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空の歌(スカイ・ソング)  作者: 碧桜 詞帆
二章 遠い日の憧憬
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16.闇に潜む悪魔

 突然、ぴくっと耳を動かしてチロルが前方を向いた。

「どうした? チロル」

 前方をじぃっと凝視して固まっている。みんなが怪訝に思う中、車が小岩に乗り上げて上下に大きく揺れた拍子に、チロルはアズミの許へ駆け戻った。

「なんだ?」

「おそらく……」

 そう口にして前方を見遣るアズミ。自然と皆の視線が前方に集まった。

「あっ――」

 地平線の向こうから何の変哲もない荒野とは一風異なる、規則的な凹凸の土地が現れる。ジンレイは荷台から身を乗り出して目を凝らした。

「街……っスかね」

 僅かだが建物が見える。どうやらあそこ一帯は建物が集合した地域(エリア)のようだ。けれどキルヤが確信を持てなかったように、あの街には違和感がある。

「違うわ。よく見てみなさい」

 リンファは既に見当が付いている口振りだ。それは何度も荒野に足を運んでいるアズミも同じ。しかしそれが何であるか、わざわざ明瞭にしようとはしなかった。

 街の目前まで来た。街の入り口を前にして、ゆっくりと軽トラが止まる。

「どうする? 突っ切るの?」

「迷うよりは迂回した方が早そうですが、通れるなら通ってしまいたいですね。ひとまずケトルに偵察してきてもらいましょう」

 アズミが腕を伸ばすと、ケトルは心得たとばかりに街の上空へ羽ばたいた。

 何にせよ、ケトルが戻るまでの数分間はここで待機となる。

「ここって……」

 ジンレイは荷台を降りて、数歩だけ街に踏み込んでみた。

 遠目には貧相な街に見えたが、街の規模だけなら王都並みだ。しかし辺り一面に広がっているのは散乱した瓦礫と廃れた建造物のみ。どこを見渡しても人の姿はない。それどころか人の気配すら全く感じられない。

 ジンレイは知っている。ここをなんと呼ぶか。

「――廃街(ゴーストタウン)

 その名の通り、死んだ街。

 五百年前の悲劇によって百年の闇に落ち、衰退した街。

「イグノポール。……先の王都ですね」

 ということは、ここは旧都の城下街ということになる。

 意識して観察してみると、道路が中央に向かって真っ直ぐに敷かれていたり、その向こうに緩やかな丘陵が見えたり、全然違うと思ったがここには生まれ育ったあの街の面影が微かに散らばっている。ジンレイ達が住む王都シグノポールのように、この街も昔はきっと華やかで活気溢れていたに違いない。

 その視界の端に、いつの間に車を降りたのかキルヤの影が見えた。彼は廃屋に入り込んで瓦礫をいじくり回している。

「何やってんだ、キルヤ。何かあったか?」

 そばに寄ってみると、大量のガラクタを抱え込んだ彼がこちらにVサインを送ってきた。

失われた技術(ロストテクノロジー)の結晶を拝借っス」

 これも技士たる者の性なのだろう。今日一番の生き生きした姿に、止めておけとはとても言えない。

「ったくおまえ、当初の目的忘れてないか?」

「大丈夫大丈夫。ちゃんと六人が乗れるくらいのスペースは残しておくっスから」

 逆に言えば、こいつは可能な限りガラクタを積み込むつもりなのか。この満足そうなほくそ笑みからして本当にやりかねない。

「どうしました、チロル?」

 荷台の上。アズミの腕の中でじっとしていたチロルが急に暴れ出した。腕をほどいてやると、二人がいる方向を睨みながら唸り声を上げた。彼らに対して威嚇行動を取っているわけではない。チロルが反応しているのはその奥だ。

「……何かいるわね」

 それとほぼ同時にリンファが呟いた。

「おい、あんま遠く行くなよ」

「だーいじょうぶ、だーいじょうぶっス!」

 周辺の廃屋を探索し始めたキルヤに声をかける。放っておくとガラクタを求めてどこまでも行ってしまいそうだ。それに数百年放置された建物はいつ崩れてもおかしくない。そういう意味でも探索は目の届く所に留めてほしいものだ。と心配するジンレイを他所に、彼は余裕綽々に大きく手を振った。

 だが、その笑顔も一秒後に硬直する。

「なっ――!?」

 キルヤの背後。そこには黒い靄を纏った何かがいた。

「悪魔――っ!!」

 それは魔界に住まう悪魔だった。顔と首が長く、頭頂部と見られるところから肩にかけて長毛のたてがみを持ち、長い尾を垂らしている。外見は色を除いて馬のそれとほぼ等しい。

「キルヤっ!!」

 その悪魔が馬の姿をしている場合、本来の馬と同格かそれ以上の脚力を持つ。ジンレイは悪魔の存在を認めてから間髪入れずキルヤの許へ駆け出していたが、それでもとても間に合わない。

