日記
兄の言った通り、用意された部屋に行くと私専属の使用人であるサラが待っていた。宮廷に宿泊するための用意のほか、出兵に必要な荷物も整えてきてくれたらしい。
それにしても用意が速い。
出兵の話が決まったのは、今日の話なのに。
「有事にすぐに動けるようにするのは、貴族としての嗜みと奥さまが」
兄から聞いた通り、皇帝から話が来ると母はすぐにサラに用意を命じたらしい。
「そう……よく考えたら、そうなのかもしれないわ」
国の危機となれば、ひとまず自分の気持ちは置いておくとして、自分の出来ることは早急に対処すべきという心構えを私に叩き込んだのは母だ。
今回私が出兵を決意したのも、母の教えが根底にあったからともいえる。
「サラ、いろいろありがとう。今日はもう休むわ」
身を清めると、私はサラに下がるように言って、ベッドで祖父の日記を広げた。
日記は本当に私的なもののようだ。
夕食に入っていたブロッコリーが憎いとか書いてあるだけならまだしも、どこそこの令嬢に言い寄られて妻に疑われて迷惑した、なんて話まであって、あまり公にするべきではないと叔父が思うの無理はない。
「お爺さまは、お茶目なかただったのね」
母も叔父も祖父のことをあまり話してくれたことがない。
会ったことのない祖父は、既に伝説のようになっている。ひょっとしたら、世間のそのイメージを壊すことを恐れているだろうか。
日記から垣間見える祖父の人柄は、ごくごく普通の人で、なんだかうれしかった。
「いけない。ちゃんと読まないと」
今回は叔父がある程度読んで該当箇所にしおりを挟んでくれているので、とりあえずはそこだけを読もうと兄や師匠と決めたのだった。
ちなみに叔父は、魔力は祖父より少ないとよく言われているが、マントでいったら、青より一段階低い濃い緑にあたる。一般検査の上限値越えはしていないけれど、知識も高い。
だから叔父が重要だと思ったのであれば、それはきっと重要なことが書かれているのに違いないのだ。
「風の迷宮遺跡か……」
祖父にとって二回目の迷宮遺跡の討伐は、早期の対策が上手くいって、それほど大きなものにならなかったと聞いていた。
ただ、日記によれば、土の迷宮の時の聖女より、力が劣るため、迷宮の破損個所まで接近する必要があったらしい。
幸いというべきか、聖女は非常に活動的で、馬はもちろん剣術の心得もあった。戦力として計算できるほどではなかったが、そこまで足手まといだったというわけでもなかったらしい。
とはいえ、聖女の力の違いは大きく、祖父たちは随分と『聖女の力』をできるだけ必要としないためにどうすればいいか模索していたようだ。
なんにせよ、一番大切なことは、聖女が迷宮遺跡にたどり着くまでの時間を極力短縮する必要があり、祖父は、聖女にも最低限の乗馬訓練、剣術などを教えるべきではないかと、日記に記している。
「ああ、だから、母も私も馬術を習っているのね」
もちろん領主たるものそうあるべきというのも事実なのだろうけれど。
「でも今更、エラヌ嬢に馬に乗れるようになれというのも無理だわ」
出兵まで時間がない。練習する時間すら取れないだろう。
祖父は公式の報告には、聖女の乗馬訓練の必要性を訴えはしなかったのかもしれない。その時の聖女は馬に乗れたのだし。
「それを言ったら、私も戦場で役に立てるのかは未知数よね」
私は兄とは違う。馬には乗れるし、魔術の心得も多少あるけれど、剣術は全く使えない。
聖女ではないから、役目は全然違う。
私は魔物を倒し、聖女を守る立場だ。スペアのいないエラヌ嬢とは違うから、最前線に立つ必要はないかもしれないが、逆に誰かに守られることはない。
「魔物よけの陣の活用法か……」
リスクが大きい術のため、討伐隊で結局は使われなかったようだが、祖父は何度も使用すべきか迷っている。少なくとも、修復作業中なら、使うべきではなかったのかと考えていたようだ。
