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空の歌(スカイ・ソング)  作者: 碧桜 詞帆
二章 遠い日の憧憬
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19.選定の儀

 ユリエナと親衛隊の一行は無事に太陽神殿まで到着した。各隊士に持ち場が割り当てられたり、他の護衛達との連携を確認したりしている中、ユリエナは太陽神殿を正面にして一人黄昏塔を見つめていた。

 ユリエナを目に留めたワモルがその隣へやって来る。特に言葉はないワモルだが、ユリエナは安堵して口を開いた。

「近くで見ると一段とすごいね。黄昏塔の天辺が見えないよ」

「まあな。それより、大丈夫か?」

 傍から見れば特に変わった様子も見受けられないが、僅かな変化もワモルは見逃さない。ユリエナは下手に隠しても心配をかけるだけだと思い、小さな声で白状する。

「大丈夫だよ。……少し、背中が疼くの。でも本当に大丈夫だからみんなには内緒にして」

「……ああ」

 どちらにしても、そのことは極一部の人間しか知らないことだ。この場においては当人とワモルだけしか知らないし、誰かに言うつもりもない。

「ありがとう。ここまで一緒に来てくれて」

 ユリエナはワモルの方に身体を向け直して言った。ワモルもそれに応えて向き直る。

「俺達は中には入れない。けどここでお前達を守る。何があっても儀式の邪魔はさせない」

 親衛隊の一隊士として〝太陽の神子〟に言明する。

「だから安心して行ってこい」

「――うん!」

 ワモルの言葉には背中を押す力がある。彼に見送られてユリエナは神殿へ入っていった。

 中では既に他の〝太陽の神子〟候補者達が集まり、最後の一人であるユリエナを待っていた。全員集合したことを確認すると、候補者達十四人は誰からともなく永遠に続くのではないかと思われる螺旋階段を上り始めた。

 候補者達は十歳前後から二十代後半までと、年齢に幅があった。そのため徐々に上るペースがずれていき、列が広がっていく。

 最後尾の幼い女の子がとうとうしゃがみ込んでしまった。それに気付いてユリエナが振り返る。

「大丈夫?」

 彼女は荒い呼吸に混じって「うん」と応えるが、つらそうだ。

「乗りなさいな」

 そうすると、おそらくこの中で最も年長の女性がその子をおぶった。もうだいぶ長い距離を昇ってきている。その上、女の子を背負って頂上までとなると体力は持つのだろうか。

「大丈夫よ。こう見えても少し鍛えてるから」

 ユリエナの視線に気づいたのか、女性は爽やかな笑顔を見せた。確かに余裕はありそうだ。

 女性が女の子を助けたことによって皆がお互いを気にかけ始めた。場の雰囲気も柔らかいものへと変わっていく。

「にしてもさ、いつまで昇ればいいんだろこの階段」

 列の中間ぐらいにいる少女がぼやいた。

「そうですわね。空気もだいぶ薄くなってきましたのに」

 その言葉を受け、さらに別の者が会話を繋ぐ。

「頑張りましょう皆さん。儀式が終われば普通の生活が出来るんですから」

 先程会ったばかりでまだ名前も知らないが、同じ〝太陽の神子〟候補者として生きてきたという強い親近感がある。一度会話が生まれれば、それに続こうとするのも自然なことだ。そして何より、無言で昇るよりも会話をしながら昇る方が気持ちが軽くなる。

