43.彼女の名は
階段を駆け上がっていく。だが黄昏塔の螺旋階段を思えばあっけないほど早くその終着点に行き着いた。
「ここが一番上……?」
ジンレイの記憶が正しければここは八階になる。
キルヤ、リンファともに呼吸が荒くなり、肩が上下していた。
「まだね。だいぶユリエナと距離があるわ。東塔に行く階段を探さないと」
階段という道案内が尽きてしまった以上、自分達でさらに上へ行く階段を見つけるしかない。それにしても、ぐるっと見回して目に入ってくるのは等間隔に設けられた片開きのドアばかり。恐らくは個室の集合したフロアなのだろう。試しに覗いてみた手前の部屋は、埃をかぶったベッドが一つぽつんと放置されているだけだった。
「でもどうする? 手分けして探してみるか?」
一階と同様、この階も相当通路が入り組んでいる。ジンレイとしてはまた闇雲に突っ走って探しても構わないのだが、この二人はそうはいかないだろう。つまらないことで体力を消費していると足を掬われる事態になりかねない。
ジンレイが提案すると、既に思考中のリンファが返事代わりに唸った。
経過していくほんの数秒が、やたらと間延びして感じられる。こんな僅かな時間でも立ち止まっていられるのは、一階でワモルが敵兵を食い止めてくれているおかげだ。彼に任せておけばまず心配いらないのは分かっていたが、本当に一人も追って来る気配がないとは。彼の奮闘に報いるためにも、早くユリエナを見つけ出さなければならない。
不意にリンファが顔を上げ、一点を見つめた。
「どした?」
「この階、魔法力の気配があるわ」
「どっちだ」
ユリエナではない魔法力の気配。無人のフロアにおいてこれは大きな手がかりになり得る。期待を寄せるジンレイに、リンファはその方向を指して示した。
追って目をやると、ジンレイの目に飛び込んできたのは灰色の平面体。
「壁じゃん」
「直線で言ったらこっちだって言ってんの。絞めるわよ」
リンファの額に血管が浮かぶ。今にも殴られそうな威圧感。冗談を言っている場合ではないのだが、空気が軽くなったような気がしないでもない。
「オイラの出番っスね」
笑いを押し殺しながら、キルヤが腰のツールポケットに手を伸ばした。取り出したのはスタンド付き音叉と小さなガラス玉八個。キルヤがガラス玉に魔法力を送ると、彼の手を離れてふわっと宙に浮いた。音叉を中心に輪を描くように浮遊する。次に音叉のスタンドの部分に触れて魔法力を装填すると、ガラス玉が一斉に各方向へ散開した。
「起動」
最後にキルヤが魔法具を起こす。音叉から緑色の光が波紋となり、次々と発生してはフロアに広がっていく。身近な壁に当たった波は消滅するが、散らばったガラス玉に到達した波は跳ね返される仕組みになっている。これは初めて入り込んだ建物の構造をおおよそ把握するために用いられる、散策援助用アイテムだ。値の張る魔法具で、実際に所持しているのは散策を専門とする人達のみだという。
「キルヤ、あんた罠士みたいね」
罠士。散策を専門とする人達のことをそう呼んだ。罠士は、作業場に籠って工業技術を行使する技士とは異なり、屋外を領分として技士の技術を行使及び集積する。時には戦闘にもその技術を用いる、言うなれば『行動派の技士』だ。
「失礼な。ちゃんとした罠士だよな」
「……オイラ的にはトリックスターって呼んでほしいっス」
正式名称は罠士に他ならないが、その呼称はどこか陰険な響きがあるため、キルヤ自身はあまり好きではなかったりする。というのはさておき、キルヤは波紋を止めて音叉の上にマップを表示。そこにはこのフロアの間取り図が大方映し出されていた。
「ちょっと見にくいんスけどね」
魔法力の波が届かない場所は表示されない。つまり閉ざされた部屋は全て塗りつぶされている。
「充分でしょ。……ここ広いわね」
マップの右上に不自然な大きさで塗り潰された場所がある。ジンレイもぱっと見て目に留まった箇所だ。単に城の構造上のくぼみであるか、それともそれだけ大きな部屋であるか、可能性的には二つに一つだ。
「こうしてつっ立ってても仕方ないしな。行ってみるか」
「そうね。方角的にもちょうど東だし」
とにかく今は行動あるのみ。三人はマップを辿りながらそこへ向かった。
すると。
「――ビンゴね」
本当に、先程までの片扉とは異なる両開きの扉が突き当たりに現れた。そのむこうの空間がいかに広いか示唆するような大扉だ。
「魔法力で感知できるのは一人だけだけど、そっちはどう?」
「――一人だな。気配も一つしかない」
「そう」
彼女は扉を少しだけずらして中の様子を窺うと、静かに片扉を開けた。
部屋の向かいには、この扉と同様の両開き扉が続いていた。
三人は足音を殺して部屋の中へ入る。
規模からすれば広間といったところか。しかし一階の大ホールとは違い、こちらの部屋には城を支える柱でもないだろうに円柱があちこちに伸びていた。その効果によって部屋がやや狭く感じられる。
大人二人が両腕を回してぎりぎり一周するような太い柱。それが数十本、部屋中に立てられている。ただの大部屋にしても、ちょっとした不可視部分を作るのは確かにユニークかもしれない。その影から、リンファとジンレイが感じた気配の正体が姿を見せた。
