望み
「しかし、殿下。ラクセーヌ嬢のことを大切に思われるのであれば、なおのこと討伐隊にお連れするべきではないでしょうか?」
口を開いたのは、軍務総長のデルファス侯爵だ。
赤い髪とその勇猛果敢な戦闘スタイルから、炎の軍神と呼ばれている。そろそろ四十歳に届くころだが、服を着ていてもわかる大きな胸筋と広い肩をしていて、年齢による衰えなどみじんも感じさせない。
「なぜだ?」
殿下は不機嫌そうに侯爵に問う。ひょっとしたら、侯爵は、私の参加に対して当初は否定的だったのかもしれない。
「今の段階で考えることではありませんが、この討伐が終われば、間違いなく、聖女どのを皇太子妃にと望む声が大きくなりましょう。神殿も当然、発言権が強まりますし」
なるほど。
確かにそうだ。
もともと聖女の方を推す声のほうが多いのだから、救国の聖女となれば、もう決定打だろう。
だけど。私も討伐隊に参加し、多少なりとも手柄を立てたとなれば、一縷の望みは残る。残る、けれど。
そんな気持ちでは、きっと足手まといにしかならない。そのくらいのことは、戦ったことのない私でもわかる。
「おっしゃるとおりですね。両親にはそのように言って、説得いたします」
さすがに皇帝に命じられれば、いかに頑なな両親と言えども、私の参加を止めることはないだろう。でも、なかなか納得はしないに違いない。
「ふむ。そのように話をすり替えたほうが、あの聖女はやる気になるだろうな」
陛下は満足げに頷く。
「ちょっと待て。ベティ、言うことはそれなのか?」
殿下はなぜかショックを受けたような顔をしている。
私の発言の何がいけなかったのだろう。
「殿下はご存じないかもしれませんが、ベスは類まれなる魔力を持ち、本人が望んでいながらも、その力を証明し魔術師になることを両親、特に公爵夫人に禁止されてきました。討伐隊に参加するとなれば、当然、反対されるでしょう。陛下のご命令であっても、何とか阻止しようとするかもしれません。公爵はともかく、公爵夫人は魔術師を憎んでいるふしすらございます」
師匠は苦い顔で言い添える。どうやら、私の言葉の補足をしてくれているようだ。
「申し訳ございません」
母は、私が魔術の勉強をすることを受け入れはしたものの、師匠へのあたりは強かった。師匠が公爵だったから、ぞんざいに扱うことはさすがにできなかったようだけれど。
「夫人は救国の魔術師の娘であろうに」
陛下は理解できぬというように、大きくため息をつく。
「ですからだと思われます。陛下。かの御仁は留守がちでした。体の弱かったご夫人はさぞご苦労なさったでしょう。またほぼ同時にご両親を亡くしたきっかけは、ドラゴン討伐といえなくもありません。しかも公爵夫人も現侯爵もまだ幼く、ずいぶんとたいへんな目に合われた。家族としては思うところがあって当然ではないかと」
長は遠い目をする。長は祖父とかなり親しかったらしい。それもあって、祖父の死後、侯爵家を随分と手助けしたそうだ。魔術師嫌いの母が、長の言うことだけには、耳を傾けるのはその時の恩があるかららしい。
「正直、ラクセーヌ嬢、あなたが、『皇太子妃の座』をちらつかせて公爵夫妻を説得するのも、悪手かと。本当にそう願っているなら、とっくにあなたの力を証明したでしょうから」
「……そうなのでしょうか?」
もしそうだとしたら、両親が何を考えているのかわからない。
殿下との縁談は、両親の意向だと思っていた。
「まあ、一理ある。ラクセーヌ公は、縁談にはじめはあまり乗り気ではなかったからな」
陛下はちろりと、殿下の方に目をやって苦笑したようだった。
「説得はこちらでする。出兵は三日後だ。余計なことを考えている暇はない。出立までの間、ラクセーヌ嬢は、塔で魔術師の資格を得るための手続きおよび、可能な限りの訓練を受けなければならないし、装備も必要だ。必要なものはこちらで用意するから、その間、そなたは宮廷に泊まりなさい」
「承知いたしました」
両親を自分で説得せずに済む──そう思うと、私は少しだけほっとした。
陛下との謁見が終わると、私は塔で魔力量の検査を受けた。
幼い頃から、夢にまで見た詳細検査の結果、私の魔力量は、現役の魔術師の中では、ギスカール師匠の次、亡くなった祖父とほぼ同じという判定だった。もっとも上限値を越えている人間そのものが、皇族を除けばほとんどいないのだけれど。
今まで検査を拒んでいたことで、塔の魔術師からいい感情は抱かれていない気がしていたのだけれど、判定結果は思いのほか歓迎ムードだった。これは私に期待してというより、偉大な祖父のおかげだろう。
「ベスは、救国の魔術師の孫だからな」
