15.それぞれの成長と戸惑い
〝太陽の儀式〟が執り行われる太陽神殿を目指して、軽量自動車が起伏の激しい荒野を走行していた。
自動車と一口に言っても、それは一般的な定型車でもなければバギーのようなオープンカーでもなく、キルヤの手によって改造に改造を重ねられた、荷台付きのおかしな自動車である。と言っても持ち主はかなり気に入っているようで、『軽トラ』という名前まで付けていた。本来は仕事の品を運搬するための荷台なのだろうが、ここに乗り込むことで結果的に二人乗りの自動車に四人の少年少女が収まっていた。運転しているキルヤ以外は全員、荷台の上で外気に身をさらしている。
王都が地平線の向こうに隠れて、もうだいぶ経つ。
何の準備もなく身一つでこうして街を出てきてしまったジンレイだが、不思議と落ち着いた気分だった。こうなることをどこかで望んでいたのかもしれない。
「その鞘、シェンレイさんが?」
ジンレイがずっと握り締めている剣の納まった鞘を見て、向居のアズミが言った。
「ああ」
ジンレイが姉と一緒に部屋の奥へ消えて一緒に戻ってきた時にこれを持っていたのだから、姉がこれをジンレイに渡したことは明白だ。アズミが確認の意味で問うたのは、もっと別のこと。賢いアズミならばこの鞘を見て、物置の奥から今更引っ張り出してきた姉の意図も大方理解しているだろう。
そうジンレイが頷くと、アズミは優しく破顔した。
「良かったです。お元気そうで」
ふと視線を落としたアズミを見て、その安堵は姉ではなく自分に向けられているように思えた。
「……悪いな。心配かけたか?」
「いいえ。……いいえ」
笑顔を崩さず、アズミは何度も首を横に振った。やはり会わない間ジンレイのことを気にかけてくれていたのだろう。
「そういや、アズミは軍抜け出してきて大丈夫なのか?」
フォルセス国軍は地域紛争の復興支援や未開地の開拓など、民衆問題から惑星間問題までこのグリームランドが抱える多くの問題に取り組み、改善解決に努めている。そのため多忙により休暇もろくに取れないらしい。もっともフォルセス国家に属する者達は、この惑星をより良くするために働くことを喜びこそすれ、恨むことなどしないらしいが。
キルヤから聞いた話では、アズミとワモルもまた多忙の中、軍事に勤しんでいるそうだ。それ自体は喜ばしいことである。……あるのだが、フォルセス国家に属する者の自由行動は規律によって厳しく制限されているはずだ。今回だって簡単に休暇をもらえたとは思えない。
「今回、わたしとワモルは特別に単独行動の許可が下りてるんです」
「許可が? そんなんよく下りたな」
「はい。本当はリンファと一緒に交渉するつもりでしたけど」
「国王サマの方が一枚上手だったわね。直々に許可を出してくれたわ」
現フォルセス国王ディーフィット・アスマ・フォルセスは聡明で思慮深く、感服せずにはいられない御仁だ。実際には数える程しか会ったことのないジンレイも、ユリエナを介して彼を尊敬していた。
「これも一応、護衛の一端ですからね」
〝太陽の神子〟をあらゆる外敵から守るために、候補者達には四六時中護衛がついている。ユリエナに至ってはそれを拒んでいたので特例で王都にいる間のみ免除されていたが、さすがに太陽神殿へ出立する時は大勢の兵士が同行していった。
この一行の目的はユリエナと再会することだが、肩書き的には〝太陽の神子〟及びその候補者達の護衛というところに収まるらしい。
〝太陽の儀式〟が執り行われるのを待っているのはグリームランドの住人だけではない。グリームランドの侵略を企む他惑星もまた、太陽が交代する時を待っている。太陽創生はグリームランドの存亡に大いに関わってくる。太陽が無事創生されなかった場合、世界の衰退は免れられない。そうなればいとも容易く他惑星に侵略されてしまうだろう。
何も起こらなければこれ幸いだが、事が事だけにそんな甘いことは言っていられない。
グリームランドの未来のために、なんとしても〝太陽の神子〟を守り抜き、〝太陽の儀式〟を成功させなければならない。
「じゃあワモルは?」
「むこうで合流するまでは隊の指示に従うそうです。単独で移動するのはやはり厳しいですし、一人でもユリエナについていた方が良いだろうということで」
「アズミはなんで残ったんスか?」
「元々太陽神殿は魔法力を敬遠しますから、私が最初から同行するとなると単独行動許可とは別に正式な手続きが必要になってくるんです」
「そっか。アズミ魔導士だもんな」
アズミの腕の中。抱かれている子猫がそれに応えるように、にゃおと鳴いた。
見た目は愛玩動物そのもの。しかし、その正体は魔界に住む悪魔である。彼女の腕の中にいる黄色の子猫と緑色の小鳥は、アズミと正式に契約を交わしたことで忠実な式魔となった悪魔達だ。
アズミは普段からどこへ行くにもこの二体を連れている。式魔にしてはかなり人懐っこい性格で、そこそこ面識のあるジンレイ達には気を許してくれていた。
