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野心

 馬を厩舎に入れ、馬具を外す。

 その後二人で、塔に向かって歩き始めた。

「そう言えば、殿下。神殿の持つ迷宮遺跡の資料とはいったい何なのですか?」

 迷宮遺跡の管理や守護は、基本的に『塔』の管轄だ。

 四つの迷宮は、帝国にとって『脅威』であるだけでなく、『資源』でもある。

「古い伝承や、迷宮探索の資料の一部は、神殿の資料室にあるんだ」

「なるほど」

 建国の頃は魔術の研究も神殿の管轄だった。だが、宗教的な儀礼と魔術の研究は別のものと考えるべきとの考えのもと、塔が神殿から独立した。一説には、政府が力を持ちすぎた神殿の力を削ぐために行ったと言われている。

「土の迷宮遺跡の事故があってから、先代の皇帝から塔に迷宮遺跡の構造などの再調査を順次行わせるようになったのだが、火の迷宮遺跡に関しては、まだ調査が完全ではなくてな」

 五十年前、土の迷宮遺跡の事件があってから、それまでの事故が起こってから対応するという方式は改めることになった。迷宮遺跡の構造、出現する魔物の種類、正確な地図も含めて平時の調査を本格的に行い、危険個所の把握に努めている。実際、そのおかげで三十二年前に風の迷宮遺跡で魔物が溢れた時は迅速に対応ができたと聞いているし、遺跡が崩れる前に修復作業を行って事なきを得た例もいくつかあるという話だ。

「火の迷宮遺跡で魔物が溢れたのは記録があるだけで、二回ほどだという話なのだが、いずれも話が古い。塔の調査では、過去一回分の修復箇所は発見できているのだが……」

「つまり過去の記録が残っていないかどうかと、壊れやすい構造箇所などが伝承などでわからないかを確認しなければということですね」

「ああ。資料がないなら、いっそ、ないとはっきり言ってほしいのだが──」

 もちろん、みつからなくても『絶対にない』と断言できないのなら、ギリギリまで探すべきではある。だが、それならそうと報告してほしいのは当然だ。なんといっても、遺跡の崩壊した場所を一刻も早くみつけて修復しなければいけないのだから。

「ところで神殿では迷宮遺跡の研究をしているとのことですが、いったい何を研究しているのですか?」

 塔の調査結果は、基本的に『公開』されている。国立図書館で閲覧が可能だ。むろん、閲覧するにはかなり面倒な手続きは必要だけれど。

 それに比べて神殿の研究は非公開で、何をしているのかよくわからない。

 もっとも神殿の本来の活動は、神をたたえ、人心を安寧に導くことだ。研究活動を主たる目的としている『塔』とは違う。

「迷宮神殿にまつわる秘文の解読だ。神代文字が使われているということで、塔ではなく、神殿で研究することになったという話だ」

 秘文は、おそらくだが、迷宮遺跡の作られた目的などが記されていると考えられていると、殿下は話す。

「先々代の神官長の時に、かなり解読がすすんだという話は聞いている。それぞれのエレメントの強い土地を選んだということはわかったらしい」

「それは……」

 解読するまでもなく、肌身を感じてわかっていることではある。

「まあ、作ったのが、神なのか、人なのか、それともどちらでもないのかわからぬ以上、俺たちが望む答えがそこにあるとは限らん」

「そうですね」

 私たちが知りたいと願うのは、迷宮遺跡の安全な管理方法だ。それから破損した時になぜ、聖女の力で封印できるのか、そもそも聖女の封印の力とは何なのか──それを知りたい。

 もちろん迷宮遺跡を作った目的や、どうやって作るのかというのがわかったなら、大きな技術革新がおこる気はするけれど。

「なんにせよ、あの男はどうにかしてほしいものだ」

 殿下は呆れたようにため息をつく。

 おそらく、ヴァル・レイアー神官長のことだろう。神職なのだから、もう少し理性的であって欲しいと殿下は愚痴る。

「聖女がこの国で必要とされていることを誇示したいということなのだろうが、方向性が間違いすぎていて、呆れてものが言えない」

「自らが討伐隊に参加なさるなら、価値観が変わるかもしれませんよ?」

「……そう思うか?」

 殿下にそう確認されると、正直、自信がない。

 そもそも討伐隊に参加したところで、神官長には、聖女の力は使えない。魔力があるとも聞いていないし、武術に長けているということもないだろう。連れて行っても、戦力にはならない。医療の知識はあるはずだから、役立たずとまでは言えないけれど。

「聖女を救世主として印象づけたいのは理解できますけれど、現時点では、彼女の印象をかえって悪くしているように見えますね」

 殿下が規約を作って、私やエラヌ嬢と壁を作る原因を作ったのは、結局のところ、彼の暴走の結果だ。

「しかし、まあ、エラヌ嬢がわがままなのも事実だ。ああ見えて彼女もかなりの野心家だしな」

「野心、ですか?」

 彼女がわがままなのはわかる。だが、それは、普通の令嬢の素直な感情の発露の範囲に見えた。

 野心を持って殿下に近づいたのであれば、私に対してもっと敵意があってもいい。先程だって、私の言葉を素直に受け取ってくれた。あれが演技とは思えない。そもそも生き馬の目を抜く社交界で愛されているのだ。

