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8 謝罪とは何たるかを教えられる◆

 ほんの一瞬、その胸の痛みをのぞかせたはずのレジーナ様は、すぐさま冷静さを取り戻す。



「ロレッタがいなくなって、彼女の本性というかいろんな事実が明るみに出てね。多くの令息が事実を知ってショックを受けてしまって。本当にみんな、呆然としていたわね。でもそのうち、ほとんどの令息が夢から覚めたように正気に戻っていったのよ。すべてが幻想だったと気づいたら、もう現実に向き合うしかないでしょう? 婚約者に破談を申し入れた令息たちはこぞって謝罪し始めて、許してもらえたりもらえなかったりさまざまだったけれど」

「……兄上は……?」



 やっと浮上してきたらしいラーシュ先輩が、祈るような目をしてレジーナ様に尋ねる。



「スティーグももちろんそうよ。自分のしたことを反省して謝りに来たわよ」

「でもあんな、浮気した挙句に自分勝手なことをさんざん言いまくって、それでももう一度やり直したいなんてちょっと虫がよすぎると思うんだけど」

「そうよね。だから私、会わなかったのよ」

「え?」

「謝りに来たスティーグに、会わなかったの。会いたくなかったし、会う必要もないと思って」

「……そう、なるよね……」

「どうあがいたって、最初から結婚する以外の道なんてないのよ? だったらまわりの思惑通りに大人しく結婚してやる、でもその代わり結婚式のその日まで顔を見せに来ないでって伝えてもらったの」

「えー……」



 事もなげにそう言って、レジーナ様はティーカップを口元に運ぶ。でもなんだかさっきより、表情が和らいでいるようにも見える。



「そりゃそうでしょう? ロレッタとの純粋な愛を選びたいなんて宣言していたやつが、何を今更、恥ずかしげもなく会いたいなんて言ってるの? と思ってね。もうスティーグに対して不信感とか嫌悪感とかそういう負の感情しかなかったのよ。結婚はするにしても、愛し合うとか夫婦として寄り添って生きていくとか、そういう気にはなれなかったの。『白い結婚』を貫いて、三年で離縁するか、それができなければ親戚から養子をもらおうとかそういうことまで考えて」

「そうなの……?」

「じゃあスティーグ様とは、結婚式の日まで一切会わなかったのですか?」

「それがね、スティーグったら毎日うちに来たのよね」



 はっきりと、苦笑するレジーナ様。ふふ、とほころぶ顔は、年上ながらもずいぶん愛らしい。



「毎日毎日謝りたい、会わせてくれって押しかけてきたのよね。はじめはとにかく鬱陶しくてね」

「そうですよね。来るなって言ってるのに」

「ほんとよね。しかも必ず花束を持ってくるのよ」

「花束?」

「15本の白いバラとか白いチューリップとかマーガレットとか。紫のヒヤシンスやカンパニュラのときもあったわね」

「それって、どういう……?」

「全部『ごめんなさい』とか『後悔してる』とかそういう意味があるのよ。とにかく毎日持ってくるから、家中が花だらけになっちゃって」

「兄上も、必死だったのかな」

「そうね。完全にやらかしちゃってるし、ほかに道はないのだし、せめて誠意を見せなきゃと思ったんでしょ。本当にしょうがない人よね」



 柔らかく微笑むその目には、愛がないなんて到底思えない。レジーナ様は今、スティーグ様に対してどんな感情を抱いているのだろうか。俺は固唾を呑んで、レジーナ様とスティーグ様の物語の行方にすべての意識を集中する。



「そんな日々がずっと続いて、もう面倒くさくなっちゃったから仕方なく会うことにしたのよね。久しぶりに会ったスティーグは少しやつれていたけど、ひたすら謝ってばかりだったわ。そりゃそうよね。自分がしでかしたことを考えたら、まずは謝罪するしかないわよね」

