出兵
その後、私は師匠に頼んで、長から魔物よけの陣の研究日誌を見せてもらうことになった。
長と師匠はこのあとまた、軍議に出ることになっている。とにかく忙しい。
「実は開発中のものが四種ほどあってね」
「四種類ですか」
陣の形が変われば、発動する魔術は少しずつ変わる。陣の形、呪文などが少しずつ変化させることにより、魔術はアレンジされていくものだ。
「大まかに言うと、ノーマルに陣を簡略化するもの、持続時間が長いタイプ、魔力を節約するタイプ、それから範囲を広げるタイプだ」
「全部一緒に出来たら最高ですね」
「そうだねえ。理論的には可能なのかなとは思うけど現時点では難しいかな」
長は苦笑する。
かなりの大技なので、簡単に使用実験することが難しい。
「そうなると、とりあえずはノーマルな陣を簡略化するタイプを頭に入れておくのがよさそうですね……」
「まあ、あまり気をつめないでくれ。私としては、それより、こちらの呪文に目を通しておいてほしい。どれも基礎的な呪術だが、細かく発動の仕方が違うから」
「わかりました」
長から机の上に置いてあった呪術書を手渡され、私は長の研究室を出ると資料室にこもって、研究記録と呪術書を読み始める。
長は基礎的なものといったが、知らない術もあった。
練習をする暇はほとんどないから、ぶっつけ本番になってしまうけれど、必要になる可能性もあるから頭に叩き込んでいくしかない。私は昨日魔術師になったばかりの新米だけれど、きっと周囲は、祖父の孫としての活躍を期待するだろう。完全にその想いに応えるのは無理だけれど、できる限りはがんばりたい。
私は時間がたつのも忘れ、何度も繰り返し読み続けた。
そして、あっという間に、出兵の日がやってきた。
日の出とともに城門が開くと、出立の号令が下された。
私はギスカール・クリッシュ主席宮廷魔術師が率いる、魔術師騎兵部隊として、先発隊の騎兵のすぐ後ろの隊だ。
私たちは機動力を生かして、今も最前線を守っている守備隊と速やかに合流することになっているため、出発そのものが殿下や聖女のいる本隊より早い。
先発隊を務めるのは、軍務総長のデルファス侯爵だ。
さすが炎の軍神と呼ばれるだけあって、そのたくましい体躯は安心感を与えてくれる。
報告によれば、まだ守備隊は火の谷で持ちこたえているらしい。
早ければ、明日の夕刻には合流できる。
ちなみに歩兵部隊と、先発隊では到着に最大で二日ほど違いがでるそうだ。
騎兵の速度は速く、とにかくついていくのがやっとだ。馬に乗れますなんて大見得を切ったものの、それはあくまでも乗馬ができるという意味で、防火の防護服を着た状態で走ることは想定外だった。しかし、先発隊の騎士たちは、私たち魔術師よりさらに重装備だ。私なら鎧を着ているだけで、体力を消耗して、息が上がりそうである。それなのに、馬の走行スピードはとても速い。
もちろん、先発隊の騎兵は、足が速いことが売りだ。だから当然ではあるけれど。
夕方の野営地についたころには、結構フラフラで足がパンパンに張っていた。
「やあ。ラクセーヌ嬢。ここまでついて来られるとは、正直驚きました」
イチジクを休ませて、食事の配給に並んでいると、デルファス侯爵に声をかけられた。
「恐縮です」
私は頭を下げる。
今日は戦闘などひとつもしていないのだから、ふらふらしているのはかなり恥ずかしいのだけれど、取り繕う体力もない。
「よろしいかな、ご一緒しても?」
「どうぞ」
配給食を受け取ったところで、侯爵は私の隣に座る。
おそらく他の兵だと、公女の私に遠慮して周囲に人が座りにくいというのもあるのだろう。
「疲れすぎて食事が喉を通らないかもしれませんが、明日以降は、いつきちんと食べられるか保証できませんので、しっかりお食べになってくださいよ」
「そうですね」
計算上、守備隊との合流は夕刻だが、それは戦線が今のままで維持されていた場合の話だ。守備隊が後退してきたり、仮に消滅などしてしまえば、早い段階で魔物との遭遇戦に入ることも考えられる。
「侯爵は、火の迷宮遺跡に行かれたことはあるのですか?」
「一応は」
火の迷宮遺跡は、探索の難易度が高く、あまり探査がすすんでいないとはいえ、何度も探索は試みられている。軍務総長である侯爵も探索経験はあるのだろう。
「祖父の話によれば、とにかく暑くてたまらないという話ですが」
「そうですねえ。暑いというか、熱いというか。迂闊に壁に触ることもできませんからねえ」
火の迷宮遺跡といっても、炎の中にあるわけではない。ただ、生息している魔物のほとんどが火をまとったり、火を吹いたりすることもあって、とにかく気温が高いらしい。当然、水路などあるわけもないから、水をどれだけ持っていけるかという問題にもなる。
「難易度的には、四つの迷宮遺跡の中で水の迷宮の方が一番低いでしょう。呼吸の問題さえクリアしてしまえば、魔物の攻撃力が低い」
「そういうものですか?」
