5 なおも追い込まれる◆
「お前には、ほとほと失望したよ」
スヴェンが話し終えると、父親は額を手で覆いながらまた大きなため息をつく。
「そんなふうに育てた覚えはないのだがな」
「いや、ほんと待ってって」
俺は必死に言い募った。
「ルディスに冷たくしたのは認めるよ。ひどい扱いだったと思うし、悪かったとも思う。でもだからって、そんなすぐに婚約を解消するとか――」
「三年間も蔑ろにしてきて今更何を言ってるんだ。学園でのお前の態度は、婚約を解消してもいいという気持ちの表れだろう?」
「いやだから、違うんだって。婚約を解消したかったわけじゃない。それにルディスだって、いきなり解消とか言われても困るんじゃないか?」
「ルディ姉様は多分困らないと思うけど。もうエリアス様がいるんだし」
「そんなのルディスに聞いてみないとわかんないだろ? とにかく一度、ルディスとちゃんと話をさせてくれよ」
なりふり構わず、目の前の三人の顔をじっと見つめて頼み込む。
三人は一様に渋い顔をして、猜疑心の塊のようなまなざしを向けている。痛い。視線が痛い。
居たたまれないほど刺々しい雰囲気に身悶えていると、父親が仕方ないなというように大きく深呼吸をした。
「……いいだろう」
「あなた!」
「父上!」
母親やスヴェンの抗議を黙って制止して、父親はぎろりと俺を睨む。
「ブランド。一度だけチャンスをやろう。ルディちゃんと話し合い、ルディちゃんがお前の三年間に及ぶ勝手極まりない言動を許してくれるというなら、婚約は解消せず家督もお前に譲ろう」
「父上……!」
「ただしルディちゃんがもうお前との婚約を解消したいと思っているのなら、そのときはこちらの有責で解消する。家督もスヴェンに譲る。いいな?」
「……はい」
息が詰まるほどひりひりした緊張感の中で、俺は大人しく頷くよりほかなかった。
◇◆◇◆◇
翌日。
とにかく、一度ルディスとしっかり話さなければならない。婚約の継続もそうだが、いきなり跡継ぎは弟に代えると言われて「はいそうですか」なんて承諾できるわけがない。ルディスに婚約継続の意志があることを確認できさえすれば、すべてが丸く収まる話だ。俺はそう、高を括っていた。
登校してすぐに教養科の校舎に行って、ルディスのクラスを探す。ルディスが教養科を選んだのは知っていたが、どのクラスにいるのかまでは知らなかったから一つひとつ聞いて歩くしかなかった。
やっとの思いでルディスのクラスを突き止めて教室に向かうと、見覚えのある明るいシナモン色の髪が目に留まる。あれは確か、いつもルディスと一緒にいる友だちだったはず。
「あの、ルディスは……」
ちょうど廊下にいたシナモン令嬢に声をかけると、令嬢は俺の顔を見てすぐさま眉間に何本もの皺を寄せた。
「は?」
低くドスのきいた声。全身で俺を威嚇している。
「いや、だから、ルディスは――」
「ルディスに何の用?」
俺が言い終わらないうちに、尖った声で被せてくる令嬢。その圧に、ちょっと後ずさる。
「あの、俺、ルディスの婚約者の――」
「は? 婚約者? 今更? 今更あんたがそれを言う?」
令嬢は見下したように「はっ」と笑ったかと思うと、苛立たしげな目つきで語気を強めた。
「あんたのことは知ってるわよ、ブランド・ギルウイング。何しにここまで来たのか知らないけど、今更婚約者を名乗るなんて厚かましいのよ。何様のつもり? 自分が今までルディスに何をしてきたかわかってないの?」
「いや、だからそれを――」
「あのねえ。ほんと今更なのよ。遅いのよ。どうせちょっと謝ればすぐ許してもらえるとでも思ってるんでしょ。甘いのよ」
やばい。図星すぎて何も言い返せない。みぞおちに手痛い一撃を食らった気分になる。それにこの令嬢、話の途中で毎回被せてくるから全部言わせてもらえないのがまた癪に障る。
「とにかく、ルディスはまだ来てないし来ていたとしてもあんたには会わせないわよ」
「は? いや、君にそんな権限は――」
「あんた馬鹿なの? 親友を傷つけ続けた男を、親友に近づけるわけないでしょ」
令嬢はそう言って、とっとと失せろとばかりに手で追い払う仕草をする。ルディスが来るまで居座ることもできず、俺は仕方なく教室をあとにするしかなかった。
ランチの時間になった瞬間、俺は急いでさっきの教室に走る。