検査に立ち会った師匠は、結果に驚いた様子もなかった。
「結果も出たことだし、安心して討伐隊の会議に同席しなさい」
「でも」
まだ検査を受けただけで、細かな書類や手続きがまだだ。討伐隊の会議は、幹部クラスが出席するもので、いわば新兵の私が参加するのは何か違うように思える。
「書類はあとだ。ベスには私の補佐に回ってもらうから、作戦等も把握してもらわないといけない」
「はい」
長い行軍中は、師匠と言えども休む時間も必要だ。
指揮、指導はともかくとして、魔力が必要な面の補佐は私が担うということらしい。自信はないけれど、やってみるほかはないだろう。
とりあえず、魔術師のマントをもらった私は、ドレスの上にマントを羽織る。なんとも不格好ではあるが、ちょっと誇らしい。
マントの色は、魔術師の技量に合わせて違う。長と師匠は、黒。私は、藍色だ。色が濃いほど技量が高いとされる。ちなみに新人で藍色のマントを許されるのは異例のことらしい。
「思った通り、よく似合う」
「ありがとうございます」
この場合は、ファッション的に似合うという意味ではなく、私にマントの色が合っているという意味だろう。
それにしてもこうして師匠と並んで歩くなんて不思議だ。今まで師匠と授業以外で二人きりになることはほぼなかった。師匠と私の年の差はわずか五歳差で、お互いに未婚だ。人に見られれば、スキャンダルになりかねない。
はっきり言って、師匠は令嬢にとても人気がある。なんといっても公爵だし、整った顔立ちをしていて、しかも世紀の天才だ。思慮深い紳士でもある。モテない方がおかしい。
だけど、こうしてマントをまとっていると誰が見ても上司と部下だ。周囲の目に配慮する必要はない。
これは本当にありがたいと思う。私のせいで師匠の経歴に傷をつけるようなことはしたくない。
「とりあえず魔力があるという結果が出てよかったです」
まず大丈夫とは思ってはいたけれど、実際に結果が出るまでは、やっぱり怖かった。
「当然だ。これは公爵夫妻には内緒の話だが、イシュタル殿も実は塔に登録している。ベスには及ばないが、非常に優秀だ」
「え? 兄上が?」
そういえば、兄も魔力検査の時は、魔力吸収の魔道具をつけさせられたと言っていた。
「殿下の近衛に入るときに、詳細検査をしたんだ。本人の希望で、検査を行ったこと自体を秘密にしているが」
兄は、皇太子の最側近だ。剣術だけでなく、すべてにおいてテストを受けていて何の不思議もない。むしろ受けていない方がおかしい。
「それにどんな結果であっても、ベスなら防衛の魔法陣で指揮を執る立場になっても、誰も文句は言わない。なんといっても、お前は救国の魔術師の孫だからな。だいたい、ベスを教えているのは私だ。普段の魔力を見ていれば、どの程度の実力なのかは判別はつく」
「それは……」
いまさらそんなことを言われても、それなら「やっぱり討伐にはいきません。防衛の魔法陣の守護をします」は通らないのではないだろうか。陛下の前で、自分がそうするべきだと言ったのだから。
「とはいえ、討伐隊にベスが参加してくれるのは心強い。少なくとも聖女どのはベスへの対抗意識から真面目に討伐隊に参加するだろうから」
「戦場に行きたくないという気持ちは、当たり前の感情です。まして彼女の力は、戦闘向きではないです。使命感があって当然と考えるのは、勝手すぎると言われてしまえば、それまでだと思います」
「まあ、それはそうなのだが」
師匠は頭を掻いた。
もちろん、誰だって本当は行きたくない。それに、足手まといとわかっている人間を連れて行きたいわけでもない。
ごねられれば、腹が立つ気持ちもわかる。
「そもそも私はライバルだと思ってもらえているか謎です」
社交界では、彼女が皇太子妃になるとみなが囁いている。そこへ今回の討伐だ。討伐がうまくいくかは聖女の力にかかっている。私の力はスペアがいくらでもいるのだから、多少手柄を立てたところで、彼女の優位は動かないだろう。
「ベスは、何もわかっていない」
師匠は大げさにため息をつく。
「あれほどまでに明らかなのに、どうしてわからないのか」
「なんのことでしょう?」
師匠は何を言いたいのか全く推察できない。
「一を聞いて十を知る才女なのに、自分に関することだけが見えていない」
「私に関することですか?」
聖女が私のことをどう思っているかなんて、聞いたこともないし、考えたこともない。
「ベスの気持ちはわかりやすいから。討伐が終わるまでは、応援してやる」
「ええと。ありがとうございます?」
「ベスは、素直でよろしい」
意味が分からないまま、礼を述べると、師匠は私の頭に手を置いて、髪をくしゃくしゃとなでた。