兄妹
叔父が帰ると日記を三人で分けて読むことにして、私は兄と一緒に宮殿に戻ることになった。
外はすっかり暗くなっている。
「お前の荷物は、サラが用意して持ってきたと聞いている」
「兄上はどうなさるのですか?」
私は宮廷の客室に泊まることになっているけれど、兄は屋敷に戻るのだろうか?
「私は明日の夜一度戻ろうと思っている。出兵用意もあるしな」
「私は本当に戻らなくていいのでしょうか?」
陛下は出兵まで屋敷に戻らなくていいと言ったが、本当にそれでいいのかという迷いはある。もっとも、帰りたいかと言われたら、帰りたくないのだけれど。
「お前は帰らない方がいいだろうな」
兄は首を振る。
「母上はともかく、父上はお前を閉じ込めてでも行かせたくないだろうから」
「父上がですか?」
両親が反対することは何となく想像ができるけれど、より反対するのは母のような気がしていた。
「ああ。サラの話では母上は意外と冷静だそうだ。『あの子は祖父そっくりだから』と言ったらしい。イチジクを宮廷によこしたのも、母の指示らしいから」
「……そうなのですか?」
意外だった。
「母上は、お前がかごの鳥でいられるような性格ではないとずっとわかっていたのだろうな。できれば、かごの中にいてほしいと考えてはいたようだけれど」
くすくすと兄は笑う。
「正直、父上は溺愛するあまり、お前自身を見ていなかったと思う」
つまり父は、私をか弱くはかないものだと思っていたらしい。というか、だからこそずっと守るべきものと認識してくれていたのだろう。
「しかしまあ、父上としては、どちらかといえば文官を輩出してきたラクセーヌ公爵家の子供が二人も討伐隊に参加するとなって、混乱するなというのは無理なのだろうが」
「それはそうでしょうね」
兄のことは覚悟をしていただろうけれど、娘の私まで魔術師として参加すると決まったと聞けば、親として複雑だろう。
「そう言えば兄上。どうして、私にも、魔術師になったことを黙っていたのです?」
ギスカール師匠はああ言ったけれど、やっぱり私にだけは話してほしかったと思う。
「だって、そうしたら、お前は絶対に詳細検査を受けたいと思うだろう?」
「それは……」
そうかもしれない。同じ魔力吸収の魔道具をつけて検査し、兄の方が測定値が低かったのだから、自分は……と、絶対考えたとは思う。
「正直、受けさせたいと思ったし、父上には以前からお前に検査を受けさせるべきだと言っていた。高い魔力を持っていることは、令嬢として決してマイナスにはならないってね」
塔に登録すれば、確かに塔の命令に従う必要は出てくるけれど。
高い魔力を持つ女性ならば、それだけで政略結婚には有利にもなることもある。それにいくら塔でも、公爵家の令嬢に出兵しろと命じることはできないはずだと兄は続ける。
「実際、教え長たちも、お前を討伐隊に参加させる気はなかっただろう?」
「そうですね。私が志願したようなものですから」
もちろん、長も、師匠も、私ならきっと志願するだろうと考えてはいたようだが、あくまでそれは想像していただけにすぎない。
「まあ長たちにとって、盲点だったのは、聖女の使命感のなさだったようだな。彼女を奮い立たせるには、エリザベスが参加するというのが一番簡単な方法で、お前を思いとどまらせるわけにはいかなくなった」
「使命感のなさ……彼女も大変ですね」
好きで聖女の力に目覚めたわけでもないのに、国の存亡の危機をその肩に勝手に背負わされて気の毒だと思う。
「エリザベスは信じがたいほど、聖女に同情的だな」
兄はあきれ顔だ。
「彼女はお前の恋敵ではないのか?」
「それは、そうなのでしょうけれど」
もちろん彼女がいなければ、候補という言葉はとっくにとれて、私は殿下の婚約者になっていたはずだ。
でも──。
「アラン殿下に自分がふさわしいかどうか、もともと自信などありませんから」
