真相
魔物の脅威にさらされていなければ、当然工兵の修復作業も早い。
また、最初に予想されたとおり、穴はそれほど大きなものでなかったこともあり、聖女の封印が有効である五日間で作業工程が済んだ。
ちなみに師匠の術は時間を延長するタイプの陣だったらしく、師匠が目覚めた後もしばらく続き、まる二日間、脅威のない状態だった。
安全地帯が確保されていて、しかも新たな魔物が現れない状態ならば、掃討も簡単だ。二回目の魔物除けの陣を必要とすることもなかった。
炎の迷宮遺跡の管理人であるミン・サーザント氏は残念ながら遺体で発見された。ただ、実際のところ、遺体の損傷が激しく、はっきり本人だとはわからない。死因も不明だ。発見された場所は、第一基地のあった場所。建物のほとんどは跡形がなくなっていた。もう一人、街道の反対側へ向かう、沢に抜ける道でこちらも死体で発見された。助手のドムラ・リンスと思われる。
ちなみに修復を担当した工兵の話では、迷宮遺跡の外から人為的に穿たれた穴の可能性があるらしい。自然に崩れたというには、穴が綺麗なのだそうだ。
事情は分からないが、管理人であるミン・サーザントは食堂だったと思しき場所で発見されている。
師匠によれば、ドムラ・リンスは、助手になって比較的新しかったらしい。守備隊のルキウスから見た限りは、特に仲が悪いというようには見受けられなかったらしいが、二人の間に何らかのトラブルがあったのか、それとも、まったくの第三者が関与したのかは、調査が必要かもしれない。とはいえ、第一基地はほぼ焼失しており、そちらの再建のほうが急務になるだろう。
山脈全体に散らばった魔物を全部退治した確証はないけれど、ちょうど後発隊がやってきたのを区切りとし、私たちは一旦、山を下りることになった。
「殿下。もう、私は歩けますので、どうかお気遣いなく」
目が覚めてから、殿下は私に対して、信じられないくらい過保護だ。確かにしばらくは少し貧血気味のような感じでふらふらしていたのだけれど、もう完全に復調している。
「しかし、まだ完全に復調したわけではないだろう? それに、馬に乗れば、どうしたって消耗することになるわけだし」
「ベス、諦めたほうがいい」
額に手を当てながら、師匠はため息をつく。
「状況的に仕方がなかったとはいえ、お前は死にかけたのだから」
「ですが──さすがに、殿下に背負われてというのは、臣下としてまずいのでは……」
戦いのさなかならば、話は違ってくるかもしれないけれど。
「それでしたら、私が背負いましょうか? 女神殿」
デルファス侯爵がにかっと笑う。
「……あの、侯爵。その女神という呼び方、なんとかなりませんか?」
目が覚めてからというもの、侯爵をはじめ騎士たちが私を『女神』呼びするようになってしまい、どうにも恥ずかしい。当たり前だけれど、山に入ってからお風呂に入っていないし、髪は切れたり焦げたりしていて、とてもその呼称に似合う姿をしていないのだ。
「いやあ、女神は女神ですし」
「女神さま、もしよろしければ私がお運びいたしますが!」
「いえ、私めが!」
侯爵の後ろから遠慮がちにルキウスが手を挙げると。次々に手が上がり始めた。
「ベス。収拾がつかないぞ」
くすくすと師匠が笑う。
「兄上!」
助けを求めて兄の姿を捜すと、兄は既に大きな荷物を背に背負っていた。
「悪いがエリザベス、殿下から私が持つようにと命じられている」
「先手を打たれたな、ベス」
師匠の言う通りだ。どうしても背負われろというのなら、私は真っ先に兄に頼る。それを見越してのことだろう。
「ベティ、諦めて俺に背負われろ。これは命令だから」
「命令ですか……」
随分と過保護な命令があったものだとは思うけれど。
命令と言われたら断れない。一度、深刻な軍紀違反をしている身だ。
私は渋々、殿下に背負われ、第二基地へと向かうことになった。
火の谷に散らばった魔物はあらかた片付けられていた。
「私はともかく、エラヌ嬢……いえ、マリアさんは平気ですか?」
殿下に背負われたまま、歩いている聖女に声をかける。
「往路と違って下りですから、大丈夫です。それにゆっくりですし……って、殿下。少し話しただけで睨むのやめてもらえませんか?」
背負われているから表情はよくわからないけれど。
殿下はエラヌ嬢、いや、マリアを敵視しているようだ。前はそんな感じはなかったのに。命を救ってもらって、親しくなったから?