騎士科と教養科の校舎は少し離れている。全速力で脇目も振らずに向かうと、ちょうどルディスとさっきの令嬢、それからパーティーでルディスの隣にいたなんとかというド派手頭の令息が廊下に出てきたところだった。
「ルディス!」
思わず叫ぶと、三人が一斉に振り返る。
ルディスの驚いた顔が目に入った瞬間、ド派手頭の令息が俺とルディスの間に割り込むように立ち塞がった。
「ちょっと、俺はルディスに――!」
「君、ブランド・ギルウィングだよね?」
令息はわざとらしいにこやかな笑顔で、通せんぼするかのようにその場に立ち止まる。おかげでルディスには近づけず、それどころかさっきの令嬢とド派手頭の令息は二人で何やら頷き合って、そのまま令嬢はルディスを連れてさっさと立ち去ってしまう。
「え、ちょっと、ルディス――!」
「ねえ、君さ」
令息はにこやかな笑顔を見せながらも、その目は冷ややかでまったく笑っていない。なんだこいつ、と思う間もなく、茶化すような口調でさらりと話し出す。
「頼むから早いとこルディスとの婚約を解消してくれないかな?」
「は?」
「俺、ルディスのこと好きになっちゃったんだよね。中等部の頃からずっと片想いしてて、今年やっと同じクラスになれたからもう必死で口説きまくってるんだよ。だから邪魔しないでほしいんだよね」
「何言って――」
「だって君、ルディスのこと嫌いでしょ?」
俺は思わず、目の前の令息を睨み返す。
俺がルディスを嫌ってる? そんなわけないだろ。そう言い返そうとしたのに、相手のほうが一枚上手だった。
「え、違うの? いやまさか、そんなわけないよね」
「お前――」
「とにかくさ、俺とルディスの仲を邪魔するのはやめてくれよ。今日みたいに会いにきたとしても、俺たちが全力で阻止するからもう諦めて」
最後にまたにっこりと微笑むと、ド派手頭の令息は背中を向けてひらひらと手を振りながら立ち去った。
それからも朝と言わず昼と言わず授業が終わって帰宅する直前の放課後と言わず、俺はルディスの教室への突撃を繰り返した。諦めろなんて言われて、黙ってその通りにするわけがない。
でもそのたびに、あの令嬢と令息にことごとく邪魔される。あいつらの『全力』はまじで侮れなかった。俺が行くのを察知してか、早々にルディスをどこかへ連れ去ってしまう。おかげでルディスに声をかけることもできない。
しかも。
「おいおい、ブランド。いい加減諦めろよ」
騎士科で同じクラスのヴェイセル・オクスリーまでもが、あの二人に加担するようになった。
なんでもヴェイセルは、ルディスの友だちのシナモン令嬢(カティア嬢と言ったか)にずっと恋情を抱いていて、最近になってようやく婚約を前提にしたつきあいを始めたらしい。そのうえ、ルディスを口説いてるなんて堂々と宣言しやがったあのド派手頭の令息(エリアスと言ったか)とヴェイセルはもともと友だち同士で、お互いの想いが成就すべく共同戦線を張っていたんだとか。知るかよそんな話。ていうか、婚約者のいる令嬢を堂々と口説くか、普通? 何もかもが腹立たしく、思うようにいかない俺を嘲笑うかのようにヴェイセルは畳みかける。
「お前がルディス嬢を蔑ろにしてきたのはみんな知ってるんだからさ。嫌いなら嫌いで、もう婚約を解消してやればいいじゃないか」
「だから別に俺は――」
「え、何? もしかしてほかのやつに取られそうになったら急に惜しくなったとか? お前、意外に鬼畜なんだな。恥知らずというか」
「は? そんなんじゃ――」
「とにかくさ、俺の親友の邪魔はしないでくれよ。お前だって幼馴染には幸せになってほしいだろ? エリアスが幸せにしてくれるから、黙って見てればいいんだよ」
容赦ない。まじで容赦ない。
中等部での三年間、ルディスを蔑ろにし続け一切交流を持たずに過ごしてきたくせに、エリアスが登場してきた途端何を思ったか急にルディスを追いかけ回すようになった厚顔無恥な男。いつのまにか、俺はそんなふうに噂されるようにもなっていた。そのうえ、「今更感が半端ない」とか「どの面下げて」とか「地獄に落ちろ」とか「タンスの角に足の小指をぶつければいいのに」とか、あからさまに後ろ指を指されるようにもなってしまった。
話せばわかる。ちゃんと話せば、事情を説明すれば、ルディスはきっとわかってくれる。そんなふうに軽く考えていた俺は、自分がどれほど浅はかだったかを思い知ることになった。話せばわかるも何も、一向に会えやしないじゃないか。
まさかここまで、なおも追い込まれることになるとは。