殿下の婚約者ということは、ゆくゆくは皇太子妃、そして皇后になるということだ。社交性の乏しい私に、それができるのか疑問だ。
「殿下にふさわしいかどうかは、殿下が決められること。エリザベス自身がどう思うかは別だろう?」
「私には……わかりません」
思えば、一番なりたいと思っていた魔術師の夢を母に否定されてからというもの、今までずっと何一つ自分で決めたことのなかった私だ。殿下の婚約者にはなりたかったけれど、自分がなりたいと言って候補に決まったものでもない。
「母上のせいだな」
兄が戸惑う私を見て呟く。
「感情を顔に出すな、心を揺らすなと言いすぎなんだ。真面目で感性が豊かなのはエリザベスの美徳だったのに」
「兄上?」
「幼い頃のお前は顔に感情がですぎて、母上は心配だったのだとは思うけれど、あまりにも冷静さを強要したせいで、エリザベスは自分の気持ちが一番後回しになっている」
そうなのだろうか。
「ただ、聖女に対して敵意をむき出しにしろといっているわけではない。私から見れば、エラヌ嬢のほうも、エリザベスに不思議とそこまでの敵意を持っているようには見えないからな」
そう。規約のせいもあるだろうけれど。私たちは不思議と世間で思っているようなキャットファイトを繰り広げたことなどない。
「エリザベスに敵意を燃やしているのはどちらかと言えば、あの神官長だな」
「そんな気がしますね」
イチジクを供出しろとか言ったのも、ひょっとしたら、私より聖女の方が上だとマウンティングさせたかったような気がする。
「神官長は焦っているのさ。ここのところ、聖女は皇族に嫁いでいないからな」
「そう言えば、そう聞きますね」
皇族との年齢のこともあって。聖女は皇族に嫁ぐのは慣例と言われる割には、ここ三代ほど皇族には嫁いでいない。
「できれば、自分の息のかかった聖女を皇族にして、政治的な力を手に入れたいのだろう」
兄の言う通り、あの神官長はそんなことを考えていそうな気はする。
「でも、仮にエラヌ嬢が皇后になったとして、彼女は神官長の操り人形にはならない気はします」
「へぇ。エリザベスはそう思うんだ?」
「はい」
彼女は幼く、わがままかもしれない。
が、それゆえに、神に心酔しすぎているわけでもなければ、自分の意志を持たない弱い人間ではないように見える。
決して、神官長の意のままに動く人間には見えなかった。
「弱みの一つでも握られれば話は別でしょうけれど、彼女は信仰を盾にされても、たぶん『それなら嫌』と言いそうに思います」
「それ……褒めてはいない気がするけれど、確かにそうだな」
兄は苦笑する。
「彼女は常識とか世間体とかあまり気にしないところがあるかもしれない。そう考えると、あの神官長は人選を間違えたな」
「残念ながら聖女は神官長が選ぶものではありませんからね」
聖女の力は神が与えるものとされていて、誰が選ばれるか法則性というものは明らかになっていない。魔力のように、はっきりと遺伝性があるものではないのだ。
一時代に一人というような話もあるが、一人選ばれている間は、あえて神殿が探していないだけという説もある。
「ひょっとすると世間が思っているよりも私は、彼女のことが好きなのかもしれません」
「まあ、エリザベスの周りには全くいないタイプだな。彼女はお前に期待したり、賢いことを要求したりはしないな」
「そうですね」
彼女は私が公爵令嬢としてあるべき姿を求めていない、ある意味では唯一の人物かもしれない。
「ライバルとかではなく、できればお友達になれるといいのですけれど」
「気持ちはわからなくもないが、なんだか殿下が気の毒に思えてきたよ」
どうして殿下が? と思ったが、さすがに口に出すのははばかられた。
「さて。日記を読むのも大事だが、とりあえず早く寝ろよ」
「ええ。兄上も」
私が泊まる客室のある建物が見えてきたところで、兄は手を挙げる。
夜風がそっと木の葉を揺らす音がした。