 クラウディアには、アレスフォード家にしか受け継がれていない特殊能力が、最も濃く受け継がれている。

 アレスフォードの祖先が、言い伝えではエルフだ、ということに起因するもの。植物の声を聴き、共鳴することで普通に育てるよりも野菜や果物、穀物であればより実り豊かに。

 花であれば普通のものよりも花の持ちがよく、花弁の色はとても艶やかに色濃く、香りもきつくもなくかといって薄すぎず、という大変素晴らしいものになる。通称『豊穣の加護』、あるいは『実りの加護』。

 この国は有数の農業大国であるから、彼女を取り込むことでより国を発展させるのだ、と公爵はとても張り切った。

 また、アレスフォード家は『まさか我が伯爵家から公爵家へと嫁入りでき、国の役に立つとは!』と両手を挙げて喜んだのだが、顔合わせをした時から言うと、クラウディアは最近笑顔がどんどん消えてきていた。


「(ああ、また……)」


 お茶会の日程を決めていたら、時間に平然と遅刻されてしまう。

 パーティーに一緒に行こう、と言われたから着飾って待っていれば『あれ、今日だったっけ』と、誘った張本人が何故だか日程を忘れていて、一人で参加したことによって、会場でクラウディアが笑い者になったり。


「……アーノルド様」

「ああ、クラウディア! 今日は約束をしていないよね?」

「……本日の夕刻、両家の食事会です」

「……あれ、そうだっけ?」


 このアーノルド、決して悪気はない。

 だがしかし、悪気なく約束事を忘れたり、遅刻したり、と相当奔放な性格なのだ。レイクサンドリア公爵家は、まじめなクラウディアと婚約させれば、この奔放な性格も少しはましになるだろうと考えたのだが効果ナシ。

 性格矯正のための婚約なのか、はたまた、クラウディアの能力目当てなのか、一体どっちだ、と一度抗議をしてから多少は改善されたように見えたが、さほど効果はなかった。


「私はお伝えしましたので、お忘れないようにお願いいたします」

「えぇ……今日は他に約束が入っていたんだが……」

「……私とアーノルド様の今後についてのお話もある、とのことですが」

「……まぁ、それなら参加しないわけにはいかないか……仕方ない」


 はあ、とわざとらしい大きなため息をついたアーノルドを見たクラウディアは、『ため息を吐きたいのはこっちだ!』と心の中で叫んでしまう。実際に叫ばなかっただけ、ありがたいと思ってもらいたいくらいだった。

 また、どうしてこんなに適当なのにうまくやって来れているのだろうか、とも思うが何せアーノルドは地頭がとんでもなく良い。

 クラウディアよりも三歳年上のアーノルドは、王立学院時代にとんでもない実績をいくつも残している。植物学に関しての論文を提出して有名な教授に一目置かれてみたり、これだけ忘れっぽいくせに取引や大切な会合だけは約束を忘れない、など色々と逸話があるのだ。


「……では、失礼いたします」

「えっ? 失礼いたしますって?」

「……どうせ、アーノルド様はこの後、昼食を他の女性とお取りになるのでしょうから、私はいない方がよろしいかと判断いたしました」


 突き放すようなクラウディアの対応だったにも関わらず、アーノルドはあっけらかんと『ああ、そうだった!』と笑うから、クラウディアはただただ諦めて、困ったように微笑むことしかできなかった。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「いやあ、我が愚息が毎度申し訳ない、クラウディア嬢」

「……いいえ、アーノルド様はとてもお忙しい方ですし、仕方ありません」


 両家の面々が揃った食事の場でも、クラウディアは微笑んでいた。

 令嬢たるもの、表情をあれこれと変えてはならぬ、という母の教えに従っているまでだが、そんなことよりも公爵の機嫌を損ねてはならない、という両親の想いが何より大きいだろう。

 この婚姻を何としてでも成功させたい、と思っているのは本人たちよりも、両家の親たちなのだから。


「クラウディアは、本当に優秀な令嬢ですよ。わたしになどもったいないくらいで……抜けがちなわたしをこれでもかとサポートをしてくれております」

「(……貴方が結婚前に遊んでおきたい令嬢たちとのスケジュール管理までさせられている、とここで暴露したら、どうなるのかしらね)」


 内心では結構物騒なことを考えているクラウディアだったが、それでも笑顔のままで緩く首を横に振った。


「アーノルド様のお役に立てているようで、何よりですわ」

「まぁ……! なんと慎ましやかな子でしょう!」


 公爵夫人はとても喜んでいるし、その隣のレイクサンドリア公爵だってとても喜んでいる。

 そう、これでいいんだ、と自分に言い聞かせるかのようなクラウディアだったが、心の中には何か虚しさのようなものがじわじわとこみ上げてきたのであった。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「え……?」


 一体どういうことか、とクラウディアは己の耳を疑った。


「だからね、僕の従妹が明日見る予定のお芝居を見たいって言っているんだ」

「あの……」

「一緒に行っても良いだろう?」


 どうして、と問いたかった。

 たまに二人きりでゆっくりお芝居でも、と珍しくクラウディアから誘ってOKをもらったというのに、何でこうなったのだろうか。


「一緒に、って……」

「ああ、大丈夫。席はもう買い足してるから」


「(事後承諾……?)」


 クラウディアは、初めてこのアーノルドに対して『信じられない』という感情を抱いた。

 これまではまだ、どうにか我慢できていた。

 きっと結婚するんだから、いずれはおとなしくなるだろう。

 そもそも、結婚を望んだのは本人同士ではなく、両家の親なのだ。所謂契約結婚のようなものだから、契約の重要性を理解しているであろう公爵令息ならは、きちんとしてくれるだろうと、思っていた。


