アラサー超えの私たち、都市伝説で噂になってる廃病院にノリで行ってみた結果ーー長年の友情、大崩壊!?
◆1
私、高山えりかは現在三十二歳。
喫茶店の雇われ店長をしている。
店は夜遅くまで営業しているので、普段は割と忙しい。
それでも、喫茶店を経営している本部が〈働き方改革〉を実践してくれたので、週休二日がきっちり取れるようになった。
二日間の休日は、シフトの関係上、水曜・木曜だったり、月曜・火曜だったりと変則的だけど、月に一度は土曜日・日曜日が連休になる。
そんなときには有給を一日分ぶっ込んで三連休にするのが、私の休暇の取り方だった。
そしてその連休中、決まって悪友二人が、私のアパートに押し掛けてくる。
彼女らはコンビニで買った紙パックのお酒なんかを提げて来て、スルメやナッツを持参してくる。
そして、いつもの〈宅飲み〉が始まる。
「たまには、アンタたちも何か作ったら?
私にばっかり、料理やらせるんじゃなくてさぁ」
「やだぁ、えりか店長。
つれないこと言わないでよ。
飲食でしょ?
お手のもんじゃないの?」
「だから、私の店は喫茶店だって、いつも言ってるでしょ!?
パスタ出してるけど、みんなレンチンなんだから」
そうは言いながらも、私もいそいそと彼女ら二人のために、酒の肴をこまごまと用意していた。
レタスをちぎって細切りのチーズをまぶしたサラダを、ボールいっぱいに盛り付ける。
ジャガイモを蒸し潰してポテトサラダを作ったり、西京漬けの魚を焼いたり、チャーハンや焼きそばなんかも用意する。
気分が乗った時には、唐揚げまでも揚げたりして、二人をもてなしたりしていた。
「じゃあ、なんだかわかんないけど、カンパイ!」
「カンパイ! アラサー超えたってことで」
「なによ、その口実? 要らなくね?」
缶ビールと缶チューハイをそれぞれ自分で開けて、高く掲げる。
私たちは、東海地方出身の上京仲間だ。
私、えりかと、新藤彩子、そして荒畑玲奈という。
子供の頃からつるんでいて、仲良し女子の集いを長く続けていくうち、いつの間にか三十二歳、アラサーと呼ばれる年齢になってしまった。
「私たち、小学校以来ずっと一緒ね」
「なに言ってんの。
彩子なんか、幼稚園の時以来、ズッとよ」
「私たち、仲良いわよね」
「まぁねぇ。喧嘩らしい喧嘩もなかったし」
「気が合うのよ、私たち」
私たちの絆の長さを確かめた直後に、不穏当な発言をぶつける。
「アラフォーが近づく今さらだけど、いいかげん、浮いた話はないの?」
いきなりオトコ絡みの話題を振るのは、いつも玲奈だ。
私が応えるよりも先に、缶チューハイを一気飲みした彩子が吐き捨てた。
「ないわよ。もう何年も彼氏ナシ。親も諦めたみたい」
そう語る彩子は塾講師だ。
四年制大学の大学院にまで進学したのに、企業に就職することなく、学生時代のバイトをそのまま本職にして、今まで続けている。
「実入りがそれなりにあるから、結婚する必要もないわ」
と嘯いている。
眼鏡をかけた真面目な子で、小中学と学級委員長をやったりしていた。
お堅い彼女はすぐさま結婚すると思っていたが、
「仕事にかまけているうちに、婚期を逃した」
と言っている。
もう一人の玲奈は、彼女と毛並みがまるで違う。
缶ビールを片手に、スルメを齧りながら、声を上げる。
「ウザい男なんて要らないわ。
女同士が一番。
気ぃ使わなくて済むもの」
そんなことを口走っておきながら、彼女はすぐに男に惚れる。
大学時代には演劇にのめり込んで、学業を疎かにしていた。
代わりに、女子大生の本分とばかりに、付き合う男を取っ替え引っ替えしていた。
やれ恋に落ちただの、やれ失恋しただのと、付き合う男が変わるたびに、私たちを巻き込んで迷惑をかける。
恋多き女だ。
私たちの世代は、割と恋愛にも飲酒にも淡白だと言われているのに、私たちは恋愛に憧れているし、こうしてお酒も飲む。
それなのに、と言うべきか、だからこそと言うべきか、私たち三人とも、なかなか家庭に収まりそうもなかった。
酔いが回った勢いで、いきなり〈肝試し〉を提案したのは、やはり玲奈だった。
「知ってる?
