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試験

 最初の障害は、それほど高くない。

 イチジクは、飛越が好きな馬だ。

 ハードルを前にしても臆することがなく、私が飛びたいと願うだけで、特に何をしなくても大きくハードルを飛び越えていく。

 進行方向を変え、速度を調整するにしても、イチジクが楽しんでいるのが分かる。

 もちろん、飛越ができるから、軍の行軍についていけるのかはまた別問題だ。馬を自分の意志で操ることができるか、という判断基準にはなるけれど、それ以上ではない。

 実際には、体力的な問題がある。イチジクは平気でも、馬に乗り続ければ、足の筋肉が悲鳴を上げるのは間違いないし、馬上戦闘ができるかどうかと問われれば、無理かもしれない。少なくとも私は剣術に関しては全くの素人だ。それに魔術はそれなりに勉強しているけれど、実戦でどこまで使えるのかは未知数である。

 二つ目の障害は、先程より高いハードルだったが、これはあまり難しくない。イチジクは難なく越えていく。難易度が高いのは三つ目以降だった。

 助走距離が短かったり、飛越の着地点が遠かったり、また、ジグザグに走ることを要求されたりと、イチジクの能力だけでなく、私の技量を試されるようになっていて、かなりの難コースだ。

 ちょっと障害が飛べれば納得してもらえると兄は言っていたが、最低でもこのレベルがないとダメだぞとの私へのメッセージなのかもしれない。

 普段は私に甘すぎるところがある兄だけれど、この試験は全然甘くない──兄はやっぱり、皇太子の優秀な側近なのだ。身びいきで、大局を見失うようなことはない。

 そもそも魔力は私の方が兄上よりあるみたいだけれど、戦闘の総合力から見れば、兄の方が圧倒的だ。

 そうでなければ、殿下の側近にはなれない。実戦経験はもちろん、兄は剣術も超一流で、『救国の魔術師の孫』という称号は、兄の方がよほどふさわしいのだ。私はとても兄と同じ土俵に立てていない。それは私が女で兄が男だからという問題ではなく、兄の資質の高さと努力の賜物だ。

 最後の障害に向かいながら、私は気を引き締める。

 今まで一番高いハードルを前に、イチジクはスピードを上げていく。疲労を感じさせない、力強い走りだ。イチジクはやる気にあふれている。

「ええ。飛ぶわよ」

 私はイチジクと一緒に、ハードルを飛び越えた。



「どうでしたか?」

 走り終えて、私はイチジクから降りて、殿下のもとへと向かった。

 障害はすべてクリアしたが、()()()飛び越えられたかは、ちょっとわからない。馬術は、障害をクリアするだけでなく、馬との一体感や姿勢も大事なのだ。こうした訓練で、美しく飛び越えることができるのなら、基礎がしっかりしているということになり、現実にある多少の障害も簡単にクリアできる。

 逆に安全な訓練で体勢を崩すようでは、技量なしと言われても仕方ないのだ。

「いや、思った以上の腕前で驚いた」

「だから申し上げたではないですか。乗馬だけなら、エリザベスの方が上手いと」

 兄はにやりと口の端を上げる。

「上手いってレベルじゃないだろう? 馬術だけなら騎兵としてやっていけそうなほどの技量を持っているじゃないか! なぜ、そう言わない?」

 殿下は声を荒げる。なぜか怒っているような気がするのは気のせいだろうか。

「エリザベスは陛下の御前で、乗馬のスキルだけなら教え長より自分の方が上と申し上げたと聞いてますけれど」

 兄は首を傾げた。

「長は老いたりといえども、歴戦の勇者でもあります。自分に自信がなければ、そのような失礼なこと、言上するわけがないでしょう?」

「……そうかもしれないが、お前たち兄妹は、秘密が多すぎる」

「秘密ですか」

 兄は苦笑した。

「妹はともかく、私はないですよ」

「……お前だって、魔力量は上限値越えじゃないか」

 殿下はハァッとため息をついた。

「その件に関しましては、公表すれば母が嫌がりますので。ご容赦を」

 とにかく母は、自分の子供が『救国の魔術師の孫』と呼ばれたくないのだ。それは『救国の魔術師の子供』と言われ、勝手に期待され、失望された過去からのものなのか、それとも『魔術師』そのものへの嫌悪感からなのかは、わからない。

「それに今更、私も上限値を越えているとなれば、公爵家はさすがに非難を受けましょう」

 詳細検査を受けなければならないという法律はない。基本、栄誉なことだとされていて、拒絶という選択肢を選ぶ可能性が低いからだ。

 とはいえ、塔に登録して発生する義務感を嫌ったとなれば、周囲の批判を浴びる可能性はある。

「そんなことはないだろう? 塔に登録されていなくても、公爵家として果たすべき責任は果たしているし、そもそもイシュタルは俺の側近で何度も遠征で武勲も立てているではないか」

 塔に登録されていなくても、ラクセーヌ家は公爵家だから、移動や婚姻に制限はある。側近として殿下とともに遠征もしているのだ。少なくとも、兄は果たすべき責任は果たしていると考えるべきだろう。