「ただし、あふれた魔物を追跡、退治するとなると水の迷宮遺跡は川が多くしかも海にも近く厄介ですね。あちらこちらに散らばって洪水などの被害をもたらしかねない」
侯爵の言う通りだ。水を辿って拡散されると、帝国全土どころか、大陸全土に魔物が溢れる危険がある。
「いっそ、迷宮遺跡を全て閉じてしまえれば楽ですのに。でもたとえその方法がわかったとしても、閉じることはできないでしょうね」
「それはそうですな」
侯爵は楽しそうに笑う。
「人間は欲が深いですからな。迷宮遺跡で得られる資源を完全に手放すことはできんでしょう」
迷宮遺跡は帝国にとって脅威であると同時に富をもたらす資源でもある。魔物もしかりだ。
「そういえば、ラクセーヌ嬢、昨日の軍議はどうして来られなかったのですか?」
「え? 呼ばれていないからですけれど?」
侯爵に問われて、私は首を傾げる。
軍議があったのはもちろん知っているけれど、私はいわば師匠の隊の新米の魔術師の一人にすぎない。軍議に出たのは幹部クラスだけのはずだ。
「ですが、あなたなら出席しても誰も文句は言わなかったでしょう?」
「それはそうかもしれませんが……」
私は公爵家の子女であり、殿下の婚約者候補であり、救国の魔術師の孫でもある。私が努力で得たものは何もないが、肩書だけは立派だ。
「神官長がとにかくあなたの出兵を阻止したいらしくて、かなり高説をたれておりました。軍議を欠席するのはやる気がないせいだとかとにかくなんくせをつけておりまして」
侯爵はうんざりしたような顔をする。
「あなたが本隊に所属しないと言われたら、次は聖女の守備隊に配属されたイシュタルどのをやり玉に挙げようとしましてな」
「兄上を?」
そう言えば、兄は聖女の守備隊の一人に配置されたと聞いている。
「そこでさすがに皇太子殿下が激怒なさり、あまりのけんまくに聖女どのが泣き出してしまわれました。しばらく軍議が紛糾して話し合いどころではなくなりましてなあ」
「それは……さすがに神官長が悪いと思います」
私のことはともかくとして、兄を愚弄するのは許せない。兄にはきちんとした実績があるのだから。
「はい。ですから、あなたがあの場にいらしていれば、ああはならなかったと思いまして」
侯爵は苦笑する。
「でも私がいたとしても同じではないでしょうか? 私が軍議に出席したら満足というわけでもないでしょうから」
私は思わず首を傾げる。神官長は私が前にいても敵意を隠したりはしないだろう。
「しかし、さすがに救国の魔術師の孫であるあなたに対して、遠慮をなさるのではないでしょうか?」
「それはどうでしょう? そもそもイシュタル殿も救国の魔術師の孫です。魔術師かどうかはおくとして、実績だってある」
不意に背中の方から声がして見上げると、師匠が配給の食事を持って立っていた。
「師匠?」
「失礼、話が聞こえたもので。隣に座っても?」
私と侯爵が頷くと師匠は侯爵と反対側の隣に腰を下ろした。
「クリッシュ公爵?」
「あの程度で済んだのはあの男にとって幸いでした。あの場で命日になっていたとしてもおかしくなかったと思いますね」
「ええと?」
なんだか物騒な話になってきた気がする。
「ベスは当初から、エラヌ嬢とは離れたところに配置するように殿下に申し出ているし、今回、殿下が自分より聖女を優先することをきちんと理解していることは、侯爵もご存じのはずです」
「そうですね」
最初に討伐隊に参加すると言った時のことだろうか。
「つまりあの男が主張した全ての疑念、不安そういったものは、最初からベスにはわかっていることです。当然、我々も知っている」
ああ、なるほど。つまり、彼は私が聖女が救世主になろうとするのを阻止するとか、婚約者候補にしがみつくために討伐隊に参加したと考えているのだろう。
「ですが考えてもみてください。そもそもベスもイシュタル殿も、公爵家の人間です。さらにベスに至っては、昨日、上限値越えの魔術師であることがわかりました。本来なら、神官長といってもいちゃもんをつけられる相手ではない」
「……ええと」
どうやら師匠はものすごく怒ってくれているようだ。
「殿下が激怒したからこそ、私も長も……それから陛下も落ち着くことができました。イシュタル殿に至っては、ベスの悪口を聞いている間、怒りのあまりに魔力が漏れ出て、彼の足元にうっすらと薄氷が張っていたくらいですから」
「それは、なんだか大変なことが起こっていたのですね」
そもそも兄や殿下がそんなに怒るってこと自体、想像ができない。
「まあ、なんにせよ。軍の進軍についてくるラクセーヌ嬢を見ていると、世論などひっくり返したいと思ってしまいますね」
侯爵はにやりと口の端をあげる。
「ひっくり返りますよ」
師匠は同意する。何がどう、ひっくり返るのだろう。
「まずは氷の公女という二つ名の意味が変わるはずです」
師匠はそう言って、固いパンを口にした。