ここから西にずっと行って、県境を越えた山の中に、有名なホラー・スポットがあるの」
「もう! アラサー超えた女同士で、田舎のヤンキーカップルみたいなこと言わないでよ」
と、私は話を遮ろうとした。
だが、この手の話にまるで乗ってこないはずの彩子が、珍しく興味を示した。
「知ってる。山の上の廃病院でしょ。
塾に通う男の子たちが、ワイワイ話していたもん。
ネットやテレビでも取り上げられてるそうよ」
玲奈が私にもたれかかりつつ、三本目の缶ビールを開けながら言った。
「ねえ、行こうよ、〈肝試し〉!
このまま泊まって、明日の夜にさ。
お酒も抜けてるだろうし。
えりかも有給取ってんでしょ?」
◆2
お酒を抜いた、翌日の夜ーー。
私たちは女性三人で噂の廃病院へ、肝試しに向かった。
都心から高速道路に乗り入れて西へと進み、H市を通り過ぎ、大きな人工の川を越え、山の中へと入って行く。
このまままっすぐ行けば沢があり、キャンプ場がある。
自然に囲まれた場所だ。
その道を少しUターンする形で、さらに山奥へと進む。
周囲より、かなり小高い場所に、噂の廃病院があった。
道すがらの車の中で、彩子はメガネをくゆらせながら、嬉々として廃病院についての蘊蓄を披露する。
彼女は、ハンドルを握る私の隣席に座っていたが、時折ナビを確認しては方角を示しつつ、コーヒーを淹れてくれたりしつつの演説だから、たいしたものだ。
いかにも塾講師らしく、抑揚をつけつつも、やや説教じみた口調で話すのが、彼女の特徴だった。
「その病院ではね、諸々の事情で、あまり表沙汰にならなかったそうなんだけど、何人も殺されてるらしいのよね」
彼女によれば、経営が成り立たずに廃業となった病院を舞台にして、シリアルキラーの若い男が、複数の女性を監禁したうえに殺人を犯したそうだ。
それ以来、怨みを残した女性の霊が出没する、との噂が後を絶たないとのこと。
加えて、事件発覚後、自殺したはずの殺人鬼がじつはまだ生きていて、今でも廃病院に訪れた女性を監禁し、殺し続けている、という。
まさに典型的な〈都市伝説〉であった。
とはいえ、彩子によれば、〈都市伝説〉が発生する根拠となった監禁・殺人事件は、実際にあったのだという。
当時の新聞によれば、廃病院ではなく、経営中の病院を舞台にしての事件であり、この事件があったせいで廃病院となったのが実情であった。
入院患者の男性が余命宣告されて自暴自棄となり、刃物で何人もの病人を殺した後に、見舞い客二人と看護師一名を監禁した。
全て女性で、二十代から三十代の三人が監禁され、一人だけが逃げることができた。
他はみな、犯人によって、刃物で手足を切断されたうえで、殺されたという。
そういった、週刊誌やネットのまとめ記事をベースにした〈事件のあらまし〉を語ったうえで、彩子は眼鏡を輝かせた。
「でもね、こういった〈実話〉ってされてるモノ自体が、都市伝説並みに話を盛られてたりするんだよね。
実際は、その後、その逃げた一人が交番に駆け込んだの。
その結果、警察が動いて、他の二人も助かった、っていうーー」
「なによ、それ?