「はい。私ではかえって足を引っ張ってしまいます」
本当はついて行きたかった。そうは言わないが、その気持ちが全くないと言えば嘘になるだろう。しかしそう思わせない笑顔で話を続ける。
「それに、太陽神殿に着いた時ユリエナの知り合いだと証言するのに三人だと心許ないかと思いまして。リンファもあまり顔は広くないですから、ね?」
「まあね。道案内としてもアズミにいてもらった方が助かるわ」
「任せて下さい」
そう、心強いことにアズミは魔導士の他にもう一つ資格を持っていた。
「太陽神殿はこのルートでいいのね?」
「はい。設定されているルートとは違いますが、これが最短です」
軍用の装甲車と一般自動車とでは走行距離に天と地ほどの差がある。普通のルートを走っていたのではまず追い付けない。故に彼女は、数あるルートの中から王都と太陽神殿をほぼ直線で結び、且つ安全でほとんど起伏のないこのルートを選択していた。
彼女の計算では、太陽創生の時刻までには余裕をもって到着できるだろうとのことだった。
「さすが策士っスね。地図要らずっス」
この面子で最年少のアズミ。だが、その小さな頭の中には膨大な知識が詰まっている。当然軍事関係の情報は新古大小問わず全て把握しているし、世界的時事も随時最新の情報をチェックしている。それに加え、最近では魔法の根源を知るための研究も始めたのだとか。
そんな彼女にとってみればグリームランドの地形など庭を語るようなものだろう。
「わたしがお役に立てるのはこれくらいですから」
キルヤの褒め言葉を受けて控え目に、けれど嬉しそうに、アズミは破顔する。
そういえばキルヤがあまりにいつも通り上機嫌にしているので忘れていたが、ふとジンレイは昼過ぎに彼と会った時のことを思い出した。
「ってキルヤ。おまえ、確かでかい仕事入ってきてたよな?」
技術屋の店先を通りかかった時、彼は大きな木箱をいくつも運んでいた。助手の彼が突然いなくなったりしたら仕事の方にも影響が出るのではないだろうか。
「もちろん、ばっくれて来たっスよ」
年上の女性を一発で落とせそうな愛らしくも爽やかな笑顔で答えるキルヤ。おいおいとつっこむと、彼は「それに」と付け足した。
「軽トラを思いっ切り走らせられる機会なんて、めったにないっスから」
「キルヤ、おまえ……」
じーっとジンレイが見つめ続けると、白い歯を見せていたキルヤの眉尻がだんだんと下がっていく。長い付き合いだ。彼の気丈な振る舞いを見抜けないジンレイではない。
すると、観念してぽつりと告げた。
「ま、大目玉っスかね」
「一緒に怒られてやるよ」
「今度昼飯届けてくれたら嬉しいっス」
「うちは宅配サービスしてねぇっての。次の定休日な」
「期待してるっスよ」
リンファが少し考える様子を見せて「ねぇ」と話に加わってきた。
「この車、キルヤが改造したのよね?」
「そっスよ」
「じゃあバイクはいじれる?」
「リンファのバイク、いじっていいんスか!?」
思いがけない話に目を輝かせるキルヤ。彼は機械関係のこととなると我を忘れてしまうことがある。そのおかげで他三人が乗車している自動車が右往左往することとなった。
ただでさえ凹凸の激しい荒野で余所見運転など自殺行為に等しい。
「おまっ、前見て運転しろ前見て!」
「ごめんごめんっス」
肝を冷やして叫ぶジンレイ。一方のキルヤは約束の時刻に五分遅刻してきた時のような軽いノリで謝罪する。こっちは一気に血の気が引けたというのに、天然恐るべし。
幸い車体が傾くこともなくキルヤが前方に顔を戻してくれた。ややあってから、またリンファが話を続けた。今度はいきなりキルヤを喜ばせることがないよう言葉を選びながら、だが。
「バイクの新品置いてる店ならそれなりにあるんだけどね。改造やってる店となると極端に少ないのよ。おまけにこっちが女だって分かると高値付けようとしてくるし」
リンファの言葉を聞いてそういった場面を想像したのか、アズミがそっと尋ねる。
「一人旅は、どうですか?」
「――大変ね。女ってだけでどこ行っても舐められるわ」
多少の苦労では顔色一つ変えない彼女が大変と評価するのだから、中途半端な覚悟では決して続けられない旅なのだろう。平然とした物言いは逆に真実味を帯びていた。
「……やっぱり、機械関係のことは信頼できる技士にお願いしたいところですよね」
「そういうこと。頼めるかしら、キルヤ」
「オイラで良ければ喜んで引き受けるっスよ!」
技士。その人が持つ能力をビジネスによって提供可能な実力として証明する称号――端的には『資格』と言われているが、技士もまたその一つである。
五百年前、グリームランドの地に太陽は昇らなかった。太陽創生に失敗し、百年の闇に落ちたのだ。それはグリームランド歴六九八年以来の、歴史上二度目となる悲劇だった。
