49.声 & 50.この時力になるために
膨大な闇の力が古城に発生した。その波動が遥か遠くまで広がっていく。
ググッ……
古城周辺の岩陰。何かがもぞもぞと動き大地に擦れる音がそこかしこから聞こえる。
グルル……
それは『声』なのか。やがてそこに、二点の紅が光った。
魔導士とは悪魔を使役する者である。
魔界に充満する闇の力を変換し物理法則に干渉することで超人的な力を得る魔術士とは似て非なる存在。彼らは魔界の生物をこちらに喚び出すことで力を直接拝借する。
式魔召喚には悪魔との契約が不可欠だが、それには悪魔側の同意が必要となる。魔導における最大の難点はそこにあった。
悪魔は生来、悪魔との関わりが深い血統の魔法力を好む。魔導士を先祖代々受け継いでいる家系の者は悪魔からの承諾を得やすいということだ。詰まる所、天性の気質が大きく影響してくる。平凡な生まれの者に会得は難しいのだ。
その関係で、魔導士の資格取得は最も困難と言われている。
無論、問われるものは魔法力の質だけではない。悪魔にも自我がある以上、より人格の優れた主を選ぶ。特に悪魔王ともなると、その審判は難航を極める。魔界の門前で悪魔王と対峙し、主として認めてもらうだけの意志と覚悟を示さなければならない。失敗すれば、現世への帰路を見失い、魔界を永遠に彷徨う事態になる危険もある。そうなれば現世で目覚めることは二度とない。悪魔王との契約は、自らの命を賭す覚悟がなければ絶対に出来ないのだ。
弱冠十五歳にして偉大なる式魔王を使役するアズミだが、彼女は代々高名な魔導士の血を引いており、幼い頃から悪魔に触れていたという極めて貴重な経歴を持つ。才能的にも人格的にも優秀な彼女は、学修院時代、既に小魔を召喚できるようになっていた。小魔は呼び出す個体を指定できない代わりに契約が必要ない。魔界と通じる穴を開くことが出来れば喚び出すことは容易だ。魔導を志す者の最初の課題と言われている。
学修院卒業と共にチロルと契約し、その一年後ケトルと契約した。
そして一年前、悪魔王との対面に挑んだ。〝太陽の神子〟候補者の友に万一の事態があった時、ちゃんと護り通せるだけの力が欲しくて。
そして、彼はアズミの式魔王となった。
「何用か 我が主よ」
アズミはマグダラに向き直る。
「力を貸して下さい。敵を鎮圧するためには貴方の力が必要なんです」
「何故に」
「――大事な親友を、助けるために」
童顔のアズミが凄んでも大した迫力はない。しかし、その双眸には十五歳とは思えぬ覚悟が秘められていた。
「よかろう その願い 聞き入れた」
魔法陣が破片となって砕け散り、マグダラが兵士達の方へと歩き出した。
マグダラは全身が闇の力によって構成されているため、たった一歩近付くだけでも肌で感じる威圧感は強烈に増す。兵士達はこの世にあらざる異形の王に畏怖の念を抱いていた。もっとも、恐怖に挫けぬ勇敢な兵士がいたとしても真っ向から戦って式魔王を倒す術などありはしないのだが。
「闇の力が強い……。皮肉ですね、マグダラも絶好調ですよ」
アズミは苦笑を漏らす。
光の力を取り戻すために闇の力を借りるとはなんとも滑稽な話だ。
太陽が消滅し、アズミの魔法力も一時的に増幅している。おかげで召喚時間を普段より延長できそうだ。
「お、恐れるな! 魔術士、魔法をっ……!」
軍師に促されて、魔術士達が浮足立ったまま魔法を撃つ。マグダラは依然と直進を続け、攻撃を全てその身に受けた。にも関わらず傷一つ付かない。それどころか彼らの放った魔法はその歩みを止めることすらかなわない。
兵士達は息を呑んで短い悲鳴を上げた。
「くっ……!」
無論、マグダラとて完全無欠ではない。魔法攻撃こそ闇の力で調和し無効化できるが、剣や弓などといった物理攻撃は当然傷を負う。マグダラが多少の傷では歯牙にもかけないだけだ。
「……はあ、はぁっ。っ……」
一方、アズミは杖を構えたまま険しい表情を崩さない。式魔を喚び出すのに魔法力を消費するのは当然ながら、式魔を現世に維持するのにもまた魔法力を要するからだ。普段連れている子猫チロルと小鳥ケトルとて、アズミが絶えることなく魔法力を供給しているから現世に留まることが出来ている。だがそれが式魔王となると消費する魔法力も桁外れだ。故にアズミはチロルとケトルを送還して、魔法力供給をこちらに絞った。