だったら、怖くないじゃん」
そう声をあげたのは、後部座席で寝そべっている玲奈だ。
彼女は一人で缶チューハイを開け、酔いの回った舌を動かす。
「そもそも、彩子の言う〈実際の事件〉じゃ、誰も死んでなくね?」
彩子はムッとする。
誰かに抗弁されると、すぐにムクれる性格は相変わらずだった。
「なんで? ちゃんと話、聞いてた?
たしかに、監禁された女性はみんな助かってる。
でも、その前に、六人の患者さんを刃物で刺し殺してんだから、十分、酷いでしょ!?」
彩子は身を乗り出すようにして後ろを向き、叱責する。
「ーーそれに玲奈、なに一人で勝手に飲んで、酔っ払ってんのよ。
えりかは運転してんだから!
ちょっとは遠慮したらどうなのよ」
彩子に詰られても、いつものことで、玲奈はまるで意に介さない。
「ごめんて。でも久しぶりだからさぁ、三人で旅行ってさ」
彩子は大きく息を吐くと、話を戻す。
「でも、実話のほうに続きがあってね。
都市伝説以上に、コッチの事実のほうが怖いくらいなのよ。
監禁されてた三人とも助かったはずなんだけどさぁ、今じゃぁその三人ともが行方不明になってるってさ。
おかげで、三人でつるんで、またあの山の中の病院に行ったんじゃないかって噂されてるのよ。
病院に行ったきり、帰ってこないんだって」
玲奈が押し黙る。
私も、ハンドルを握る手が少し震えた。
「それこそ、都市伝説だよ」
私がまぜっ返したが、彩子は応じなかった。
「でも、ウチの塾でも割と成績が良い子が、まことしやかに語っているのよね。
なんでも、その生き残り三人のうちの一人が、近所のお姉さんなんだそうでーー」
私は車を道路脇に寄せて、ブレーキを踏む。
「なんだったら、やめにしない? 〈肝試し〉なんて」
私がそう提案したけど、玲奈が大声で反対した。
「行こう、行こう!
まさか、えりか、怖くなっちゃってんの?」
隣で、彩子は両手を合わせ、苦笑いしていた。
「ごめん。脅すつもり、なかった。
せっかく、ここまで来たんだからさ。
行ってみようよ。都市伝説の検証ってことで」
私は溜息をついた。
「なによ、二人して。
えらく乗り気じゃない?
ホラー映画だったら、真っ先に殺られるキャラみたいなこと言って」
あははは、と三人で笑った。
ワイワイガヤガヤとした、学生の頃に戻ったような気分だった。
私はアクセルを踏んで、再び高速に入った。
でも、このときに引き返せば良かったと本気で思うまで、いくらも時間はかからなかった。
◆3
月夜の晩ーー。
私たちは、山奥の廃病院に到着した。
表玄関は柵で閉められ、倒れかけた看板がには『立入禁止』と書いてあった。
が、もちろん無視して柵を超え、私たちは建物内へと侵入する。
玄関の自動ドアのガラスは割れており、天井には壊れた蛍光灯があるだけ。
もちろん人の気配なんかしない。
所々、壁や廊下の塗装が剥がれ、泥水や木材の破片、紙切れなどが錯乱していた。
そんな中、私たちは懐中電灯やスマホで灯りをともし、面白半分にキャッキャとはしゃぎ合いながら歩いていった。
彩子は事前情報を仕入れていたらしく、
「YouTuberがここを訪れたとき、こっちの奥にメインの部屋があるって言ってたのよね」
と言って、ズンズン進んでいった。
そこここに落書きがあって、カルテらしきものが散らばってはいた。
だが、廃墟ならではの、お決まりの様子が見られるだけだった。
演出効果を盛り上げるおどろおどろしい音楽が流れるわけでもない。
映画の雰囲気に比べたら、怖さが段違いで少なかった。
でも私たち三人しか周りで歩いてるものがいないと言う孤独感が、次第に身に染みて感じられてきて、三人ともが口を利かなくなっていた。
そのままズンズン、廊下を奥まで進む。
「ここよ」
と、彩子が扉を開ける。
中に入ったら、白い壁に囲まれた密室があった。
デカい照明機器が天井から伸び、いくつものモニターがついた機械が銀色のワゴンに載せられ、そこから何本ものコードやパイプやらが床を這っていた。
そして、いかにも人を乗っけるような感じの鉄製の台がど真ん中にあった。
「手術室!?」
私が口に手を当ててつぶやくと、彩子が得意げに眼鏡を光らせた。
「そう。ここが、三人の女性が閉じ込められた現場。
通気口が上についてるけど、それだけで、後はーー」
と彩子が上の方を懐中電灯で照らしながら語ったとき、いきなり背後で大きな音がした。
バタン!