 特段身体を鍛えていないキルヤが体当たりされたら擦り傷では済まされないだろう。打ち所が悪ければ即死もあり得る。

 その刹那。血相を変えて走るジンレイの横を何かが追い越した。そして、それは今まさにキルヤに激突しようとする悪魔に飛びかかった。

「チロル! 助かったっス!」

 虎狼の姿をしたチロルは反撃を許さぬ速さで悪魔に体当たりを繰り返す。今のチロルには、にゃおと可愛らしく鳴いていた子猫の面影は微塵もない。本来の姿を解放し、鎌のような牙をやつの首に突き立てた。

「二人ともそこから離れなさい」

 荷台の上にいるリンファが非常事態にも関わらず平静に指示を飛ばす。彼女の前には展開中の魔法陣が一つあった。ジンレイはキルヤの腕を掴み、すぐさま脇に逃げる。

闇の国より齎されしゼルバ・ゲテム・アイズ・レノーバ・雷元素よ(ニルトール) ここに集え(リコル・エスト)

 チロルの攻撃に次いでリンファが雷撃を叩き込んだ。

 悪魔が出現してから廃屋の中に倒れ込むまで、僅か十秒足らず。その見事な対処ぶりにジンレイとキルヤは感嘆の声を漏らした。

 だがそれで終わったわけではないようだ。彼女達は警戒態勢のまま廃屋を注視している。

「迷い込んでしまったんですね。なるべく殺したくありません」

「送り還せるの?」

「好戦的でない中級悪魔でしたら。少しの間捕縛していてほしいんですが、頼めますか?」

「おっけい。二分でいけるかしら」

「充分です」

 実に迅速なやり取り。お互いの要求がいかにハイレベルなものであるかを知ってか知らずか、了解し合うわけだが。

 間もなくして悪魔が起き上がってきた。今度はあからさまに彼女達を敵視している。

光元素の許に賜りしラタトスクル・ヴァリパス・聖なる息吹よセレント・プラトニーユ

 悪魔が次の行動をとる前に、リンファは詠唱を唱えた。その魔法陣構成、詠唱、魔法力錬成と魔術の発動手順を速やかに踏んでいく。

彼の者を捕らえよエルバイア・リコル・エスト

 そして発動。同時に彼女が展開する魔法陣と同一のものが悪魔の足元にも出現し、そこから光の蔓が延びて脚に巻きついた。蔓から逃れようと悪魔が暴れる。しかし光の蔓が次々現れ悪魔を縛っていき、最終的にはその全身を覆い隠すほどの強力な鎖となった。

 まだ激しい抵抗を見せる悪魔の許へ、すかさずアズミが歩み寄る。その手には小さな石板があった。

「闇の国より参られし来訪者よ 汝の標をここに示そう」

 それは先程リンファが発動したものとは、また系統が異なる魔法。悪魔や式魔に用いる魔法――魔導の一つである。

「魔界の門を今一度通り あるべき場所へと還れ」

 石板を杖で叩き割ると、幾何学模様にも似た魔法陣が悪魔の目前に現れ、その中央に一閃が走る。陣が強い光輝を放つと、光の蔓ごと悪魔を引っ張り強制的に送還した。

 雷撃による火煙の臭いを残して、辺りに静寂が返ってくる。

「二人ともさすがっスね」

 悪魔には階級があり、上中下の三階級に大別されている。上級悪魔はまたの名を「悪魔王」と言う。魔界にも数体しか存在しない最強の悪魔だ。対して下級悪魔は「小魔」とも呼ばれ、火の玉に顔と突起のような手足がついた姿をしている。強さは小動物にも劣り、知性も無いと言われており脅威とは程遠い。

 その中間にいるのが中級悪魔である。現世の動物と同じ外見をしていることが特徴の一つであり、似通う動物の同等からおよそ五倍近い攻撃力を持つとされている。個体によっては、一体で中隊を全滅させる程だ。それをたった二人で退治したのだから、彼女達の実力は計り知れない。

「…………魔法、か」

 ふいにぽつりと、隣のキルヤにも聞こえない小さな声でジンレイは呟いた。

「危なかったわね」

「寿命が三年は縮んだっス」

「怪我がなくて良かったです。……それにしても」

 キルヤが無事な様子を見て安堵するも、アズミはすぐに真面目な表情に戻った。

「まさか中級悪魔まで迷い込んでくるようになったとはね」

 リンファも同じことを考えているようだ。アズミは振り返って頷き返す。

廃街(ゴーストタウン)のような所には元々悪魔が出現し易いとは言え、……とうとう世界の均衡も崩れてきたみたいですね」

「どういうことだ?」

 魔法関連の事情を話されても、そちらには滅法弱いジンレイとキルヤには全く理解できない。彼女達だけが事を理解していたが、アズミが説明してくれる。

「創世神話に出てくる二人の神は覚えていますか?」

「光神と魔神っスね」

 神話の内容は学修院で習って久しいが、彼らの名前は〝太陽の儀式〟が騒がれる中で幾度となく耳にしてきた。光神と魔神はこのグリームランドに平和と闘争、秩序と混沌をもたらした存在として崇められている。