また大きな力を拝借する代償として、魔導士は式魔が暴走するリスクを恒常的に背負うことになる。契約主から式魔に魔法力が注がれるという正常な状態から、何らかのアクシデントによって式魔の闇の力が契約主に逆流する状態になった場合、式魔が殺戮本能を抑え切れなくなり暴れ出してしまう。そうなればここ一帯は大惨事となり、契約主も魔法力を食い尽くされて死に至る危険がある。特に式魔王などの高等悪魔ならばそのリスクは飛躍して高くなる。一秒たりとも気を抜くことは許されない。
「主よ 何故 他者のためにそこまでする」
式魔王の召喚時間は魔導士の個人差はあれど三分前後が限界だ。通常は魔導士の安全を考慮して一分以内に送還する。大規模魔法を一撃放ってもらえば大概召喚した目的も果たされるためだ。
しかしたった今、アズミはその安全圏の時間を超えた。さらにマグダラが敵の攻撃を受けて回復に使った闇の力も、全てアズミの魔法力で賄われているため追い討ちがかかる。
死の危険が次第に高まっていく。だがそんな中、アズミは笑った。
「……わたし、昔はすごく内気だったんです」
人間と同等あるいはそれ以上の知性を持つ式魔王が小さき主の言葉に耳を傾ける。
「人と、ちゃんと話せたこともなくて、……いつも一人でした」
祖母に続いて母が高名魔導士となり、ロログリス家は魔導士の家系として広くその名を知られるようになった。その後間もなくアズミが生まれ、三代目の期待の中で育てられた。
厳しい家庭内教育も、その中に確かな愛情を感じていたから頑張れた。
勉強は楽しい。新しいことを知るのは楽しかった。
そして、それはみんな同じだと何の疑いもなく思っていた。だから学修院に入って、たくさんの人達と会い、すごく戸惑った。みんな勉強は仕方なくやるものだと捉えていて、授業終了のチャイムで一斉に外へ飛び出していく。学ぶことより遊ぶことの方が重要らしい。
それでも最初は話せる人もいた。しかしアズミが楽しそうに勉強の話をしたり、学修院では明らかに習わないような専門知識を口にすると、彼女達は決まって首を傾げ、退屈そうな顔をした。それからだんだんと話しかけられなくなり、自然と一人でいることが多くなっていった。自分の意見や知識は言ってはいけないものなのだと後になって悟った。
それでも家族のために、アズミはひたすら勉学に励んでいた。
「……でも、ユリエナが、みんなが……教えてくれたんです」
そんな日々に慣れ始めていた頃、一人の上級生と出会ったのだ。
『すごいすごい! アズマリアちゃんのおかげだよ。ありがとう』
『まだ気付いていないだけで、貴女は素敵なものをいっぱい持ってるんだよ。それを自分の中に隠しちゃわないで。私、もっともっと貴女のこと知りたいな』
その出会いが全てを変えた。
友達と過ごす日々は知ることに勝る楽しいことがいっぱいで。放課後友達と遊んできてもいいかと母に尋ねた時、それまで毎日欠かさず家で勉強をしていたから正直怒られると思った。けれどその時母は笑顔で頭を撫でて、言ってくれた。
よかったね。いってらっしゃい、と。
お互い違うのが当たり前で、だから知りたいと思う。話したいと思う。それが友達なのだと、彼女達が教えてくれた。それと一緒に自分の何かが人の役に立つ喜びも教えてくれた。
自分に少しだけ、ほんの少しだけ自信が持てた。
今のわたしがいられるのはユリエナに、みんなに会えたから。
その感謝を形にして返したい。
「――わたしは、この時力になるために今まで頑張ってきたんです! だから決して闇の力に飲み込まれたりしません。構わず力を解放して下さい、マグダラ!」
「承知した」
マグダラは兵士達を踏み倒し、掴み上げては放り投げ、敵戦力を迅速に削っていく。
兵士達が生命の危険を感じて周囲に散開すると、彼は天より大規模魔法を放って地面もろとも兵士達を一掃した。直撃した者が再起不能なのは言うまでもなく、直撃を免れた者もその衝撃によって数十メートル先に吹き飛ばされた。起き上がってくることはまずないだろう。
「っ……さすがですね」
召喚してから五分が経過しようとしている。門前の敵軍は壊滅状態だった。
奇跡的に負傷を免れたのは全体の百分の一、五十人程度だ。
「マグダラ、もういいです」
万全を期すならば彼にもう一発魔法を撃ってもらいたいところが、もうアズミの限界が近い。
「ならば去るとしよう 望みは叶えた」
「ええ。ありがとう。マグダラ」
悪魔とは悪魔であるが故に、殺戮願望が本能に刻まれている。人が食べ物を欲するのとまったく同等の欲求だ。マグダラは主の願いを忠実に叶えただけだが、少なからず戦闘に嬉遊感を抱いていたことだろう。それを抑え、アズミが下した送還命令にすんなり従うところはさすが理性を司る悪魔の王と言えた。