扉が閉まったのだ。
玲奈がケラケラ笑った。
「ちょっとやめてくんね?
このタイミングはナシっしょ。
えりかなんでしょ、こういうことやるの。
効果アリすぎ」
私は喉を震わせる。
「私、何もしてないわよ」
彩子が懐中電灯を片手に、無表情で突っ立っている。
玲奈は「ウソでしょ、ねえ!?」と言いながら扉を押す。
この扉は手術室に入るため、患者を載せた担架が出たり入ったりするはず。
だったら、押せば開くかと思った。
が、取っ手口もないのに、開く気配がない。
「何よ、これ?」
慌てた玲奈は、ダンダン、と派手な音を立てて体当たりをする。
が、それでもびくともしない。
「冗談でしょ?」
と、私が喉を震わせると、彩子が静かに断定した。
「私たちーー閉じ込められた……」
◆4
私たち、高山えりかと、新藤彩子、そして荒畑玲奈の女性三人が、山奥にある廃病院の手術室に閉じ込められてしまった。
四方を白い壁にかこまれた手術室は、中央の扉しか出入口がなかった。
みなで力一杯、何度も扉を押したり引いたりしても駄目だった。
一向に開く気配はない。
手術室は扉が閉じられている限りは完全な密室で、窓すらない。
しかも防音処置が施されているみたいで、やたら静かだった。
まるで外の様子がわからない。
今が晴れなのか、雨なのかすらもわからない。
幸い、みな、スマホを携帯し、腕時計を嵌めていたから、時間はわかる。
現在、夕方の六時十二分。
昨夜遅くに侵入してから、かれこれ十八、九時間は経過していた。
「ざけんじゃないわよ!」
私は何度もスマホで従業員たちと連絡を取ろうとした。
私は雇われとはいえ、店舗運営を任されている店長なのだ。
無断欠勤ができる立場ではなかった。
焦って、最後には叫んでいた。
「嘘でしょ!?
ここがいくら山の中といっても、車で来る途中、ナビも使えたし携帯も繋がってたわよ。どうしてーー!?」
この手術室が電波遮断する仕様になっているからなのか、そもそも山奥だからなのか、原因はわからないけど、とにかくアンテナが圏外のようで、誰にも電話がつながらない。
玲奈は半笑いの表情で、話題を変えた。
「そんなことよりさぁ、いったい誰が私たちを閉じ込めたわけ?
ここに来る間、ひとっこひとりいなかったじゃない?
誰もいなかったでしょ?
まさか幽霊かなにかが、いたっていうの?」
「もう! そんな非現実的な話は、どうでもいいじゃない。
とりあえず、ここから出ることが肝心ってことよ。
出られさえすれば、普段の日常生活に戻れるんだから!」
私は、ガンガンと扉を叩く。
が、よほど頑丈に造られているようで、びくともしない。
扉の銀色が黒ずむ。
私たち三人とも、今まで必死にドアを叩いたから、手の皮が剥けて血が滲み出ていた。
彩子が私の手を取って、首を振る。
「気持ちはわかるけど、えりかが一番、血が出てるんだから。
諦めて、手を洗って来なよ」
私は力無くうなずく。
幸い、手術室の隣に、お医者さんのための更衣室があって、そこの脇にトイレがあった。
用を足した後、手を洗う。
洗面台もあったので、水も飲める。
だから、密室に長時間閉じ込められても、お腹が空く以外は、健康なままでいられた。
「でも、おかしいと思わない?