「クラウディア?」

「……どうぞ、お好きに」


 反論したかったけれど、ここでアーノルドの機嫌を損ねた方が面倒だ。そう思うほどに、一気にクラウディアの心は冷めきってしまった。


「ああ、良かった! 君ならそう言ってもらえると思っていたんだ! ありがとう俺のクラウディア!」


 誰がお前のものなのだ、と反論したかった。

 けれど、やめた。

 面倒な方が多くなると判断したから、もう、やめた。


「そうだ、クラウディア。その日のランチだけれど、君を連れていきたいところがあるから、その予約は俺に任せてもらえるかな?」

「あ……はい」


 珍しいこともあるものだ、と思ったクラウディアだが嬉しいという気持ちもある。

 ああ、婚約者らしいこともあるんだな、とほっと息を吐いて公爵邸を後にしたのだが、そう思ったことが間違いだった、と思うのに時間はかからなかったのだ。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 お芝居の鑑賞日当日、クラウディアは言われたとおりにアーノルドの指定したドレスや宝飾品を身に着けて自宅で待っていた。


「クラウディア、良かったわね!」

「え、えぇ」

「クラウディア、いいか。絶対に粗相のないようにな!」

「あなた、それはわたくしのクラウディアに対して失礼ですわ! この子は公爵夫人にも大変良い子だと認められておりますし、社交界でも評判の淑女なのですよ!?」

「はっはっは、すまんすまん」


 朗らかに笑っている両親には、どこか苦い表情を浮かべているクラウディアだったが、その表情はすぐに消した。

 そうして待っていると、執事が『アーノルド様がいらっしゃいました』と教えてくれたから、クラウディアは座り心地の良いソファーから立ち上がって玄関へと向かい、出る。


「クラウディア!」


 この日のクラウディアの格好を見たアーノルドは、ぱっと顔を輝かせた。

 そもそも顔がとても整っているアーノルドだから、そんな顔は確かにとってもかっこいい。

 短く切りそろえられた銀髪と、美しいサファイア色の瞳、たれ目気味で、穏やかな微笑みをいつも浮かべているから社交界では『微笑みの君』とまで呼ばれている。


 ……のだが。


「おにいさまぁ、あの人がおにいさまの婚約者ですの?」

「そうだよリリアーヌ、ご挨拶して」

「……はぁい」


 アーノルドにべったりとくっつき、まるで恋人のように腕を組んでいた可憐な少女は、明らかな敵意をもってしてクラウディアを見ている。

 クラウディアが長く緩やかなウエーブヘアで、透き通った美しい琥珀色の瞳、女性にしては切れ長のすっと通った目を持っているから、見た目としては冷たく見えるが、普段から微笑みを浮かべているから『何だかお話してみたい』という雰囲気を持っている。

 反対に、リリアーヌというアーノルドの従妹は、金色のストレートヘアを腰まで伸ばし、控えめながらもハーフアップにした髪には美しい細工の髪飾りをつけ、宝石の色はアーノルドの瞳と同じ色。血筋なのか、たれ目で大きな目に、ぷっくりとした蠱惑的な唇、うっすらとピンク色をした血色の良い頬、とクラウディアとは正反対の美少女、という顔立ち。


「リリアーヌ・ディ・レイクサンドリアヌス、と申しますぅ。よろしくお願いしますねぇ、……クラウディアさん?」

「……クラウディア・アレスフォードと申します。こちらこそ、どうぞよろしくお願いいたします、リリアーヌ様」

「まぁ! とっても良いお人!」


 副音声で『身の程を弁えているわね』と聞こえたような気がするが、これは気のせいではないだろう。

 明らかにクラウディアに対して敵意を持っているし、従妹だからとてこんなに喧嘩を吹っかけてこなくても良いのでは、と思うくらいには敵意満載の目のぎらつきがある。


「良かった、きっと二人は仲良くなれると思っていたんだ!」


 どの口が、と思うクラウディアだったが、口にも表情にも出さない。

 だってもうこの人に何を言っても無駄かもしれないと思っているから、微笑みを張り付けている。それだけ。

 アーノルドは気付いていないだろう、リリアーヌときゃっきゃと笑い合っているのだから本当に彼は悪気がないのだ。


「さ、クラウディア。お芝居に行こう! リリィ、行こうか」

「はぁい、おにいさまぁ」

「……はい」


 端的に答えて、公爵家の紋章が入った馬車へと乗り込む。

 当たり前のようにクラウディアが一人、リリアーヌとアーノルドが並んで座る。

 だが、アーノルドはそれに対して不思議にも思っていないのだろう。


 最初の内は、きちんとクラウディアだって反論もした。


 反論もしたけれど、言葉通り『言うだけ無駄』だったのだ。

 アーノルドから返ってきたのは、『どうせ結婚するんだし、今からそんなに目くじらを立ててしまうと君が疲れるよ? 俺はこんな性格だけれど、君のことはきちんと大切に思っているんだから、無駄なことはやめようよ』とあっけらかんと笑いながら言われてしまった。

