23 無力感に襲われる
「ミア? そんな生徒いたかしら?」
学園内の令嬢令息に関しては情報通を自負するカティアが、訝しげに首をひねる。
「……ミアは今年の春から、中等部の三年生に編入してきたんです」
何やら訳ありな雰囲気で、言いにくそうに目を伏せるセシリア様。そんなセシリア様の手を握ったまま、エリアスが前触れもなく跪いて懇願する。
「セシリア、詳しく話してくれないか?」
なんだかやけに切羽詰まったような表情をするエリアスを見て、顔を見合わせる私たち。想定外にやんごとない事情が絡んでいる気配がして、思わず息を潜める。
セシリア様はひどく沈んだ顔色でひとしきり逡巡したあと、諦めたように話し出した。
「……実は、二年前に母が病気で他界してすぐ、父はかねてから愛人関係にあった平民の女性と再婚しました。ミアは父とその女性との間に生まれた子どもなのです」
「え?」
「何それキモい」
「浮気じゃん」
「しかも子どもまでいるとか最悪」
「はい」
私たちが口々に野次を飛ばす中、エリアスだけが神妙な顔つきでセシリア様の言葉を待っている。
「再婚し、義母とミアが我が家に来てからというもの、父は事あるごとに二人を優先して私のことは一切顧みなくなりました。ミアは私の持っているものは何でもほしがり、常に自分本位で使用人に対しても傍若無人に振る舞っていましたが、私が王立学園に通っていることを知ると自分も行きたいと言い出したのです」
「おっと。ありがちな展開だね」
「ほんとね。テンプレが過ぎて、いっそ清々しい気もするけど」
「でもミアは、父と義母が再婚するまでは平民として暮らしていた子です。当然貴族社会に相応しいマナーや教養といったものに触れる機会はなく、貴族令嬢として学園に入学するには無理がありました。そのことはさすがに父もわかっていたようで、一年間は家庭教師をつけて必要最低限のことを学ばせることにしたのです。そうして、今年の春から学園の三年生に編入させたのですが」
セシリア様の品のいいため息は、その後の不穏な筋書きを容易に想像させてしまう。
「ミアは学園に通い始めた途端、見目麗しい令息を見つけては格好いいとかつきあいたいとか騒ぐようになりました。貴族令嬢としての勉強などそっちのけで、さまざまな令息たちに媚びを売ったり色目を使ったりするようになったのです。中には婚約者のいる令息もいて、そのたびにそんなはしたない真似はやめるよう言って聞かせました。でもミアは言うことを聞かないばかりか、そのことで私のほうが義母や父に叱責されるようになってしまって……」
「え、まじで?」
「控えめに言って最悪」
「セシリア様のご家族を悪く言いたくはないのですが、残念ながら擁護できる要素が一ミリもありません」
「いや、普通に全員滅びたほうがいいレベル」
一切の妥協を許さない、そしてためらいのない私たちのツッコミの数々にセシリア様の表情がふっと和む。
「でもミアが目をつけた令息の中に、実はエリアスもいたんです」
「え」
終始難しい顔をしていたエリアスが、不意打ちを食らって目が点になる。
「たまたまランチルームでエリアスを見かけたミアが、『エリアス・ブレシル侯爵令息って知ってる?』と聞いてきたときには息が止まるかと思いました。本当はずっと前から、私はエリアスを知っていたし気になってついつい目で追いかけるようになっていたんです。私はエリアスをミアに取られたくないと思いました。エリアスを、エリアスへの恋心を奪われたくないと思って、それで一か八かで告白を――」
「セシリア……」
跪いてセシリア様の手を握るエリアスが、切なげな視線を愛しい令嬢に向けている。
その溶けてしまいそうなくらい甘い空気に、私たちのほうが意表を突かれて身の置き場がない。目の前の二人が相思相愛なのは火を見るよりも明らかで、昨日「エリアスはまだルディスに未練があって」とか「そのことにセシリア様が気づいてどうこう」なんてざわついていた自分たちが恥ずかしくなってしまう。
そして、そんな持論を披露した張本人はバツが悪そうに目を泳がせている。
「とにかく眉目秀麗な令息を見つけては擦り寄って気を引こうとしていたミアでしたが、最終的には一人の令息に対しての恋情を募らせていきました。それがブランド・ギルウィング様なのです」
「え? 俺?」
セシリア様が、申し訳なさそうな目をしてブランの顔を仰ぎ見る。一方、腕を組みながらセシリア様の話に耳を傾けていたブランはのけぞって椅子から落ちそうになる。
「どこでどう見初めたのかはわからないのですが、いつからかミアの口からはブランド様の話しか聞かなくなりました。剣術の授業の際の剣さばきが美しかったとかランチルームで談笑している笑顔が素敵だったとか」
