74.ただそうせずにはいられなくて
「はい」
数秒の沈黙を経て、ユリエナは答える。それほど大きな声ではないのに、ジンレイ達の耳には痛い程はっきりと届いた。
ユリエナを中心に魔法陣が展開される。式魔王級の巨大魔法陣が黄金色の輝きを帯びて現れた。そこには本職のリンファが見ても解読不可能な、複雑な術式が描かれている。
これが、太陽を生み出す魔法術式。
光神と神子を囲い込むようにして、魔法陣から光のヴェールが伸びる。
それはアズミによると、太陽創生魔法の起動中に何人たりとも干渉できないよう、神子を守るために形成されるのだという。確かにそのヴェールは神子であるユリエナと部外者であるジンレイ達とを遮る、障壁のように感じられた。
彼女はイリシスの御言葉に従って、何かを唱え始めた。ジンレイにはよく分からないが、きっと太陽創生魔法の発動詠唱なのだろう。
それが唱え終われば〝太陽の儀式〟は完了し、新しい太陽が創生される。
そうして、またグリームランドに百年の平穏が訪れるのだ。
〝太陽の神子〟の――ユリエナの生命と引き換えに。
「…………ユリエナ」
こんな時に、いやこんな時だからか。無性に学修院時代の記憶が蘇ってくる。
学修院に入ったばかりの頃、ユリエナはよくジンレイのそばにいた。以前に一度、道に迷ったところをちょっと助けたことはあったが、それだけの面識しかないと思っていた。それなのに何故か親しげに話しかけられたのを覚えている。
追々彼女が王女であることを知ったジンレイは、大方王女様だけに他に知っているやつがいないのだろうと思った。それなら友達ができるまでの間は近くで面倒を見てやろう、とも思った。
しかし、それはジンレイの勝手な思い違いで。
ジンレイの気遣いを他所に、彼女はあっという間にたくさんの友達を作った。加えて、なるべく他人を頼らないように努力もしていた。実際にジンレイが手を貸した回数は数える程しかない。
それなのに、彼女はジンレイのそばを離れなかった。遊び仲間のキルヤもいつの間にか彼女を受け入れ、三人で行動することが当たり前になっていた。
それからだ。ユリエナがある日突然、いつどこで知り合ってきたのか『新しい友達』を連れてくるようになったのは。
それは三回あった。
一人目は、容姿端麗、成績優秀、けれど突き放すような冷たい言動で人を寄り付かせなかったリンファ。
二人目は、大人も羨む武人の体躯と落ち着き払った性格から、良からぬ噂を立てられ周囲の人間に距離を置かれていたワモル。
最後は、名家の生まれを引け目に感じ自分のことを直隠しにして、思うように人と接することが出来ずにいたアズミ。
彼らは三者三様に有名人だった。ユリエナはそれを知ってか知らずか、半ば強引に彼らを連れてきたのだ。
彼らとて同じ城下街の子供。ジンレイもキルヤも初対面というわけではない。……わけではないのだが、こうして連れだって過ごす日が来るとは夢にも思っていなかった。
だって考えてみてほしい。没落貴族の長男に、技術屋の跡取り息子、魔術士志望の天才少女に、武道家の申し子、それに高名魔導士の愛娘が、仲良く一緒に遊んでいる光景なんて一体誰が想像できただろう。
生まれも育ちもまったく違う。ほんの一時行動を共にしているだけでも、正直不思議なくらいなのに。
けれど俺達はいつも一つだった。
――ユリエナという太陽の下に。
彼女の陽だまりのような笑顔と優しさに惹かれて、俺達は集った。
〝太陽の神子〟として太陽になる前から、ユリエナはとっくに俺達の太陽だったんだ。
「――――っ!」
想いが弾けた瞬間、ジンレイは駆け出していた。
――俺達の太陽を失いたくない。
グリームランドの人間が太陽の下でしか生きられないように、俺達だって彼女なしで生きていくことなんて出来ない!