ここ、どうして水道が通ってるわけ?
廃病院なんでしょ。
もう十年以上も営業していないはずよ」
「何だったって、良いじゃない。
おかげで、水が飲めるんだから」
「まっとうな水かどうかなんて、わかんないじゃない?
水道管なんか、錆びてたりしてさぁ……」
「うるさいわね。
とっとと、ここから出られれば、どうとでもなるでしょう?
出る方法、考えなよ!」
「だって、扉が一つしかないんだもん。
その扉がびくともしないんだから、どうにもならないんじゃない!」
「あぁ、こんな時、男手が一つでもあればなぁ」
「男がいたって一緒でしょ。
どうせ、自分は何にもしないくせに、腕を組んだままで、ガタガタ文句言うだけよ」
「そもそもさぁ、なんでこんなところに来たわけ?」
「彩子が連れてきたからじゃない?」
「私は連れてきてないわよ。
率先して車を運転したのは、えりかでしょ?」
「なに? 私が悪いってわけ!?」
私は頭に血が昇り、甲高い声を張り上げた。
「いつもいつも私にばっかり料理作らせたり、車も運転させて!
あなたたちが、私に何してくれたって言うのよ!
いつもお酒持ってきたり、つまみ持ってきたりするだけで、タダで歓待してあげてるコッチの身にもなってよね!」
玲奈が負けじと声を上げる。
「うっさいわね!
『接客の練習になるから』って、私たちをしょっちゅう招いてきたの、えりかでしょ!
私も付き合うの、いい加減、うんざりしてたのよね。
大体さぁ、こんなふうにいつまでも女同士でつるんでるから、私たち、彼氏ができないんじゃないの!?」
「彼氏がどうとか、この非常時に。
玲奈って、ほんと、いつもいつも……」
二人の視線が突き刺さる。
玲奈は慌てて怒りの矛先を変えようとする。
「思い出してみなよ。
こういった変なことがある時って、いつも率先して動いていくのって、彩子だよね?
中学の修学旅行で京都行った時だって、わざわざ遠い場所のお寺に行くって言って、私たちを振り回して、結局、ずっと歩きっぱなしだったじゃない?
結局、めんどくさいことに私たちがなっちゃうの、あんたのせいなのよ」
さすがに彩子も、カチンときたらしい。
眼鏡を掛け直して、言い返す。
「なによ、玲奈なんて、オトコに振られただの、惚れただのって、ガタガタ言うたびに、私がアリバイ作ってあげたじゃないの!?
おかげで玲奈のお母さんと私、お茶を飲むほどの仲になっちゃったじゃない。
あんたがズボラなんだから、もともとは単純なことを混乱させるのよ。
私はね、塾の生徒から聞いた話を元ネタに事件現場を見てみて、授業の合間に『先生も行ってきたわよ』って話がしたかっただけなのよ。
それが、そんなに悪いわけ?
あんたみたいにオトコを追っかけてるばっかりじゃなくて、私は仕事のこと、考えてんだよ。これでも!」
「そんなこと言ったら、私にだって仕事はあるわよ。
ディスカウントストアのレジもやってるけど、値札をつけたり、接客したり、いろいろこれでもやってるんだから。
会社員なんだよ、ワタシはこれでも。
塾の先生だからって、いつまでも威張らないでよ!
ーーそうそう、威張ってるって言ったら、えりかもだよね?」
玲奈は矛先を急に私に向け変えた。
言いすぎたってことを、彩子の表情を見て察したんだと思う。
だからって、私をディスる流れにするのはどうかと思うけど。
「店長になったからって偉そうに。
アンタ、店長って言っても、正社員じゃないんでしょ?
学生のバイターやフリーターと変わらない身分なんでしょ?
契約で雇われてるなんて、将来性ないわよ。
私が演劇に沼ってた時、『演劇なんかやっても無駄。将来性がない』って言って!
『将来性がない』っての、どっちよ?
ほんと、会社に使われてばっかで、先見の明がないんだから。
そんなんだから、いつまでたっても同じことやって店も持てないの、あんたじゃない!?」
私は玲奈の頬をバチンと平手打ちした。
「ほんとに、イライラするわね。
アンタ、いっつも一言、多いのよ!