「上へ行く階段はあの扉の先だぜ」
立てた親指を背後に振って、向かいの扉を指し示した。
「やっと来たか。お前等だろ? 城の魔法壁を破ったのは」
全身を法衣ですっぽり覆う装束を見ると、彼もまた魔術士であることが窺える。
しかし、その法衣は城門で見た紫ではなく青。誰もが見慣れた、あの群青色――。
瞬間的にその意味するところをジンレイとキルヤが悟る。けれど二人が声を出す前に、リンファが動いた。
「――ここに集え」
詠唱なしで風魔法が発動される。彼女の手から発生した風がジンレイとキルヤの足を掬い、彼らを包み込んだ。リンファと魔術士の頭上を弧を描いて通り過ぎる。
「リンファ!?」
立ちはだかっていた魔術士が背後に回り先へ行く障害はなくなったが、突然のことにジンレイは彼女を見遣った。
「ここはあたしが引き受ける。ユリエナはこの真上にいるわ」
だが臙脂色の瞳は真っ直ぐにジンレイを見つめ返した。
しばしの躊躇。しかしその意思を汲み取ってジンレイは力強く頷き、キルヤを促して扉に向かった。
「リンファ! 負けるなよ!」
扉の向こうに消える直前、ジンレイは心なしか弾んだ声で彼女にエールを送った。
「当たり前でしょ? 誰だと思ってるの。さっさと行きなさい」
リンファの返事にジンレイは親指を立てて笑い、キルヤと共に走り去った。アズミやワモルの時とは違い、ジンレイの表情は明るく笑みが浮かんでいる。
それを傍観していてか、それとも他に何か面白いことでもあったのか、法衣に身を包んだ男はくくくっと声を殺して笑い出した。
「直接発動か。なかなかやるな」
フードが邪魔をして表情は見えないが、その男の態度には優位に立つ者が劣者を憐れむような、同情の念がはっきりと窺えた。
「にしても運がねぇな、嬢ちゃん」
「なんのこと?」
「俺は魔術士リハイドを負かした男だ」
「リハイド……?」
リンファの柳眉がぴくっと上がった。男に怪訝な視線を投げ掛ける。
「そうだ。名前くらい聞いたことあんだろ? かの有名なリハイド様だよ」
「最高位を授かった、通称〝最強の魔術士〟……ね」
「よく知ってんじゃねぇか。なら話は早い。俺はあの野郎をいっぺん負かしてる。つまり俺は最強の中でも最強ってことだ。命が惜しかったら――」
「あんた誰?」
男がまだ喋っているのもお構いなしに、リンファは言葉をぶつけた。それも冷め切った声で鋭く切り込む。
「あん? 嬢ちゃん、話を聞いてなかったのか? 俺は――」
「あたし、あんたを知らないんだけど」
「は? 何を言って…………」
話が噛み合ってない様子に、男は言葉を詰まらせた。脅すつもりだったのだろうが、彼女の意外な反応に理解が追いついていないようだ。
「これでも物覚えはいい方なの。特に術式と魔術士の顔は一度見たら忘れたりしないわ。――まして、それがあたしを負かした奴だってんなら絶対にね」
ここでやっと男はある可能性に気付いた。でもそれはほぼ有り得ない。有り得ないのに身体は頭と違って正直なようで、本能的な保身に従い足が一歩下がった。
「ま、まさか――」
また一歩、リンファとの距離を広げる。この広い部屋で、もとより会話には遠いと感じるくらいの距離が開いているのだが、一歩でも彼女から遠ざかりたいという気持ちが身体に出てしまう。小刻みに震える指でリンファを指しながら、男はごくりと生唾を飲み込んで声を絞り出した。
「リハイド……?」
「てっきりリンファが本名だとでも思った? まああたしとしてもこっちの方がしっくりくるけど。いい機会だから、特別に自己紹介してあげましょうか」
リンファは緩いウェーブのかかった艶やかな髪を掻き上げ、言い放った。
「あたしはリハイド・アルヴェシア。フォルセス国王より最高位の称号を頂戴した六人の魔術士が一人」
「………………、マジ?」
フードの下から覗かせる表情がさーっと青ざめていく。
「別に、男っぽい名前だから男が名乗る、なんて決まりないでしょ」
「それは確かに一理あるな――ってそんなこと聞いてねぇよ! なんでリハイドがこんなところにいんだよ!」
「あら、それはこっちの台詞ね。あなた、その法衣を着てるってことはフォルセスの国家魔術士でしょう? これは立派な反逆罪じゃないかしら」
ただ男がどこの誰で、何故反逆行為をしたのかなど、リンファにはあまり関係なかった。ユリエナに危害を加えた奴等に加担する人間には等しく制裁を下すのみだ。
「ちょ――ちょっ、たんまたんま! なあまさか本気でやり合うなんてこと、ないよな?」
「あら、あたしより強いって聞いたんだけど」
「それは冗談だって。調子乗った。謝る」
「謙遜しなくていいのよ。そぉんなに強いんじゃ、こっちも一切情け容赦なくいった方がいいかしら。手加減して勝たせてあげても却って失礼だし。ね?」
「なっ!? あ、……あの、リハイド様??」
「嘘を真にするチャンス、あげるわね」
リンファが一見慈悲深そうににっこりと笑う。しかしその目が全然笑っていないのは言うまでもない。
「勝手に人の名前だしに使って、ただで済むと思うんじゃないわよ!」
次の瞬間、広間から発生した悲鳴と爆音が古城全体に響き渡った。