「なんて言って謝ったのですか?」

「悪かった、とか自分が間違っていた、とか? ひどいことを言ってすまなかったとか」

「あれだけロレッタ嬢への想いを声高に叫んでたくせに……? そんな、今更許してくれなんて言われても……」

「スティーグは、許してくれとは言わなかったのよ」

「へっ?」



 ラーシュ先輩が珍しく間の抜けた素っ頓狂な声を上げる。その声を聞いて、レジーナ様は可笑しそうに頬を緩ませる。



「許してくれとは言わなかったの。むしろ、許さなくていい、一生俺を恨んでくれていいって言って」

「え……」

「自分はそれだけのことをしたんだからってね。これ以上ない裏切りだと思うし、もしも逆の立場だったら俺は君を許せそうにないからって」

「そうなんだ……」

「いくら政略的な婚約だったとしても、ほかの女性を愛してるなんて言って君を傷つけていい理由にはならない。本当にひどいことをした、傷つけて悪かったって言ったのよ」




 俺はスティーグ様の言葉を心の中で反芻しながら、その圧倒的な重みに頭を殴られたような気分になっていた。



 ――――許さなくていい。一生恨んでくれていい。とんでもない裏切りだし、もしも逆の立場だったら許せないから。



 それはすべて、レジーナ様を思いやり、気遣い、傷ついたその心を救うために自分の心を尽くそうとする誠実で勇敢な言葉たちだ。言い訳をせず許しを請うこともせず、ただ真っすぐに、レジーナ様の傷ついた心に真摯に向き合おうとしている。そこまでの覚悟を、スティーグ様は示そうとしたのだ。



 それに比べて。



 俺は我が身を振り返る。ルディスの気持ちなんて二の次で、いつも自分の事情や都合を優先して、わかってくれ、理解してくれと言うばかりで。ルディスがこの三年間、どんな思いでいたかなんてちゃんと考えたこともなかった。もしも逆の立場だったら? 俺はどうしていただろう。ルディスを許す気になっただろうか。




「私、思うんだけどね」



 小首を傾げたレジーナ様が、軽い調子でさらりと言う。



「『人に謝る』とか『謝罪』とかって、二つの側面があると思うのよね」

「二つの側面?」

「そう。一つは、自分の落ち度や非を認めて、悪かった、すまなかったと表明すること。もう一つは、自分のせいで相手を傷つけたこと、その傷つきの深さを理解すること。謝罪って言うと、みんな最初の側面のほうばかりを考えるでしょう? でも実際は、傷ついたその心の痛みをきちんと知ってほしいっていう気持ちが強いんじゃないかしら。少なくとも、私はそうだったから」



 話し終えて、ふう、とひと息ついたレジーナ様に、ラーシュ先輩が訝しげな表情をする。



「義姉上は、いまだに兄上を許してはいないんですよね?」

「そうね。100%許したわけではないわね」

「じゃあ、今の気持ちとしてはどこまで許せているのですか? 何%くらい?」

「……そうねえ。90%くらいかしら」



 ……え?



 それって、もうほとんど許してることになるのでは?



 恐らく同じことを思ったラーシュ先輩が、「それって……」と言いかける。



「あのね、ラーシュ。確かに90%はほとんど100%よ。でも完全な100%になることはないの。残りの10%が埋まることは多分ないのよ」

「え、どうして……?」

「この七年間、スティーグは自分のしたことを反省し続けて誠心誠意向き合ってくれたし、私の傷つきを思いやって常に一番に尊重してくれた。ロレッタに対して抱いていた激しい恋情みたいなものはないにしても、温かくて穏やかな愛情を向けてくれるようになったと思うの。それでも、あの人が一度でも私を裏切った事実はなくならない。どんなに時間がたっても、どんなにスティーグが私を大事にしてくれても、いつかまたあの人が私を裏切るんじゃないかと心のどこかで思ってしまう。その不安と恐怖がなくなることはないからよ」






◇◆◇◆◇






 帰りの馬車の中で、俺は忸怩たる思いに駆られていた。



 この三年間、俺は自分のことばかりを考えて、ルディスを蔑ろにし傷つけた。ただただ傷つけ続けた。その傷の深さを、本当の意味で理解していなかった。何が話せばわかる、だ。事情を知ったら理解してくれるはずだなんて、単なる甘えでしかなかった。ひたすら傷つけ続けたくせに、そのうえルディスの優しさに甘えようとしていたなんて恥ずかしくて情けなくて不甲斐なさすぎてどうしようもない。



 今となっては、寂しそうに立ち去るルディスの背中ばかりが頭に浮かぶ。



 レジーナ様に謝罪とは何たるかを教えられ、俺は自分が為すべきことは何なのかを無我夢中で考えた。それは理解してもらおうとすることでも、許しを請うことでもない。俺のほうこそ、ルディスの痛みを理解すべきだった。



 帰宅してすぐ、俺は手紙を書いた。中等部での三年間、本当にひどいことをした。それをただ、謝りたい。ルディスの傷の深さを、痛みを知りたい。そのうえでルディスが俺の話を聞いてくれるというなら、聞いてほしい。




 ルディスに手紙を書いたのは何年ぶりだろう。久しぶりの手紙の筆跡は、少し震えていた。











次回からしばらくルディス視点です!

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