 これによって、クラウディアは嫌な意味で、肩の力が抜けてしまった。


「ねぇ、クラウディアさんはぁ、おにいさまと同い年なんでしょう?」

「え? ……ああ、はい」

「貴女をレイクサンドリア家に迎え入れるのってぇ、どんなメリットがありますのぉ?」

「リリ、聞いていなかったのかい?」

「忘れましたぁ、お会いするまで興味なんかなかったんですものぉ」


 きっと、今日の話を友人にすると『何だソイツ』と皆が怒り狂うに決まっている。

 いや、しかし従妹の反応なんてこんなものなのだろう。そして、アーノルドが説明したとしてもこの人は理解しないし、覚えない。だから、クラウディアも自分が説明何てしなくて良いと思っていたのに、目の前のアーノルドはにこりと微笑んでクラウディアに視線をやった。


「クラウディア、ごめん、説明してもらっていいかな」

「はい。『豊穣の加護』、あるいは『実りの加護』と呼ばれておりますが……」

「ああ、要するに我が国の産業にとって有利な加護というわけねぇ。なぁんだ、そんな程度かぁ」

「リリ、クラウディアの能力は本当にすごいんだよ?」

「あらおにいさまぁ、わたくし別に妙な意図はございませんわぁ」


 可愛らしく微笑んでいるリリアーヌだが、たかがその程度の加護なのか、と明らかに顔に書いてある。

 別にどうでもいい、この人に認められていなくても、公爵夫妻からはしっかりと認められているから、何も問題はない。


 そう、思っていたけれどそれが甘い考えだった。


 それっきり、馬車の中ではクラウディアはまるで空気のような扱いだった。

 話しかけてももらえず、自分から話しかけたとしても一言か二言で会話は打ち切られ、リリアーヌが自分の話題や公爵家の親戚の話を持ち出してくるから、クラウディアには太刀打ちなどできなかった。

 恐らく嫁げばわかる話は多数ある、しかし今はまだそこまでの関係性ではない、というかまずはアーノルドとの仲を深めるように、と公爵夫妻から言われている。

 結婚までにはまだ時間があるから、焦らなくていい。

 とんでもなく配慮をしてもらっているから、頑張ろうと思っていた矢先にこれか、とクラウディアはお芝居を見る前から疲れ果ててしまった。

 いいや、でも、お芝居を見て楽しめばこんな鬱々とした気持ちも無くなるだろうと思い、馬車の窓から見える景色を楽しむことにした。


「(早く着かないかしら……。この時間は地獄だけど、お芝居はとても楽しみ……!)」


 従妹と戯れているアーノルドのことは、いつしか気にならなくなっていた。

 早く劇場に到着してほしい、それだけがクラウディアの頭の中をいっぱいにしてくれていたのだ。


「わぁ……おにいさまぁ、とっても素敵ね! 見て、あちらに……」

「クラウディア、さぁ、手を」

「あ……」


 珍しく差し出された手を取ろうとクラウディアが手を伸ばしかけた瞬間。


「おにいさまぁ!」


 アーノルドの背後から勢いよくリリアーヌが駆けてきて、抱き着いてしまったのだ。


「お、っと」

「わたくしのこと、無視しないで!」

「いきなり危ないだろう?」

「おにいさまが、わたくしを無視するのがいけないんですぅ!!」


 頬を膨らませるリリアーヌだが、もう既にクラウディアは嫌悪感しか抱けなかった。


「(この人……あのレイクサンドリア家の親戚って……本当なのかしら。子供ならば大目に見てもらえるかもしれないけれど、この人、見た感じはもう十六歳くらい……?)」


 クラウディアは、今年で十八歳。アーノルドは成人の儀を終えて二十一歳になっている。

 婚約しているから、結婚自体は秒読み、というところまで来ているのだが、果たしてこのリリアーヌはいくつなのだろうか……とクラウディアが考えていると、アーノルドがようやくクラウディアに視線をやった。


「クラウディア、ごめんね。リリはもう十五歳だというのに、俺にべったりなんだ」

「仲睦まじくて、とても微笑ましいですわね」


 言いながら、クラウディアはすっと一人で馬車から降りた。

 あ、というアーノルドの声が小さく聞こえたような気がしたが、そんなものは無視してしまえばいい。そもそも、反応したところで結婚するのだからとか、いつも通りの言葉が返ってくるだけだ。

 しかし、さすがにここは第三者の目があまりに多い。


 クラウディアだけでは彼女に遠慮をさせるが、公爵家の面子を保つために仲睦まじい婚約者同士、というのを見せつける必要があったのかもしれない、と考えればさすがに悪いような気がした。

