決断
「そこ!」
兄の鋭い声が飛ぶ。
「イシュタル、そっちへもう一匹行った!」
今、最前線を支えているのは、兄と殿下だ。
魔術師としても剣士としても超一流である二人。師匠もそうだが、両方使えるというのは強い。さらにいえば、とにかく攻守ともにバランスが良く、戦線はかなり前進している。
炎虎をはじめ、魔術耐性の強い魔物も出始めており、だからこそ、魔術専門の私のような魔術師は、魔術の効く魔物の掃討と騎士たちの補助を徹底するしかない。少し歯がゆいけど、役目を果たすことが大事だ。
「光玉」
薄暗くなってきたので上空に光の玉を打ち上げる。
すべての魔物が夜目が効く訳でもないけれど、どちらかといえば、昼間の方が苦手な魔物の方が多い。
が、火の迷宮遺跡の魔物は、暗くても明るくても大きな変化はなさそうにみえる。つまり光によるアドバンテージは全くない。明かりをつけるのは、純粋に見えないと人間が困るからという理由だ。
そして魔物の骸を片付ける暇などないせいで、足場はどうしても悪い。
多くの魔物の骸は希少な資源だ。今私が踏みつけている火羊の炎袋には緋色の魔玉があって、火の魔術を誰でも使えるという魔道具に欠かせない。冗談ではなく、今回、倒した魔物の資源を全て取り出せれば、ちょっとした国家予算レベルになる。もちろん、今はそんな暇はない。
全てが終わるまでは邪魔な障害物だ。
炎虎が吠え、兄がその懐に飛び込みとどめを刺している瞬間だった。
突然、崖の上から真っ赤な炎の塊が走ってきて、兄の肩にとびかかる。
「兄上!」
兄は塊の勢いに押されて、地面に倒れ伏すのを目にして、呪文を唱えるのも忘れ、私の頭は真っ白になった。
そんな私の耳もとを何かがピリッと走り、髪がはらりと落ちる。
「ベティ! 危ない!」
状況を理解できない状態で、私の体は横倒しになる。倒れる瞬間に大きな手が私を包み込んだので、大地に打ち付けられた衝撃はなかった。
全身に、誰かの体の重みを感じた。暗い夜空が広がっているのが見える。温かな液体が頬をたどっていく。
「殿下!」
「エリザベス!」
デルファス侯爵と、兄の声。
兄は無事なんだと、私はぼんやりそんなことを想う。
倒れた私たちをかばうような騎士たちの気配。
「ぐっ」
痛みをこらえるようなくぐもった声だ。
ということは、私を抱きしめているのは。
「で……んか?」
「だい……じょうぶ……か?」
殿下は体を回転させ、私の上からゆっくりと離れた。
「殿下!」
殿下の右肩と頬から、真っ赤な血が流れている。顔が苦痛に歪んでいた。
「氷の刃!」
ザムスだろう。呪文が完成し、私と殿下を襲った炎の塊がどうと倒れた。
紅蓮豹だ。
紅蓮豹は火羊と一緒で、崖をものともしない。炎虎に気を取られている隙に横から襲撃を受けたのだ。
「殿下、下がってください!」
悲鳴のようにデルファス侯爵が叫ぶ。
「大丈夫……だ……深い傷じゃ……ない」
殿下は立ち上がろうとする……けど。膝をついたまま動けないでいる。
肩からの出血の量からみて、かすり傷のはずがない。
「嫌……」
私のせいだ。
私をかばわなければ、殿下はケガをすることはなかったはず。見れば殿下も、兄も血まみれだ。自分の首筋も少し生温かい。殿下の血なのか、自分の血なのか、よくわからなくなっている。
他の騎士たちも既に無傷の人間の方が少ない。
紅蓮豹は火羊とは違う。
殿下という支柱が負傷したこともあって、これまでで一番劣勢だ。
「油断するな! また来たぞ!」
ルキウスの声で我に返る。
崖の上に紅蓮豹の姿が見えた。呆けている暇などない。祖父ならば、いつだって冷静だったはずだ。
「ザムスさん。魔物除けの陣の結界内に、魔物が残っていた場合、一体どうなると思いますか?」
ずっと疑問に思っていたことを、今更ながらに聞く。
ザムスはその優秀さで、師匠の補佐に抜擢されている人だ。魔力量こそないが、理論には詳しい。
そもそも魔物除けの陣は結界を張り、外からの魔物の侵入を防ぐものだ。だったら、結界内に取り込まれた魔物はどうなるのだろう?