そして、大地に描く陣の形を改良できないかの研究もしたいとあった。
「……これは長か師匠に聞いてみたほうがいいかしら」
従来の陣の形では、とにかく複雑すぎて、戦闘中にできることではないようだ。
「とりあえず今日はここまでにしましょう」
私は日記を閉じ、そっと目を閉じた。
翌朝、朝食を兄と師匠、それから殿下と取ることになった。
私はドレスではなく、動きやすい乗馬服を着て紺色のマントを羽織ることにした。
髪はサラに教えてもらって、ポニーテールにした。さすがに討伐隊にサラを連れて行くわけにはいかないから、髪くらい自分で整えられないと困る。
「おはよう、ベティ」
食堂に行くと、殿下が私の手を取って席までエスコートをしてくれた。兄と師匠は既にテーブルについている。
祖父の日記についての報告のために、急きょセッティングされたはずだが、さすが宮廷で出される料理にそつはない。それほど豪華というわけではないけれど、焼きたてのパンは、とてもおいしそうな香りだ。
「ダン・スルバス侯爵の日記があったと聞いているか?」
テーブルに着くと殿下が口を開いた。
「私は火の迷宮遺跡そのものに潜った時の日記を拝見させていただきました」
師匠が口を開く。
「スルバス侯爵は火の迷宮遺跡はその暑さに辟易していたようです。飲料水は余分に用意をしましたが、それでも足りないかもしれません」
屋外と迷宮内では条件は違うものの、火の魔物と相対すれば、気温は当然上がってくることが予想される。
「そうだな。デスラート山脈の付近は川はあっても水量が少ない。下手をしたら干上がってしまう危険もあるな」
殿下の顔は険しい。
現地で補給できることを当てにしていくのは危険だ。
「読んでいて感じたのは、とにかく暑さ対策です。気温が上がり、乾燥すれば木々も発火しかねません。ベスはとりあえず、氷雪のような氷の魔術を積極的に使用して、大気の温度を下げるのに集中させようと思っております」
「氷雪ですか?」
「ああ。できるだけ広範囲で。大気の温度を下げれば、火の魔物の攻撃力は下がるし、物が燃焼しにくくなる。何よりも暑いと兵がバテる」
つまり直接的に魔物を倒さなくても、私が役に立てると、師匠は言ってくれているのだ。
「氷の魔術を使える魔術師は少ないし、そもそも、魔物と相対しているとそんな余裕はなくなるから、それはいいかもな」
兄が横から口を添える。
「とりあえず、進軍途中のスマ川で水を常に確保させるように手配しておく」
「それがよろしいかと」
師匠が頷く。
「イシュタルは?」
「土の迷宮遺跡は、地形変化のせいでとにかくたどり着くまでに時間がかかったようですね。聖女の力で封印はしたものの、修復のための物資が届かずかなり苦労したようです」
「ああ。それは知っている。そのあと、工兵と工兵が使う物資も生命線と考えて優先すべきだという規定になった」
「やはりそうですか」
殿下の言葉に兄は納得して頷いた。
「ベティは?」
「魔物除けの陣を改良すべきだという記載がありました」
「魔法陣の改良?」
殿下が首を傾げる。
「はい。戦闘中に描くには現実的ではないらしいです。研究しなくてはと感じられたようです」
「ギスカール?」
殿下が師匠の方を見る。
「教え長が研究を引き継がれ、だいぶ改良はされたと聞いております。ただ、現実問題として使えるかどうかは微妙だと、この前も長がおっしゃったとおりです」
師匠は困ったように苦笑した。
「でも、まあベスが興味を持つのもわかるから陣自体は覚えておくといい」
「おい 、ギスカール」
殿下は困惑の表情を浮かべる。
「修復作業中なら、思い切って使うのも考え方です。ただし使用の決定権は殿下にあるとしましょう。それでいいな、ベス」
「ありがとうございます」
私はそっと頭を下げた。