「はい。グリームランドは光の力と闇の力が牽制し合って均衡を保っています。とは言っても現世と魔界はカードの表と裏のような関係ですから、均衡が正常に保たれている時でも現世と魔界の境に穴が開いてしまうことはよくあるんです。その穴が生じやすいのは光のない場所や人気のない場所、主には日陰や廃屋などですね。そこを通じて時折悪魔がこちらの世界に迷い込んできてしまうんです」

「あ、なるほど。だから路地裏なんかに小魔が溜まってたりするんスね」

 アズミ達魔導士は式魔を召喚する他に、そういった彷徨悪魔を魔界に還し世界の秩序を守ることもまた大切な使命なのだ。

「そうです。その穴は通常それほど大きなものではありません。小魔が通れるか通れないかくらいの極小さなものなんですけど」

「光の力が弱まってきてる今では、その穴も広がってるわけ」

「光の力が弱まってきてる……のか?」

「あれのことよ」

 何の事かと頭を捻るジンレイに、リンファは人差し指を立てて上を示した。

「あっ――」

 そこにあるのは、消えつつある光の力の象徴。即ち、光の弱まった太陽だ。

「これからどんどん光の力が弱くなる。悪魔に現世へ来る意図がないとは言え、出現率は確実に上がっていくわ」

「それって具体的にはどれくらいやばいんだ?」

「太陽が不在の間は、世界中が魔界とつながるわけですから中級悪魔が街の近くで出現する可能性も……」

「そ、それって物凄くまずいんじゃないっスか?」

「まあ闇の力が強くなるってことはあたし達の魔法力も増強されるってことよ。そういう時のために魔術士や魔導士を街に残しているんだし、大して心配することもないわ」

「それに〝太陽の儀式〟が成功すれば後に世界の均衡も回復します。それまでの辛抱です」

 光と闇はお互いに牽制し合いながら均衡を保っている。故に、光の力が弱まれば必然的に闇の力が強くなる。つまり太陽が消滅すれば世界全体の魔法力が一時的に増幅するのだ。その影響で魔界の活動も一時的に活発になる。その時穴を通じて悪魔が現世に迷い込む確率も上昇するが、同様にこちらの魔法力も増幅される。よってさほど問題なく対処できるだろう、ということだ。

 ほっと肩を撫で下ろすキルヤ。一方、ジンレイはそう聞いた上で新たな疑問が浮かぶ。

「太陽神殿は大丈夫なのか?」

 アズミの話によれば、太陽神殿から魔法力を遠ざけるために魔術士・魔導士は数名しか護衛についていないらしい。そんな武力頼りの軍隊で、仮に中級悪魔が現れでもしたら。それが悪魔一体なら儀式に影響はないだろうが、もしも中級悪魔が集団で現れたりしたら――。

 すると、ジンレイの言わんとすることを察してアズミが破顔する。

「そのための護衛でもありますし、あそこ一帯は光の力の加護で守られていますから悪魔が近付くことはまずありません」

「そっか」

 ジンレイもようやく納得し、改めて街の様相を見渡した。

 先程は数百年の間荒野の雨風に曝されてこういった有様になったのだと思ったが、百年の闇がもたらす脅威とは単に光を失うことだけではないようだ。

 太陽の創生に失敗すれば、これほど大きな街でさえもあっさりと衰滅させられてしまう。百年の闇が、栄華も笑顔も、何もかもを容赦なく飲み込んでしまうのだ。

 今回の〝太陽の儀式〟が無事に実行されなければ、次にこうなるのは自分達の街なのだろう。荒野の風に晒された街がひしひしと訴えかけてくるようだった。

「四時になったっスね」

 ベルトに繋いでいる懐中時計を見ながらキルヤが呟いた。

「四時か。そろそろ暗くなるんじゃ……」

「ならないわよ」

 リンファがぶっきら棒に言い、アズミも少し暗い顔で頷いた。

「今日、太陽は沈みません。王都の時刻午後四時五十二分を以って太陽は公転を停止させます」

 ――そして同時に〝太陽の儀式〟が始まる。

 太陽は空を夕焼けに染めることも、地平線の陰に隠れることもなくただ最期の瞬間まで空に在り続け、力尽きて消滅する。そして闇夜の訪れと共に、光神イリシスに選ばれた〝太陽の神子〟が新しい太陽の創生に執りかかる……。

 この惑星(ほし)に明日がやって来るかどうかは全て〝太陽の儀式〟にかかっている。もう二度と、人々が寄り添い合う安住の地が枯れ果てることなどあってほしくない。

 けれど、太陽を創生することは――。

「………………」

 ジンレイは漆黒が混じり始めた灰色の空を仰ぐ。

『魔法が使えないの? 私と一緒だね』

『ねぇ、どうしても魔法が使えないとダメなの?』

『ジンレイ、本当はすごい魔法を持ってる。それに気付いてないだけだよ』

 眼の前に広がるひどく荒んだ光景に胸を締め付けられながら、あの天真爛漫な笑顔を振り撒く少女がいるであろう天穹の向こうを仰いだ。

「……ユリエナ」

 目指すは〝太陽の儀式〟が執り行われる、終わりと始まりの象徴たる塔――黄昏塔(こうこんとう)


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