光を失った世界は、それまで二千年を掛けて極めてきた栄華の道を一気に逆戻りしていったという。特に工学技術のような高度な知識はすぐさま衰退し、再び太陽が現れた時にはもうその進歩の歴史は白紙に戻っていたという。
太陽が昇っても、それで今日明日に世界が元通りになるはずもない。グリームランド再興の要となる工学技術の確立は、遺物と化した機械を一つ一つ解明することから始まった。その技術を集積し、受け継ぎ、行使する者達こそが『技士』である。
キルヤの父親は世界でも屈指の技士で、キルヤもまたその才能を大いに秘めている。弱冠十六歳にして技士の資格を取得している人間はそういない。
「にしても、世の中にはリンファを舐めてかかるやつもいるんだな」
「あら、ひっかかる言い方ね。どういう意味かしら?」
リンファが柳眉を逆立てて言及してくる。ジンレイは失言だったと悟るが、言ってしまったからにはもう遅い。
「えっ、いや、世間知らずもいるもんだなぁ……って。なあ?」
視線でキルヤに助け舟を出す。バックミラーを介してジンレイと目が合ったキルヤは慌ててフォローに回った。
「え、えっと、そっスね。命がいくつあっても足んないっス」
……なに火に油注ぐようなこと言っちゃってるんだろうか彼は。
ああ、そういえばこいつ空気読めないんだったなあ。と懐かしさに浸りつつ、彼に助けを求めたのが間違いであったことを悟るジンレイ。
リンファの額にはくっきりと血管が浮かび上がっている。
「あんた達、言うに事欠いて……」
おまけに目をマジにして魔法詠唱を唱え始めた。これはさすがにやばい。彼女を怒らせると首が吹っ飛ぶか、さもなくば最低でも三日は眠れないような心傷体験を味わわされる。
「待った! 待ったリンファ! 俺だけ睨まれるのはおかしくないか!?」
「運転してるやつの分も業を背負いなさい」
「んなむちゃくちゃなっ!」
その横では壺の浅いアズミが腹を抱えて笑っていた。
リンファも殺気立っているようだけど、目元は綻んでいて。
バックミラーの向こうでキルヤも必死に笑い声を押し殺している。
――みんな、全然変わってねぇのな。
リンファとワモルが一足先に学修院を卒業してゆき、いつも一緒だった面子がばらばらになってから七年が経つ。勿論、年齢や身長、外見や地位など変わってしまったものの方が圧倒的に多いが、それでも昔と同じように笑い合える。今はそれだけでも充分に思えた。
「あれ、アズミとリンファってよく会ってるんじゃないんスか?」
先程アズミがリンファに旅の様子を尋ねたことについて、素朴な疑問を持ったキルヤが程無くして尋ねた。
「それほどじゃないですよ。つい最近になってからですよね」
「今年に入ってから、三回かしらね。それも忙しなくて話したような話してないようなだったし」
「ですね」
何度か会っていると言っても、リンファと七年ぶりに再会したジンレイ達とアズミもそう変わらないようだ。
「じゃあみんな、こうやって会うのも結構久しぶりなんスね」
キルヤの中で嬉しさや驚き、他にも色んな感情が混ざり合っているのだろう。それは七年という月日をそれぞれ過ごしてきたジンレイ達も然りだ。
「……そうですね」
久しぶり。その言葉は昔と今を引き離し、別物であると言外に告げる。僅かな沈黙は、七年という歳月で変化したものが単に喜ばしい成長ばかりでないことを感じさせた。
「あっ、チロル」
アズミが抱いている子猫の方が腕から抜け出した。解放されて気持ち良さそうに身体を伸ばすが、直後向かい風に足をすくわれ、にゃごーと唸りながら荷台の上を転がった。
ちょうど手前に来たところを、ジンレイがひょいっと拾い上げる。
「油断してると風に飛ばされるぞ」
ジンレイの手にしがみ付いて、またにゃおと鳴いた。顎の下を撫でたり前足を持って立たせてやったりすると、嬉しそうにまたじゃれ付いてくる。長い間じっとしていて退屈だったのだろう。ジンレイは風避けになりながら遊び相手をしてやる。
黄色い子猫がチロルネイ。緑色の小鳥がケトルレイ。
こうしてじゃれ合っていると、こいつらは本当にただの小動物なんじゃないかという気がしてくる。だが本来の姿は泣く子も黙るような凶猛な獣であり、仮にその姿でじゃれ付かれたら、即死ないしは秒殺される。こいつらの殺傷能力は人間の比ではないのだ。
「なんだチロル、少しデブくなったか?」
「成長したんですよ。太ったんじゃないですー」
「ああ、そっかそっか。久々に見りゃあ、大きくもなるか」
ジンレイからするとアズミとの再会は二年ぶりになるが、よくよく振り返れば式魔達のことをこうしてじっくり見るのはそれ以上に久しぶりな気がする。さっきリンファが『会っても話したような話さないような』と言っていたが、まさに自分がそうだったのだろう。
知らず知らずのうちに、互いのことが分からなくなっていく。それが大人になっていくということなのだろうか。
アズミの顔がまた陰る。思慮深い彼女はこういう時人一倍敏感に感じ取ってしまうのだ。すぐには埋まらない溝が自分達の前に横たわっている。