「……そうよね。帰ったら妻になるんだから、私もこんなところで弱音吐いてられないわ」

「あたしも帰ったら魔法の勉強始めるんだ。それでリハイド様みたいな魔術士になるの」

「あら、あなたも魔術士志望? わたくしも治癒士を目指そうと思っておりまして」

 皆口々に先のことを語る。大半の者が何かしら展望を持っていた。

「へぇ。みんな色々考えてるんだな」

「ほんとだね」

 並んで歩く同い年か少し年上の少女が言う。ユリエナも同じ感想を抱いた。

「あたしなんか、帰ったらひとまず寝ようくらいにしか考えてなかったのに。あなたは?」

「え?」

「あなたは何かないの? 帰ったらやりたいこと」

「わ、私は…………」

 ユリエナは急に話の矛先を向けられて返答に困った。これからのことを考えてみるが、うまく想像出来ない。

「……分からない」

「そっか。あたしと一緒だね」

 少女は特に気に留めた様子もなく、次の言葉は少し音量を絞って言った。

「まあその方がいいよ。実際、この中で一人は帰れないんだから。もし自分だった時、ショックが小さくて済む」

「……うん」

 ユリエナは微苦笑を浮かべて小さく頷く。

「みんな、出口が見えたよ!」

 先頭の女性が後ろへ向かって叫んだ。その嬉々とした声は最後尾のユリエナ達にまではっきりと届き、候補者達に笑顔が灯る。

「やっと着いたぁ……」

 優に一時間半かけてようやく黄昏塔の最上階に辿り着いた。

 文字通り息も絶え絶えになって到着したそこには、聖堂に似た神聖な空間が広がっていた。天井には輪を描くように数個の窓があり、そこから差し込む光は中央の床の窪みに張られた浅い泉に集まっている。塔内の空気までもが清澄としていて、ここが清浄な神域であることを肌で感じた。

 まるで、今すぐにでも女神が舞い降りてくる気がして。

 候補者達は誰からともなく小さな泉を囲んで膝をつき、祈りを捧げた。

 静閑とした空気が漂う中で刻々と時間が過ぎてゆく。それでも候補者達は祈り続けた。

 しかし、ユリエナの意識は祈りから遠く、先程少女に問われた答えを探し続けていた。

 思い残すことがないようお世話になった全ての人に挨拶をしてきたのだ。身の回りも自分の跡が残らないよう片付けてきたつもりだ。これから先のことなどやはり考えられない。

 だというのに、どうしてさっき『ない』と言い切れなかったのか。『ない』と自分に言い聞かせていただけなのではないか。

 もし、もし自分に未来があり、望みがあるとすれば……。

 王族も、神子候補者も、何のしがらみもなく身勝手に願っていいのならば。

 それはきっと――。

 と、その時。

 空が笑った。

 視覚で認識するよりも遥かに感覚的に、一同は悟った。

 窓から差し込む陽光が光の粒子となって悠然と塔内を漂う。その光粒子は徐々に集まって人型の輪郭を描いていく。その光景を全員が瞬きすることすら忘れて仰視していた。

 光粒子は女性の肢体を浮かび上がらせると、瞬間的に強光を放って霧散。残光の消えた後には、至純の女神の姿がそこにあった。

 神話の中の人物である光神イリシスが目の前にいる。

 誰一人声を上げなかった。上げられなかったという方が正しいか。〝太陽の神子〟候補者と呼ばれ、光神の次に純潔な存在であるはずの候補者達ですらひどく不純だと思い知らされる程に、彼女は純白で、その全てが透き通っていた。

〝私の加護に応えてくれた子供達よ。ここまで来てくれてありがとう〟

 福音のように澄み切った声かと思えば、意外にも少女のような可愛らしい声が響いた。慈愛の鱗片が垣間見える悠然とした雰囲気と混じり合い、絶対者たる至高の神のイメージとはやや異なる印象だ。

 音色のようなアズミの声に似ている。ユリエナは偉大なる神様に対して一方的に僅かな親近感を覚えた。

〝これより神子の選定を行います〟

 柔らかく微笑む瞳を閉じて、イリシスは告げた。

〝祈りを下さい〟

 彼女の指示に応じて、候補者達は再び祈りを捧げた。今度は虚空にではなく、目前に顕在化した救済の女神に向けて強く祈る。

 差し込む斜陽が一時的に強まり、そこから現れた光粒子が舞った。その数は次第に増え、塔の中を満たしていく。光粒子が自分達の周りを浮遊していることに、目を閉じている候補者達は気付いていない。