「……おそらくは、結界を張った術者より強い魔物以外は消滅すると思われます。もっとも、そんな状態で結界を張ると、術者が消耗が大きくなるのは間違いないかと」
「そう」
自分の魔力以上の相手は残ってしまうけれど、ある程度の雑魚はそれで片付くということだろう。
ただ、魔物が残ったとしても、新たな敵がしばらく来ないぶん、迎撃に余裕は出来るはずだ。術者の消耗が大きいというのは、通常必要な魔力以上に力を必要とし、場合によっては足りない魔力を術者の生命力で補おうとするという意味だ。それならば私だけの問題。今より状況が悪くなることはないとわかった。
「……ベティ?」
苦痛をこらえながらも疑念を抱く殿下の表情を見る。
「殿下、魔物よけの陣を張ります。あえて許可は求めません」
殿下の許可がなければ使わないと約束はした。けれどきっと反対されるだろう。殿下は心配性だから。
「ラクセーヌさま! さすがにこの状況では無謀です!」
ザムスが叫ぶ。
「殿下に何かあったら、討伐隊は総崩れになります! 迷っている暇はありません! ルキウスさんとデルファス侯爵は殿下を! ザムスさんは陣が完成するまでのフォローと、その後をお願いします」
「承知!」
「……駄目だ、ベティ……」
殿下のかすれた声が聞こえたけれど。
「責任はすべて私に。陣が完成したら、私のことは捨ておいてくださって構いません。どうか、エラヌ嬢にあとのことはお任せしますとお伝えください」
私は魔物除けの陣を描く。ノーマルな簡略版ではなく、範囲を拡大する陣だ。できれば時間を延長する陣も重ねたいところだけれど、この場でいきなりアレンジは無謀だろう。さんざん魔力を消耗した後でもある。そもそもこの術を使うこと自体、難しいくらいだ。
だけど。なんとしても、殿下に一刻も早く、聖女の治療を受けてもらわなければ。
エラヌ嬢ならきっと、殿下を救ってくれるはず。そして、できれば兄も助けてほしい。
「お姫さまは王子さまとしあわせになるのではないの?」
エラヌ嬢の言葉が思い出される。
「そうね」
思わず言葉が漏れた。
この討伐が終わったら、聖女がきっと婚約者に選ばれる。
最初からそうなる予定ではあったけれど、殿下の命を救ったとなれば、もう誰が見てもその座は揺るがない。キラキラと輝いていた彼女の姿は、神々しく、そして美しかった。誰が何と言おうとも皇太子妃にふさわしいのは彼女だ。
対して私は、総司令官の殿下の命令に背くという、軍紀違反をおかす──でも殿下がいなければ、討伐そのものが失敗になるし、何より私が殿下に生きてほしい。たとえ、隣にいることができなくなったとしても。
陣の線を描くたびに、体から力がごっそり奪われていくのがわかる。
ああ、そうか。だから私、追放されちゃうのかも。
思考力がだんだん鈍ってくる中で、集中しなくてはならないのに、とりとめのないことが浮かんでくる。
流行の悪役令嬢と違い、私は別にエラヌ嬢をいじめたりはしなかったけれど。殿下の命令に背いたのだ。これは完全にアウトねと、苦笑する。
でも、私は魔術師になった。
さすがに祖父みたいな英雄になることは無理だったけれど、満足してもいいかもしれない。家に帰ってもこんな姿を見られたら、きっと母に怒られるだけだから。
「魔物封じの陣」
最後の線を描きあげると、陣が大きく発光し、自然に足から崩れ落ちていく。声を上げたのは私なのか、それとも魔物たちの断末魔の絶叫なのか、もうよくわからない。
「ベティ!」
誰かのぬくもりが私を包んだ気がしたけれど──私は何もわからなくなった。