 だが、リリアーヌにべったり密着されて引きはがさないくらいだから、別に悪いとも思っていないのだろうな、という悪い方向に思考は進んでしまった。


「おにいさまぁ、行きましょう?」

「こら、リリ」


 仲睦まじい、という言葉にすっかり機嫌を良くしたのか、リリアーヌはにんまりと勝ち誇ったような笑みを浮かべ、アーノルドの腕を引いて劇場へと入っていってしまった。


「(私も行こう……)」


 お芝居を見るまでにすっかり疲れてしまったクラウディアだが、席に座り、お芝居を見始めた頃にはリリアーヌのことをすっかり忘れるくらいには見入っていた。

 席順は、やはりというかアーノルド、リリアーヌ、クラウディア、という並び。

 何せリリアーヌは一切の遠慮をせずに、クラウディアとアーノルドを引き裂きにかかるかのような行動ばかりをしている。


 お芝居が終わり、わぁっと盛大な拍手が起こり、役者たちが観客席に向かって揃ってお辞儀をする。

 クラウディアはうっとりとした表情でそれを見つめ、掌が痛くなっても拍手を繰り返した。

 ああ、この劇団のお芝居はとても楽しい、そう思ったからアーノルドに話しかけようとしたとき、リリアーヌがぐい、とクラウディアの肩を押しやった。


「え?」

「いやらしい人! 劇団員の男性ばかり見ているだなんて!」

「……は?」


 何を言っているのだこの人は、とクラウディアがさすがに眉をひそめたが、何故だかアーノルドまでもが険しい顔をしてクラウディアを見ていた。

 一体何なのだ、とクラウディアが顔を顰めると、はあ、とこみよがしにため息を吐いているアーノルドを見ると苛立ちも増してくる。


「アーノルド様、仰いたいことがありましたらどうぞ」

「リリと同じ意見だよ!」

「……は?」


 役者を目で追いかけるなんて当たり前のことだろう、と反論しようとすると、アーノルドは不快そうに顔を顰めているではないか。


「(……何様なの、この人)」


 婚約者だろうが何だろうが、そう思えば嫌悪感がだんだん膨れ上がってくる。

 これまで何度も、何でも、クラウディアが譲ってばかりで、必死に色々なことを我慢していたというのに、たった一度の演劇鑑賞で、しかも役者を目で追いかけただけでこの言われよう。

 自分は何でもかんでも人に我慢させたくせに、と叫ぼうとしたが、今ここで叫んではクラウディアが悪者のようになってしまう。

 ならば、ほんの少しだけ嫌味を混ぜて反論してやろう、とクラウディアはわざと困ったような顔をして、小さくため息を吐いた。


「何だその態度は!」

「いえ……私のことを咎めるならば、そちらのリリアーヌ様とて同じこと。アーノルド様もそうではなくて?」

「は!?」

「役者の動きを目で追いかけただけで、『男性ばかり見ている』だなんて……それではどうやって演劇の舞台を楽しめばいいとおっしゃるの?」

「…………え、ええと」

「教えていただきたいわ。ねぇ、リリアーヌ様、アーノルド様」


 クラウディアからのぐうの音も出ないような正論返しに、リリアーヌは顔を真っ赤にしている。

 どうせ、アーノルドにクラウディアの悪い印象を植え付けようとしたのだろうが、お生憎様だ。そうやって馬鹿みたいな攻撃をしてくるならば、クラウディアだって容赦はしない。

 ほんの細やかな仕返しだったが、リリアーヌは目がとんでもなく泳いでいるし、アーノルドもおろおろとしている。

 だが、何よりも彼らが堪えているのは、周りからの視線かもしれない。


「いやだ、私も贔屓の男性役者を見てしまっていたから、婚約者に叱られてしまうかもしれません」

「いやいや、俺だって素敵な演技をする女性役者から目が離せなかったんだ。君をどうして責められようか」


 たまたまそれを聞いていたらしい一組の婚約者同士の会話が、彼らに対してとんでもない追撃を行ってくれた。

 よっしゃざまぁみろ、と思っていたがクラウディアの心は思ったよりもスカッとしている。実際、ぼんやりと演劇を楽しめるかもしれないが、どうしても目を引く役者というのは存在するのだから、異性の役者を目で追いかけたりするのは当たり前ではないのだろうか。

 二人の会話を聞いて、悔しそうにしているリリアーヌは、ぷい、と視線を逸らした。


「ふんっ!」

「リリ、先にクラウディアに謝るんだ」

「おにいさまぁ! でも、リリはぁ!」

「いいから!」


 こうやって謝罪をするよう促しただけでもまぁ良い、とするべきなのだろうか。

 だが、それよりも大切なことがある。


「(どうしましょう、何とも思わないわ)」


 スカッとしたが、それで終わった。

 結局、今日の演劇鑑賞はクラウディアとアーノルド、二人で楽しむはずだったのに、二人ではなく余計な人がいたことで、こんなにも嫌な気分になるだなんて思ってもみなかった。

 こうなったら、謝罪がどうとかも、本当にどうでもいい。


 こんな風にいきなり約束を違えて、人に嫌な思いを無自覚にさせるような人と結婚しなければいけないという現実に、クラウディアは叩きのめされそうになっていた。


 どうにかして婚約解消をしたいけれど、一体どうすればいいのだろうか。

 それとも、このままクラウディア自身は我慢をし続ければいいのか。


「(一体、いつまで)」


 誰から答えが返ってくるわけでもない、心の中の独り言は、すっと溶けて、消えてしまった。

 ぼんやりしていると、馬車がやってきたのでクラウディアはすっとそれに乗り込んだ。後ろで何やらリリアーヌがぎゃんぎゃん騒いでいて、それを必死にアーノルドが慰めていたから、乗り込んだ直後に馬車のドアを容赦なく閉める。


「……っ、クラウディア!?」


 こんこん、と馬車の中から御者に合図を送れば馬車が走り出した。

 別にクラウディアは悪いことはしていない。

 この時間に、アレスフォード家から迎えが来ると聞いていたから、自分は家に帰るために馬車に乗り込んだだけ。

 アーノルドは自分で馬車を呼ぶとかすれば良い、それだけだ。もう既に成人しているのだから、それくらいの知恵はどうにかして回るだろう。ああ、そういえば今日はアレスフォード家で食事会とか言っていたけれど、このままリリアーヌも含めてアレスフォード家に戻れば、父や母が何と言うか分からない。

 約束の無い第三者を連れて行くわけにはいかないもんね、という判断のもとで帰宅したクラウディアだったのだが、戻ったとたんに父からひどく頬を打たれてしまうこととなった。