 やがて、イリシスはそっと目を開けた。

 数え切れない程の光粒子が一ヶ所に集まっている。その中心には、一人の少女がいた。

 イリシスは微笑み、その少女の前に両手を広げた。

〝貴女に太陽創生魔法を授けます。太陽の神子――ユーリエレナ・イルム・フォルセス〟

 一斉に顔が上がり、ユリエナに視線が集まった。

 ユリエナも驚愕を隠せず、イリシスを見上げて硬直。その後一瞬悲しそうな表情を見せたが、ユリエナはその思いを断ち切るようにすっと立ち上がった。

〝決心はつきましたか〟

 瞳が潤んでいるのを悟られないようにと眼頭に力を入れて、ユリエナは光神を見つめ返した。

「…………はい」

 そう頷くと、意識が強制的に引っ張られた。膝の力さえ抜けてしまうが、身体は光粒子達によって押し上げられ、ユリエナはそのまま彼女に身を委ねた。

 途中、外套がはだけ落ちた。微かな意識の中で、背中のそれが脈動するのを感じる。

 ユリエナは悟った。

 それは――背中の羽根は、このためにあったのだと。

 孵化して間もない雛のようなか細い羽根は光粒子と同化していき、みるみるその形影を立派なものに成長させていく。ユリエナの身体を包み込める大きさになると、纏った光粒子を払うかのように鮮やかに羽を広げ羽ばたいた。

 光神の恩恵を授かった純白の翼が露わになる。そのあまりにも幻想的な光景に、他の候補者達は息を呑んで見入っていた。

 羽ばたきによって反動でそらした身体を覚醒していく意識と感覚の中で起こしていく。そっと地面に降りて浮力が消えると、その瞬間とんでもない重力が背中にかかってきた。

「……っ……!」

 思わず座り込みそうになり、ひざにぐっと力を入れて耐えた。

 以前奔走していた奉仕活動で、子供達と遊んでいた時、三歳の男児をおぶったことがある。あの時は気持ちが高揚していて重さを感じなかったのかもしれないが、それにしてもこれはそれ以上に重い。ひょっとしたら五、六歳の体重に相応するかもしれない。

 その重さを理解しているイリシスが淡く微笑んだ。

〝無理をする必要はありません。お座りなさい〟

「え……、でも……」

 ありがたい言葉ではあるが、神の御前で腰を下ろすなど安易にし難い。

〝太陽はまだ沈んでいません。儀式はまだ始まりませんので〟

 すると、躊躇いがちな指先がユリエナの服の袖を引っ張った。隣の少女だ。

「座りなよ。重いんでしょう?」

「でも、私……」

 この重みは、世界の運命を背負ったという責任の重さだ。腰を下ろしてしまうことは、その運命を受け止め切れていないことになるのではないか。

 そんな思いが脳裏をよぎり、周囲に視線を泳がす。

 しかし意外なことに、みんな微笑を浮かべていた。

「無理しないで」

「私達に気を遣わなくていいのよ」

「すごく重そうだもん。仕方ないよ」

「ここまで来るのにだって、随分歩いたんだし」

「長い間構えている必要なんてないですわ」

 他の候補者達も続いて、やせ我慢している妹を宥めるかのように優しく声をかけてくれる。ユリエナは嬉しさと気恥かしさで少し顔を赤らめながらも、素直に腰を下ろした。

 彼女達はみんな温かく微笑み、ユリエナもみんなに感謝しつつ微笑み返した。

 神聖な塔の中で生まれた、ほんの一時の穏やかな時間。

 彼女達の様子を見守っていたイリシスもまた、心を通わせ合う優しい笑顔に触れ、そっと笑みをこぼした。

 それから僅か数秒後だった。イリシスは外の異変に感付いて、階段の方を見遣った。


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