彼の行った所業とはいささか不釣り合いに感じる程、魔界最強クラスの悪魔は巨大魔法陣の放つ強光と共に潔くその姿を消した。
後には五百年前の悲劇を彷彿とさせる荒廃した場景が残る。
「はあ、はぁっ…………っ、まだ」
召喚魔法を解除したアズミは身体をふらつかせた。
急激に魔法力を消費したせいで、平衡感覚も保てないようなとんでもない疲労感が押し寄せてくる。通常ならば後のことは隊士達に任せてアズミは身を引くのだが、今は誰も頼れない。
「まだ……状況終了じゃない。チロルを……」
杖を地面に突き立てて身体を支え、再び召喚魔法を唱え始める。
だが。
――ジャリッ。
背後に聞こえた足音。それから殺意の籠った視線に気が付いて、とっさに振り返る。マグダラの攻撃を免れた兵士の一人が、アズミの視線から逃れて背後に回っていたのだ。
「っ!?」
「死ねッ!!」
いくら上級魔導士と言えど、接近戦となれば素人同然。アズミを護る唯一の戦力である式魔を召喚できないとなれば、この攻撃に抗う術はない。
「――――っ!」
反射的に固く瞼を閉じた。
それとほぼ同時に金属音が響く。
一瞬、それは敵の剣と自分の杖がぶつかり合った音なのだと思ったが、おかしなことに杖を握る右手に衝撃は走っていない。
――なら、この音は……?
硬直して重くなった瞼を、恐る恐る開く。
「御無事ですか!? 隊長!」
すると、そこにはアズミのよく見慣れた背格好があった。
「ブランテ!? なぜここに!?」
彼――ブランテのあまりにも唐突な登場に、アズミは珍しく我を忘れて叫ぶ。さらに横から走ってきた第三者が、ブランテと対峙する兵士に痛快な飛び蹴りをかました。
「よっ! 怪我ないですかい? 我等が隊長殿っ」
その軽妙な身のこなしと口調。彼もまたアズミの見知った人物だ。
「ライゼンまで! みんなもっ……!!」
見れば十二中隊の隊士が全員揃っていた。
しかし、その一方で他の隊はまったく見当たらない。当然と言えば当然だ。単独で長期間の護衛任務にあたっていた兵士達が急遽集まって隊を再構成しようとすれば、却って統率が難しく動けなくなってしまうものだ。アズミの推測が正しければ、国王の指示を仰ぎ今頃やっと黄昏塔を出発したことだろう。そうなることをあの時点で推察していたからこそ、アズミは軍の支援を見切って六人で古城へ向かうことを決断したのだ。
「あ、あなた達に単独行動の許可は出ていないはず……」
現時点で古城に到着したと仮定して時間を逆算すると、彼らはアズミ達の出発とほぼ同時に黄昏塔を離れた計算になる。つまり彼らは黄昏塔で指揮を執っている軍師の命令を無視して、勝手に飛び出してきたのだ。
「申し訳ありません、隊長」
「それを言うならアズマリアもアズマリアよ。一人で勝手にマグダラ召喚して! めちゃくちゃ焦ったんだから!」
「そーそ。ま、固いことは言いっこなしですよ」
残党の攻撃を防ぎつつ、みんながアズミを囲う位置について護りを固める。安全が確保されると、十二中隊唯一の治癒士がアズミの傍らにやってきた。
「隊長、手を……」
アズミは言われるままに手を差し出した。ぽうっと淡い光が彼女から生まれ、アズミの方へと流れていく。彼女の魔法力がアズミに注ぎ込まれていった。同時に疲労緩和の治癒魔法も施されていたらしく、身体が軽くなっていく。
「カルネア、それにケミーまで……」
「……隊長の容量からしたら、足りないでしょうけど……」
治癒士はとろんとした顔で柔らかく微笑む。勿論、完全回復というわけではないが、再度チロルを喚ぶだけの力は戻った。
「でもまあ、マグダラのおかげで余裕勝ちできそうじゃん? さくっと終わらせようや。ロログリス隊長、命令を!」
隊士の一声に、みんなの視線がアズミへと集まる。
十二中隊は見ての通り、単独で行動してしまうような荒くれ者の集まりだ。彼らは全員、以前所属していた隊で隊則に触れ、脱退を余儀なくされた経歴がある。けれど彼らはアズミの指示になら全面的に従ってくれる。それはアズミが彼らの持ち前の力を十二分に発揮できるようにいつも考えていることを、彼らは知っているから。
隊士達は絶対的にアズミを信頼している。
そして、それに応えるのがアズミの喜びだった。
「――はいっ!!」
アズミこそ、隊士達がいてくれてはじめて本領発揮できるのだから。