「でも、父はもっと早くに妹の詳細検査をしておくべきだったと考えているでしょう。あらかじめ塔に登録されていれば、エリザベスが防衛の魔法陣を任されても文句を言う人間はいなかったでしょうし、エリザベスも素直に引き受けたでしょうから」

「そうかしら」

 会議の時、父とは一度も目が合わなかった。私が合わせなかったというのも大きいけれど。

「娘を討伐隊に参加させたいと思う父親はいないからな」

 息子であるイシュタルについては仕方がないにせよ、娘は危険のない場所に置いておきたかったに違いないさ、と兄は続ける。

「父上は母上とは違う。魔術師を恨んでいるわけじゃない」

 もちろん、父も自分の子供を『救国の魔術師の孫』と呼ばせたくなかったようだが、それは母を見てきたからだ。母は祖父を恨んでいるところがあるが、父は義理の父である祖父を尊敬していると聞いたことがある。

「何にせよ、もう秘密はないだろうな?」

「少なくとも、我々兄妹が殿下に隠そうとすることなどありませんよ」

 兄は頭を振る。

「そもそも殿下の方が、妹に隠していることがあるのではありませんか?」

「俺は別に……」

 殿下が少しだけたじろぐ。その表情に少しだけ動揺があった。

「殿下のお立場ゆえ、言えぬことがあるのは承知してはおりますし、あえて話せとは申し上げません。ですが殿下がしっかりしないから、エリザベスが世間から誤解を受けている面がございます。それは兄として少し納得できていないと申し上げておきます」

 兄は何を言っているのだろう。

 私は何を誰に誤解されていると兄は思っているのか。思わず首を傾げ、兄の表情を読もうとする。

「今回、このまま討伐隊にエリザベスが参加するとなれば、エリザベスが無理に入り込んだと吹聴する輩が現れますよ」

「兄上!」

 私は思わず声を上げる。もちろん、そういう声があがるのは予想できるけれど、それは殿下のせいではない。私に人望がないせいだ。

「私は気にしません。ラクセーヌ家の家名に傷がつくとご心配なら、殿下の婚約者の候補から辞退します。そうすれば何も言われなくなるでしょうから」

 そもそも詳細検査を拒んでいたということを面白く思わない人はいるだろう。とはいえ、公爵家であるラクセーヌ家に面と向かって文句を言える人間はそうはいないだろうし、私の悪評? のほとんどは、皆が聖女であるマリア・エラヌ伯爵令嬢に同情してのことだ。彼女と争うようなことをしなければ──いやもともと争いなどしてはいないのだが──あえて敵対されることはないと思う。

「ちょっと待て。候補から辞退ってベティ、どうして」

「どうしてって、デルファス侯爵もおっしゃっていたではないですか? この討伐が成功すれば、聖女であるエラヌ嬢がどう考えても殿下の婚約者となります」

 辞退したいわけではないけれど、どのみち解消されるのならば、辞退した方が潔い。私にだってプライドはある。殿下から言い渡されるよりは、自分から退くほうが傷は小さいはずだ。

「ベティは俺のことが嫌いなのか?」

 殿下の表情が曇る。明らかに動揺した表情だ。

「まさか他に好きな男が」

「殿下。一度落ち着きましょうか」

 こほん、と、兄が咳払いをする。

「エリザベス、とりあえず討伐が終わるまでは解消のことは考えるな。今の段階でそのように騒ぐ輩は、危機的状況が見えていない阿呆だし、お前が行くことで、エラヌ嬢は対抗意識を燃やしてやる気になっているのだから」

「それは……わかりました」

 私の保身より、討伐隊を成功させる方が重要だ。何より、討伐隊が失敗すれば、それどころではなくなるのだから。

「殿下もエリザベスに馬車は必要ないことは、理解していただけましたよね? 」

「ああ」

 兄は改めて念を押す。

「では、この後の予定がおしております。エリザベスは私が塔に送っていきますので、殿下は──」

「ベティは俺が送る。イシュタルは、神殿に行って、そろそろ資料を提出するように催促してきてくれ」

「私なら一人で大丈夫ですよ?」

 距離はあっても、宮殿の敷地内での移動で、徒歩圏内なのだ。別に迷ったりもしないし、何かに襲われるような可能性は皆無に近い。それに殿下と二人だけで一緒にいるのは、規約違反だろう。

「イシュタル」

「承知いたしました」

 殿下は私の言葉を聞いていないかのように、兄に命じる。兄は、どこか呆れたような顔を一瞬みせたものの、何も言わずに一礼して走っていった。

「じゃあ、行こうか」

「でも、規約が」

 言いかけた私を見て、殿下は首を振る。

「あの規約はベティを制限するためのものじゃないと言っただろう?」

 私を制限するものではないとなると、エラヌ伯爵令嬢を制限するということになるけれど。

 そんな必要、あるのだろうか?

「……そんな不思議そうな顔をされると、かなりショックだな」

 殿下は大きくため息をついた。

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