ただでさえお腹も空いてるのに、今ここから抜け出すこと以外に考える必要、何かあるわけ?
私が店持ってるとか、持ってないとか、関係ないじゃない!」
私の視界が少しボヤける。
涙が溢れ出てしまったらしい。
彩子も同情してくれた。
「バカバカしい。
そもそも玲奈の口から、正社員だの契約社員だのって言われても、何の説得力もないんだから。
ほんとに玲奈は、アケスケに言ったらそれで良いって勘違いしてない?
本音をぶつけてるから、それで良いっていうことでもないのよ」
今度は玲奈が泣きそうな顔になる。
それを見て、彩子も急に矛を収める。
そして、私の方をマジマジと眺める。
「ーーでも、どうしてこんなところにまで来ちゃったんだろう。
運が悪過ぎるわ。
玲奈はわかるけど、どうしてえりかが反対してくれなかったの?」
私はびっくりして彩子を見返した。
それでも、彩子は澄まし顔で説教を始める。
「私は塾の生徒がしてた都市伝説の話をしたけど、まさか本当に事件現場にまで行っちゃうとは思わなかった。
だいたいね、えりかが夜食用意したり車を運転したり、そういうふうにサービスするもんだから、みんなが後に退けなくなっちゃうのよ。
えりかってさあ、世話を焼いたらそれで誰からも好かれるって勘違いしてない?
そうやってばかりだから、オトコに逃げられんのよ。
あんたは、オトコに尽くしてばかり。
学生時代付き合ってたマサトだってーー」
「関係ないでしょ、そんなの!」
私は金切り声をあげた。
「彩子自身が、ついさっき言ってたでしょ!
正しければ言って良いってことでもないのよ。
それに、今の状況に何の関係があるわけーー」
言い争いが加熱する。
今度は、玲奈までもが乗ってきた。
「そうよ。彩子のその口振り、昔から嫌いだった。
正論吐いてればそれで良いっていう、その態度。
あなたも他人に説教する暇があったら、自分で身体、動かしなさいよ。
典型的な頭でっかちの理屈倒れ。
真面目なのに、中途半端な学力でさ」
「なによ、なによ!」
今度こそ、彩子は泣き出した。
眼鏡を取って、涙を拭う。
それでも、玲奈は止まらない。
今度は私の方を向いて、指をさして断言する。
「えりかもね、真面目に頑張ってたら、必ず報われるっていう幼稚な考え、良い加減、捨てなよ。
最低、その考えを、私や他の人にまで押し付けるの、やめてくんない?
重いんだよ。『頑張ってる私を見て』っていうの。
そんなんじゃ、オトコは気が休まらない。逃げちゃうわよ!」
悪口の言い合いが、終わらない。
それなのに、私はなぜか次第に頭が冷えてきて、玲奈と彩子、二人の顔を正面から眺めていると、ストンと何かが抜け落ちた気がした。
そして、大きく息を吸い込んで、自らに言い聞かせた。
(ここは落ち着くのよ。
パニックに呑まれてはダメ。
ただでさえ非常事態なのに、神経が参っちゃう……)
私は二人に呼びかけた。
「誰かが閉めたのかもしれないけど、詮索しても仕方ない。
ここから出る方法だけを考えないと。
だからね、ここは初めにかえって考えてみて。
この廃病院の都市伝説では、閉じ込められた女性三人ともが全滅したってなってたけど、実際は違った。
一人は逃げ出せた。
そして、交番に駆け込んで、全員が助かったっていうんでしょ?
ね、彩子?」
彩子はうなずいた。
「ウチの塾の子がそう言ってた」
私は二人の手を取った。
「だから、助かる方法はあるはず。ね、考えよ?