 ばちん、という重たい音と、打たれたことによって頭がぐわんぐわんと揺れているような不快感。


「(なんで)」


 頬を押さえていると、すぐさま父親から怒号が飛んでくるが、まるで水の中にいるように、何を言っているのかクラウディアにはうまく聞き取ることが出来なかったが、要約すれば以下の通り、らしい。


 父親曰く、『どうしてアーノルドを連れてこなかった』、『リリアーヌがいても問題ない』、『それくらいの心の広さを持つのが素晴らしいレディというものだ』、ということらしい。


 クラウディアからすれば『心底どうでもいい』なのだが、母親は必死にクラウディアをかばってくれている、らしい。

 だが、この母親もアーノルドとの縁を望んで、いいや、レイクサンドリア家との縁を望んでいるから、結局のところは『アーノルドの行動は悪くない』というところに落ち着いてしまうのだから、何かを期待するだけ無駄なことだ、と無意識にクラウディアは悟っている。


「いいか、もう一度芝居でも何でも行って、アーノルド様をお誘いしてこい!」

「……」

「返事をせんか!」

「……分かりました」

「フンっ、最初からそうしていればいいんだ。バカ娘が!」


 父親はクラウディアを打ち付けたこと、そして今のアーノルドとの関係を壊さないようにできることが確認できれば、どうやらもうどうでもよくなったらしい。

 朗らかに笑いながら、『さぁ、気を取り直して食事だ!』と話しながら歩いている父母を見て、心がすっと冷めていくのが分かった。

 別に、家のための婚姻関係を結ぶことに不満なんかない。

 しかしそこにある『心』を蔑ろになんて、されたくないというだけだ。決して、そんな心の叫びは届かないのだろうな、とまた更に諦めの心が強くなっていくクラウディアの思いに呼応するように、変化は確実に訪れていた。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「……何? 農作物の収穫量が?」


 国王、そして王太子の元にやってきた農林大臣から受けた報告内容は、驚くべきものだった。


「しかし、アレスフォード家の能力がある限り、農業関係は全く問題ないのでは? 条件は勿論ありますが……」

「うむ……そのはずだ」


 難しい顔をした国王・ダンテ゠ディ゠キルマイヤーはこめかみに手をあて、考える。

 今代の能力の発現者は、力が相当強いと報告を受けている。


 だから、彼女を確実に守れるように王家としてレイクサンドリア家に命を出して、『彼女を幸福で満たし、大切にすることで豊穣の祈りの効果がとても大きなものになる。この国の基幹産業である農業をより発展させよ』と通達を出した。

 クラウディアと婚約を結んだレイクサンドリア家子息・アーノルドとの仲は良好だと報告を受けている。

 それならば何の問題もないな、と安心していたのだ。


 何せ『豊穣の祈り』は、能力を持っている本人が幸せであることが、何よりの能力維持の条件となっていることくらい、両家は知っているはずだ。そうでなければいけない。

 それなのに、数値として提出されたデータを確認すると、婚約した、と報告を受けた年から、僅かずつではあるが確かに生産量が減少している。天候や土壌の影響もあるかもしれないと、調査員をやって調べたものの土壌の性質自体は変化していなかった。

 土の酸性度を測定したり、肥料を変えていないか、育成方法を変更していないか、綿密な調査を行ったがこれといった原因は見当たらなかった。

 とはいえ、この『豊穣の祈り』がなくとも農業大国であるキルマイヤー王国の生産量は他国と比較しても相当多い。


「……にしても、だ」

「父上、明確に減少しているのであれば……原因としてはその特殊能力を持っている方が、病気などに侵されているのでは!?」

「可能性としてはあり得るかもしれん」


 全てにおいて可能性を調査しなければいけない、王太子であるレオンシオはすっと立ち上がった。


「わたしが調査してまいりましょうか」

「いや、待て。こちらが動いて何か異常があってもいかん」

「……では……」

「確か、能力を持っているのはアレスフォード伯爵令嬢だ。今年で王立学院を卒業し、レイクサンドリア家へと嫁ぐことになっているが……」

「であれば、学院に調査員を送りましょう」


 うん、と双方頷き合った結果、レオンシオの妃であり、王太子妃でもあるアンジェリーナが調査を秘密裡に行うこととなった。


「すまないね、アンジェ」

「いえ、問題ございません。それに、クラウディア嬢とは同じクラスですし、何かお役に立てるよう頑張りますわ!」


 これは、本当にたまたま、であった。

 クラウディア、そしてアンジェリーナが共に優秀であることから、二人は成績優秀者が集められるクラスで、共に授業を受けている。何度か会話をしたこともあったのだが、そういえば、とアンジェリーナはレオンシオの服を軽く引いた。


「アンジェ?」

「そういえば、最近のクラウディア嬢は何だか元気がなさそうでしたわ」

「……元気がない?」

「はい、ああでも普段から見ているわけではないのですが……この前、『疲れた』と零していたような……」

「疲れた、って……」


 それは単なる疲労では、とレオンシオは考えたが、どうやらアンジェリーナは考えが異なっているようだ。


「早速ではありますが、明日にでも聞いてみますわね」

「ああ、お願いするよ」


 ふふ、とお互いに微笑み合ってから、レオシオンとアンジェリーナの会話は終了した、のだが。

 まさか翌日聞いた話が、とてつもない事態になるとは思ってもいなかった二人であった。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「クラウディア嬢、おはようございます」