どういう顔をして話を聞けばいいのかわからないらしく、ブランはなんとも言えない複雑な表情で固まっている。そんなブランの態度も、セシリア様が話されるミア様の言葉も、なんだか無性に面白くない。もやっとする。
「じゃあ、そのミア様がブランドのことを好きになって、でもブランドにはルディスという婚約者がいるもんだから腹いせに嫌がらせをするようになったということかしら」
「恐らくは……」
「確かに、中等部の教室と教養科の教室は近いからな。誰もいない瞬間を見計らって、こっそり忍び込んだんだろう」
「それにミアは、体が弱くて学園に入学できなかったことになっているんです。ようやく体調も落ち着いてきたので三年生から編入する流れにしよう、と父と義母が話していて。その設定をいいことに、ミアはしょっちゅう体調不良を訴えては保健室に行ったり授業をさぼっては学園内をふらふらしたりしているようで」
「ダメじゃんそれ」
「悪例の見本みたいなやつだな」
「そんなやつが、俺のルディに嫌がらせを……?」
吐き捨てるような口調ながらも、ブランの声はどこか弱々しい。その目に浮かぶ、暗く深い虚ろの色。それが何なのかわからなくて、私はついその冷たい頬に手を伸ばす。
「ブラン……?」
「え?」
「どうしたの?」
「……あ」
そしてブランは、俯いてぽつりと言った。
「全部、俺のせいだったんだな……」
「何が?」
「教科書もノートも、ブレザーも鞄も、嫌な思いも怖い思いも、全部俺のせいだった。……ごめん」
「それは違うでしょ。ブランは何も悪くないじゃない」
「でも」
「そうよ。ブランドは別に悪くないわよ」
「いや完全に、横恋慕した挙句暴走してるだけのそのミアとかいう令嬢が悪いだろ」
「あとはそんなコントロール不能の野生児を放置する親ね」
「そうそう」
「みんな……」
ブランが何も言えなくなって、今にも泣き出しそうに苦笑いする。そして私の手を握り、もう一度「ごめんな」と言ってから小さくつぶやく。
「じゃあ、ハルスティンはほんとに無関係だったのか……?」
その聞こえるか聞こえないかのつぶやきに、セシリア様がいち早く反応した。
「ハルスティン? ハルスティンって、ハルスティン・ベランノールのことですか?」
「ああ、はい。そう、ですけど……」
「ハルは……、ハルスティンは、私の従兄弟です」
「「「「え?」」」」」
私たちの大袈裟すぎるリアクションに、セシリア様が不審の眉を寄せる。私は慌てて、なくなった教科書とノートを見つけたと持ってきてくれたのがハルスティン・ベランノール侯爵令息だったことを伝える。
「じゃあ……、多分ですけど、ミアとハルはグルだと思います」
「え!?」
「ハルは父方の従兄弟なのですが……。ミアとハルは何かと馬が合うらしく、特にミアはハルのことを『ハル兄様』と呼んで慕っているのです。今回のミアの嫌がらせに関しても、ハルが一枚嚙んでいる可能性があるかと」
「まじか……」
ここへ来てつながった、ミア様とハルスティン・ベランノール侯爵令息。
ミア様が持ち去った教科書やノートをベランノール侯爵令息に渡し、何食わぬ顔で私に返しに来たとしたら。どういう思惑があるのか知らないけれど、なめやがって、という殺意が沸々と湧いてくる。
「でも、すべては状況証拠にすぎないんだよな」
犯人とその動機に大体の目星がつき、一連の事件が一気に解決に向かおうとしているというのにヴェイセル様の声はどこまでも慎重だった。
「状況証拠って、私たちはミア様の姿を見てるのよ?」
「でも顔は見てないだろ? 黒髪の令嬢はセシリア様とミア様だけじゃない。違うと言われれば、それ以上の追及は難しい」
「中等部の制服のリボンを見たのに?」
「それだって、見間違いだと言われたらどうする? ちらっと見えただけなら、反論は難しいと思う」
「そんな……」
「それに」
しばらく黙って事の成り行きを見守っていたエリアスが、ゆるゆると重い口を開く。
「このことが公になったとき、誰のせいで全部バレたのかって話になったらセシリアが疑われるのは目に見えてる。そしたらますます、エヴァンス伯爵家でのセシリアの立場は悪くなるんじゃないか? これ以上セシリアにつらい思いはさせたくない」
一瞬にして、その場の空気が重くなる。
確かにそうだ。ミア様を追及し、糾弾し、ベランノール侯爵令息の関与を指摘したところで、セシリア様の伯爵家での立場が良くなるとは到底思えない。いや逆に、あんたのせいでバレたじゃないかと責め立てられる未来しか見えない。どうしよう。
せっかく一連の騒動の真相にたどり着いたというのに。首謀者もその思惑も判明して、全容を明らかにできるチャンスだというのに。有効な打開策など思いつくわけもなく、私たちはただどうにもできない無力感に襲われていた。
次回は、ブラン視点を挟みます。