まずは、その逃げ出せた一人になるのよ。その方法をーー」
「それで言うとーー使えるかもしれない蘊蓄はあるの。
その塾の子が言ってたんだ。
この廃病院があった場所、元はお城だったんだって。
戦国時代の」
彩子は眼鏡をハンカチで拭きながら言った。
◆5
彩子は眼鏡を再び掛け直し、閉じ込められた状態から逃げ出せるキッカケとなりそうな〈いわく話〉を始めた。
「ここ、もともとはお城だった。
といっても有名なお城じゃなくって、交通の要衝を守る支城ーー砦みたいなものだった。
この病院が建ってるの、ちょうど本丸の御屋敷に当たるところだって。
砦を守る一族が、家族と一緒に住んでいたそうよ。
で、籠城の挙句、お城ごと焼かれたーー」
「ほんと、それ?」
玲奈が真面目な顔で問いかける。
彩子は残念そうな顔で、首を横に振る。
「詳しくは知らない。
でも、塾の後輩で日本史の講師に聞いたら、有名じゃないけど、結構、その戦、酷かったそうよ。
本城のお殿様の要請で、お侍さんの大半が駆り出されたあと、敵の本軍がコッチの支城に攻め寄せて来たって。
籠城して持ち堪えようとしたけど、結局、お侍さんはすべて討ち死に、女子供は自ら喉を突いて自害した、とか」
「自害って……」
玲奈はうげぇって舌を出す。
私も眉間に皺を寄せる。
「なによ。
廃病院の都市伝説っていうから、てっきり現代の呪いかと思ったら、古い歴史があるのね」
ここで彩子が、私たちに身を寄せてささやく。
「だから、お殿様にお願いするんだよ。
『外に出させてください』って。
『必ず、援軍を呼んで参ります』って。
そしたら外に出してくれるって。
そう、ウチの塾の子は言ってた」
「なに、それ。ネットに書いてあった?
ワタシ、知らないんだけど」
「マジかどうかなんて、やってみなきゃわかんないけどね。
でも、一人だけ逃げ出せたヒトがそう言ってたって、まことしやかに伝えられてるの。
実際、塾で生徒が話してたのは、その話でね。
近所の娘さんだって言ったでしょ。その生き残りさんが。
そのヒトがそう言ってたって、生徒が言ってたのよ。
これってヘタな噂話より、信憑性あると思わない?」
彩子は顔を紅潮させながら、訴える。
私は気圧されて、相槌を打つ。
「たしかに、都市伝説やネットの噂話を鵜呑みにするよりは……」
でも、さすがに疑念が頭にもたげた。
「でも、ここを戦場に見立てるのはいいけど、私たち、女だよ?
そんなこと、お殿様にお願いして、大丈夫なわけ?」
援軍を呼びに出るなんて、明らかにお侍さんの仕事だ。
女子供は結局、城に閉じ込められて一歩も出られないで自害にまで追い込まれたはず……。
私の疑問に、彩子は喉を詰まらせる。
だけど、そん状況にお構いなしに、玲奈が明るい声をあげた。
「女だからこそ、逃げ出せんじゃね?
史実の方はどうだったか知らないけど、実際の監禁事件で逃げ出せたヒトは、女性だったんでしょ?
ワタシ、やってみる。
お殿様を頭に思い描いて、祈ってみる!」
玲奈が率先して、目を閉じる。
それを見て、私も彩子と目を合わせて、うなずきあう。
「じゃあ、祈る!」
「うん! それしかない」
実際、いかに非科学的なことだろうと、私たちにやれることは、手を合わせて跪き、祈ることぐらいしかなかった。
私は強く目をつぶり、本気で祈った。
彩子が言った話に従って、ちょんまげを結ったお殿様を想像して、その前で平伏するイメージを持ちながら、実際に手術室の冷たい床に手をつき、ひれ伏した。
そして必死に祈った。
(助けてください。
ここから脱け出させてください。
お願いします。お殿様ーー!)