「いけません! 光の壁を抜けることは誰にも――」
「駄目っ! ジンレイ!?」
アズミが叫ぶ。ユリエナも詠唱を中断して顔を上げた。
だがジンレイは止まらない。阻まれるならば壊す覚悟だった。
しかし光の壁はジンレイを拒まなかった。
この場にいる誰もが、イリシスさえも驚愕の表情を浮かべる。
「あ、ありえない……。どうして……?」
「嘘、でしょ……」
ユリエナも目の前で起こったことが信じられず愕然とする。当の本人は光の壁をすり抜けると、構わずユリエナの前に立った。
「…………何が『笑顔でいられるように』だ」
「え?」
顔を伏せるジンレイから絞り出された低い声。押し殺したその声は、微かに震えていた。まさか泣いているのだろうか……とユリエナが躊躇いがちに手を伸ばした、瞬間。
「――意地張ってんじゃねぇよ!」
「!?」
突然怒鳴ったジンレイに、ユリエナは一瞬委縮するが、負けじと声を張り上げる。
「い、意地なんか張ってないよ! 私は本当にっ――」
「嘘つくな!」
「嘘じゃないよっ!」
「じゃあ……、じゃあなんで泣いてんだよ!」
「っ――!!」
ユリエナはとっさに目元を覆う。しかしジンレイに見られてしまった以上、もう遅い。遠目では気付かれることのなかった彼女の涙も、手が届くこの距離ならはっきりと見えてしまう。
「ほんとは死にたくないんだろ!? おまえが生きてきた十六年は、神子に選ばれて『はいそうですか』ってあっさり捧げられるような、そんな軽いもんじゃないんだろ!?」
「…………っ、わ……」
「本当の願いはなんだよ! 太陽になることか? 違うだろ! ユリエナがいつも心から願ってたのは、もっとちっぽけで、もっとありふれた願いなんだろ!?」
「……わ、……っ…………わた、し……」
何度も何度も、ユリエナの口が開閉する。
――みんなと一緒にいたい。これからもずっと、みんなと共に生きていたい、と。
しかし、胸の内にあるその想いを言葉にすることは許されなかった。それを告白することは即ち、グリームランドに生きる全ての人間を裏切ることであったから。
切望と使命の間で激しく葛藤する彼女は、言葉の代わりに涙を浮かべた。溢れる雫は頬を伝い、ぽたぽたと落ちていく。太陽の生贄になるか、己の願いを取るかという残酷な選択に迫られ苦悩する彼女を、ジンレイは優しく抱き寄せた。
「…………ジン、レイ?」
「本当はさ、ずっと言いたかったんだ。俺等の前では無理しなくていいんだよって。王女でも、神子でもなく、ただ一人の友達として、ありのままのユリエナでいればいいんだよって。つらい時や苦しい時は迷わず俺等を呼べばいいんだ。そしたら必ず駆け付けるから。何があっても絶対一人にしたりしない。――親友ってそういうもんだと思うぞ」
「……う、うう、……うわぁあああん……っ、うわああああああ……」
ユリエナがジンレイの腕の中で堰を切って泣き出す。
その様子を、リンファ達も魔法陣の外から黙って見守った。
「ユリエナは、グリームランドを救うことで俺等の未来も一緒に守ろうとしてくれてるんだよな。……でも、考えてもみろよ。おまえを犠牲にして得た世界で、俺等が笑ってると思うか?」
「っ! それ、は……」
「――俺はさ。たとえグリームランドを敵に回すことになっても、ユリエナに生きててほしい。何があっても護るから。俺が絶対、護ってみせるから」
きつくユリエナを抱き締める。ユリエナは嗚咽に混じってジンレイの名を呼んだ。
と、そこでリンファが一歩前へ出て。
「こらっジンレイ! 何あんただけかっこつけてんのよ!」
魔法陣の外から怒声を飛ばした。
ジンレイは自分が何を言っているのか、自分なりに理解しているつもりだ。だからグリームランドに生きる彼女達がジンレイの問題発言をどう受け取るか、覚悟は出来ている。
しかし、振り返った先には――笑顔があった。
「俺達でしょ? 一人で勝手なこと言ってんじゃないわよ」
見ればアズミも、ワモルも、キルヤも、同じく笑みを浮かべていた。
ジンレイが世界よりユリエナを選んだように、彼らもまた選んだのだ。
「だってさ、ユリエナ」
「みんな……」
戸惑い揺れるユリエナの瞳に、四人は深く頷いた。
みんな気持ちは一つだ。
あとはユリエナが決めるだけ。生きたいと望めば、五人が命を懸けて護ってみせる。
けれど、ユリエナはジンレイの腕をほどいて言った。
「ありがとう、みんな。……ほんとは死にたくないよ。日が昇った世界で、また昔みたいにみんなと一緒にいたい」
「じゃあ――」
「でも。この惑星の人達を見捨てて生き延びるなんて、私には耐えられないっ……!」
彼女はジンレイ達の返答を待たず、詠唱を再開した。
「ユリエナ――!?」
「本当にありがとう。最後の最後まで、こんな私のために……。みんな、大好きだよ!」
儀式を押し進めようとするユリエナ。
もう一切耳を傾けるつもりはないのだろう。胸中の想いがどうであれ、最終的に彼女は使命を全うすることを選んだ。
「ユリエナっ!」
ジンレイはとっさにユリエナの手を掴む。
彼女をここに繋ぎ止めておきたくて。
空なんて遠い場所に行ってほしくなくて。
それが叶うはずもないのに、ただそうせずにはいられなくて、彼女の手を握り締めた。