「お、はよう……ございます」


 普段、同じクラスではあるものの、あまり会話をしたことがないアンジェリーナから話しかけられたクラウディアはきょとんと眼を丸くした。一国の王太子妃と同じクラスであることが、一つの誉れでもあったのだが、いきなりすぎてどんな反応をしていいのだろうか、と悩んでしまう。


「あ、あの……どうかなさいましたか?」

「そんなに緊張なさらないで、最近クラウディア嬢に元気がないように見えまして……」


 クラウディアは、アンジェリーナの言葉にはっとする。

 しかし、周りの人に気付かれていたのか、と恥ずかしくなってしまい、慌ててアンジェリーナに頭を下げた。


「申し訳ございません……! アンジェリーナ様のお心にご負担を!」

「お、お待ちなさい! ……クラウディア嬢、少しこちらへ……」

「へ!? いやあの、これから授業……!」

「一時間くらいどうってことありませんわ!」

「えええええええ!?」


 がし、とアンジェリーナはクラウディアの腕を掴み、授業が始まる直前ではあったものの、あまり人が寄り付かない裏庭へと走っていったのだった。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「……で、あの……ええと、授業……」

「クラウディア嬢」

「はひ」


 がっ、とアンジェリーナはクラウディアの肩を掴んだ。


「一体、何がクラウディア嬢のお心を乱しておいでなのです!?」


 こっそり調査するの、どこへ行ったんだ!? と言わんばかりの迫力で、アンジェリーナがクラウディアに詰め寄った。

 なお、がっくんがっくんとクラウディアの肩を掴んだまま揺さぶられてしまい、クラウディアは『あの、ちょ、ま、ひえ』と悲鳴らしきものを上げている。


「本当にどうされたのです!? 何かございましたら、いつだって相談にのりますわ!」

「あの、妃殿下、あの」

「……はっ、わたくし、つい」


 ここでようやくアンジェリーナが我に返り、クラウディアを揺さぶることをやめる。

 くわんくわんと揺れる頭を押さえつつ、クラウディア自身は『相談しても良いものなのだろうか……』とまごついてしまう。


「あ、の」

「何かありましたの……? 最近、クラウディア嬢が本当にお元気がないように見えて……わたくし、とても心配なんです」


 言ってしまいたい。

 婚約者が自分の扱いをとんでもなく軽くしている、約束を守らない、そもそも約束していた人以外を平気で連れてくる、など。国の公爵家嫡男を批難する言動として、罰せられたりしないだろうか。

 そして、この婚約関係に関しては国が定めた家同士の繋がりを深くするためのものであり、尚且つ、アレスフォード家の特殊能力を持つものを国に囲い込むこと、様々な理由があってのものである。

 うっかり色々と相談して、婚約が意図しない理由で解消されてしまっては、両家の関係性にひびが入ってしまわないだろうか、とぐるぐると考え込んでしまう。そもそもあの婚約は王命なのだから、それをぶち壊すだなんて……と、様々な考えが巡り巡る。

 しかし、相談できるいい機会だ、と思ったクラウディアは、ぎゅっと手を握った。


「……どんなことから、言えばいいのか……」

「何でも構いません」


 断言してくれるアンジェリーナが、とても心強く見え、もういっそ言ってしまえばいいんじゃないか、とクラウディアの中の悪魔なクラウディアが、背中を押す。いいや、なんなら天使のクラウディアと共に『せーの』で思いきり蹴り飛ばした。


「婚約解消、したいんです」

「へ!?」

「……あ」


 ついうっかり、本音がぽろっと出てしまう。

 クラウディアが慌てて口を閉じるものの、アンジェリーナは愕然としている。しかし、きっとこれには理由があるのでは、と即座に判断し、そっとクラウディアの手を取った。


「良いの、何でもお話しになって?」


 とてつもなく素早く切り返したアンジェリーナはすごいなぁ、とクラウディアは冷静に観察してしまった。とはいえ、まるで女神のような微笑みを浮かべているアンジェリーナを見て、クラウディアの口からはぽろぽろとアーノルドに関してのあれこれが出てきてしまう。

 諸々を聞いたアンジェリーナは愕然とし、即座に対応方法についてを頭の中で必死に検索してみたところ、何回考えても行きつく先は同じものであった。


『もうそんなカスとは婚約解消してから別の相手を探せばいいのでは』、一択なのである。


 クラウディアの能力や、人当たりの良さ、学院での優秀っぷりを考えれば、別の婚約者を探してみたところであっという間に候補が現れるだろう。

 公爵家よりも上の立場の人との婚約を望むのであれば、クラウディアはあっさり成し遂げてしまうだろう、と推測できてしまった。だからこそ、握った手にぐっと力を込めた。


「クラウディア嬢、わたくしにお任せなさいませ!」

「え、あ、あの」


 しまった言い過ぎた! と思ったけれど、思わぬ方向に話が進んでしまった。けれど……クラウディアの心は決まってしまった。


「(そうか、周りにもっと早く相談すればよかったんだわ)」


 ほ、とここでようやく体の力を抜けたような気がして、ちょっとだけ息を吐く。

 そうすると、クラウディアの目からぽた、と涙が零れてしまった。


「あれ……?」

「クラウディア嬢! そんなにもお辛かったのですね……何とおいたわしい!」


 クラウディアにつられたように、アンジェリーナの目からも涙が零れ落ちた。


「ごめん、なさい」

「何を仰いますの! いくら家同士の結びつきを強めるからと、そして国のことを想った王家から命じられた婚姻といえど、クラウディア嬢の『心』をここまで踏みにじり、蔑ろにしていいだなんて、あるわけございません! これではまるで、人質のようなものではありませんか!」