「普通の神経なら、婚約が決まっているところに割り込んでは来ないさ。そもそもベティ相手に勝負を挑もうとするなんて無謀だろう? ベティは公爵令嬢なのだから」

 殿下の言葉にはとげがある。

 彼女のわがままに振り回されて辟易としているせいかもしれないけれど、そこまで言うのは少し意外な気がした。

 そもそも私が彼女に確実に勝っているのは家柄だけだ。魔術師になった今なら、魔力も多少価値に加味できるかもしれないけれど。それだって聖女の肩書に勝てるかどうかは微妙だ。

「そこは殿下への愛ゆえなのでは?」

「どうしてベティがエラヌ嬢をフォローする?」

 殿下はムッとしたような顔をする。

「フォローをしているわけではありません。殿下は魅力的なかたです。恋に落ちる令嬢は多いと思いますから」

「ふうん」

 殿下は意外そうな顔で頷く。

 何が意外なのか。殿下がモテることくらい、本人だってわかっているはずだ。容姿も実績もそして皇太子としての肩書もある。すべてにおいて完璧なのだ。現在、積極的に殿下に言い寄る令嬢がいないのは、婚約者候補である私とエラヌ嬢がいるからにすぎない。

「ベティは?」

「私は……その……」

 言いよどむ私の顔を殿下が覗き込む。

 何もかも見透かされてしまいそうなほどの吸い込まれそうな黒い瞳だ。

 殿下はじっと、私の答えを待っている。

 何か言わなければとは思うものの、私の気持ちを告げてしまったら、幼馴染の気安い関係ではいられなくなるのではないだろうか。形だけの候補でいることが辛くなりそうで、唇が震えて声にならない。

 鼓動が激しくなり、顔がかっと熱くなる。

「可愛い」

 不意に殿下との距離が近づき、額に柔らかい感触を感じた。

 何が起きたのかわからず、思わず呆然となる。

「ごめん。ベティが可愛すぎて、つい」

 顔を赤らめ視線を逸らす殿下を見て、ようやく私は殿下にキスをされたのだと気づき、全身に血が激しく巡り始めた。

「でん……か?」

「言っておくけど、こんなことをするのは、昔からベティにだけだから」

 殿下が念を押す。

「ベティも俺以外にそんな表情を見せたら絶対にダメだぞ」

「……そんな表情?」

 私はいったいどんな表情をしていたというのだろう?

「ベティは、ベティが思っているよりずっとモテるから」

 意外な言葉に、私は思わず首を傾げる。

 確かに私は公爵家の令嬢であるから、たとえ殿下との婚約が解消されたとしても、縁談が来なくなるとは思わない。けれど、それはモテるからではないだろう。そもそも、殿下にエスコートされていない時でも、声をかけられるようなことはない。同じ、婚約者候補のエラヌ嬢には、たくさんの男性が声をかけているようだけれど。

「私はどちらかと言えば、怖がられているような気がするのですが?」

 氷の公女なんていう二つ名で呼ばれ、時には恋愛小説の『悪役令嬢』のようだと揶揄されたりもする。

「怖いのはベティじゃなくて、俺じゃないかな」

 殿下は苦笑する。

「これ以上は今はまだ言えないけれど、俺はベティともっと話したいし、会いたい。それに愛称を呼ぶのも俺だけであってほしい」

「愛称?」

 ギスカール師匠のことだろうか。

「あの。師匠には、子供の頃からそう呼ばれていますので、深い意味はありません。それにベスとは、スルバスの叔父さまもお呼びになりますから、特に特別でもありませんから」

「ベティにとってはそうだろうね」

 まるで師匠にとっては違うみたいだ。

 どうも殿下は師匠と私の関係を誤解している気がしてならない。

 私は普段から交友関係が非常に狭い。

 そのせいで、ちょっとしたことが特別にみえてしまうのだろう。

「ごめん。別に二人の仲を疑っているわけじゃない。どうにも格好悪くてすまない」

「殿下?」

 殿下にしてみれば、ギスカール師匠は、国の忠臣だし、私はまだ婚約者候補だ。変な噂が立てば、殿下にも傷がついてしまう。気にして当然なのかもしれない。

「余裕がないのは俺のほうだし、何もかも中途半端なのに、きちんと説明できていない。イシュタルが腹を立てるのも無理はないな」

 そう言えば、兄が話せないことがあるとかないとか言っていた。そのことだろうか。

「じゃあ、ベティ、今日はこの辺で。話せてよかった」

「ありがとうございます」

 塔の入り口までやってくると、殿下は踵を返して戻っていった。

 その後ろ姿を見つめながら、額に手をあてる。

『昔からベティにだけだから』

 幼い頃。殿下から誕生日プレゼントをもらう時、額にキスをされたことがある。親愛の情のこもった、家族のようなキスだ。殿下にとっては、あの頃の延長なのだろうけれど。

「もう子供じゃないのに……」

 私は騒ぐ胸を落ち着かせようと、しばらくそこに立ち尽くしていた。

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