「あの、殿下?」
「ベティがエラヌ嬢を案じているのが悔しい」
「ええと」
目が覚めてから。
彼女と私は友達になった。
彼女曰く、私は彼女の好きだった絵本のお姫さまにそっくりなのだそうで。
「まったく、殿下は全然王子さまとは違いますねえ」
マリアは呆れたようにため息をつき、殿下から離れていく。
「何の話だ?」
「殿下が嫉妬深いってことですよ」
ぴしゃりと師匠が決めつける。
「まあ、ベスは超鈍いから、そこまでやっても通じているかどうか微妙だとは思うのですが」
「ギスカール、お前な……」
「そんな顔で睨まなくても、周囲には通じていますから少しは安心なさったらどうですかね?」
そもそも婚約者でしょうに、と師匠は続ける。
「あの……候補ですよ。あくまで」
師匠の呟きに思わず突っ込む。
「それに──」
なんだか、私が気を失ったせいで訳がわからないことになっているけれど、もともと討伐前から、殿下の相手は聖女だという声の方が大きかった。
実際、殿下の命を救ったのも彼女だ。今はともかく、帝都に戻れば、その現実が戻ってくる。
「あのさ、ベティ。この期に及んで、自分は何の成果もあげてないとか、軍規違反だから公爵令嬢の座を追われるとか考えてないよね?」
殿下の声は、どこか怒っているかのように低い。
「ベティがあそこで無茶をしなければ、俺は死なないまでも、腕の一本は確実に失っていただろうし、そもそも騎士たちも魔術師たちも限界だった。それから、魔物除けの陣が、あれほどまでに有効だと示してくれたから、ギスカールも使う気になったし、結果として工兵たちの作業スピードも上がった」
「あの……では、許していただけるのですか?」
殿下の命令を聞かずに、術を発動させたのは、完全に約束違反だった。今に至るまで、殿下はそのことを責めたりはしていないけれど。
「許すも何も、あの時はベティの判断の方が正しかった。もっとも、ベティが無謀なことをしたのは確かだから、この結果が分かった上でも、俺はやっぱり許可しなかったとは思う」
「……はい」
普通、魔力を使い果たしても、仮死状態になるようなことはない。どちらかといえば、突然眠ってしまうというようなイメージだ。だが、あの後、私は明らかに呼吸が弱くなり、体温が低下したらしい。
「ベティが俺とイシュタルを守ろうとしてくれたのはわかっている。俺だけならともかく、あの時は、イシュタルも酷い状態だったから、いくら気丈なベティでも気が動転したのだろう。それにしても、勝手に後をエラヌ嬢に託すのはいただけない」
「殿下……」
当のマリア自身はその言葉を、『倒れてしまった私』のことと受け取ったみたいだけれど。殿下はやっぱり正確に私の意図を読み取っていた。
「ベティは討伐隊の人間からは既に神格化されているほど、崇拝されている。俺が手を放そうものなら、虎視眈々と狙っているから──なあ、ギスカール」
「放す気もないでしょうに」
師匠が呆れたというように肩をすくめる。
「ただ、殿下。ベスの顔を見ている限り、まだはっきりと確信をしてはいないようですので、帝都につくまでには、きちんとお話されることをお勧めしますよ。まあ、私は別にどちらでも構いませんけれど」
「ギスカール、お前な……」
殿下は不満げだ。
やがて、長く細い道を下ると、第二基地が見えてきた。