 ああ、ここまで怒ってくれる人がいたんだ、と思うと、ようやくクラウディアの心が少しだけ軽くなった。


「善は急げです。クラウディア嬢、今日は学院をお休みしてちょっと王宮に行きますわよ」

「いやあの、今テスト前でして」

「どうとでもなります! そんなものよりもクラウディア嬢の心を蔑ろにされ続けたことの方が、わたくしは許せません!」

「……アンジェリーナ様……」


 ここまで人の気持ちに寄り添ってくれる人が、王太子妃、ゆくゆくは王妃になるのならばこの国は安心だな、とクラウディアはようやく微笑んだ。


「……ようやく、笑ってくださいましたわね」

「……あ」


 そうか、笑えてすらいなかったのかと自覚することで、クラウディアの目からはまた、涙があふれる。

 ようやく、凍り付いていた心が、ほんの少しだけ溶けた瞬間だった。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 なお、ここからとんでもなく話は早かった。

 まずクラウディアの現状について、アンジェリーナから国王へと報告がいき、次いで王太子であるレオンシオにも報告されたことにより、彼はがっくりと肩を落とした。

 まさかあのアーノルドがここまでノンデリカシーな男だとは……と同性として頭を抱え、即座に今回の件に関して両家を召集したのである。


 呼び出されたレイクサンドリア公爵家とアレスフォード伯爵家の面々は、とても不思議そうにしていた。

 一体何があったのか、と考えても理由が思いつかないのだ。


 だから、考えているうちに国王夫妻が謁見の間に到着し、次いで王太子夫妻が到着し、そこにクラウディアが立っていることにアレスフォード伯爵はとんでもなく驚いた。


「な、何をしている! お前、何と恐れ多い!」

「わたくしが許可しました、お黙りなさい伯爵」


 クラウディアが説明するでもなく、アンジェリーナから強めに言われ、思わずアレスフォード伯爵は体を強張らせる。

 何も悪いことはしていない、だから堂々としていればいいのだ。己にそう言い聞かせるも、クラウディアが明らかにアンジェリーナに守られているような立ち位置でいることに、訝し気な表情になった。


「(あいつ……何であんなところに)」


「この度、アレスフォード伯爵令嬢と、レイクサンドリア公爵子息の婚約を、解消させていただきます。また、伯爵令嬢については、わたくしの侍女として働くことを望んでおります故、学院を卒業後はわたくしの侍女見習いから仕事をしていただくことになりました」

「は!?」


 勿論、これに納得できるアレスフォード伯爵家とレイクサンドリア公爵家ではない。

 だが、これまでの出来事を淡々とアンジェリーナとレオンシオに説明され、心当たりしかなかったアーノルドは顔色を悪くした。


「……!?」

「まぁ、心当たりがあるのね。良かった、安心したわ」


 良かった、と言いながらアンジェリーナの目の奥は笑って等いない。


「たとえ国の定めた婚約者であろうとも、それを盾にして人を蔑ろにしていい理由にはなりません」


 淡々と続けるアンジェリーナを見て、アーノルドはどんどん顔色を悪くする。

 しかし彼には、根拠もない自信があった。大丈夫だ、アーノルド自身が深く反省すればきっとクラウディアは許してくれる、だってクラウディアは俺のことが大好きなのだから、と何の根拠もない自信を持っているせいか、縋るような目をクラウディアに向けた。


「クラウディア!」

「……」

「誤解だ、君ならわかってくれるだろう!? だって()()()()()()()()()()()()()()()!」


 普段は見せないような微笑みを浮かべているアーノルドを見て、クラウディアはどんどん呆れていく。

 婚約者の情があったけれど、そんなものは呆気なくぱりん、と割れた音がしたような気がした。


「……もう、疲れました。限界です。私はあなたとこれ以上縁続きで居るだなんて、我慢できません。新しい婚約者が出来ましたら、その方には不誠実すぎる対応はおやめくださいませね」

「……え?」


 アーノルドには、クラウディアの言う『限界』の意味が分からなかった。自分は婚約者として、とても良い相手ではなかったのか。

 一体どこが不誠実なのか。

 浮気なんかしていない、ただ、ちょっと約束を破ってしまっただけなのに。


 そう考えているアーノルドの心の内を読んだかのように、クラウディアは言葉を続ける。


「国が定めた婚約ではありますが、わたくしはもう……あなたの傍にいては、不幸にしかならない。だから、アンジェリーナ様に保護していただきました」

「なんで」

「だって……」


 一呼吸おいて、クラウディアは続ける。


「私も、周りにきちんと相談すればよかった、もっともっと真剣に訴えかければよかった。嫌なものは嫌だ、と訴えかければ良かった。……貴族同士の結婚だからって、何でもかんでも我慢した私にも悪いところはある。でも、まさかこんなにも好き勝手されるだなんて、誰が想像したでしょうか」


 また一呼吸置いたクラウディアの目から、ぽと、と涙が溢れた。


「もう、疲れたので、好きにさせてください」


 ぎり、と腹立たしそうにしてからアレスフォード伯爵は思いきりクラウディアを睨みつけた。

 だが、昔ならばクラウディアもそんな父親に怯えてもいたが、今はまったく気にしていないどころか、出来るだけ離れたいとしか思っていない。


「この親不孝者が! せっかく、国王陛下が結んでくれた縁をこのようにぶち壊すなど!」


 思いきり怒鳴りつけたアレスフォード伯爵に対し、更なる怒りを抱いていたアンジェリーナが前に出てくる。


「この提案をしたのはわたくしです。それと、調査が入ったのは国王陛下と王太子殿下からの要請です」

「……は?」

「だって、明らかに影響が出ているんですもの。アレスフォード伯爵令嬢に宿っている能力が、どんどん衰えていっている可能性だってある。そんな状況を看過できませんし、何より国の一大事になりかねませんし」