目で見たわけじゃないけど、きっと、私たち三人、心を合わせて、祈ってたと思う。
お殿様に平伏して、懇願するーー。
そして、目を開けたら、私は外にいた。
崩れかけた『立入禁止』の看板の前で、私独りだけが突っ立っていた。
◆6
私の車は、廃病院の脇にある、草木が乱雑に根を張った駐車場に止めてある。
私は自分の車のドアを開け、シートに腰掛けると、ブルンとエンジンを吹かせた。
エンジン音とともに、排気ガスが出る。
(やった! 動いた。
これで、山を降りられる!)
ハンドルを握り、アクセルを踏む。
私は「助かったあぁぁ!」と叫び声を上げながら、車を転がした。
来た道をまっすぐに戻って高速を降り、自分のアパートに向かう。
その道すがら、駅近くに交番がある。
信号待ちの時に見たら、中年の警察官がダラけた感じで椅子に座っているのが見えた。
でも、その交番の前を素通りして、私はアパートに戻った。
鍵を回してドアを開け、電気をつける。
自分の部屋に戻って目覚まし時計を見ると、夜の十一時半だった。
無我夢中で車を転がしてきたけど、まだまだ大人が出歩ける時間だった。
私は冷蔵庫を開けて、ペットボトルのお茶をガブ飲みし、ホッと、一息つく。
そして、ドシャッとベッドの上に倒れ込んだ。
心身ともに疲れ切っていた。
お風呂も入っていないんだけど、着替える気力が湧かない。
今にも寝入りそうになっていたーーその時である。
いきなりスマホが鳴った。
実家の母親からの電話だった。
「ああ、つながった。よかった。
どこ行ってたの!?
何度も電話したのよ!」
「ちょっとね。それより、なんの用なの?」
「彩子ちゃんのお母さんから訊かれたんだけど、彩子ちゃんの携帯がつながらないんだって。
警察に届けたんだけど、いまだに何処にいるか、わからないって。
あんた、知らない? 親友だったでしょ?」
私は盛大に舌打ちした。
あー、うざったい。
どうして母は、いつも噂話に興じているのか。
そんな暇があったら、自分で打ち込める趣味でも持てばいいのに。
私は吐き捨てるように言った。
「疲れてるから、早く寝たいのよ。
明日も仕事だし」
それでも、母は食い下がる。
「でも、彩子ちゃんと東京で会って嬉しいって言ってたじゃない?
今でも定期的に会ってるって」
私はそっけなく答えた。
「別に、知らない。
最近は、会ってない。
お互い、大人になって、いろいろと忙しいから」
母は諦めたような口調になって、溜息をついた。
「そう。可哀想ね。
彩子ちゃん、結婚間近だったそうよ。
相手の方も心配してるんだって」
「そうなんだ……」
「そうそう、その時に聞いたんだけど、玲奈ちゃんのお母さんも、娘さんと連絡が取れなくなったって。
玲奈ちゃん、あの子も友達で、よく会ってるんでしょ?
その玲奈ちゃん、最近、正社員になったそうなんだけど、勤め先の同僚と同棲してるんだって。知ってた?」
「……知らない」
「その同僚の彼氏さんから、お母さんに連絡あったんだって。
『玲奈ちゃん、実家に帰ってませんか』って。
かなりの大喧嘩したから、出てったんじゃないかって。
戻って来て欲しいって」
「ふぅん。
あのコ、一言多いコだから、何か言っちゃいけないこと、言っちゃったんじゃない?」
私が気のない返事を繰り返すと、母は話題を変え、いつものお約束を口にし始めた。
「アンタも、いいかげんカレシぐらい作りなさいよ。
同棲ぐらい、お父さんも許してくれるわよ」
「あははは。そのセリフ、十年遅いよ。
もう、三十二だよ。今さら同棲だなんて」
私は笑いながら、電話を切る。
そしてそのまま、ぼんやりと天井を見上げた。
(また、騙されてたんだ、私。
でも、ほんと、あの二人の本音、聞けて良かった……)
手術室の中で、必死に祈る二人の姿が思い浮かぶ。
でも、彼女たちが助けを乞う相手は、私ではない。
絶対に口にはしないけど、彼氏だ。
(ああ、友人、二人なくしたわ……)
私はゆっくりと目を閉じ、泥のように眠った。
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