 ぽかんとしているアレスフォード伯爵夫妻は、娘が幸せであると思い込んでいた。だから全く問題ないとも思い込んでいたが、今となってはもうどうだっていいことでしかない。

 彼らにとって大切だったことは、公爵家との縁が続くことでしかなかった。

 レイクサンドリア公爵も、婚約できてしまえば何も問題ない、としか考えていなかったのだ。

 表面的には大切にしていたかもしれないが、内心何も考えておらず大切にしていなかった。娘のことは二の次、能力のことだってきちんと考えていたのかすら怪しい。


「……己の娘のことだというのにな」


 国王がため息交じりにそう告げれば、双方ぎくりと体を強張らせる。

 こんなことになるまで、クラウディアのことをあまりに気にかけてなかったことも相まって、彼女の気持ちを最優先にしたいというアンジェリーナの強い想いと本人の『家を出たい』という希望によって、今回の呼び出しに繋がったのだ。


「そんな……ことって」

「クラウディア、お父さまとお母さまが悪かった! だからもう一度帰ってきておくれ!」

「クラウディア、俺たちの仲はとても良好だったろう!? リリとだってあんなに仲良くしていたじゃないか! そうか、拗ねているんだね! だったらもう、これからは君のことを最優先にすると誓うよ!」


 呆然とするクラウディアの母、戻ってきてくれと懇願するアレスフォード伯爵とアーノルド。

 三人を見ても、クラウディアの心に何も響くことはなく。クラウディアはそおっとアンジェリーナに耳打ちする。


「そうね、クラウディアは試験を受ける準備があるのだからもう退出なさい。ここはわたくしとレオンシオ様、それから国王ご夫妻がどうにかしますから」


 労わる様にクラウディアの肩を叩いたアンジェリーナは、自身の侍女頭を呼んで、目で合図する。

 察しの良い侍女頭は頷き、優しくクラウディアに声をかけ、『こちらです』と謁見の間から揃って退出していったのだった。


「クラウディア!! 待ってくれ、クラウディア!!」

「あらレイクサンドリア公爵子息、豊穣の祈りの使い手が己の手から離れることが、そんなにも不満なのかしら?」

「違います、俺は彼女を本当に愛していて!」

「それなのに、君は彼女の心を踏みにじって、傷まみれにしたのか」

「レオ……! そんなわけ……」

「あるから、国としてこうして動いているんだよ」


 幼い頃からの友人でもあったアーノルドとレオンシオの温度差は、それはもう凄まじかった。

 国のことを考えての婚約だったのにも関わらず、こんな結末になってしまったことが、まずクラウディアに対して申し訳ないと思う一方で、友人がここまでデリカシーの欠片もなく、みっともない男であることが露見してしまったのだから。






「クラウディア、そちらのお花。彩りをもう少し調整できる?」

「はい。あ……ではこうしましょう!」


 先輩の侍女に言われ、クラウディアはそっと祈りをささげる。そうすれば蕾だったものがふわりと開花し、あっという間に彩りが整えられた。

 更に、庭園全体の花が、もっともっと活力に満ち溢れるように、とうっかり追加で祈ったものだから、あちこちから『えええええ何かまた花が咲いた!?』、『咲かないと思ってた薔薇が開花しているわ! これ開花の時期じゃないのに!?』、『ちょっと、こっちに新種の花が!』という使用人たちの叫び声が響いている。


「……あ」

「クラウディア、またやったわね」

「あの……楽しくて、つい」


「まぁまぁ、とっても庭園が華やかになっているわね。この四阿もこんなに美しかったかしら?」


 アンジェリーナとレオンシオが揃ってやってきて、慌てている侍女や他の使用人たちの様子を見て、楽しそうに笑っていた。


「王太子殿下、王太子妃殿下!」

「ディア、とっても生き生きしているわね」

「はい、私……勉強することも好きでしたが、こうやってお花の世話をしたり、研究したりしていることの方がもっと好きみたいです!」


 あれから、クラウディアは家をあっさりと出て行った。

 アンジェリーナの侍女として様々なことを勉強し、文官資格も取ってしまったし、今や侍女としてだけでなく文官補佐の仕事に加えて、植物研究にも携わる様になっている。


 クラウディアからすれば、自分の能力についての研究も兼ねているため一石二鳥だ、ということらしいが、それ以上に仕事に打ち込めるというここの環境がとてもあっているようだった。


 以前からは比べ物にならないくらい生き生きとし、自分の言いたいこともはっきり言えるように気持ちが変化したことに加え、『やりたいこと』を見つけるために自分のために時間を使えることそのものが、楽しくて仕方ないのだろう。


 もしも、あのままアーノルドと結婚していたとしたら……と、クラウディアはふと考えてみたが『あり得ない』一択だった。


 王宮で働いているから、アーノルドと遭遇することはあっても、今のクラウディアはアンジェリーナ付きのため、勿論護衛だっている。別れて早半年経過しているにも関わらず、アーノルドから復縁したいと縋られているが、その度に彼女はこう切り返している。



「あなたのお気持ち通りに動いてくれる、素敵なご令嬢を見つけてくださいませね」

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